『ワン・フロム・ザ・ハート』:1981、アメリカ

パラダイス旅行代理店で働くフラニーは帰宅し、同棲している恋人のハンクと話す。5年前の7月4日から付き合い始めた2人は、互いに記念日のプレゼントを用意していた。フラニーはボラボラ島行きの航空券2枚を、ハンクは不動産の譲渡証書を見せた。ハンクはフラニーに、「この家をモーを買い取った。持ち家だ」と言う。フラニーが「ボロ家だし、改修して売る方がいい」と告げると、彼は「将来性は文句無しだし、いい家だ」と述べた。旅行についてフラニーが訊くと、彼は「最高だろうが、余裕が無い」と口にした。
ハンクは夕食を用意するが、フラニーは外食するだろうと思って着替えた。2人は喧嘩しないと約束し、夕食を取る。しかしハンクが2人の貯金を使って家を買ったと知り、フラニーは「私に断りも無しに?」と腹を立てた。ハンクが「じゃあ航空券は?」と尋ねると、彼女は「お祝いだもの。割引してもらったし」と主張した。2人は激しい口論になり、ハンクは「去年の大晦日に君じゃなく金髪女とキスした」と言うと、フラニーは「私もトイレでモーとキスした」と告げた。彼女は車に乗り、ハンクの元を去った。
ハンクはモーの元へ乗り込み、フラニーとキスしたことを非難する。モーはハンクが自分の恋人を奪った過去を指摘し、帰るよう怒鳴る。ハンクが謝罪すると、モーも詫びを入れた。ハンクはモーに、フラニーと喧嘩別れしたことを明かした。フラニーは同僚のマギーを訪ね、家に泊めてもらう。マギーが泣いて心の内を吐き出すよう促すと、フラニーは「泣きたくないわ。平気だもの」と強気に言う。マギーは身勝手な男に振り回されていることを泣きながら話し、そんな相手とのデートに出掛けた。
旅行代理店でショーウィンドーの飾り付けをしていたフラニーは、レイという男に声を掛けられた。レイは「君のことはいつも見てる。近くの店でピアノを弾いてる。歌もやる」と言い、店へ来るよう誘った。ハンクはモーと街へ出掛け、ライラという女性と出会った。彼が口説くと、ライラは「9時にフリーモント・ホテルで」と告げて去った。フラニーは家へ戻り、荷物をスーツケースに入れる。帰宅していたハンクが抱き寄せようとすると、彼女は拒絶して立ち去った。
フラニーはレイがカジノ・レストラン「トロピカル」の住所を書いたマッチを紛失してしまい、街を捜し回る。9時まで時間を潰していたハンクはフラニーと遭遇しそうになるが、少しのタイミングですれ違いになった。ようやくトロピカルを見つけて中に入ったフラニーは、オーナーから商売女に間違えられて不快感を覚えた。ウェイターとして働くレイはフラニーに気付かれ、「ピアノを弾くのは時々で、それ以外はウェイターだ」と説明した。
レイは他の席に運ぶはずの料理をテーブルに並べ、フラニーの向かいに座って話し始める。レイが「今夜は歌う予定だったが、オーナーの命令で中止になった」と喋っていると、オーナーが来て叱責した。レイが仕事に戻ろうとしないので、オーナーはクビを通告した。レイはフラニーをラウンジへ連れ出し、ピアノを弾いて歌う。するとフラニーはレイを誘い、一緒にタンゴを踊った。ハンクはフリーモントの前で待つが、9時を過ぎてもライラは現れなかった。ハンクが諦めて立ち去ろうとすると、タクシーで駆け付けたライラが「父が浴室に閉じ込めて」と釈明した。
フラニーとレイは外へ飛び出し、陽気に踊った。ハンクとフラニーは互いに気付くが、話し掛けることもせずに通り過ぎた。フラニーはレイから「一緒に来て」と誘われて一度は断るが、思い直してタクシーに乗り込んだ。ハンクは考え事をする時に良く使う場所へライラを連れて行き、彼女とキスを交わした。ライラが踊ると、ハンクは解体工場に置いてある車のライトで照らした。フラニーはレイと出掛け、こちらもキスを交わした…。

監督はフランシス・コッポラ、原案はアーミアン・バーンスタイン、脚本はアーミアン・バーンスタイン&フランシス・コッポラ、製作はグレイ・フレデリクソン&フレッド・ルース、共同製作はアーミアン・バーンスタイン、製作総指揮はバーナード・ガースタン、製作協力はモナ・スカジャー、撮影はヴィットリオ・ストラーロ&ロナルド・V・ガーシア、美術はディーン・タヴォウラリス、編集はアン・ゴールソウ&ルデイー・フェール&ランディー・ロバーツ、衣装はルース・モーリー、特殊視覚効果はロバート・スワース、音楽はトム・ウェイツ、歌唱はクリスタル・ゲイル&トム・ウェイツ。
出演はフレデリック・フォレスト、テリー・ガー、ラウル・ジュリア、ナスターシャ・キンスキー、レイニー・カザン、ハリー・ディーン・スタントン、アレン・ゴーウィッツ(アレン・ガーフィールド)、ジェフ・ハムリン、イタリア・コッポラ、カーマイン・コッポラ、エドワード・ブラッコフ、ジェームズ・ディーン、レベッカ・デモーネイ、ハヴィエル・グラヘダ、シンシア・カニア、モニカ・スキャッティーニ他。


『ゴッドファーザー』『地獄の黙示録』のフランシス・コッポラが監督を務めた映画。
脚本は『イッツ・フライデー』のアーミアン・バーンスタインとコッポラによる共同。
この映画が興行的に惨敗したことを受け、コッポラはロスにあったゾーイトロープのスタジオを売却する羽目になった。
ハンクをフレデリック・フォレスト、フラニーをテリー・ガー、レイをラウル・ジュリア、ライラをナスターシャ・キンスキー、マギーをレイニー・カザン、モーをハリー・ディーン・スタントンが演じている。
Understudy(代役)の1人として、レベッカ・デモーネイが映画デビューしている。

フレデリック・フォレストは『地獄の黙示録』と『ローズ』で全米映画批評家協会賞助演男優賞を受賞しており、テリー・ガーは『オー!ゴッド』『未知との遭遇』でヒロインを務めていた。
2人とも、それなりのキャリアを持っていたものの、決して「華のあるスター」というわけではない。
だが、この映画には約2600万ドルという高額の製作費が投入されている。
どこにそんな莫大な金が必要だったのかというと、答えは「セット」である。

この映画、何も知らずに見ていたら、ラスベガスの街でロケーションしたように思うかもしれない。しかしコッポラは『地獄の黙示録』で天候に影響されて撮影期間が大幅に延びるという事態に見舞われていたため、「もうロケで天気を気にするのは真っ平」と考えたのだ。
そこで本作品を撮影するに当たり、彼はラスベガスの街をセットで作り上げた。だから天気の影響は受けなかったものの、結果的には同じぐらいの費用が掛かってしまったのだ。
そして出来上がった映像は、「ロケで良かっただろ」と言いたくなる状態。
せっかく大きなセットを作ったのなら、むしろ「セットであること」を強調した方がいいんじゃないかと思うのだが、そこは律儀に「本物のラスベガスっぽさ」を意識しているんだよね。

この作品、一応は「ミュージカル映画」とされている。しかし実際に映画を見たら、「どこがやねん」とツッコミを入れたくなる人が多いだろう。
映画が始まると、すぐに男女のデュエット曲が流れてくる。しばらく待っていれば歌っている男女が登場するのか思っていたら、全く姿を見せない。
様々な看板に表示されているという形で主要スタッフの名前を並べ、それでオープニング・クレジットが終了する。
ちなみにオープニング・クレジットの映像は、これから始まる物語へのワクワク感を全く煽らない。

本編に入ってフラニーが登場した後、また男女のデュエット曲が流れる。しかしフラニーの動きを追い掛けるだけで、「ミュージカル」としての演出が全く見られない。
フラニーが帰宅してハンクと合流すると、また男女のデュエット曲が流れる。だが、ここでもミュージカルシーンは用意されていない。
ミュージカル映画であれば、ハンクとフラニーに歌わせるのは必須条件だろう。それなのに、この2人が歌い踊るシーンは、なんと最後まで1度も出て来ないのである。
それだけでなく、ずっとバックで流れている男女の歌声も、フレデリック・フォレストとテリー・ガーではなくトム・ウェイツ&クリスタル・ゲイルなのだ。

フランシス・コッポラは本作品を作るに当たって、ハンクとフラニーの会話を歌で表現しようと考えたらしい。
それはミュージカル的な考えのはずだが、なぜかコッポラは実際に演じる役者たちが歌うのではなく、まるで別人のデュエットをBGMとして流すという手法を採用したのだ。
当時のコッポラは才気ほとばしる時期だっただろうし、「今までと違うミュージカルを作ろう」と思ったのかもしれない。でも、そんな変化球は誰も望んでいない。
これをミュージカル映画として捉えるならば、「トム・ウェイツとクリスタル・ゲイルの歌をバックで流す」という手法を使ったのは大きな過ちだと断言できる。
なぜなら、それは出演者から歌を奪う行為だからだ。

ハンクとフラニーだけでなく他の出演者に関しても、「ミュージカルの出演者」として起用しようという意識は乏しい。
歌に関しては、ラウル・ジュリアがピアノの弾き語りを1シーンでチラッと見せるだけ。それも、じっくりと聴かせようとする意識はゼロで、すぐに切り上げてしまう。
踊りの方は、テリー・ガーがラウル・ジュリアを誘ってタンゴを踊るとか、外へ飛び出してバックダンサーと楽しく踊るといった様子があって、ここはミュージカルらしさを感じる。ただし、「そうやってミュージカルっぽいシーンを用意するなら、なぜ歌を付けないのか」と言いたくなる。
ナスターシャ・キンスキーが踊るシーンも、同じことを感じる。さらに言うと、ダンスだけを取っても、途中でブチっと切ったり、途中で別のシーンを挟んで妨害したりと、ちっとも満喫させてくれない。

ハンクがフリーモントの前で待っている時、幻想の中にライラが登場して歌うシーンが描かれる。
ここで初めて「いかにもミュージカル」と感じさせる形で、歌が入っている。
ただし残念ながら、実際にライラ役のナスターシャ・キンスキーが歌っているわけではなく、そこもクリスタル・ゲイルの歌なのだ。
実際にどうなのかは知らないが、少なくとも本作品を見ている限り、コッポラがミュージカルを愛しているとは到底思えない。
彼は『フィニアンの虹』でフレッド・アステアを幻滅させたのに、何も学習しちゃいないのだ。

「ミュージカルか否か」ということを脇に置いておくとしても、トム・ウェイツとクリスタル・ゲイルの歌を何度も挿入する手法が成功しているとは到底思えない。ただ退屈で薄っぺらい話を、誤魔化そうとしているだけにしか思えないのだ。
しかも退屈で薄っぺらい話だとバレているんだから、誤魔化し切れていないのよね。
とにかく根本的に話がつまらないし、キャラの魅力も乏しい。
オシャレでムーディーな映画にしようという方向性は分かるけど、モッチャリしていてテンポが悪いだけにしか感じない。

導入部のシーンからして、「ハンクとフラニーの言動が上手く噛み合わず、愛し合っていたはずなのに喧嘩別れする」というのを丁寧に描こうとしているのは分かるけど、無駄にモタモタしているなあと感じる。
ハンクとフラニーが2人とも浮気性だし、別れた直後には他の相手を見つけて深い仲になろうとしているし、ちっとも「ハンクとフラニーの恋愛劇」に惹かれない。
ハンクは家に戻ったフラニーを抱き寄せて「こっちに来いよ。ボラボラなんかやめて」と言うけど、その直前にライラをナンパして喜んでいるので、ただの軽薄な野郎にしか見えない。
そこに本気の愛なんて、微塵も見えない。

ハンクは自分がライラと深い関係になっておきながら、フラニーがハンクと一緒にいると知って激しい嫉妬心を示す。
マギーの元へ怒鳴り込んだ彼は「フラニーを愛してる」と言うが、その直前までライラと一緒にいたくせに何を調子のいいこと言ってんのかと。ハンクの元へ乗り込んだ彼は「俺女を寝取って」と怒るが、テメエも他の女と浮気してたじゃねえか。
彼はパンティー1枚のフラニーを部屋から連れ出して車に連れ込むが、どんだけ身勝手なのかと。
でもフラニーは、彼とヨリを戻しちゃうのよね。ハンクが空港まで押し掛けて下手な歌を歌っただけで(ここはミュージカルシーンとは呼べない)、何も反省していないのに。
なので、それをハッピーエンドとして祝福する気持ちが全く湧かないわ。

(観賞日:2018年11月14日)

 

*ポンコツ映画愛護協会