『ロスト・ソウルズ』:2000、アメリカ

カトリック教会は、自分の家族を惨殺した元数学教授ヘンリー・バードソンを悪魔憑きと正式に認定した。精神病院に収容されている バードソンの依頼を受け、ラロー神父とジェレミー神父、ジョン助祭、助手のマヤが悪魔祓いに赴いた。マヤは聖職者ではないが、過去に 自身も悪魔だった経験があるため、助手として同行している。ラローたちは悪魔祓いの儀式を行うが、失敗に終わった。マヤは退室する際 、バードソンが書いた数字の暗号文を密かに持ち去った。その暗号を解読すると、ケルソンという名前になった。
犯罪ジャーナリストでベストセラー作家のピーター・ケルソンは、悪魔の声を聞いたと主張している殺人犯ヴィズニックを取材している。 彼はテレビ番組に出演し、「悪魔など存在しない」と断言する。彼は恋人のクレアと共に、叔父のジェームズ神父と妻スーザン、自分の兄 ウィリアムが暮らす家へ赴いた。ピーターの両親は殺害されており、その事件は未解決だ。食事の前、ジェームズたちはお祈りをするが、 無神論者のピーターは祈らなかった。
ピーターはジェームズたちに、「毎晩、同じ夢を見る」と話す。自分が本を読んでおり、表紙を見ると「X−E−S」と書いてあるのだと いう。それを聞いたみんなは、「それはSEXの逆だ」と笑う。マヤはテレビを見てピーターのことを知り、ジョンに知らせる。マヤは 「彼について調べなきゃ」と考えるが、報告を受けたフランク神父は「これは認められない。君の不幸な子供時代の影響だ。悪魔は君の 思うような存在ではない」とマヤの考えを否定した。
マヤはトイレで怪奇現象に見舞われ、個室のドアには「X−E−S」の文字が浮かび上がった。彼女はナイフを持ったバードソンに襲撃 されるが、それは全て幻覚だった。マヤは教会へ行き、ピーターの洗礼記録を見せてもらう。彼女はピーターの仕事場へ行き、カトリック 教会が悪魔憑きと認めたバードソンのこと、悪魔祓いが失敗したことを語る。「貴方は彼に会うべきよ。きっと興味を持つはずだわ」と 彼女は言い、悪魔祓いで録音されたカセットテープを渡した。
マヤは「もし興味があれば彼の所へ案内する」と持ち掛け、ピーターの元を去った。ピーターは帰宅してテープを再生するが、すぐに音声 が消えた。隣に住む老女がレボツキーが壁を叩いて「うるさい」と言うので、ピーターは「もう止めましたよ」と叫んだ。翌日、ピーター はマヤと会い、バードソンの元へ案内してもらう。バードソンは器具を装着されて昏睡状態にあり、脳波も消えていた。院長のアレンは 「この患者は動脈瘤で、医学的治療が必要なだけです」と説明した。
バードソンが目を開いたので、マヤは怯えて退室した。だが、ピーターとアレンは、それを見ていなかった。帰り道、ピーターが自分の話 を信じないことに腹を立てたマヤは、車から降りた。ピーターは刑事をしている親友のマイクに連絡し、マヤの指紋を調べるよう頼んだ。 マヤは寝込んでいるラローの見舞いに赴いた。もう回復しないと医者からは言われている。ジョンはマヤに、「彼はテープを聴くことが 出来なかった。間違いない」と告げ、思い詰めた表情を見せた。
ピーターはクレアを伴い、出版パーティーに出席した。そこにジョンが近付き、「神はお許しになる。悪魔の時は近い」と耳元で囁いた。 彼は拳銃をピーターに向けるが、近くにいたウィリアムが取り押さえた。ジョンはウィリアムに首の骨を折られて死亡した。アパートに 戻ったピーターは、レボツキーが自殺したことをドアマンから聞かされる。足が悪かったはずなのに、首を吊って自殺したという。マヤは トーマス神父から、ジョンがピーターを狙って失敗し、死亡したことを知らされる。
ダイナーに入ったマヤは、少女から「イエスは死んだ」と言われる幻覚を見る。ピーターはマイクから、パーティー会場で自分を狙った 犯人の素性について聞かされる。マイクはピーターに、ジョンがマヤやラロー神父と親しかったことを教える。ピーターは神学校で授業を していたマヤを連れ出し、「僕を撃とうとした男は君の知り合いだ。なぜ僕を狙った?」と詰め寄った。マヤは「バードソンが間もなく 悪魔が貴方に憑依すると予言したのよ。彼の書いた数字を解読すると、貴方の名前だった」と説明した。
ピーターが「医者に診察してもらえ」と罵ると、マヤは「もう始まってるわ。貴方の近くには五芒星もあるはず。両親の血液型を調べて」 と述べる。ピーターは激昂し、「二度と僕に近付くな」と言い放った。翌日、彼が仕事場へ行くと、サボーという霊能力者が来ていた。彼 が「君の母は死亡し、父は生きてる」と言うので、ピーターが「父親は死んでる」と反論する。サボーはノートに「X−E−S」の文字を 書き、「これはギリシャ数字で666。悪魔の数字だ」と説明する。ピーターは腹を立てて追い払った。ピーターは教会に入り、イエス像 に向かって「助けて」と漏らす。するとイエス像が壊れ、逆さ吊りの状態になった。
ピーターはマヤと会い、「どうなってるんだ」と尋ねる。マヤは「これは貴方が産まれた時から決まっていたこと。貴方は洗礼を受けて おらず、近親相姦の子供」と告げる。「洗礼は受けてるし、近親相姦の子でもない」と否定すると、マヤは「カトリックの洗礼は受けて ない」と言って証拠書類を見せ、父親とは血液型が合わないことを指摘する。2人はジョンの部屋に侵入し、室内を捜索した。ラローの本 を見つけたマヤは、「33歳の誕生日に悪魔が憑依する」という文章に下線が引いてあるのを見つけた。ピーターに尋ねると、彼が33歳の 誕生日を迎えるのは翌日だった…。

監督はヤヌス・カミンスキー、原案はピアース・ガードナー&ベッツィー・スタール、脚本はピアース・ガードナー、製作はニーナ・R・ サドウスキー&メグ・ライアン、共同製作はクリストファー・クローニン、製作総指揮はベッツィー・スタール&ピアース・ガードナー& マイケル・デ・ルカ&ドナ・ラングレー、撮影はマウロ・フィオーレ、編集はアン・グーロー&アンドリュー・モンドシェイン、美術は ギャレス・ストーヴァー、衣装はジル・オハネソン、音楽はジャン・A・P・カズマレック。
出演はウィノナ・ライダー、ベン・チャップリン、ジョン・ハート、フィリップ・ベイカー・ホール、イライアス・コティーズ、サラ・ ウィンター、ジョン・ビーズリー、ヴィクター・スレザク、ジョン・ディール、ブラッド・グリーンクイスト、W・アール・ブラウン、 ブライアン・レディー、ポール・クレイマン、ロバート・クレネンディン、オリヴァー・クラーク、マイケル・マンテル、ミン・ロー、 アンナ・ガン、シド・ストリットマター、ジェームズ・ランカスター他。


これまで多くの映画に撮影担当で携わって来たヤヌス・カミンスキーが、初めて監督を務めた作品。
製作総指揮のピアース・ガードナーが、初脚本を担当している。
マヤをウィノナ・ライダー、ピーターをベン・チャップリン、ラローをジョン・ハート、ジェームズをフィリップ・ベイカー・ホール、ジョンをイライアス・コティーズ、クレア をサラ・ウィンター、マイクをジョン・ビーズリー、トーマスをヴィクター・スレザク、バードソンをジョン・ディールが演じている。
アンクレジットだが、アレンをアルフレ・ウッダードが演じている。

最初に悪魔祓いのシーンがあって、マヤの視点から描かれる。
チラッとピーターの様子が写り、またマヤの視点に戻り、彼女が数字を解読してケルソンの名前に行き着く。
だったら、ピーターの短いシーンを挟まず、マヤが数字を解読するところまで一気に描いてから、彼の様子に移った方がいい。
中途半端にピーターの登場シーンを挟んだことの意味が、何も感じられない。
っていうか、邪魔だ。

それはともかく、マヤが数字を解読するとケルソンの名前になったことまでは示されるが、「だから何なのか」は謎のままだ。
そのため、マヤがピーターに接触しても、どういう理由なのかは良く分からない。
これが本作品の大きな失敗だったと思う。
「解読したら悪魔が憑依することが分かった」というところまでを明らかにした上で、マヤがピーターに接触する展開へ繋げた方がいい。
そうじゃないと、この映画、ちっとも怖くない。

もちろん、「ピーターに悪魔が憑依する」という暗号の内容を隠したまま引っ張っているのは、意図的なものだろう。
そこを謎めいたものにして、観客の興味を引っ張ろうとしていることは分かる。
ただ、残念ながら、そこに興味を引っ張られないのよ。
その一方で、「何を描きたいんだか良く分からない」というマイナスに作用している。
「マヤはピーターに悪魔が憑依することを解読した」というのが判明するのは、なんと始まってから約55分後のことだ。
そこまでに、すっかり退屈になってしまう。

暗号の内容を隠したままで、それでも観客の興味を引っ張ることが出来ているなら、それはそれでOKだったかもしれない。
だけど、その作業が出来ていないんだから、そりゃ厳しいってことになってしまう。
ピーターに悪魔が憑依するという予言を隠したままで物語を進めていくのであれば、序盤から彼の周囲で様々な怪奇現象を発生させた方が いい。
そうすることで観客を怖がらせ、不安を煽るべきだ。

この映画ではマヤの周囲ばかりで怪奇現象が発生するが、それはポイントが違うんじゃないかと。
「足が悪いはずの隣人が首吊り自殺したことをピーターが聞かされる」というシーンはあるけど、それぐらいだ。
しかも、その自殺はピーターが実際に見ていないし、怪奇現象っぽさは薄いし。
彼が怪奇現象と呼べるような出来事と直面するのは、自分が悪魔憑きになることを知らされて以降なのよね。

っていうか、暗号の内容を隠したまま進めるのであれば、いっそのことマヤの正体も伏せたままで進めれば良かったんじゃないかな。
で、ピーター視点から物語を開始して、「見知らぬ女性が自分に近付いて悪魔がどうとか言い出す」→「悪魔祓いのテープを渡されたり、 精神病患者と面会させられたりする」→「悪魔なんて信じないけど、周囲で奇怪な現象が続発する」といった感じで進めていけば良かった んじゃないかな。
いや、でも、それよりは、さっさと彼が「アンタは悪魔憑きになる」と宣告される形で物語を進めた方が、不安や恐怖を煽る内容に 仕上げることは出来たような気がするなあ。

あと、ちょっと思ったんだけど、「過去にマヤが悪魔憑きだった」という設定は、ほとんど意味が無いモノになってるよね。その設定、 物語を進めていく上で、何の影響も与えてないよね。
彼女が幻覚を見るのは、過去に悪魔憑きだったという設定が無かったとしても成立するし。「聖職者じゃないけど悪魔祓いを手伝う資格が ある」という部分で使われているだけだよな。
「自分が悪魔憑きだったことが影響して、ピーターに悪魔が憑依すると思い込んでいるのではないか」というところで観客に迷いを 生じさせる、ミスリードを誘うという使い方は出来そうだけど、上手く利用できていない。
映画を見ていても、「マヤが解読したという暗号の内容は本物なのか。ピーターに悪魔が憑依するというのは本当なのか」というところ に、まるで関心が向かないんだよな。

(観賞日:2013年2月12日)


第23回スティンカーズ最悪映画賞(2000年)

ノミネート:【最悪の主演女優】部門[ウィノナ・ライダー]
<*『オータム・イン・ニューヨーク』『ロスト・ソウルズ』の2作でのノミネート>

 

*ポンコツ映画愛護協会