『ライラ/フレンチKISSをあなたと』:1999、アメリカ

ディランはストリッパーの恋人ジンジャーと別れようとするが、切り出し方に迷っている内に、逆に彼女から別れを告げられる。ディランが2ヶ月前に開店したイタリア料理のレストランに戻ると、ウエイターのタートルは相変わらずの役立たず。ウエイターのウォーリーはディランに心酔しているが、それが逆に迷惑だったりする。
ディランはシェフで友人のマークから、設備が整っていないことへの不満をぶつけられる。そこで彼は銀行に出向き、担当のレイに追加融資を頼む。もう限度額の上限だと言われたディランだが、ミルストーン頭取を招いた食事会を開くことを承諾させた。
ディランの暮らすアパートに、フランス人のチェロ奏者ライラが引っ越してきた。ディランは逃げ出す癖のあるライラの飼い犬ジャックを何度も捕まえ、彼女と近付こうとする。しかし、その度に「今は忙しい」と言われ、冷たくドアを閉められてしまう。
ライラはオーケストラに入ることを目指してアメリカに来たのだが、今は音楽教師やデパートでの演奏会などで金を稼ぐ日々だった。そんな中、ライラの元婚約者ルネがフランスからやって来た。ルネの浮気が原因で別れたライラは、彼を避けようとする。だが、ルネがオーケストラの指揮者と会わせると言ったため、ライラは考え直した。
ディランは、またまた逃げ出したジャックを自室に連れ込み、ライラと近付く口実に利用しようと考えた。ディランは音楽教師をクビになったライラを慰め、一気に彼女との距離を縮める。ライラはディランに、ルネからヨリを戻そうと言われていることを話した。
ディランはジャックをライラに返そうとするが、マークから預かっていた指輪を無くしてしまう。それは、マークが恋人ゲイルにプロポーズする際に渡す、大切な指輪だ。ジャックが食べてしまったと確信したディランは、ウォーリーと共に犬の排泄物を探るが見つからない。
ディランとルネは、行方不明になったジャックを探すライラに協力し、互いに対抗意識を燃やす。ディランは、犬と会話が出来るというウォーリーの叔父ハリーにジャックを会わせる。一方、ルネはディランがジャックを部屋に隠していると気付く…。

監督はジェフ・ポラック、脚本はJ・B・クック&マーク・ミークス&デヴィッド・スペード、製作はウェイン・ライス&モリー・アイゼンマン&アンドリュー・A・コソーヴ&ブロデリック・ジョンソン、共同製作はトッド・P・スミス、撮影はポール・エリオット、編集はクリストファー・グリーンバリー、美術はラスティー・スミス、衣装はスーザン・バートラム、音楽はジョン・デブニー、音楽監修はマイケル・ディルベック。
出演はデヴィッド・スペード、ソフィー・マルソー、パトリック・ブリュエル、アーティー・ラング、ミッチェル・ホイットフィールド、マーティン・シーン、クリスチャン・クレメンソン、エステル・ハリス、マリア・ギブス、ローズ・マリー、キャロル・クック、ミシェル・クラニー、エヴァー・キャラダイン、カール・マイケル・リンドナー、ジョン・ロヴィッツ、タートル、マリー・チーサム他。


サタデー・ナイト・ライヴ出身のデヴィッド・スペードが主演したコメディー映画。『ロスト・アンド・ファウンド』という別タイトルもある。
ディランをデヴィッド・スペード、ライラをソフィー・マルソー、ルネをパトリック・ブリュエル、ウォーリーをアーティー・ラング、マークをミッチェル・ホイットフィールド、ミルストーンをマーティン・シーンが演じている。

冒頭、ディランが女に別れ話を切り出そうとしている。カメラが引くと、手前にインコがいる。だからディランがインコを女に見立てて別れ話のリハをしており、インコが罵るなり何か行動を起こすなりして笑いを作るのかと予測する。
ところが、すぐにディランが女のセリフも喋り、1人で2役を演じる。
インコは、何の関係も無い。

続いてジンジャーが部屋に現れ、「ACDCなんて嫌い」とか言いつつ、着替え終ってカウガールの格好になる。別れを告げられたディランは「どこを好きになったんだろう」と考えると、ジンジャーの尻が丸見えになっており、それを見て「アイ・ミス・ユー」とつぶやく。
ここまでがアヴァン・タイトル。
で、どこで笑えばいいのか、私には全く分からない。

レストランでは、マークが「オーブンの温度調節が出来ない」とか「冷凍庫が凍らない」と文句を言う。しかし、それを実際に絵として見せ、ギャグにすることは無い。オーブンから火が出るというシーンはあるが、それはコミカルなモノとして処理されていない。
アパートでは、老婦人達とのギャンブルに負けたディランが素っ裸になり、その姿のままでライラの部屋を覗く。ここで通り掛かった老夫婦に見つかったり、ジャックに吠えられたりする。ここで騒ぎを静めようとして逆にトラブルを大きくするとか、慌ててヘマをやらかすとか、そういうところから笑いは生まれるはずだが、何も起きない。

そもそも、そこでライラと挨拶を交わさないで、何事も無くシーンが切り替わるというのが理解できない。そこは、ディランがカッコ悪い形でライラと顔を合わせた方が、絶対に話が上手く転がるはず。なぜ淡白にシーンを処理しようとするのか、理解できない。

銀行では、ディランがレイに掛け合ってミルトーン頭取の食事会を開く承諾を貰う。これだって、あまりに簡単すぎる。もう少し会話のやり取りがあって、何か1つぐらい笑いを取りに行くべきシーンだろう。どうして普通に融資を巡る会話で終わるのか。
ディランがジャックを部屋に連れ込み、世話をするシーンに時間が割かれている。そこで笑いがあるのかと言うと、何も無い。ディランとライラの恋愛を軸にしたコメディーになるのかと思うと、ディランが指輪を取り戻そうとしたり、まるで関係無い方向に走る。

ディランは仕事をクビになったライラを慰めて親しくなるが、きっかけとして普通すぎる。2人が親密になる際に、そこで笑いを入れるべきでしょ。その後、何の笑いも無く、普通のロマンスとしてディランとライラのデートを描いているのも理解不能。
ディランとウォーリーが上半身裸でいるのをライラが目撃するが、そこから誤解を解こうとしたディランがドツボにハマる展開があるのかというと、何も無い。ライラが誤解することも無く、ディランが釈明に必死になることも無く、あっさりと次の展開に移る。

恋愛劇は非常に薄く、極端に言えばライラが必要だったのかさえ疑問。少なくとも、ソフィー・マルソーを恋愛劇のヒロインとして、あるいはコメディエンヌとして輝かせようという意識は皆無。わざわざフランスのトップ女優を招いておきながら、この扱いは無いだろう。
というか、こんな作品のオファーを良く受けたな、ソフィー・マルソー。

主人公も、ストーリーも、演出も、全てがダラーッとしている。それが“心地良いユルユル感”なら構わないのだが、ワイシャツの首回りがダルダルになっているような、パンツのゴムがダルダルになっているような感じだ。つまり、単に弛み切っているだけ。
ディランは感情表現が乏しいが、例えばチェヴィー・チェイスのように「スカして笑いを取りに行く」というのではなく、単なる無気力にしか見えない。ダメ男だが、弱気や臆病というわけでもなく、生意気というほどでもなく、掴みどころの無いファジーな男だ。
で、主人公の感情表現が薄いなら、その相手役には喜怒哀楽の激しいキャラを置くべきだろう。ところが、ライラも感情表現が豊かとは言い難い。迷子になった飼い犬を届けてもらったのに、ほとんどノーリアクションってのは無いだろう。

とにかく、コメディーのはずなのに笑うポイントを探すのが困難な作品だ。しかし、それは当たり前といえば、当たり前のことだ。何しろ、最初から笑いを取りに行く意識が非常に薄いのだ。しかし、笑いの薄いロマコメなのかと考えると、そこまでロマンスの部分が充実しているわけでもない。どういう作品にしたかったのか、私には分からんよ。
何よりも、キャラも演出も中途半端にテンションが低いというのが致命的。エンドロールではDeee-Liteの『Groove is in the Heart』に合わせて出演者がハイテンションで踊るのだが、そのテンションを本編でも見せてほしかったと心底から思ったよ。

なお、スティンカーズ最悪映画賞の最も無様なコメディー・リリーフ部門に、「ニール・ダイヤモンドの真似をするデヴィッド・スペード」がノミネートされている。
映画の終盤、ミルストーンのパーティーでゲストに来るはずだった歌手ニール・ダイヤモンドが現れないので、代わりにディランがマネをするというシーンがあるのだ。
でもね、個人的な意見では、そのシーンは楽しいよ。
それ以外の部分が全く笑えないことに比べれば、遥かに楽しい。


第22回スティンカーズ最悪映画賞

ノミネート:【最も無様なコメディー・リリーフ】部門[ニール・ダイヤモンドの真似をするデヴィッド・スペード]

 

*ポンコツ映画愛護協会