『ランボー 最後の戦場』:2008、アメリカ&ドイツ
ベトナム帰還兵のジョン・ランボーは、タイ北部の小さな村で静かに暮らしていた。彼は蛇狩りやボートを使った運搬作業によって、生計を立てていた。ある日、マイケル・バーネット医師と仲間たちがランボーの元を訪れ、ミャンマーまで船を出してほしいと依頼して来た。「紛争地域だ」とランボーが言うと、マイケルは「あれは虐殺だ。ミャンマーでは5度目だ。リスクは承知している」と告げた。
ランボーが依頼を断ると、マイケルは自分たちがコロラド州のキリスト教支援団「汎アジア牧師会」のメンバーであること、ボランティアでカレン族に医療物資や聖書を届けていることを話す。「船を出してくれたら村人の暮らしを変えられる」と話す彼に、ランボーは「武器も支給するのか」と尋ねる。マイケルが「支給するわけがない」と答えると、ランボーは「だったら何も変えられない」と述べた。
マイケルが諦めて立ち去ろうとすると、メンバーのサラ・ミラーがランボーを説得しようとする。だが、ランボーは「家に帰れ」と冷たく言い放った。一方、ミャンマーのパプン群タケダー村はティント大佐の率いるミャンマー陸軍に襲撃されていた。ティントは村人たちに対し、「子供は捕まえて兵士にする。逆らえば村を焼き尽くす。もしカレン族に泣き付いたら舌を切り落とすぞ」と脅しを掛けた。
深夜、ランボーは雨の降る中、ボートで彼を待っているサラに気付いた。改めて船を出すよう頼むサラを、ランボーは邪険にあしらった。するとサラは「他人を信じられなくなったのね。でも、人の命を救うことは決して無意味じゃないはずよ」と告げ、その場を去った。翌朝、ランボーはサラの依頼を引き受け、金を受け取らずに船を出した。その日の夜、船は盗賊の駐留している場所を通り掛かった、ランボーは静かに通過しようとするが、盗賊は追い掛けて来た。サラに気付いた一味は、ランボーに引き渡しを要求した。ランボーは発砲し、盗賊を全滅させた。
マイケルに殺人行為を非難されたランボーは、彼に掴み掛かって「女は犯され、お前たちは首を切られてた。平和ボケどもが」と怒鳴った。彼が引き返そうとすると、サラが「もうすぐなの。ミャンマーまで行って。貴方には無意味でも、これが私たちの選んだ生き方」と言う。ミャンマーに到着して下船したマイケルは、ランボーに「帰りは陸路で行く。待たなくてもいい。どんな理由があろうとも、人殺しは許されない」と批判的な態度で告げた。
ボランティアの一行はカレン族の住むクロークベロー村に辿り着き、物資を配ったり病人の手当てをしたりする。そこへ、政府軍が急襲を仕掛けて来た。大勢の村人たちが強姦されたり惨殺されたりする中、サラやマイケルたちは捕まってしまった。汎アジア牧師会のアーサー・マーシュがランボーの元を訪れ、ボランティアのメンバーが捕まったという情報が入ったことを話した。彼は大使館から紹介された現地に長期滞在する米国人と会い、傭兵を使うよう助言を受けていた。そこでアーサーは傭兵たちをミャンマーまで送り届ける仕事を依頼するため、ランボーを訪ねたのだった。
ランボーは傭兵のスクール・ボーイ、ルイス、エン・ジョー、ディアス、リースを船に乗せ、サラたちを降ろした場所へ向かう。ポイントへ到着すると、カレン族のビエンが案内係として待っていた。傭兵のリーダーであるルイスはビエンから「敵は100名。明日には、もっと増える」と聞かされ、「交戦はしない。無理だと思ったら引き上げるぞ」と仲間たちに告げた。ランボーが同行しようとすると、ルイスは「お前は船に残ってろ」と命じた。
傭兵たちが村に到着すると、幾つもの死体が転がっていた。中には、見せしめのために吊るされた死体もあった。政府軍のトラックが村に来たので、傭兵たちは姿を隠した。密かに様子を観察していると、兵士4人は連行した村人たちを荷台から出し、地雷を水田に投げ入れた。そして銃で脅しを掛け、水田を向こうまで一気に走るよう要求した。誰が地雷で死ぬか、兵士たちは金を賭けて遊んでいるのだ。そこへランホーが現れ、弓矢を使って兵士たちを抹殺した。
ランボーは救い出した村人たちから政府軍の駐留地を聞き、すぐに向かおうとする。それを無視したルイスが傭兵たちに退却を指示すると、ランボーは彼に詰め寄って「俺とお前たちの仕事場は、ここにある。無駄に生きるか、何かのために死ぬか、お前が決めろ」と凄んだ。ランボーたちは軍のトラックに乗り、駐留地へ向かった。スクール・ボーイが監視塔の見張り番を始末し、一行は侵入に成功した。
傭兵たちは夜の闇に紛れて行動し、捕まっていたマイケルを救い出した。ランボーは別の場所で捕まっているサラを助けに行くが、1人の兵士が彼女を小屋へ連行したため、後を追った。ランボーの帰りが遅いため、ルイスは待たずに撤退することを決める。スクール・ボーイだけは「帰る時は一緒だと」留まることを選択した。ランボーは兵士を殺してサラを救出し、小屋を出る。サラが転んで見張り兵たちに気付かれるが、スクール・ボーイが狙撃した。翌朝、脱走を知ったティントは、部隊を率いて捜索に向かう…。監督はシルヴェスター・スタローン、キャラクター創作はデヴィッド・マレル、脚本はアート・モンテラステリ&シルヴェスター・スタローン、製作はアヴィ・ラーナー&ケヴィン・キング・テンプルトン&ジョン・トンプソン、共同製作はヨーゼフ・ローテンシュレーガー&ヨアヒム・スタームス、製作協力はクリストファー・ペッツェル、製作総指揮はダニー・ディムボート&ボアズ・デヴィッドソン&トレヴァー・ショート&アンドレアス・ティースマイヤー&フロリアン・レクナー&ランドール・エメット&ジョージ・ファーラ、撮影はグレン・マクファーソン、編集はショーン・アルバートソン、美術はフランコ=ジャコモ・カルボーネ、衣装はリズ・ウォルフ、音楽はブライアン・タイラー。
出演はシルヴェスター・スタローン、ジュリー・ベンツ、ポール・シュルツ、マシュー・マースデン、グレアム・マクタヴィッシュ、ティム・カン、レイ・ガイエゴス、ジェイク・ラ・ボッツ、マウン・マウン・キン、ケン・ハワード、キャメロン・ピアソン、トーマス・ピーターソン、トニー・スカーバーグ、ジェームズ・ウェアリング・スミス、カシコーン・ニヨムパタナ、シャリュー・“レック”・バムラングバン、スパルコーン・“トック”・キジスワン、アウン・アーイ・ノイ、アウン・ゼング他。
前作から20年ぶりとなる『ランボー』シリーズの第4作。
シリーズで初めて、主演のシルヴェスター・スタローン自身が監督も務めている。
邦題には『最後の戦場』とあるが、日本の配給会社が勝手に最終作のような題名を付けただけだ(実際、この映画の公開後には、5作目と6作目の構想があることが明らかにされた)。
1作目からランボー役を務めるスタローンの他、サラをジュリー・ベンツ、マイケルをポール・シュルツ、スクール・ボーイをマシュー・マースデン、ルイスをグレアム・マクタヴィッシュ、エン・ジョーをティム・カン、ディアスをレイ・ガイエゴス、リースをジェイク・ラ・ボッツが演じている。このシリーズは2作目以降、ランボーが「人助けをする」という名目で海外出張し、暴れまくるというモノになった。
ランボーを存分に活躍させるためには、戦う敵と場所が必要だ。
冷戦時代なら、『ロッキー4 炎の友情』のように、ソ連を敵に据えておけば良かったかもしれない。
しかし2008年という時代では、そういうわけには行かない。
それに、ロシアが相手だと戦う舞台は市街地ってことになりそうだが、ランボーのストロング・ポイントを活かすには、ジャングル地帯の方がやりやすい。そこで今回の舞台に選ばれたのが、ミャンマーのジャングルというわけだ。
ミャンマーの軍事政権がカレン族を弾圧しているというのは事実であり、だから「その事実を広く訴える」という政治的メッセージ性の強い映画に思えるかもしれないが、まるで違う。
ランボーを思い切り暴れさせるのに都合のいい場所が、紛争地域であるミャンマーだっただけだ。
第3作『ランボー3/怒りのアフガン』でアフガンが選ばれたのと同じようなモンだ。ランボーは「戦争の犬」なので、とにかく戦いたくてウズウズしている。
それは第2作でも第3作でもそうだった。
この4作目では、登場した時点では隠居したような状態になっているが、それは見せ掛けの姿に過ぎない。チャンスがあれば、彼の心に眠っている戦士の魂は、すぐに復活するのだ。ちょっとしたきっかけさえ与えてやればいい。
今回のきっかけは、サラに口説かれたことだ。
本作品のランボーは「最初は危険地帯へ行くのを断っていたオッサンが、若い女に口説かれてOKする」という形なので、かなりカッコ悪い。サラの「人の命を救うことは決して無意味じゃないはず」といった言葉には、何の説得力も無い。
むしろ、マイケルと同様、現実が全く見えていない甘ちゃんによる不快な説得にしか思えない。
だから、ランボーがマイケルの時は断ってサラの依頼はOKするってのは、「相手が若くて綺麗な女だから」ということにしか思えない。
もしも本当にランボーがサラの言葉で心を揺り動かされたのだとしたら、彼は単なるバカになってしまう(まあ決して利口とは言えないが)。船を出した後も、ランボーはサラに対して「アンタが依頼人だ。引き返す時には言ってくれ」と言い、マイケルが意見を述べると「お前には聞いてない」とぶっきらぼうに告げるなど、明らかにサラをえこひいきする。
傍から見ている限り、マイケルとサラに思想的な違いは見えない。
どっちも平和ボケの夢想家だ。
それでもマイケルは激しく糾弾し、サラには優しく接するんだから、若い女から気に入られたいオッサンにしか見えない。もしも政府軍に捕まったのがマイケルたちだけだったら、きっとランボーは助けに行こうとしなかっただろう。
前述のように、ランボーは戦いたくてウズウズしているので、きっかけさえ与えてやればいいのだ。
だが、今回は、少なくとも表向きの理由が「サラのため」ということになっているので、とてもカッコ悪い。
それなら「戦争の犬なので、戦士としての血が沸き立ったから」ということをハッキリとアピールしてくれたほうが、まだマシである。やっている内容を大雑把に言うならば、「正義のヒーローであるランボーが、悪党であるミャンマー政府軍をやっつける」という、とてもクラシカルでシンプルな勧善懲悪の話である。
だから、ヒーローであるランボーが暴れまくることの正当性を際立たせるために、政府軍は徹底して卑劣で残忍な悪党として描写される。また、ランボーを厳しく糾弾する非暴力主義者のマイケルは、全面的に否定されている。
マイケルは「口先だけで何も出来ないだけでなく、余計なことをして迷惑を掛けたりする」というボンクラ野郎として描かれ、ランボーが悪党を殺すことを正当化するための道具として利用される。しかし、勧善懲悪の図式を持ち込んでいるにも関わらず、なぜか今回、スタローンは「戦争の現実を描きたい」ということで残酷描写を強調したため、「正義のヒーローが悪党を退治する」という爽快感は完全に消え失せている。
ちなみに「戦争の現実を描きたい」ってのは、それで政治的なメッセージを発信したい、ミャンマーの紛争問題について観客に訴えたいということではなく、あくまでも観客の興味を引き付けるための戦略である。
こんな映画を見て、ミャンマーの紛争問題について真剣に考えよう、何か出来ることをやろうと思うような人は、まずいないだろう。
そんな人がいたら、相当の変わり者だ。ともかく、勧善懲悪でありながら「悪を倒す」というところでの爽快感を消し去った結果として、これは戦争スプラッター映画になった。
ストーリーはあって無いようなモノなので、終わった時に感じるのは「ああ、なんか大勢の人が残虐に殺されたなあ」ということだけだ。
ランボーの言った通り、サラたちは何も変えることが出来ていないが、だからと言って、終わった時に虚しさや無常観さえ残らない。
最後、ランボーは帰郷するのだが、物語の中で「こういうことがあったから帰郷する気持ちになった」という流れが全く見当たらないので、話を綺麗に締め括るために、取って付けたような印象しか受けないし。(観賞日:2013年10月28日)