『ラーヤと龍の王国』:2021、アメリカ
500年前、聖地クマンドラの民は魔力を持った龍と平和に暮らしていた。しかし心を持たない魔物のドルーンが出現し、命を飲み込んで増えていった。ドルーンは触れた者を石に変え、龍は民のために戦ったが勝てなかった。最後の龍であるシスーは全ての力を龍の石に込め、ドルーンを消し去った。石に変えられた者は復活したが、龍は戻らなかった。シスーは消え、龍の石だけが残った。やがて龍の石を巡る争いが勃発し、人々はいがみ合った。クマンドラは境界線が敷かれ、龍の石は聖域に封印された。
聖域はハートの国にあり、ベンジャが首長を務める一族が龍の石を守り続けていた。ベンジャの一人娘であるラーヤは父との戦いによって認められ、龍の石の守り人になった。ベンジャはテイル、タロン、スパイン、ファングという他の4つの国から長を招いて、食事会を催すことにした。4つの国を敵と考えているラーヤが驚くと、ベンジャは「誤解を解けば、敵ではなくなる。彼らは龍の石が富をもたらすと考えている」と述べた。
ハートにやって来た各国の長たちは、激しい敵意を示した。ファングの長であるヴィラーナは、娘のナマーリを同行させていた。ラーヤは同年代のナマーリに好感を抱き、一緒に食事を取って仲良くなった。ナマーリはラーヤに、シスーが川底で生きているという言い伝えを教えた。彼女から龍のペンダントをプレゼントされたラーヤは、聖域へ案内して龍の石を見せた。するとナマーリはラーヤに襲い掛かり、花火を打ち上げてヴィラーナに合図を送った。
ファングの兵隊が聖域に乗り込み、ラーヤを倒して龍の石を奪おうとした。ベンジャが駆け付けて阻止しようとすると、他の国の長たちも押し寄せた。ベンジャは刀を収め、引いてくれと頼む。しかし彼は矢を放たれて負傷し、他の国の面々が龍の石に群がった。争いの中で石は割れ、ドルーンが復活して暴れ始めた。ベンジャは石の欠片を見せ、ドルーンの動きを一時的に止めた。まだ光があると知った長たちは、残る4つの欠片を奪って逃亡した。ベンジャはラーヤに石の欠片を託して川へ投げ落とし、ドルーンに襲われて石化した。
6年後。ラーヤは相棒のトゥクトゥクと共に旅を続け、シスーを探して川を巡っていた。テイルにある最後の川に辿り着いた彼女は龍の絵を開いて龍のペンダントを置き、シスーに助力を求めて儀式を執り行った。するとシスーは復活し、能天気に喜んだ。五百年も眠っていたこと、ドルーンが復活して龍の兄弟は目覚めていないことを知り、シスーは困惑した。ラーヤが「また龍の石を作ってほしい」と言うと、シスーは「私は石の力を使っただけで、作ったわけじゃない」と告げた。
シスーが石の欠片に触れると、その体が光り輝いた。ラーヤが驚くと、シスーは妹であるアンバーの魔力だと説明した。ラーヤは「貴方は石の魔力と繋がってる。今でも世界を救える」と語り、欠片を全て集めて石を元に戻せばドルーンを倒して父を生き返らせることが出来ると述べた。一方、ナマーリはラーヤに盗まれた龍の絵を取り戻すため、家来を率いてテイルに来ていた。彼女はラーヤが落とした指輪を発見し、居場所を突き止めた。
ラーヤはシスーに欠片は各国の長が持っていると話し、タロンの長がいる場所へ向かった。するとタロンの長は、自分が仕掛けた罠のせいで白骨化していた。ラーヤが回収した欠片を渡すと、シスーは魔力によって人間の姿に変身した。そこへナマーリと家来たちが現れると、ラーヤは勝ち誇った態度で絵を投げ渡した。彼女はシスーを見つけ出したことを語り、罠を発動させた。ラーヤはシスーを連れて脱出し、トゥクトゥクに乗って逃走した。
ラーヤは船着き場で船に飛び込み、船長を務める少年のブーンに前金を渡してタロンへ向かうよう頼んだ。泳ぎが得意なシスーは海に潜り、船を押して離岸した。ナマーリはラーヤを追い掛けず、ファングへ戻って母のヴィラーナに話すことにした。ラーヤはシスーに、全ての欠片を集めるまでは人間の姿でいるよう頼んだ。タロンに着いた彼女は、欠片は悪名高い長のダン・ハイが持っているとシスーに告げる。ラーヤはシスーを心配し、船で待機するよう告げてハイの館へ向かった。
ラーヤは市場で幼児のノイと3匹のオンギに騙されて欠片を奪われ、後を追った。シスーはハイに渡す土産が必要だと考え、ブーンから「ツケで払える」と聞いて市場へ向かった。しかし初対面のシスーが後払いを許されるはずもなく、商店主たちから今すぐに金を払うよう詰め寄られた。シスーは「ラーヤがいれば大丈夫」と慌てて釈明し、「龍の石の欠片も2つある」と口を滑らせた。そこへ老女のフーが現れ、親切な態度で「こっちへおいで」と市場から連れ出した。
ラーヤは欠片を奪還し、ノイたちに家族がいないと知って「お礼を渡すから手伝って」と持ち掛けた。彼女はノイたちに警備の兵隊の気を引いてもらい、その隙に館へ忍び込んだ。するとハイは石化しており、その場にいた花売りのチャイはラーヤに「欠片を持っているのは極悪非道なタロンの長だ」と教えた。タロンの長はフーであり、シスーを門の外へ誘導してドルーンに襲わせた。彼女が欠片のありかを教えるよう要求すると、ラーヤが駆け付けてシスーを救出した。彼女はフーの欠片を奪い取り、シスーを連れて逃走した。
ラーヤが船に戻ると、ブーンは彼女がノイたちに約束した料理を振舞っていた。ラーヤはノイやオンギたちも乗せて、スパインへ向かった。ナマーリはファングに戻り、ヴィラーナに「ラーヤが石の欠片を集めています。兵を率いてスパインに行けば倒せます」と話す。母から「ファングにいれば安全。余計なことをして自分を危険に晒さないで」と言われた彼女は、「手狭になった土地を広げるべきです」と主張する。ヴィラーナは立派な指導者になったと娘を称賛し、兵を準備させた。
シスーはラーヤから「この世界は壊れた。誰も信じちゃダメ」と忠告され、「世界が壊れたのは、誰も信じないせいじゃない?」と反論した。ブーンの船がスパインに到着すると、シスーは「人を信じていいと証明する。人に信じてもらうには、まず相手を信じないと」と言って門へ走った。ラーヤは慌てて止めようとするが、シスーと共に捕まった。大男のトングはラーヤとシスーを小屋に連行し、脅しを掛けた。しかしラーヤは、彼が強がっているだけだと見抜いた。
ブーンやノイたちは小屋に突入し、ラーヤとシスーを救ってトングを縛り上げた。門の外にナマーリが兵隊を率いて現れ、「ラーヤを引き渡さないと攻め入る」と通告した。ドルーンに襲われてトング以外の国民が全滅したことを知ったラーヤは、自分がナマーリたちを引き付けている間に逃げるようシスーたちに指示した。彼女はトングに案内役を頼み、門の外へ出た。ラーヤはナマーリを挑発し、一騎打ちに持ち込んだ。ラーヤの窮地を目にしたシスーは龍の姿に変身して駆け付け、ナマーリを威圧した。
ラーヤはシスーを連れて逃亡し、ブーンたちと合流して船に乗り込んだ。ブーンとノイはラーヤに協力を申し入れ、トングはスパインの欠片をシスーに差し出した。船がファングに到着すると、シスーは「ナマーリに手土産を渡せば仲間になってくれる」と作戦を提案した。ラーヤは即座に却下し、ブーンやトングたちはファングへの怒りを口にした。するとシスーはラーヤを500年前の始まりの地へ連れて行き、当時の出来事について語った…。監督はドン・ホール&カルロス・ロペス・エストラーダ、原案はポール・ブリッグス&ドン・ホール&アデル・リム&カルロス・ロペス・エストラーダ&キール・マレー&クワイ・グエン&ジョン・リパ&ディーン・ウェリンズ、脚本はキュイ・グエン&アデル・リム、製作はオスナット・シューラー&ピーター・デル・ヴェッチョ、製作総指揮はジェニファー・リー&ジャレッド・ブッシュ、製作協力はネイサン・カーティス&ジェニファー・クリスティン・ヴェラ、編集はファビエンヌ・ローリー&シャノン・スタイン、プロダクション・デザイナーはポール・フィリックス&ヘレン・ミンジュエ・チェン&コーリー・ロフティス、視覚効果監修はカイル・オダーマット、音楽はジェームズ・ニュートン・ハワード、音楽製作総指揮はトム・マクドゥーガル。
声の出演はケリー・マリー・トラン、オークワフィナ、アイザック・ワン、ジェンマ・チャン、ダニエル・デイ・キム、ベネディクト・ウォン、ジョナ・シャオ、サンドラ・オー、タライア・トラン、ルシル・スーン、アラン・テュディック、ゴードン・イップ、ディチェン・ラックマン、パティー・ハリソン、ジョン・パーク、サン・カン、シエラ・カトウ、ロス・バトラー、フランソワ・チャウ、ポール・イェン他。
『くまのプーさん』『ベイマックス』のドン・ホールと『ブラインドスポッティング』のカルロス・ロペス・エストラーダが共同で監督を務めた長編アニメーション映画。
脚本はTVドラマ『インコーポレイテッド』のキュイ・グエンと『クレイジー・リッチ!』のアデル・リムによる共同。
ラーヤの声をケリー・マリー・トラン、シスーをオークワフィナ、ブーンをアイザック・ワン、ナマーリをジェンマ・チャン、ベンジャをダニエル・デイ・キム、トングをベネディクト・ウォン、幼少期のナマーリをジョナ・シャオ、ヴィラーナをサンドラ・オー、トゥクトゥクをアラン・テュディックが担当している。ラーヤは最後の川に辿り着くと、ボロボロの船の中へ入っていく。そこで彼女は座り込み、儀式を始める。
なぜ、その場所なのか。シスーを呼び出す儀式は、どこでどうやって知ったのか。その儀式に絵やペンダントが必要なことは、どうやって知ったのか。
そもそも、儀式にペンダントが必要であるなら、幾ら騙すための餌であってもナマーリは簡単に渡しちゃダメだろ。
あと、いつの間に龍の絵を入手したのか。後で出て来る台詞によると、どうやら川に流された後で盗みに入ったようだが、分かりにくい。そもそも、絵の必要性が高いとは到底思えないし。
ナマーリにラーヤを追わせる理由を用意するための設定が、ものすごく下手だと感じてしまう。「ファミリー映画だし、ずっとハードでシリアスな内容だと息が詰まるかも」という配慮なのか、シスーはジョークが好きで陽気なキャラになっている。
メインキャラだけど、コメディー・リリーフと言ってもいいぐらいのキャラだ。
だけど、ただの場違いな明るさに思える。その能天気な言動は、状況を全く理解していない厄介な奴にしか感じられない。
実際、シスーは完全にトラブルメイカーであり、ラーヤに迷惑を掛けまくっているし。ラーヤはナマーリに恨みを抱いており、「ナマーリが裏切ったせいで世界が壊れた」とシスーに説明している。
シスーはラーヤから欠片を全て集めるまで人間の姿でいるよう頼まれた時、「誰も信用してないのね」と言う。
それに対してラーヤは、「お父様はどんな相手でも無条件に信用したせいで、石になった」と語る。
ラーヤはブーンが提供する食事も「毒が入っているかも」と警戒し、手を付けない。
一方でラーヤは、どんな相手でも仲良くなれると決め付け、フランクに接している。そういうラーヤとシスーの対照的な言動を通して、この映画は「信じることの大切さ」を訴えようとしている。
でも、そのメッセージには乗れないなあ。
粗筋でも触れているように、平気で騙したり裏切ったりする連中を何人も配置しておいて、それでも「人を信じるべき」と説教されても、そんなメッセージには何の価値も見出せないよ。
そりゃあ信頼に値する奴は信頼してもいいだろうけど、誰でも無条件で信頼していいのかというと、それは違うんじゃないかと反論したくなる。この映画が製作されたアメリカでは、ドナルド・トランプの影響で国民の分断は強まる一方だ。そんな中で「人を信じよう」と訴えようとする意図は理解できる。
だけど、「じゃあ周囲の人を無条件で信じた結果はどうだったのか」ってことなのよ。それは世界の歴史が明確な形で証明しているわけで。
そこから導き出されるのは、「簡単に人を信用しちゃダメ。ちゃんと相手を見て判断しなきゃダメ」という答えなのよ。
それに、「だったらアンタはドナルド・トランプを無条件で信じられるのか」ってことでしょ。それは無理よ。
そもそもラーヤは誰も信用していないわけじゃなくて、トゥクトゥクとシスーは信用しているし。船でスパインへ向かう途中、ラーヤはフーに騙されてショックを受けているシスーに「この世界は壊れた。誰も信じちゃダメ」と忠告する。シスーが「世界が壊れたのは、誰も信じないせいじゃない?」と言うと、ラーヤは「私だって信じたかった。だけど贈り物をくれた子に、いとも簡単に裏切られた。現実を見て。龍の石を巡る争いは続き、子供たちは親を失ってる」と語る。
それでもシスーは「まだ世界は変えられる」と言い、人を信じ続ける。
だけどラーヤが言うように、シスーの主張は非現実的な夢物語にしか聞こえないんだよね。
だから「信じた結果が、このザマじゃねえか」という主張に対して、この映画は納得させられる反論を用意できていない。「とにかく信じるべきだ」という、何の根拠の無い楽観論をバカみたいに繰り返すだけだ。劇中ではシスーの主張が肯定されなきゃ困るので、彼女の目論見通りに全ては上手く運んでいる。だけど、そのファンタジーから現実的なメッセージを感じ取ることは無理だ。
「所詮は作り話だから成立する都合のいい理想論」に過ぎない。現実を反映させて作った映画だけど、その醜すぎる現実が劇中に込められた淡い理想を完全否定させるのだ。
幾ら前向きなメッセージを発信しても、ひたすらに虚しいだけだ。
そもそもシスーにしても、人を信じて行動したせいで、何度も失敗しているんだし。シスーはラーヤに、「兄弟は私を信じて力を託してくれた。私は兄弟を信じた。だからドルーンを倒せた」と語り、ナマーリを信じるべきだと諭す。
だけど、シスーが信じあったのは血を分けた兄弟であり、ずっと一緒に暮らして来た間柄だ。それをラーヤとナマーリの関係に重ねるのは、あまりにも無理がある。
シスーにとって兄弟は信じられる相手であり、信じる価値のある相手だ。だけどラーヤにとってのナマーリは、自分を騙して石を奪おうとした憎き相手なのよ。
そこを同じ括りで語られても、その論法には乗れない。ところがラーヤは、そんなシスーの説得をあっさりと受け入れちゃうんだよね。なので、「なんでだよ」と呆れてしまう。
映画だから吉と出るけど、ホントなら裏切られて酷い目に遭うだけだと言いたくなる。
その直後にはナマーリが「みんなを傷付けるつもりは無かった」と言うけど、ラーヤを騙して石を奪おうとしておいて「みんなを傷付ける気は無かった」って、どの口がほざくのかと。
終盤に入って急に「実は悪い奴じゃない」という描き方をされても、バカバカしいだけ。
それどころか、そんなシナリオで無垢な子供たちを騙そうとする製作サイドに怒りさえ覚えるわ。ここ最近、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオが手掛ける映画は、一気に中国市場を意識した作品が増えた印象を受ける。この映画の舞台も、中国を連想させる。
今やアメリカを抜いて世界一の市場になっているので、そこを意識するのも分からんではない。
ただ、それによって、「5つの国が集まってクマンドラが1つになる」というのを「幸せな結末」として設定していることに対して、それが果たして正解なのかという疑念が生じてしまうんだよね。
なんかさ、チベット問題とか、中華統一思想とか、そういう中国の横暴さを連想しちゃうんだよね。(観賞日:2023年10月30日)