『ラリー・フリント』:1996、アメリカ&カナダ
オハイオ州シンシナティの貧しい家庭で生まれ育ったラリー・フリントは、成長して弟ジミー・フリントと共にストリップクラブを経営するようになった。しかし客の入りが悪かったため、ラリーはヌード写真を掲載した会報を作って店を宣伝する。
ストリッパーのアルシアと付き合い始めたラリーは、出版社を設立した。そして彼は過激なヌード雑誌“ハスラー”を創刊するが、大量に返本されてしまう。だが、元ケネディ大統領夫人ジャクリーンの隠し撮りヌード写真を掲載し、大幅に売り上げを伸ばす。
わいせつ行為の斡旋によって逮捕されたラリーは有罪となるが、上訴審で勝利して出所する。ハスラーを販売していた書店が摘発されたことを知ったラリーは、自ら書店に立ってハスラーを手売りするパフォーマンスを見せ、その場で逮捕される。
ラリーは何者かに狙撃され、下半身不随になる。長いブランクを経て出版社に復帰したラリーは、FBIの隠し撮りテープを流して裁判に掛けられ、証言を拒否して収監される。ハスラーが伝道師ジェリー・フォルウェルの風刺記事を掲載したことから、またもラリーは訴えられる。そんな中、エイズを発病していたアルシアが死亡する…。監督はミロシュ・フォアマン、脚本はスコット・アレクサンダー&ラリー・カラゼウスキー、製作はオリヴァー・ストーン&ジャネット・ヤン&マイケル・ハウスマン、製作協力はスコット・ファーガソン&ジョージ・ライナードス、撮影はフィリップ・ルスロ、編集はクリストファー・テルフセン、美術はパトリシア・フォン・ブランデンスタイン、衣装はセオドア・ピステク&エイアン・フィリップス、音楽はトーマス・ニューマン。
主演はウディー・ハレルソン、共演はコートニー・ラヴ、エドワード・ノートン、ジェームズ・クロムウェル、クリスピン・グローヴァー、ジェームズ・カーヴィル、ブレット・ハレルソン、ドナ・ハノーヴァー、ノーム・マクドナルド、ヴィンセント・スキャヴェリ、マイルス・チャピン、リチャード・ポール、ダーミー・ベイリー、バート・ニューボーン、ジャン・トリスカ他。
ポルノ雑誌『ハスラー』を創刊した実在の人物ラリー・フリントの半生を描いた作品。
ラリーをウディー・ハレルソン、ラリーの弟ジミーを、ウディー・ハレルソンの弟ブレット・ハレルソンが演じている。また。ラリー・フリント自身が判事の役で出演している。製作にオリヴァー・ストーンが携わり、監督をミロシュ・フォアマンが務めているというのは大きなポイントだ。
オリヴァー・ストーンの押しの強さとミロシュ・フォアマンの気品がガッチリとタッグを組んで、とっても上品な伝記映画が完成した。この映画は、「自由という権利は素晴らしい」と訴え掛ける作品になっている。
そのメッセージを伝えるために、ラリー・フリントでなければならないということはない。
なぜラリー・フリントを題材に選んだかというと、大きな話題性を呼ぶネタだからだ。確かにラリー・フリントは、権力者と何度も争うハメになっている。
しかし、彼は別に崇高な精神で反逆しているわけではなくて、基本的にヤンチャな男なのだ。
キテレツでメチャクチャな男の生き方を、この映画は上品に描いてしまっている。たぶん、監督はフリントに対して「反体制の男」というレッテルを貼りたいのだろう。
しかし、別にフリントは反体制主義者なのではなくて、バカでエロなだけだ。
それを気高い戦士であるかのように描いてしまうのだ。
美化しちゃってるのだ。とにかくマジになりすぎてるのね。
エロのオッサンを通じて、どうして真面目に道徳を語ろうとするかなあ。
いや、別に道徳を語るのは構わない。
ただ、マジに語ったらダメ。
シニカルな形でもパロディーでもいいから、笑いに包んでくれたらOKなのだが。ラリー・フリントは、良くも悪くもバカな男だ。
そしてハスラーは、良くも悪くも下品で低俗な雑誌なのだ。
だから、この作品は「ラリー・フリントはバカで下品だ。それがどうした、下品って素敵やん」と笑い飛ばすような形にすべきだったと思う。