『ワン・ナイト・スタンド』:1997、アメリカ

マイクは舞台監督から転身し、売れっ子のCMディレクターとなった。35歳の彼は、妻ミミ、息子チャーリー、娘サフロンと共に、ロサンゼルスに住んでいる。ある時、ニューヨークに出張に出掛けた彼は、旧友の舞台俳優チャーリーの元へ、5年ぶりに会いに行った。チャーリーはゲイで、最近になってHIV感染が判明していた。
マイクは宿泊していたホテルで、カレンという美しい女性を見掛けた。すぐに2人は親しくなり、一緒にクラシックのコンサートを観賞した。その帰り、2人は暴漢に襲われるが、マイクが撃退した。その後、マイクとカレンは、ホテルの部屋で肉体関係を結んだ。翌日、ロスへ戻ったマイクは、妻のミミと激しいセックスをした。
1年後、マイクは入院したチャーリーを見舞うため、再びニューヨークを訪れた。病院でチャーリーの兄ヴァーノンと会ったマイクは、チャーリーの余命が長くて2週間だろうと聞かされる。やがてヴァーノンの妻が現れるが、それがカレンだった…。

監督&脚本&音楽はマイク・フィギス、製作はマイク・フィギス&アニー・スチュワート&ベン・マイロン、製作総指揮はロバート・エンゲルマン、共同製作総指揮はマイケル・デ・ルーカ&リチャード・サパースタイン、撮影はデクラン・クイン、編集はジョン・スミス、美術はワルデマール・カリノウスキー、衣装はローラ・ゴールドスミス&エニッド・ハリス。
出演はウェズリー・スナイプス、ナスターシャ・キンスキー、カイル・マクラクラン、ミンナ・ウェン、ロバート・ダウニーJr.、マーカス・ポーク、ナタリー・トロット、ジョン・コーリー、グレン・プラマー、アマンダ・ドノホー、ゾーイ・ネイセンソン、トーマス・ヘイデン・チャーチ、ヴィンセント・ウォード、ジョン・ラッツェンバーガー、トーマス・コパッチェ、アナベル・ガーウィッチ他。


『リービング・ラスベガス』のマイク・フィギスが監督&脚本&製作&音楽を務めた作品。マックスをウェズリー・スナイプス、カレンをナスターシャ・キンスキー、ヴァーノンをカイル・マクラクラン、ミミをミンナ・ウェン、チャーリーをロバート・ダウニーJr.が演じている。

主人公のマイクはピクルスのCMを「バカげたCM」と言い放ち、「クオリティーを大切にすべきだ」と主張する。テレビを有害で退屈だとコキ下ろす。これは、おそらくマイク・フィギスの意見なのだろうが、そんな彼が作ったのは、芸術ぶった退屈な映画である。

前半、マイクはカレンと浮気をして、ロスに戻ってミミともセックスをする。この流れの中に、何の緊張感も無い。ミミがマイクのコロンの香りに気付くシーンはあるが、特に疑う様子も無い。マイクがカレンのことを思い浮かべて、後ろめたさを抱きながらミミとセックスをするような様子も見られない。カレンとミミの位置関係は、かなり遠い。
それよりも問題なのは、最初にマイクがチャーリーに会いに行くシーンだ。ここが、全く関係の無いモノとなってしまっている。正直、マイクと仕事仲間との会話でゲイのことが話題に上がるまで、チャーリーの存在を忘れてしまっていたぐらいだ。

後半に入ってカレンがヴァーノンの妻だと分かり、ようやく、そこいらに転がっているような不倫ドラマと同じ程度のスリルは生まれるのかと思わされる。だが、「クオリティ」を大切にして、大人のムードを保とうとしたためか、ドヨ〜ンとした空気に飲み込まれる。
しかも、いよいよチャーリーは入院してしまい、死という結末が見えるようになるが、それが相変わらず関係の無いモノとなっている。不倫ドラマと、確実に死に近付いて行くチャーリーの存在が、完全に別物になっている。生と死であったり、友情と恋愛であったり、そういう部分からの主人公の葛藤や苦悩が見えてこない。

主人公に葛藤させるためには、何よりチャーリーの存在、マイクとチャーリーの関係が、もっと描かれねばならないはずだ。しかし、マイクとチャーリーの友情の絆を示すのは、せいぜいマイクの息子の名前がチャーリーだと分かったシーンぐらいだ。ハッキリ言って、この話、チャーリーがいなくても、ちゃんと成立してしまうのではないか。
映画は、肩の力が抜けるような、コメディーなのかと思ってしまうようなオチを用意している。完全なネタバレになるが、互いに不倫していたことを知ったマイク&ミミ夫婦とヴァーノン&カレン夫婦が、お互いのパートナーを交換するという結末が待っているのである。一応はハッピーエンドと言える形だが、ちっともハッピーな気持ちになれない。

その結末によって、チャーリーの存在意義がハッキリする。つまり、彼は主人公に「人生を自由に生きろ。自分の思うように生きろ」と言うためだけに登場し、死んでいったのである。ホントに、ただ、それだけのために存在していたのだ。
しかし、チャーリーから「思うように生きろ」と告げられたマイクが選んだ結末は、ただ無責任で身勝手な形にしか見えない。そのため、チャーリーの「エイズによる死」という重いモノが、ものすごく軽薄に扱われたような気がしてしまうのだ。

 

*ポンコツ映画愛護協会