『ロスト・イン・トランスレーション』:2003、アメリカ

ハリウッド俳優のボブ・ハリスは、サントリーウイスキーのテレビCMに200万ドルで出演するために来日した。彼がパーク・ハイアット東京に到着すると、通訳の川崎が待っていてサントリーの社員たちを紹介する。サントリーの社員たちは、彼にプレゼントを用意していた。ハリウッドではピークを過ぎたボブだが、日本ではスター扱いされる。アメリカにいる妻からはファックスが送られて来るが、ボブは無表情で眺める。
パーク・ハイアット東京には、シャーロットという若い女性も宿泊していた。結婚2年目の彼女は、夫のジョンと一緒に来日している。しかし売れっ子カメラマンのジョンは仕事で忙しく、翌朝からシャーロットは一人ぼっちにされる。ボブはエレベーターでシャーロットを見掛けるが、話し掛けることは出来なかった。CM撮影に入ると、川崎はディレクターの日本語を適当に変えてボブに伝えた。納得できる指示がディレクターから出ないことに呆れながらも、ボブは仕事をこなした。
シャーロットは一人で街に出てみるが、何も楽しめないままホテルへ戻った。寂しくなったシャーロットは、思わず泣き出してしまった。部屋に戻ったボブはテレビを付けるが、言葉は分からないし、まるて楽しめない。サントリーの人間に派遣されたという水商売の女が来て、「マッサージはどう?」と言う。しかしストッキングを破るよう要求する女の行動はキテレツすぎて、ボブは疲れただけだった。
翌日、ボブは人気番組のアナウンサーから出演のオファーが来たことを聞かされ、アメリカのエージェントに電話を入れる。エージェントは出演を勧めるが、ボブは「一刻も早く脱出したい」と告げる。彼は写真撮影に赴き、カメラマンの指示に不満を抱きながらも仕事をこなした。夜、ホテルのバーでジョンや仲間たちと一緒にいたシャーロットは、ボブに気付く。彼女はウエイターに頼んで、彼のテーブルに日本酒を運んでもらう。ボブは日本酒を飲んでシャーロットに会釈し、バーを後にした。
翌朝、シャーロットが仕事へ行くジョンを見送りに出ていると、女優のケリーが近付いてきた。彼女はジョンと知り合いで、2人は楽しげに会話を交わした。「今度、電話して」と言って去るケリーを見ながら、シャーロットは嫉妬心を覚えた。ケリーはアクション映画のプロモーションで来日しており、ホテルで会見を開く。シャーロットは笑顔で会見するケリーの様子を覗き見た後、生け花の先生に声を掛けられる。生け花教室に参加したシャーロットだが、困惑しか無かった。
夜、ボブもシャーロットもテレビを何となく付けるが、まるで面白くない。なかなか寝付けない2人はバーへ足を向け、隣の席に座って会話を交わした。次の日もシャーロットは街へ出掛けるが、特に何をするわけでもなくホテルへ戻る。夜になって仕事から戻ったジョンは、写真の打ち合わせでケリーと飲みに行くことをシャーロットに告げた。シャーロットは「私も行くわ」と言い、バーへ付いて行く。だが、ほとんど話を聞いているだけの状態になったシャーロットは、ボブに気付いて彼のテーブルへ赴いた。
次の日、ジョンが仕事で出張し、またシャーロットは一人ぼっちになった。その夜、なかなか寝付けずにプールで泳いだシャーロットは、ボブと遭遇した。ボブとシャーロットは、一緒に出掛ける。シャーロットはボブをクラブへ案内し、友人のチャーリーを紹介した。店で騒動が起きたので、ボブとシャーロットはチャーリーたちと一緒に逃げ出した。2人はチャーリーや彼の仲間と、曲に合わせて踊ったりカラオケを歌ったりして大いに盛り上がった。
次の日、仕事がオフのボブは、シャーロットを誘って街へ出掛けた。シャーロットが足の痛みを口にしたので、ボブは病院に連れて行って診察してもらう。医者は「安静にしていれば大丈夫」と軽傷であることを説明するが、もちろんシャーロットは言葉が分からない。その夜も、2人は街へ繰り出す。ホテルに戻ったシャーロットだが、なかなか寝付けない。彼女はボブに誘われて彼の部屋へ行き、テレビで放送されているアメリカ映画を見ながら日本酒を酌み交わす…。

脚本&監督はソフィア・コッポラ、製作はロス・カッツ&ソフィア・コッポラ、製作協力はミッチ・グレイザー、製作総指揮はフランシス・フォード・コッポラ&フレッド・ルース、共同製作はスティーヴン・シブル、撮影はランス・アコード、編集はサラ・フラック、美術はアン・ロス&K・K・バレット、衣装はナンシー・スタイナー、音楽はケヴィン・シールズ、音楽プロデューサーはブライアン・レイツェル。
出演はビル・マーレイ、スカーレット・ヨハンソン、ジョヴァンニ・リビシ、アンナ・ファリス、林文浩、田所豊、マシュー南、明日香七穂、竹下明子、高橋郁子、HIROMIX、會田茂一、重松収、桃生亜希子、田京恵、キャサリン・ランバート、ライル・ウィルカーソン、グレゴリー・ペーカー、リチャード・アレン他。


『ヴァージン・スーサイズ』のソフィア・コッポラが監督&脚本&製作を務め、アカデミー賞の脚本賞やNY批評家協会賞の監督賞など多くの映画賞を獲得した作品。
ボブをビル・マーレイ、シャーロットをスカーレット・ヨハンソン、ジョンをジョヴァンニ・リビシ、ケリーをアンナ・ファリス、チャーリーを林文浩が演じている。
他に、テレビ番組『BEST HIT TV』の司会者役で藤井隆(マシュー南として)、CMディレクターでダイヤモンド・ユカイ、チャーリーの友人役でHIROMIX、医者役で重松収が出演している。

ソフィア・コッポラは1999年に映画監督のスパイク・ジョーンズと結婚し、この映画が公開された2003年に離婚している。
まだ結婚していた当時、彼女は日本びいきのスパイク・ジョーンズに連れられて来日した。旦那は日本が大好きなので、色んな場所へ遊びに出掛けた。
スパイク・ジョーンズは日本に知り合いもいるし、そもそも日本の文化に興味があるので一人でも全く苦にならない。でもソフィア・コッポラは旦那と趣味が合わないから同行せず、一人ぼっちにされた。彼女は日本にそれほど興味があるわけじゃないから、ちっとも楽しくない。
「寂しい、っていうかスパイクの野郎、ムカつく。そうだ。この体験を映画にして意趣返ししてやれ」ということで作られたのが、この作品だ(かなり勝手な想像が入っているが、当たらずも遠からずじゃないかと思っている)。

そんなわけで、シャーロットはソフィア・コッポラが自らを投影したキャラクターである。
しかしシャーロットだけではなく、ボブもやはりソフィア・コッポラの分身だ。
200万ドルのギャラでCMの仕事をオファーされたボブ・ハリスは、本国ではともかく日本ではまだ人気のあるスター俳優扱いなので、そんな人を招聘した側が一人ぼっちにするのは不自然だ。普通は誰か世話役を付けるだろう。
それでも彼が一人ぼっちにされるのは、ソフィア・コッポラの分身だからだ。
ボブを孤独にしないと、この映画は意味が無いのだ。

「だったら、世話役が何かの理由で一緒に居られなくなるといった手順を踏んで一人にすべきじゃないか」と思う人がいるかもしれないが、それは私も同感だ。
でも、そういう細かいディティールに、ソフィア・コッポラは興味が無かったのだろう。
とにかく、ソフィア・コッポラとしては「日本で一人ぼっちにされたよコンチクショー」という感情を吐露したかったのであり、そのために必要なのは「ボブやシャーロットが何も分からない異国で寂しさを感じる」という部分だけだ。
2人が孤独な状態になるまでの過程は、どうでもいいっちゃあ、どうでもいいのである。

もしもボブやシャーロットが日本に強い興味を持っていれば、一人にされても、それなりに楽しめただろう。
でもソフィア・コッポラがそうじゃなかったので、ボブとシャーロットも興味が薄い。
言葉も通じない異国とは言え、親切な日本人に優しくされて日本が好きになる外国人もいたりするのだが、「日本人にも親切な人がいる」とか「日本にも素敵な所がある」といったフォローで何かしらの配慮をするとか、バランスを取るとか、そういう余計な意識はソフィア・コッポラの中に無い。
そんなことをやっても中途半端な内容になるだけであり、彼女は描きたいことを何の遠慮も無く堂々と描き切った。

この映画で描かれる日本は、かなりバイアスが掛かっている。
ソフィア・コッポラが孤独や元旦那への怒りを感じた体験がベースなので、決して好意的には描かれていない。
「不安や虚しさを感じさせる場所」「嫌な場所」「雑然としていて薄っぺらい場所」「バカばっかりの場所」として描かれている。
日本人からすると、不愉快な印象を抱いたり、「それは違う」と文句を付けたくなったりするかもしれない。
でも、「所詮は寂しい女のエゴイスティックなファンタジー」として捉え、あまり目くじらを立てないようにすべきだろう。

ボブもシャーロットも、ブルジョアな人間だ。
ボブは日本だとスター扱いされており、高級ホテルに宿泊して短時間の仕事で莫大なギャラを貰う。
シャーロットは金持ちの旦那と結婚して、これまた高級ホテルに宿泊する。金持ちだけど、やることがなくて暇を持て余している。だからバーで高い酒を飲み、朝っぱらから高級な寿司をつまみ、昼食に高級しゃぶしゃぶを食べる。
貧乏人からすると、そんな奴らが「寂しい」とか「孤独だ」とか感じても「うるせえよ」という感じだが、ソフィア・コッポラもブルジョアな人なので(なんせ産まれた時からコッポラ家の人間だし)、貧乏人のひがみなど知ったことではない。
っていうか、これは貧乏人が見るような映画ではない。

「郷に入れては郷に従え」という言葉があるが、ボブは日本に合わせよう、順応しようという意識が全く無い。
彼は常に自分の考えが正しいと考えており、決して言動を崩そうとはしない。英語の発音の悪さを馬鹿にしたり、英語が分からないのをいいことを失礼なことを言ったりする。かなり無礼で、謙虚さのかけらも無い。せっかくだから日本の文化を知ろうとか、そういう気も無い。
それは「世界のリーダーだと思っているアメリカ的な傲慢さ」にも思えるかもしれないが、そうではない。
旦那に放り出されてムカムカしたソフィア・コッポラの、八つ当たりが表現されているのだ。
だから、「ダラダラと喋ってないで、出された寿司をさっさと食え」とか、そんなことを言っちゃいけないのだ。

ザックリと言うならば、これは「金銭的には余裕があって生活には何の不自由も無いオッサンと若い娘が、異国で一人の時間はあるけど特にやることが無いので暇を持て余し、同じ境遇の相手と出会って寂しい気持ちを慰め合いました」という話である。
ボブとシャーロットが日本で寂しさを感じるのは、まあ言ってみりゃ贅沢な悩みだ。
そもそも、異文化に触れてみようとか、積極的に未知の物を吸収しようとか、そういう気持ちが強ければ、一人の時間を充分に満喫して楽しめただろう。例えばシャーロットの生け花教室やゲームセンターなんかが、それに当たる。
だが、ボブもシャーロットも、あまり活動的な人間ではない陰気な性格なので、言葉の通じない異国ということもあり、どうしても他者との交流には臆病になってしまうのだろう。
ただ、それでも自分たちが強い興味をそそられる対象があれば、きっと積極的になれるはずだ。
ようするにボブとシャーロットが寂しさや虚しさを感じたのは、「日本がそんなに好きじゃない」というのが一番の理由なのだ。

シャーロットはともかく、ボブに関しては「アンタはアメリカだったら仲間が大勢いて楽しく暮らしているのか?異国に来たから孤独や虚しさを抱いたんじゃなくて、そもそも孤独な人間じゃないのか」という気がしないでもない。
だが、そこは気付かなかったことにしよう。
シャーロットはチャーリーや仲間たちと会うシーンがあるので、「そいつらがいるんだったら、もっと早く連絡を取って会えば、一人にならずに済んだんじゃないのか」と思ってしまう。
だが、そこも気付かなかったことにしよう。

「最初は日本なんて好きじゃなかったけど、人々と触れ合ったり、様々な出来事を体験したりして気持ちが変化する」という話にすることも、もちろん可能なわけだが、ソフィア・コッポラはそういう選択をしなかった。
なぜなら、そんな話に仕上げてしまったら、スパイク・ジョーンズの自分に対する仕打ちを肯定してしまうことになるからだ。
そんなことは有り得ない。
そうするぐらいなら、日本を舞台にした映画など作る意味が無いのだ。

(観賞日:2014年5月22日)


第26回スティンカーズ最悪映画賞(2003年)

ノミネート:【最も過大評価の映画】部門

 

*ポンコツ映画愛護協会