『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』:2019、アメリカ

俳優のリック・ダルトンは西部劇のTVドラマ『賞金稼ぎの掟』で主演を務め、親友のクリフ・ブースはスタントマンとして参加していた。ドラマは大人気で、2人はキャスターのアレン・キンケイドから取材を受けた。1969年2月8日。映画監督のロマン・ポランスキーと妻で女優のシャロン・テートは、空港で多くの記者たちに囲まれた。リックはクリフが運転する車でバーへ行き、映画プロデューサーのマーヴィン・シュワーズと会った。マーヴィンはリックが出演した作品のファンで、妻と一緒に見たことを話した。
ここ2年ほど、リックは単発的なドラマ出演が中心で、常に悪役だった。マーヴィンは「今のままだと主演俳優としてのキャリアが地に落ちる」と言い、ローマへ行ってマカロニ・ウエスタンに出演する話を持ち掛けた。リックは自分が落ちぶれたと感じ、クリフの前で泣く。スタントマンの仕事さえ無いクリフはマカロニに出てみるよう勧めるが、リックの考えは変わらなかった。クリフは車でリックを邸宅へ送り届ける途中、若い女たちが歩く姿を見掛けた。彼はプッシーキャットというヒッピー娘と目が合い、軽く挨拶を交わした。リックは自宅の近くでシャロンとポランスキーを目撃し、クリフに「先月から隣人だが、初めて見た。世界が最も注目するポランスキーの新作に呼ばれるかもしれない」と話した。
クリフは彼をシエロ通りの豪邸まで送り届け、トレーラーハウスに帰宅して夕食を取った。リックは次の作品のため、セリフを覚えた。ポランスキーはシャロンを車に乗せ、プレイボーイ・マンションへ出掛けてスティーヴ・マックイーン&ミシェル・フィリップス&ジェイ・シブリングと合流した。マンションに入ったシャロンは、ママ・キャスたちと一緒に踊る。マックイーンはコニー・スティーヴンスに、「ジェイはシャロンの元婚約者で、ポランスキーとの関係が終わるのを待ってる」と教えた。
1969年2月9日。リックは『対決ランサー牧場』の撮影でスタジオへ行き、監督のサム・ワナメイカーからメイク&ヘアのソニアと衣装のレベッカを紹介された。彼はリックに、今の時代に合わせてヘルズ・エンジェルズのような見た目にすることを話した。リックが「俺だと分からない」と困惑すると、サムは『賞金稼ぎの掟』のジェイク・ケネディーだと思われたくないのだと説明した。リックにアンテナ修理を頼まれたクリフは豪邸へ向かう途中、またプッシーキャットを見掛けて挨拶を交わした。
リックはクリフからスタントの仕事を売り込んでくれと頼まれていたため、スタント・コーディネーターのランディー・ミラーに会った。ランディーが「チームが4人もいる」と難色を示すと、リックは「俺にはクリフしかいない」と告げる。「俺はあいつが嫌いだ。女房を殺した男だぞ」とランディーは言うが、結局は承知した。クリフは現場でブルース・リーを嘲笑し、「口も態度も悪い」と扱き下ろした。彼はブルースを挑発し、対決を要求されてOKした。しかし彼はランディーの妻であるジャネットの車を損傷させてしまったため、怒りを買ってクビを通告された。
ジェイがポランスキー邸でシャロンと一緒にいると、長髪の男が訪ねて来た。男は「テリーを捜してる。友人だ」と言い、引っ越したことをジェイが告げると去った。リックは昼休憩の時、子役のトルーディー・フレイザーに話し掛けた。トルーディーは8歳だが、プロ意識を高く持って仕事をしていた。リックは話している内に泣いてしまい、彼女に慰められた。シャロンは夫にプレゼントするため、『テス』の初版本を書店へ取りに行った。
リックは主演俳優のウェイン・モウンダーに声を掛けられ、『大脱走』で主演候補だった噂について問われる。リックはマックイーンの代役候補の1人だったことを明かすが、監督に会うことも無かったと告げる。シャロンは『サイレンサー/破壊部隊』が上映されているブルーイン劇場に立ち寄り、受付の女性に自分が出ていることを告げる。女性はシャロンについて、『哀愁の花びら』の出演者という認識しか無かった。支配人のルーピンはシャロンが来ていると聞き、歓迎して招き入れた。
リックは酒浸りのせいで本番中に台詞が思い出せず、すっかり落ち込んだ。クリフは車を走らせている最中にプッシーキャットと遭遇し、初めて声を掛けた。プッシーキャットはスパーン映画牧場まで送ってほしいと頼み、仲間と一緒に住んでいると話す。クリフは彼女を車に乗せ、かつて牧場で撮影されたドラマでスタントマンをしていたことを話す。リックは気合を入れて撮影に臨み、トルーディーを人質に取るシーンを演じた。彼はサムとトルーディーから演技を絶賛され、感涙した。
クリフがプッシーキャットを牧場まで送ると、スパーンの世話係を務めるスクィーキーやスネークたちは警戒する。プッシーキャットが仲間のジプシーたちにクリフを紹介していると、テックスが様子を見に来た。リーダーのチャーリーが外出中だと聞いたプッシーキャットは、「クリフに会わせたかった」と残念がる。クリフが牧場主のジョージ・スパーンに会おうとすると、プッシーキャットたちは「昼寝の最中だから会えないわ」と止める。しかしクリフは「確かめてみよう」と言い、家へ向かった。クリフがスパーンの家に入ろうとすると、スクィーキーが立ちはだかった。彼女はスパーンが昼寝中だと言うが、クリフは譲らなかった。
クリフが奥の部屋へ行くと、スパーンは視力を失っていた。スパーンはクリフを覚えておらず、歓迎する態度を見せなかった。クリフは彼がスクィーキーたちに利用されていると確信するが、牧場を去ることにした。クリフが車に戻ると、スクィーキーたちの仲間であるクレムがタイヤをパンクさせていた。クリフがスペアタイヤをトランクから出して交換するよう要求すると、クレムは馬鹿にして笑った。クリフはクレムを激しく暴行し、タイヤの交換を命じた…。

脚本&監督はクエンティン・タランティーノ、製作はデヴィッド・ヘイマン&シャノン・マッキントッシュ&クエンティン・タランティーノ、製作総指揮はジョージア・カカンデス&ユー・ドン&ジェフリー・チャン、製作協力はウィリアム・ポール・クラーク&ダレン・メトロプーロス、撮影はロバート・リチャードソン、美術はバーバラ・リン、編集はフレッド・ラスキン、衣装はアリアンヌ・フィリップス、視覚効果デザインはジョン・ダイクストラ、音楽監修はメアリー・ラモス。
出演はレオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット、マーゴット・ロビー、アル・パチーノ、エミール・ハーシュ、マーガレット・クアリー、ティモシー・オリファント、ジュリア・バターズ、オースティン・バトラー、ダコタ・ファニング、ブルース・ダーン、マイク・モー、ルーク・ペリー、ダミアン・ルイス、ニコラス・ハモンド、サマンサ・ロビンソン、ラファル・ザウィエルチャ、ロレンツァ・イッツォ、コスタ・ローニン、カート・ラッセル、ゾーイ・ベル、マイケル・マドセン、ティム・ロス、パーラ・ヘイニー=ジャーディン、ジェームズ・レマー、スクート・マクネイリー、クリフトン・コリンズJr.、マルコ・ロドリゲス、ラモン・フランコ、ラウル・カルドナ、コートニー・ホフマン、ドリーマ・ウォーカー、レイチェル・レッドリーフ、レベッカ・リッテンハウス、ルーマー・ウィリス、スペンサー・ギャレット、クルー・ギャラガー、マーティン・コーヴ、レベッカ・ゲイハート他。


『ジャンゴ 繋がれざる者』『ヘイトフル・エイト』のクエンティン・タランティーノが脚本&監督を務めた作品。
リックをレオナルド・ディカプリオ、クリフをブラッド・ピット、シャロンをマーゴット・ロビー、マーヴィンをアル・パチーノ、ジェイをエミール・ハーシュ、プッシーキャットをマーガレット・クアリー、ジェームズをティモシー・オリファント、トルーディーをジュリア・バターズ、テックスをオースティン・バトラー、スクィーキーをダコタ・ファニング、ジョージをブルース・ダーン、リーをマイク・モー、ウェインをルーク・ペリー、マックイーンをダミアン・ルイスが演じている。
アカデミー賞の助演男優賞&美術賞、ゴールデン・グローブ賞の作品賞(ミュージカル・コメディー部門)&脚本賞&助演男優賞を受賞している。

「クエンティン・タランティーノが古き良き時代を懐かしむ」という目的が、この映画からはハッキリと見える。それと同時に、「もしも事実がこうだったら良かったのにな」という願望も込められている。
それが最も強く表れているのが、シャロン・テート事件に関する描写だ。
なので観客は最低でもシャロン・テート事件ぐらいは知っていないと、どういう意味があるシーンなのか良く分からないだろう。
まあアメリカ人で、しかも本作品を観賞するような人なら、シャロン・テート事件は余裕で知っているのかもしれないけどね。

「リックは西部劇だけに出演していたわけじゃない」ってことで、マーヴィンと会うシーンでは西部劇の他にもナチスを撃ちまくる映画やミュージカル映画の1シーンが挿入される。
でも、そんなの全く要らないわ。そこは「リックが西部劇で大活躍していた様子」を描くだけでいいでしょ。
タランティーノ監督のサービス精神や遊び心が、裏目に出ているとしか思えない。
ひょっとすると「当時の人気スター」の大まかなイメージとして色んな作品を持ち込んだのかもしれないけど、欲張り過ぎになっているなあ。

クリフがリックを自宅へ送り届けた後、「クリフが車を走らせる」「クリフがトレーラーハウスに戻る」「クリフが夕食を作り、テレビを観賞する」「リックがキッチンでセリフを覚える」「リックがプールでセリフを覚える」「ポランスキーとシャロンが車でプレイボーイ・マンションへ向かう」といった様子を描いて、10分ぐらい使っている。
ここ、まるで意味の無いシーンの連続でしょ。トレーラーハウスに関しては「クリフはリックと全く違う生活レベル」ってのを描く意味はあるかもしれないが、ただ車を走らせるシーンなんて無駄なだけ。
タランティーノと言えば無駄なお喋りのシーンが特徴だが、そこは観客を引き付ける可能性もある。でも今回の「車を走らせる」というシーンは、ただの無駄な移動シーンであり、引き付ける力なんて皆無だぞ。
上映時間は159分だけど、明らかにシェイプアップできるし、そうすべきだ。

クリフがアンテナ修理に行くシーンも、何のためなのかサッパリ分からない。
頻繁にシャロンのパートを入れたくて、そこに繋がるようにクリフがリックの家へ行くシーンを用意したってとこではあるんだろう。でも、そんなに上手く組み込めていないし。シャロンが車を運転している時にヒッチハイクの女を乗せるのも、何のためか全く分からない。
ブルーイン劇場のシーンにしても、ルーピンがシャロンを歓迎したトコで終わってもいい(シャロンが受付と話すトコで終わってもいいぐらいだ)。
だけどシャロンが中に入って映画を観賞するまで描いて、3分ぐらい使うんだよね。しかも、それで終わりかと思ったらリックのシーンを挟んで再び戻って来るし。

クリフがブルース・リーと揉めるシーンだって、まるで要らないでしょ。
「アメリカのスタントマンは凄かったんだぞ」ってのを示すために、クリフがブルースを吹き飛ばすシーンを描いているのかもしれないよ。でも、そのためにブルース・リーを利用する手口って、なんか嫌な感じだなあ。
あと、ちょっと意外だったのは、クエンティン・タランティーノがブルース・リーを嫌な奴として描いていることだ。彼は昔の香港アクション映画が好きな人なので、ブルース・リーも好きだと思っていたんだよね。
タランティーノ監督は「ブルース・リーはホントに嫌な奴だったらしいよ」と言っているけど、そういうことじゃなくてさ。

シャロンが映画を見ているシーンでは、ブルースからアクションを教わった時の回想が挿入される。シャロンは自分のアクションシーンに観客が盛り上がるのを見て、嬉しそうな様子を見せる。
でも、そこで「ブルースからアクションを教わった」という回想を入れる必要性は全く無いでしょ。
「シャロンは自分のアクションを観客が楽しむ様子を見て無邪気に喜ぶ」という様子さえ描けば、それで目的は果たしているはずだ。
このシーンで重要なのは、「シャロンは天真爛漫で無邪気な天使」ってのをアピールすることのはずで。

リックが悪役で出演したTVドラマ『FBI』をクリフと2人で見た後、半年後に話が飛んで、「2人がマカロニ・ウエスタンに出演して云々」と語られるシーンになる。リックはイタリアで4本の映画に主演し、若手女優と結婚して帰国する。
だが、マカロニ出演をきっかけにして、リックがスターの座に返り咲くわけではない。帰国の飛行機で、彼はクリフに「もう君を雇えない」と言っている。スターに返り咲くどころか、俳優業からの引退さえ考えている。
どれだけイタリアでスターになろうが、ハリウッドでは何の価値も無いってことだ。
ただ、リックのモデルって、明らかにクリント・イーストウッドなんだよね。そしてクリント・イーストウッドは『ローハイド』で人気者になり、それに陰りが見え始めた頃にマカロニに主演し、アメリカに凱旋してから映画界で活躍するようになるのよ。
それなのに、そこは違う筋道を歩ませるのね。

あと、ここで半年後に飛ぶという構成そのものが不細工に感じるのよね。それまでに時間の跳躍があればともかく、そこだけなのよ。で、そこで半年後に飛ぶのって、「シャロン・テート事件を扱う」という目的のためだけなのだ。
なので、「だったらシャロン・テート事件に合わせて、その少し前から話を始めれば良かったでしょ」と言いたくなるのよ。「リックとクリフの物語を描く」という目的と「シャロン・テート事件を描く」という目的を、上手く融合させられていないんじゃないかと。
っていうかシャロン・テート事件のパートに突入した時点で、「そこまでの大半って要らなくね?」と感じるわ。
この作品で何よりも描きたかったのって、明らかにそこでしょ。それにしては、前フリの部分の無駄が多すぎるんじゃないかと。

映画の終盤ではシャロン・テート事件を扱っているのだが、厳密に言うと「シャロン・テート事件のようでシャロン・テート事件ではないベンベン」という内容である。
完全ネタバレになるが、チャールズ・マンソン(劇中ではチャーリーとしか呼ばれない)の一味はシャロン・テートを襲わないのである。
彼女を殺す計画を実行するはずだったが、途中で予定を変更してリックの邸宅に乗り込む。
しかしリックやクリフは返り討ちに遭わせて、乗り込んできた連中を容赦なく惨殺するのだ。

シャロン・テート事件は悲しくて辛い出来事だし、マンソン・ファミリーは卑劣で残忍な連中だ。
だから事件を知っている人からすると、例えフィクションの世界ではあっても、マンソン・ファミリーを始末するのは「復讐」のような体感でスカッとするかもしれない。
しかし我々は、シャロン・テート事件を知っている。どれだけ酷いことが行われたのかも知っている。シャロン・テートが殺されたこと、二度と戻って来ないことを知っている。
事件が事件だけに、この映画で描かれる内容は虚しい幻想でしかないのだ。

(観賞日:2021年8月1日)


2019年度 HIHOはくさいアワード:第9位

 

*ポンコツ映画愛護協会