『ラブリーボーン』:2009、アメリカ&イギリス&ニュージーランド

3歳の頃、スージー・サーモンはスノーグローブの中で一人ぼっちのペンギンが気になった。すると父親のジャックは、「大丈夫だよ。これは理想の世界なんだ」と告げた。12年後、スージーは誕生日に貰ったカメラで写真を撮るのが好きだった。将来の目標は、野生動物の写真家になることだった。スージーは家族でコナーズ農場の廃棄場へ行ったのを覚えている。農場に住んでいた同級生のルース・コナーズを、学校のみんなは変人だと言っていた。殺された後、スージーは彼女だけが見えていたのだと理解した。
弟のバックリーが小枝を飲み込んでしまい、呼吸できなくなった時のこともスージーは覚えている。両親が留守だったのでスージーが車を猛スピードで走らせ、バックリーを病院へ運んだ。バックリーは助かり、スージーは安堵した両親の瞳に光を見た。祖母のリンはスージーに、「仏教では人を助けた人は長生きするそうよ」と告げた。だが、リンの予言は当たらなかった。1973年12月6日、スージーは14歳で殺されたのだ。
家族でショッピングモールへ出掛けた時、スージーは憧れの先輩であるレイ・シンを目撃した。緊張した様子のスージーを見て、リンは冷やかすような態度を取った。「彼とはキスしたの?」と訊かれたスージーは、「上手じゃないから怖いの」と述べた。リンは初めてのキスについて彼女に語り、「素敵だった。うっとりしたわ」と告げた。スージーを殺した犯人は、近所の住人だった。花壇の話をしていた彼を、スージーは写真に撮ったことがあった。
犯人のジョージ・ハーヴェイは、ドールハウスを作るのが趣味だった。彼はスージーを標的に決めて、計画実行のための準備を進めた。その日、妹のルーシーと共に学校へ向かうスージーの様子を、ハーヴェイは密かに観察していた。下校する際、スージーはレイに声を掛けられ、土曜日の予定を尋ねられた。コインロッカーの前でキスしようとした2人だが、ルーシーと教師が教室から出て来たので離れた。ルーシーは女性の裸体を描いたことを教師から卑猥だと批判されるが、真っ向から反発した。絵の返却を求めて拒否されると、彼女は立ち去った。
スージーはレイと土曜日にモールで会う約束を交わし、嬉しい気持ちで帰路に就いた。ハーヴェイは彼女に声を掛け、「近所の子供たちのために作ったんだ」と地下に作った隠れ家を見せる。「一番乗りしてみるかい」と誘われたスージーは中に入り、そしてハーヴェイの犠牲になった。夜道を歩いていたルーシーは、逃げて来るスージーの姿を目にした。スージーが帰宅しないのでジャックは捜索に出掛け、母のアビゲイルは警察に通報した。刑事のレン・フェナマンは家出だと推測し、「家庭で何か問題でも?」と質問した。スージーは聞き込みをしている父を見つけて呼び掛けるが、気付いてもらえなかった。既に死んでいたからだ。
翌朝、フェナマンは畑に埋めてあったスージーの帽子を発見した。彼は両親に帽子を見せた後、大量の血が残っていたことを知らせた。ハーヴェイはレンの訪問を受け、もちろん無関係を装って会話を交わした。彼の家にはスージーのブレスレットが置いてあったが、レンは全く気付かなかった。安らかに死を迎えたスージーは、やり残したことを思い出した。レイを見つけた彼女は走り出すが、トウモロコシ畑に出現した大水の中に沈んだ。
死後の世界でスージーは、自分が落としたレイのメモを見つけた。そこには「愛せるのが1時間しか許されなければ、地上での1時間の愛を汝に与える」という意味の詩が書かれていた。それを拾ったのはルースで、レイに届けていた。ルースは、まだスージーが天国へ行っていないことを認識していた。ルースの様子を見ていたスージーはホリーという少女に声を掛けられ、「マズいことをしたわね。彼女は貴方を見たの」と言う。「彼女の手に降れたかも」とスージーが告げると、ホリーは「それで充分。彼女は死ぬまで貴方の声を聞くのよ。振り返るんじゃなくて前に進むの」と述べた。
スージーが「ここは天国なの?」と尋ねると、ホリーは「天国でも地上でもない場所。両方の世界の断片」と答える。ホリーが「地上には戻れないわ。死んだのよ。もう旅立たないと」と言うと、スージーは「家に帰らなくちゃ」と走り出した。窓際にボトルシップを置いたジャックは、その向こうにスージーを感じ取った。スージーは父の様子を見て、ホリーに「大丈夫。きっと上手く行く。パパは私がここにいると知ってるの」と告げた。彼女は道に迷ったわけではなく自分だけの理想郷で生きているのだと感じ、ホリーと楽しく遊んだ。
夜中に起きて来たバックリーはジャックに、「お姉ちゃんを見たよ。ほっぺにキスしてくれた」と話す。ジャックが「パパも見たよ」と抱き締めると、バックリーは「お姉ちゃんは聞いてくれてると思うんだ」と告げた。ジャックはスージーが撮っていた大量のフィルムを、1ヶ月に1本ずつ現像することにした。彼はレンに電話を掛け、「娘は賢い子だ。他人と出掛けない。知り合いの犯行だ」と告げる。彼は怪しいと思う近所の住人の名前と情報を列挙し、調べるようレンに依頼した。
ジャックの執念はオムツをしている80歳の老人を疑うところまでエスカレートし、アビゲイルは「放っておけないの?」とヒステリックになった。レンは諭すように、「事件発生から11ヶ月だ。犯人捜しに懸命なのも分かるが、奥さんは乗り切るのに助けを必要としている」と述べた。ジャックはアビゲイルの手助けをしてもらうため、リンを呼び寄せた。彼女は自分を嫌っているリンジーに、「ママは危機的状況、パパはボロボロ。私が家を仕切る」と宣言した。リンは家事を担当するが、何をやっても酷い有り様だった。寝煙草で火事を起こしそうになったりもしたが、バックリーは祖母との生活を楽しんだ。
リンはアビゲイルに、「結婚生活を続けたければ、方法を見つけるしかない」と酒を我慢するよう説いた。「今でも我慢してるわ」とアビゲイルが反発すると、リンは「お前が家族をダメにしてるんだ。心を閉ざすことで痛みが無くなると思ってるの?」と述べた。結局、アビゲイルは家を出て行った。彼女はサンタローザ郊外の果樹園で働き始め、子供のことを訊かれると「2人」と答えた。リンジーにはサミュエルという恋人が出来て、キスを交わした。その様子を見ていたスージーは、妹が自分を追い越して大人になったと感じる。彼女は涙を流し、ホリーに「心からのキスよ」と告げた。一方、ハーヴェイはリンジーに疑われていると感じ、殺害しようと目論む…。

監督はピーター・ジャクソン、原作はアリス・シーボルド、脚本はフラン・ウォルシュ&フィリッパ・ボウエン&ピーター・ジャクソン、製作はキャロリン・カニンガム&フラン・ウォルシュ&ピーター・ジャクソン&エイメ・ペロンネ、製作総指揮はテッサ・ロス&スティーヴン・スピルバーグ&ケン・カミンズ&ジェームズ・ウィルソン、共同製作はフィリッパ・ボウエン&アン・ブリューニング&マーク・アシュトン、撮影はアンドリュー・レスニー、編集はジャベツ・オルセン、美術はナオミ・ショーハン、衣装はナンシー・スタイナー、音楽はブライアン・イーノ。
出演はマーク・ウォールバーグ、レイチェル・ワイズ、スーザン・サランドン、シアーシャ・ローナン、スタンリー・トゥッチ、マイケル・インペリオリ、ローズ・マクアイヴァー、クリスチャン・トーマス・アシュデイル、リース・リッチー、キャロリン・ダンド、ニッキー・スーフー、アンドリュー・ジェームズ・アレン、ジェイク・アベル、AJ・ミシャルカ、トム・マッカーシー、スティンク・フィッシャー、イヴリン・レノン、ステファニア・オーウェン、マーレイ・マッケイ、アシュレイ・ブリムフィールド、ジョン・イェジョル、アンナ・ジョージ、キリット・カパディア他。


アリス・シーボルドの同名小説を基にした作品。
監督&脚本のピーター・ジャクソン、脚本のフラン・ウォルシュ&フィリッパ・ボウエンという顔触れが、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズと『キング・コング』に続いて一緒に仕事をしている。
ジャックをマーク・ウォールバーグ、アビゲイルをレイチェル・ワイズ、リンをスーザン・サランドン、スージーをシアーシャ・ローナン、ハーヴェイをスタンリー・トゥッチ、フェナマンをマイケル・インペリオリ、リンジーをローズ・マクアイヴァー、バックリーをクリスチャン・トーマス・アシュデイル、レイをリース・リッチー、ルースをキャロリン・ダンドが演じている。

その時代の出来事が物語と密接に関係してくるわけではなく、当時の世相や風俗が重要な意味を持っているわけでもないので、1973年という時代設定にしている意味は、そんなに大きくない。
ただ、「行方不明の子の写真を牛乳パックで宣伝したり、新人記事になったりしなかった時代」ということが必要ってことなんだろう。公開されたのと同じ2009年の設定にしてしまうと、誘拐事件に対する警察の動きが当時よりも遥かに迅速だろうし、たぶんジョージ・ハーヴェイは簡単に逮捕されているだろうから。
だけど、「そもそもスージーが強姦されて殺されたという設定は必要不可欠な要素なのか」ということからして、疑問があるんだよね。
原作は未読だから知らないけど、少なくとも映画版に関しては、「不幸に見舞われた人間が、その悲しみや苦しみを乗り越え、前を向いて行こうとする物語」になっている。そして、それを描くためには、「強姦&殺人」という要素は無くても成立する。

さすがに「死」という要素を除外すると全く別物になってしまうけど、事故死という設定でも特に支障は無いはずだ。むしろ、明確な加害者、明確な悪党を登場させない方が、色んな意味でスッキリするように思えるのだ。
この映画でハーヴェイという男は強烈な存在感を放っているし、だから演じたスタンリー・トゥッチが多くの映画祭で高い評価を受けたのも理解できるけど、その存在感は作品から伝わって来るテーマを考えると邪魔なモノだ。
なぜなら、醜悪な悪党がいる限り、そいつに対する怒りや憎しみを大半の観客が抱くことは確実だからだ。そして、それを解消するカタルシスを期待するからだ。
しかし本作品は、カタルシスなど何も用意していない。
何しろ、ハーヴェイの犯行は露呈せず、逮捕されず、何の報いも受けないまま終わるのだ。

たぶん、「少女を強姦して惨殺した犯人が平気な顔をして生き続けているけど、そういうのも受け入れましょう。怒りや憎しみを捨てて前向きに行きましょう」ということなんだろう。
だけどさ、それって無理でしょ。
原作者は過去に強姦された経験があって、そういうことを踏まえて「過去に辛いことがあっても人間は生きて行かなきゃいけないから、怒りや悲しみは忘れるしかないのだ」と言いたいのかもしれないよ。もちろん、実際にそういう境遇に置かれている人々もいるだろう。
だけどさ、「映画としては、どうなのか」と考えた時に、それじゃあスッキリしないでしょ、と言いたくなるのよ。
やっぱり商業映画なんだから、あれだけ犯人の存在感を強くアピールし、出番を多く用意しているのであれば、報いを受けさせないとモヤモヤしたモノが残ってしまう。

もしも「スージーが殺される」という原作の設定をそのまま使うにしても、犯人の存在感は薄弱にしておくべきだろう。
もしも犯人の姿が見えなければ、怒りや憎しみを向ける明確な相手もいなくなるわけで。
そうすれば、「怒りや憎しみを捨てて歩いて行きましょう」というメッセージも、もう少し受け入れやすくなっただろう。
ただし、そうなっていたとしても、やはり「事故死でいいじゃん」という気持ちは消えないけどね。

前半、ハーヴェイがスージーに狙いを定め、計画を練り、彼女に声を掛けて地下の隠れ家に誘い込み、怯える彼女を脅して会話を強要する様子を、ピーター・ジャクソンはサスペンス映画やサイコ・ホラー映画の如く念入りに描写している。
スージーが死んだ後、死体を処理した自宅を掃除したり、証拠品を隠蔽したり、サーモン家に来ている警官を気にしたり、フェナマンの訪問を受けて無関係を装ったりするハーヴェイの様子にも時間を割いている。
だけど、テーマやメッセージからすると、そんなのは全く不必要で、スージーが殺されたら、さっさと「彼女が死を認識し、家族を見守る」という手順へ移行すべきじゃないのかと。
死後の世界の幻想的な映像描写にも力が入っているけど、それも重点を置くべき箇所が違うんじゃないかと感じる。

序盤の段階で、スージーのナレーションは彼女が殺されることを予告している。それより前の段階で、「ルーシーには見えていた」ということも語られている。
スージーが殺された後、その幽霊をルーシーは見ている。そしてスージーは死後の世界でホリーと会った後、彼女が自分の声を聞くことが出来るのだと理解する。
一方、ハーヴェイは刑事に怪しまれることもなく、安心して暮らしている様子が示される。
そういう前半の描写からすると、「スージーがルーシーの力を借りて犯人を指摘し、ハーヴェイを追い詰めて行く」という展開になるのかと想像できる。それは、かなりの期待を含んだ想像だ。

しかし、そんな想像は全く当たっていない。
スージーはルーシーに犯人のことを知らせようともしないし、ルーシーもスージーから犯人について教えてもらおうとは思っていない。それどころかスージーとルーシーは、まるでコミュニケーションを取ろうとしていない。
だからルーシーは、まるで存在意義の無い扱いに留まってしまう。そして「やり残したことがある」と言っていたスージーは、なぜか「パパが私の存在を認識した」と感じると安心してしまい、ホリーと楽しく遊び始める。
やり残したことを実現したいという意欲は、すっかり忘却の彼方になってしまう。

スージーはハーヴェイに殺されたのだが、そのことに対する意識は全く見せていない。
彼に対する怒りや憎しみが無いのだから、そりゃあ「何とか犯人が逮捕するように持って行きたい」とか「犯人に仕返ししてやりたい」という意識で行動を取ることも無いのは当然だろう。
だったら、さっさと天国へ行けばいいのに、彼女は天国と地上の狭間にある世界に留まっている。
そこに留まっているからには、何か実現させたい望みがあるはずなのだ。しかし、それが一向に見えて来ない。
スージーは「大丈夫。きっと上手く行く。パパは私がここにいると知ってるの」と話しているが、何がどう大丈夫なのかサッパリ分からない。

レンの「事件から11ヶ月だ」という台詞で、「いつの間にか11ヶ月も経過していたのかよ」と驚かされる。
その驚きは、決して望ましい驚きではない。11ヶ月も経過する中で、スージーは何をしていたのかと言いたくなる。
描かれた出来事と言えば、「レイのメモを読み、ホリーと話し、ジャックと繋がったと感じ、ホリーと楽しく遊んだ」ということだけだ。
「やり残したこと」は、どうなったのかと。
そして「ジャックが自分を認識しているから大丈夫」と感じてから全く状況に進展が無いのに、それに対するリアクションが全く描かれず、自分から積極的に行動する気配も無かったってのは、どういうことなのかと。

ジャックは「アビゲイルには助けが必要だ」とレンに言われ、リンを呼び寄せる。
しばらく消えていたリンを再登場させるぐらいだから、彼女が物語において重要な鍵を握るのかと思いきや、特に何をするわけでもない。
「私が仕切る」と言っておきながらマトモに炊事や掃除が出来ず、ゴミをカーペットの下に隠したり、フライパンから炎を立ち昇らせてボヤを起こしそうになったり、洗濯物を縮ませたりする様子が描かれるだけ。
コメディー・リリーフの役回りなんだろうか。だとしたら、「そんな役回りは要らない」と断言できる。

スージーが何の行動を起こさないのが、「幽霊だから生きている人間は気付いてもらえないから」ということなら理解できるのよ。ただし、彼女は実際に気付いてもらえないのかどうか、試してもいない。
そもそも「ジャックには自分の場所を分かってもらえた」と感じたわけだから、もっと自分のことを分かってもらおうとしたり、それ以外の人々にも伝えようとしたりしても良さそうなものなのに、それ以降は全く何もしない。
「ルーシーは声が聞こえる」とホリーに説明されたのに、ルーシーに伝えようともしない。
そういう手順が無いまま、「何もせずに天国と地上の狭間で暮らす」という状況が続くので、「何がしたいねん」とツッコミを入れたくなってしまう。

ジャックがハーヴェイの家を訪ねて薔薇に触れた時、スージーが呼び掛けているけど、そこまでは何も伝えようとしていないんだよね。そうなると、そのタイミングで父親に呼び掛けたことは、逆に違和感が生じるし。
「だったら今までは、なぜ放置しておいたのか」と言いたくなるわ。
で、ジャックがバットを持ち出した途端、スージーは「生きていた時、私は誰も憎まなかった。でも今は全てが憎い。あいつは死ねばいい」と言うんだけど、急に憎しみの感情が芽生えてることに違和感を覚えるわ。
なんで今までは憎しみゼロだったのに、そこに来て急に憎しみマックスなのかと。

あと、「ダッド」と呼び掛けるだけで、「そいつが犯人」と伝えようとはしていないしね。
「その程度しか出来ない」という設定なのかと思ったら、ラストではルーシーの体に憑依することも出来ているんだよな。
それが出来るなら、なぜ今までは実行しなかったのかと。その力を使えば、ハーヴェイを捕まえられたかもしれないのに。
っていうかさ、そういうのも後から分かるだけで、「スージーには何が出来て、何が出来ないのか」がボンヤリしたままで進められるってのが問題なんじゃないかと。

後半に入り、スージーが犯人について「私を殺した男が、ずっと生きている。彼は忌まわしい記憶を何度も思い返し、楽しんでいる。彼はケダモノだ。信仰心が無く、限度も無い。また虚しさに襲われ、彼は再び行動を起こす。畑に入るカップルに彼は気付いた。彼らの後を追い掛け、そして見張った」と語るシーンがある。
だけど、そこでスージーがハーヴェイのことを意識しても、そこから何か行動を起こすわけではない。
あと、「畑に入るカップルに気付いて追い掛け、見張った」ってことに何の意味があるのか不明。
そこで終わってしまい、それからどうなったのかは教えてくれないので。

既に「スージーが殺され、犯人が一向に捕まらない」というだけでも、家族には充分すぎるほどの辛さを強いている。
そこへ「アビゲイルが家を出て行く」という家族崩壊があり、さらには「ジャックはハーヴェイか犯人だと確信するけど警察には相手にされない」「ジャックがカップルに誤解されてボコ殴りにされる」という風に、さらに不幸を与える。
それは同情心を誘う不幸の連続になっていない。
その痛々しさは、映画に対する強烈な不快感に繋がっている。

スージーが憎しみや怒りを吐露した時、ホリーは「違う方法で解放するのよ。いずれ貴方も分かる。死は誰にでも訪れるわ」と語っている。ラスト近くで、ハーヴェイは足を滑らせて転落死しているので、その通りになっているわけだ。
だけど、それで溜飲が下がるなんてことは無いぞ。ただ取って付けただけとしか思えない。
そもそも、死は誰にでも訪れるけど、それは老衰による大往生かもしれないでしょ。
家族を欲望のために惨殺した犯人が100歳近くまで人生を満喫して大往生すると仮定して、「誰にでも死は訪れるんだから、怒りや憎しみは捨てましょう」という理屈に納得するのは無理だぜ。

ジャックが半殺しの目に遭った後、スージーは「パパは決して私のことを諦めない。パパを解放しなきゃ」と考えて天国へ行こうと決意するんだけど、それって単なる自己満足に過ぎないでしょ。
彼女が天国へ行ったところで、ジャックは「スージーは死んだから、もう諦めよう。犯人のことは忘れよう」とは思わないでしょ。
で、まだスージーは天国へは行かず、ルーシーの体を借りてレイとキスしてから満足して成仏するんだけど、「やり残したこと」って、それなのかよ。そのキスをする時、近くには証拠を隠滅しようとするハーヴェイがいるのに、そっちは放置してレイとキスするのかよ。
たまたまハーヴェイは足を滑らせて死ぬけど、放置したままだから彼は捕まらずに生き続ける可能性だってあったんだぜ。そんなヒロインの選択、まるで共感を誘わないわ。

(観賞日:2015年4月9日)


2013年度 HIHOはくさいアワード:7位

 

*ポンコツ映画愛護協会