『ライオン・キング』:2019、アメリカ
プライド・ランドの王であるライオンのムファサと妻サラビの間に、息子のシンバが誕生した。お披露目の式典が行われ、王国の動物たちがプライド・ロックの下に集まった。呪術師であるマンドリルのラフィキがシンバを掲げ、彼らに披露した。だが、その儀式にムファサの弟のスカーは行かなかった。彼は王になれないことから、ムファサを憎んでいた。ムファサは執事を務めるサイチョウのザズーを伴ってスカーの元へ行き、なぜ式典に来なかったのかと尋ねた。スカーは「忘れていた。軽んじているわけではない」と挑発的に言い、ムファサへの敵対心を隠そうともしなかった。
早朝、シンバはムファサを起こし、パトロールに連れて行ってほしいとせがんだ。ムファサはシンバに、新しい王になる定めや王としての務めを説いた。シンバが北の境界線にある陰の部分について尋ねると、彼は「あそこは絶対に行っちゃいけない」と釘を刺した。ムファサはシンバを連れて王国を歩き回り、サークル・オブ・ライフの考え方を教えた。ザズーからハイエナたちがプライド・ランドに侵入したと報告を受けたムファサは、現場へ向かうことにした。シンバは同行を志願するが、ムファサは子供たちの元へ戻るよう命じた。
シンバはザズーに引率されて子供たちの元へ行くが、つまらないと感じる。カブトムシを捕まえようと追い掛けたシンバの前に、スカーが現れた。シンバが「僕は王様になる。王国は全て僕の物になる。そうなったら叔父さんにも指図したりするんだ。不思議だね」と話すと、スカーは感情を隠して「そうだな」と口にした。彼はシンバが王国をムファサに見せてもらったと知り、「陰の部分は象の墓場だ。幼い王子が行くような場所じゃない」と述べた。
好奇心を刺激されたシンバは仲間の元へ戻り、幼馴染のナラを水飲み場に誘った。母のサラビは「それより先には言っちゃダメ。ザズーと一緒に行くこと」とと告げ、シンバとナラを行かせた。ナラはシンバの目的が別にあると見抜いており、「本当はどこへ行く気なの?」と訊く。シンバは象の墓場へ行くことを教え、ナラと結託してザズーを置き去りにした。シンバとナラは象の墓場を発見し、足を踏み入れた。ナラは危険を感じて引き返そうと考えるが、シンバは全く耳を貸さなかった。
ハイエナのシェンジと手下のアジジ&カマリたちが象の墓場に現れ、シンバとナラを包囲した。シェンジがシンバたちを食べようとすると、ザズーが来て制止する。シェンジは彼の言葉を無視し、逃げようとするシンバたちを追い詰める。そこへムファサが駆け付け、ハイエナの群れを威嚇した。彼はザズーにナラをプライド・ロックへ連れ帰るよう指示し、シンバの軽率な行動を戒めた。スカーはハイエナの群れと接触し、手を組んでムファサを殺す策略を持ち掛けた。
スカーはシンバを谷へ呼び出し、「ムファサと仲直りさせてやろう。失敗が帳消しになる贈り物をする。お前の雄叫びを見つけるんだ」と告げる。スカーは崖の上に聞こえるまで雄叫びを練習するよう指示し、その場を去った。崖の上で待機していたハイエナの群れは、ヌーの大群を暴走させた。スカーはムファサの元へ行き、「シンバがムーの暴走に巻き込まれた」と教えて谷へ向かわせる。シンバは必死で逃走し、木の上に退避する。ムファサはシンバを救出し、高い場所へ避難させた。
ムファサは崖を登ろうとするが、スカーが突き落として始末した。シンバはスカーが犯人だと知らず、「お前がいなければ兄上は生きていただろうに」と言われて責任を感じる。スカーは「お前のお母さんはどう思うかな。息子のせいで父親が死んだ」と語り、遠くへ逃げて二度と戻らないよう促した。シンバが立ち去ると、スカーはハイエナたちに殺害を命じた。慌てて逃げ出したシンバは、崖から転落した。シェンジからシンバの死を確認するよう指示されたアジジ&カマリは崖下へ行くことを怖がり、確かめずに「死んだ」と報告することにした。シンバは生き延びており、プライド・ランドを後にした。
スカーはライオンの群れにムファサとシンバが死んだと報告し、王位を受け継いでハイエナたちの手を借りると宣言した。シンバは砂漠を歩き続け、力尽きて倒れ込んだ。ハゲワシの群れがシンバを取り囲むが、イボイノシシのプンバァとミーアキャットのティモンがて来て追い払う。シンバに気付いたプンバァとティモンは、ライオンを味方に出来るチャンスだと考える。彼らは落ち込んでいるシンバに「未来は変えられる。悩まずに生きろ」と告げ、仲間の動物たちと暮らすジャングルに案内した。
シンバは新しい場所で生活に馴染み、大きく成長した。プライド・ランドではハイエナの群れに追われて動物の数が減少し、すっかり荒れ果てていた。サラビはナラから「こんな場所から出て行きましょう」と言われ、「ここを守るのが私たちの務めよ。いつか私たちの時代が来る。今は耐えるのよ」と告げた。スカーに呼ばれたサラビは、妻になるよう要求されて拒絶した。するとスカーは、「今日からライオンの食事はハイエナの後だ」と通告した。ナラはザズーに助けてもらい、プライド・ランドを抜け出した。
シンバはプンヴァ&ティモンと語り合っている時、過去を振り返って深く考え込んだ。彼の体から抜け落ちた毛は川を流れ、様々な経緯の末にラフィキの元へ届いた。ナラはシンバのいるジャングルに辿り着き、プンヴァたちを食べようとして襲い掛かった。そこにシンバが駆け付け、ナラは再会を喜び合った。しかしナラが「スカーがハイエナと手を組んだ。貴方は王様として戻らないと」と話すと、シンバは「今はここが僕の家だ」と戻ることを拒否した…。監督はジョン・ファヴロー、脚本はジェフ・ネイサンソン、製作はジョン・ファヴロー&ジェフリー・シルヴァー&カレン・ギルクリスト、製作総指揮はトム・ペイツマン&ジュリー・テイモー&トーマス・シューマッチャー、共同製作はジョン・バートニッキ、撮影はカレブ・デシャネル、編集はマーク・リヴォルシ&アダム・ガーステル、美術はジェームズ・チンランド、視覚効果監修はロバート・レガート&アダム・ヴァルデス、アニメーション・スーパーバイザーはアンドリュー・R・ジョーンズ、伴奏音楽はハンス・ジマー、歌曲はティム・ライス&エルトン・ジョン、歌曲プロデュースはファレル・ウィリアムズ、音楽製作総指揮はハンス・ジマー。
声の出演はドナルド・グローヴァー、ジェームズ・アール・ジョーンズ、ビヨンセ・ノウルズ=カーター、セス・ローゲン、キウェテル・イジョフォー、アルフレ・ウッダード、ビリー・アイクナー、ジョン・カニ、ジョン・オリヴァー、フローレンス・カサンバ、エリック・アンドレ、キーガン=マイケル・キー、JD・マックラリー、シャハディー・ライト・ジョセフ他。
1994年に公開された同名のディズニー・アニメーション映画をリメイクした作品。
監督は『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』『ジャングル・ブック』のジョン・ファヴロー。
脚本は『ペントハウス』『パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊』のジェフ・ネイサンソン。
シンバの声をドナルド・グローヴァー、ムファサをジェームズ・アール・ジョーンズ、ナラをビヨンセ・ノウルズ=カーター、プンバァをセス・ローゲン、スカーをキウェテル・イジョフォー、サラビをアルフレ・ウッダード、ティモンをビリー・アイクナー、ラフィキをジョン・カニが担当している。先に映像と無関係なトコでの細かい問題点を、幾つか処理しておこう。
スカーはシンバを象の墓場へ行かせようと目論む時、「子供の行く場所じゃない。腐った骨が転がり、泥が煮えたぎり、ぬかるみだらけ」と説明する。
だけど、それで「シンバが好奇心を抱いて象の墓場へ行く」ってのは、かなり動機として弱い。
1994年版だと「勇気あるライオンしか行かない」とか「王の行く場所ではない」と言っており、シンバのプライドや勝気な性格を刺激していたのよね。シンバが象の墓場へ行ったことに対し、ムファサは静かに「死んでいたかもしれない。もっと悪いのはナラを危険に晒したことだ」と言う。でも、厳しく説教するようなことはなくて、シンバが「ハイエナの方が怖がってたよ」と言うと「お前の父さんは強いからね」と笑う。
なので、簡単に許しているように見える。
ところがスカーに呼び出された時には、「父さん、すごく怒ってた」と言う。
いや、そんなに怒ってなかっただろうに。なのでスカーの「仲直りさせてやろう」という言葉にも、「そもそも仲良くやってるし」と反論したくなる。
1994年版だと、ムファサはシンバを厳しく叱っていた。そしてスカーがシンバを呼び出すのは、「お前に見せたい物があるとお父さんが言っている」という嘘だった。本作品を「実写化」と紹介されているデータがあるが、それは間違いだ。動物だけでなく風景も含めた大半の映像はフルCGで作られており、実写は冒頭の1ショットのみだ。
ほぼ実写のようにしか見えない精密な動物たちが、CGによって表現されている。VRを使って先に空間を用意し、その中で実写映画を撮るような感覚で作業を進めるという方法を取っている。
実際にアフリカの野生動物たちを使って同じ映像を表現しようとしても、まず不可能だろう。技術の進歩によって、それがCGによって可能になったのだ。
でも、すぐに思うのは、「だから何なのか」ってことだ。端的に言うと、これは「1994年版をフルCGでリメイクしました」という作品である。
「いやいや、何を当たり前のことを言ってんのか」と思うかもしれないが、本当にそうなんだから仕方がない。「ただ、それだけ」でしかない映画なのだ。
細かい違いはあるが、基本的な内容は1994年版と全く変わらない。リメイクとしての大幅な改変は無い。
「なぜ今になってフルCGでリメイクする必要があるのか」と考えた時、その答えを見出すことが難しい。
あえて答えをひねり出すなら、「楽して稼げるから」ってことになるだろう。なので1994年版を見ている人なら、これは見なくてもいいだろう。そういう人に対して、このリメイク版を見た方がいい理由を見つけ出すことは不可能だ。
1994年版を見ていない人、『ライオン・キング』を知らない人が、この映画で最初に知るってことなら、それは別にいいかもしれない。
ただ、そういう人にしても、どちらかと言えば1994年版をオススメするけどね。
ただし個人的には、1994年版もそんなに高く評価しちゃいないんだけどね。リアルな動物をフルCGで描いたことによって、皮肉なことにファンタジーとしての印象は一気に薄れた。
そしてファンタジーとしての印象が薄れたことにより、1994年のアニメ版ならOKだったことも違和感に繋がる結果を産んでいる。
ファンタジーの世界なであれば何も気にせず受け入れられても、「リアルな動物たちの物語」として描かれると引っ掛かるような問題もあるのだ。
それを考えると、何でもかんでもリアルなCGにすれば作品の質が向上するわけではないのだ。具体的な例を挙げると、シンバの食生活だ。
序盤でシンバがムファサに「僕たち、アンテロープを食べるよね」と尋ねているシーンはあるが、実際に他の動物を食らう様子は一度も描かれない。幼少期はカブトムシを追い掛け、成長すると蝶を捕まえようとする。砂漠で倒れていたシンバがジャングルへ案内されて食べるのも、動物の肉じゃなくて虫だ。成長した後も、虫しか食べていない様子だ。
もちろん、肉食のシーンを描いたらファミリー映画としては残酷すぎるし、シンバを主人公として応援することも難しくなるだろう。
なので正しい判断ではあるのだが、そのせいで「ライオンなのに肉を食わないのは変だろ」という疑問が生じることは事実だ。
そういった問題を、1994年版は「だってファンタジーですもの」ってことで上手く回避していたのだ。本来ならライオンが獲物にすべき動物をシンバが狩らずに仲良くしているのも、1994年のアニメ版なら特に気にならなかった。
でもリアルな動物の世界を映像で表現しているため、「なんで食わないんだよ」と言いたくなる。
ナラがプンヴァたちを食べようとして襲い掛かるシーンがあるので、余計に引っ掛かる。じゃあシンバは今まで何を食べて大きくなったのかと。
まさか、虫だけ食べて成長したわけでもあるまいに。そんな奴が、スカーやハイエナたちを倒して王になれるはずがねえだろ。そしてリアルな動物たちを描いたことによって、ミュージカル映画としても、ほぼ死に体となった。
動物の口をCGで動かして歌っているように見せ掛けているが、ちっとも歌っているように感じない。ものすごく不自然で、ものすごく違和感がある。
何より、擬人化した動き、実際には有り得ない動きを付けられないという制約がある。そのため、ミュージカルにおいて重要な「踊り」という要素が欠け落ちている。動物たちが歌っていることを見せるシーンでも、ただ歩いたり走ったりしているだけなのだ。
その走る動きも、歌のリズムに全く合っていないし。キャラクターとしての個性も、1994年版に比べると大きく減退している。
誇張した造形に出来ないので、同じ動物だと違いが分かりにくくなっている。それは序盤から顕著に表れていて、ムファサとスカーの違いがサッパリ分からないのだ。
もちろん成長したシンバとスカーの違いも、かなり分かりにくい。一応は差異を付けているのだが、「リアルなライオンとしての見た目」を優先しているせいで、その特徴を誇張していないのだ。
諸々を考えると、「作るべきではなかったリメイク版」と言わざるを得ない。
そりゃあエルトン・ジョンに「新しい『ライオン・キング』には大いに失望した。音楽を台無しにしている」と酷評されても仕方がないよ。(観賞日:2021年6月20日)