『ラ・ラ・ランド』:2016、アメリカ

[冬]
ロサンゼルス。渋滞に巻き込まれたミアは台詞の練習をしていて発車が遅れてしまい、後ろにいたセブにクラクションを鳴らされた。セブが追い越して通過すると、ミアは腹を立てた。ワーナー・スタジオのカフェで働いている彼女は女優オーディションの連絡が入ったため、マネージャーのリンダに「医者へ行く」と嘘をついて仕事を抜ける。男性客とぶつかってシャツにコーヒーを浴びたミアは、上着で隠してオーディションに臨んだ。
帰宅したミアは、ルームメイトで同じく女優志望のトレイシー&ケイトリン&アレクシスからハリウッド関係者が来るパーティーに行こうと誘われる。一度は断ったミアだが、結局はドレスアップして行くことにした。豪邸には大勢の人々が集まって盛り上がっていたが、ミアは全く楽しめなかった。彼女は1人で帰ろうとするが、車がレッカー移動されていた。仕方なく歩き始めたミアは、街の一角でピアノ演奏の音を耳にした。気になった彼女は、その音が聞こえて来たレストランに足を踏み入れた。
セブはミアを追い越した後、カフェから『ヴァン・ピーク』というサンバとタパサの店を眺めた。彼が帰宅すると、姉のローラが来ていた。セブが「こっそり入るな」と言うと、彼女は「いつ荷物をほどくの?」と告げる。「店を持った時だ」とセブが答えると、「別れた女を付け回す男みたい。またあの店?」とローラは言う。セブは「あそこは堕落した。サンバとタパス。1つをちゃんとやれって」と憤りを示した後、「俺には計画があるが、騙された」と告げる。ローラが「違うわ。カモにされたのよ。いつも金欠。彼女に電話して」と電話番号を渡して去ろうとすると、セブは「今に巻き返すよ」と述べた。
セブはビルのレストランでピアノを弾く仕事に戻り、「俺は生まれ変わった。演奏も違う」と告げる。ビルが「私の選んだ曲を。フリー・ジャズはお断りだ」と釘を刺すと、セブは了解した。しかし客が全く演奏など聴いていないことに我慢できなくなった彼は、すぐに自分のやりたい曲を演奏した。その音をミアが聴いて、店に入ったのだ。その演奏も、やはり客は全く気にしていなかった。演奏を終えたセブは、ミアの視線に気付いた。ビルからクビを通告された彼は、ミアが声を掛けても無視して店を出て行った。

[春]
ミアは豪邸のパーティーに参加し、友人に脚本家のカルロを紹介される。a-haの『Take On Me』を演奏しているバンドに目をやった彼女は、キーボード担当がセブだと気付いた。ヴォーカルがリクエストを募ると、ミアは挙手してA Flock Of Seagullsの『I Ran』を頼んだ。演奏を終えたセブはミアに声を掛け、「あの夜は失礼した。だが、本物のミュージシャンに『I Ran』か」と批判する。ミアが皮肉を口にすると、彼女が女優志望だと知ったセブは嫌味で返した。
セブが仕事を終えて豪邸を去ろうとすると、カルロから話し掛けられていたミアは「私の車のキーも取って」と告げる。彼女はセブと一緒に豪邸を去り、駐車場まで歩いて別れた。翌日、セブはカフェへ行き、ミアに声を掛けた。仕事を終えたミアはセブと歩き、スタジオが好きだと話す。セブは「俺もジャズクラブを見るため、遠くのカフェへ。ヴァン・ピークはベイシーなどビッグバンドが出演したが、今はタパスを食わすサンバの店だ。この街は何でも金だ。本当の価値はそっちのけ」と嫌悪感を示した。
「君はなぜ映画女優の道へ?」とセブに問われたミアは、「叔母が女優で、劇場で巡業を」と言い、叔母に連れられて良く古い映画を見ていたこと、大学を辞めてロスへ出て来たことを語った。かつては脚本も書いていたことを彼女が話すと、セブは「自分で脚本を書いて自作自演をすればいい。オーディションとはおさらばだ」と告げる。彼女が「1つ言っとくわ。私はジャズが嫌いよ」と口にすると、セブは「乱暴すぎる発言だ」と述べた。
セブはミアをジャズクラブへ連れて行き、バンド演奏を聴かせる。彼は「人は良くジャズが嫌いだと言うが、ジャズの歴史を知らない」と言い、熱い口調で解説した。セブは「世間はジャズを死なせようとしてるが、俺は許さない」と語り、自分の店を持つ夢を明かす。ミアは電話を受け、青春ドラマの一次オーディションに合格したという知らせを聞く。セブは研究のために『理由なき反抗』を見に行こうと誘い、日曜夜10時に会って映画館へ行く約束を交わした。
日曜日、二次オーディションを終えたミアは全く手応えが無く、暗い気持ちになる。恋人のグレッグが訪ねて来た時、ミアは彼の兄であるジョシュと婚約者に会う約束が入っていたことを思い出した。ミアはレストランで会食するが、セブのことが気になって途中で抜け出した。彼女は映画館へ行き、セブの隣に座った。2人は映画を見ながら手を繋ぎ、キスしようとする。しかしトラブルで映画が中断したため、2人は天文台へ出掛けてキスを交わした。

[夏]
ミアは一人芝居の脚本を執筆し、セブとのデートを重ねた。2人は同棲するようになり、セブの店の名前について語り合う。ジャズクラブへデートに出掛けた時、セブは昔のバンド仲間であるキースから声を掛けられる。セブは新しいバンドで忙しいキースから「一緒にどうだ。稼げるぞ」と誘われるが、俺は断った。帰宅したセブは、ミアは母との電話で、自腹を切って一人芝居を上演する考えを語る。彼女はセブについて、母に「ジャズの店を開くの。きっと貯金が。レギュラーの仕事は無いわ。今は厳しいの」と話す。それを聞いていたセブは、キースと連絡を取った。
セブはスタジオでキースと会い、バンド練習に参加する。キースのバンドは電子楽器を導入しており、セブが志向するジャズとは全く違う曲を演奏していた。キースはセブに、「ジャズを救うなんて、誰も聞かなきゃ始まらない。お前は救っていないぞ。ケニー・クラークやモンクにこだわるが、彼らは革命児だ。革命を起こすなら、伝統に固執するな。過去にしがみつくなよ。ジャズは未来だ」と説いた。ミアはバンドのコンサート会場へ行き、セブが熱く語っていたジャズとは全く違う楽曲を演奏している姿を目にした。

[秋]
セブはバンドのツアーに出掛け、ミアは一人芝居の準備を進める。セブはツアーの最中に内緒でアパートへ戻り、ミアを驚かせた。翌朝にボイシへ発つセブは、一緒に来ないかとミアを誘う。ミアが「稽古があるし、本番は2週間後よ」と言うと、彼は「もっと会えるようにしたいな」と口にする。ミアが「ツアーはいつ終わるの?」と尋ねると、セブは「ツアーが終わっても次のアルバム制作。そのアルバムを携えて、またツアーだ」と語った。
ミアが「ずっとバンドを続けることになるのね。あの音楽が好き?」と問い掛けると、セブは「なぜそんなことが大事なんだ?」と言う。「夢を諦めるなら、好きかどうかは大問題よ。キースを悪く言いながら、何年も一緒にツアーを」とミアが語ると、セブは「君が安定した仕事に就くことを望んだんだ」と反論する。ミアが「それは貴方が店を持つためよ」と言うと、彼は「だから働いてるだろ」と口にする。「稼いだお金で店を持って。情熱があれば人は来るわ」とミアが訴えると、セブは「甘いよ。俺たちも大人になろう。バンドを続ける」と語る。ミアは「昔からの夢はどこへ行ったの?」と責め、セブが反発して2人は口論になった…。

脚本&監督はデイミアン・チャゼル、製作はフレッド・バーガー&ジョーダン・ホロウィッツ&ゲイリー・ギルバート&マーク・プラット、製作総指揮はマイケル・ビューグ&クイン・ロン&ジャスミン・マクグレイド&モリー・スミス&トレント・ラッキンビル&サド・ラッキンビル&ジョン・レジェンド&マイク・ジャクソン&タイ・スティクロリウス、共同製作協力はチョウ・シーシン&シェン・ボー、製作協力はジェフリー・ハーラッカー、撮影はリヌス・サンドグレン、美術はデヴィッド・ワスコ、編集はトム・クロス、衣装はメアリー・ゾフレス、振付はマンディー・ムーア、伴奏音楽はジャスティン・ハーウィッツ、歌曲作曲はジャスティン・ハーウィッツ、歌曲作詞はベンジ・パセック&ジャスティン・ポール、主題歌歌唱はジョン・レジェンド、エグゼクティブ音楽プロデューサーはマリウス・デヴリーズ、音楽監修はスティーヴン・ギジッキ。
出演はライアン・ゴズリング、エマ・ストーン、ジョン・レジェンド、ローズマリー・デウィット、フィン・ウィットロック、キャリー・ヘルナンデス、ソノヤ・ミズノ、ジェシカ・ロース、トム・エヴェレット・スコット、ジョシュ・ペンス、J・K・シモンズ、ジェイソン・フュークス、D・A・ウォラック、ミーガン・フェイ、マイルス・アンダーソン、ジョン・ハインズマン、ヴァレリー・レイ・ミラー、テリー・ウォルターズ、デイモン・ガプトン、ニコール・クーロン、クリストファー・マイケル・スティーヴンス、キース・ハリス、ケイヴァー・ラステガー他。


『セッション』のデイミアン・チャゼルが脚本&監督を務めたミュージカル映画。
アカデミー賞の主演女優賞&監督賞&撮影賞&作曲賞&歌曲賞&美術賞、ゴールデン・グローブ賞の作品賞&男優賞&女優賞&監督賞&脚本賞&音楽賞&歌曲賞、ヴェネチア国際映画祭の女優賞など数多くの映画賞を受賞した。
セブをライアン・ゴズリング、ミアをエマ・ストーン、キースをジョン・レジェンド、ローラをローズマリー・デウィット、グレッグをフィン・ウィットロック、トレイシーをキャリー・ヘルナンデス、ケイトリンをソノヤ・ミズノ、アレクシスをジェシカ・ロース、デヴィッドをトム・エヴェレット・スコット、ジョシュをジョシュ・ペンスが演じている。
歌手で女優のマンディー・ムーアが、振付を担当している。

渋滞の道路で大勢の男女が躍り出すオープニングは、『ロシュフォールの恋人たち』から着想を得ている。この冒頭シーンから、早くもデイミアン・チャゼル監督の趣味が分かりやすく出ている。
ただ、そもそも私は『ロシュフォールの恋人たち』が傑作だとは微塵も思っていないので、この時点で「うーむ」となってしまう。
おまけに、そこで歌い踊るのは誰が誰だか良く分からない面々だ。実際、そこにはセブ&ミアところか、主要キャストの誰も参加していない。
それが最初のミュージカルシーンで、ホントにいいのかと。

ミアがレストランに立ち寄るのは、「ピアノの音に心を奪われたから」ってことだ。
しかし、そんな心を奪われるような演奏だとは全く感じなかった。どこにでも転がっているような、ただのカクテルピアノにしか聞こえなかった。
なので段取りとしては理解できるが、セブとミアのちゃんとした出会いのシーンとしては、力が弱い。
それなら、「たまたまミアがレストランに立ち寄ったら、そこでセブがピアノを演奏していた」という形の方が遥かに自然だ。

そのシーン、ミアがレストランに入って一点を見つめると、カットが切り替わる。
そしてセブがミアの車を追い越したシーンに遡り、今度は彼の視点での物語が描かれる。
やりたいことは良く分かるが、そういう構成にするのなら、時間を遡る前に「ミアがレストランに入ってセブに気付く」というシーンを入れておくべきだ。
そこを描かず、ミアのアップから時間を遡って「セブの視点のストーリー」に移るのは、流れとして不細工だ。

セブはビルから「フリー・ジャズはお断りだ」と言われて約束するが、我慢できず勝手に曲を弾き始める。
その流れならフリー・ジャズを演奏するのが筋だと思うのだが、そうではない。それどころか、もはやジャズとも言えないような演奏なのだ。
しかも、その終盤はやや過剰に盛り上がっているが、全体としては、まるで店の雰囲気に合わない演奏というわけでもない。
なので、オーナーの怒りを買ってクビになる演奏としては、ものすごく中途半端なんだよね。

セブとミアがパーティー会場を一緒に出た後、恋愛に関する歌をデュエットするシーンになる。
しかし直前まで恋が芽生える雰囲気なんてゼロで、少なくともセブはミアに対して好感さえ抱いていなかった。なので、そこは違和感が強い。
歌詞の内容としては「恋が芽生えるなんて有り得ない」とか「恋の気配も無い」と言っているが、そんなことをわざわざ言っている時点で「これから恋が始まりますよ」とアピールしているようなモノだ。そこに違和感を覚えるのだ。
ミュージカルってのは、心情を歌で表現することにより、ある程度はドラマの弱さを補うことが出来るジャンルだ。
でも本作品は恋愛劇の描写が弱すぎて、歌では全く補い切れていない。

セブはホーギー・カーマイケルが座った椅子を大事にしており、カウント・ベイシーが出演したジャズクラブを愛してて、自宅でレコードを掛けてセロニアス・モンクの『Japanese Folk Song』を練習する。
彼のやりたい音楽がどういうモノなのか、サッパリ見えて来ない。
もちろんザックリと言えば「ジャズ」なのだが、それだと範囲が広すぎる。彼はスウィング・ジャズがやりたいのか、それともモダン・ジャズなのか。モダンにしても、どういう系統なのか。
デイミアン・チャゼルはジャズが好きなはずなのに、なぜセブが志向するジャズの定義がボンヤリしているのか。

セブはa-haの『Take On Me』を演奏することを嫌がり、「本物のミュージシャンに『I Ran』か」と不快感を示す。
そりゃあ古いジャズが大好きで、もはや原理主義者的なジャズ信奉者である彼にしてみれば、ニュー・ウェイヴの曲なんてクソみたいなモノなんだろう。
彼はミアが「ケニーGみたいにリラックスできるのが私の知ってるジャズ」と言うと、「ジャズでリラックスなんかしない」と否定する。
でも、リラックスできるジャズだってあるだろ。

じゃあセブからすると、ビル・エヴァンスのバラード曲でさえジャズじゃないのか。それとも「ビル・エヴァンスのバラードもリラックスして聴くのは間違い。集中して拝聴し、気持ちを高揚させろ」という考えなのか。
どんだけ了見が狭いんだよ。
セブは「ジャズは集中して聴くべきだ」と熱く語るのだが、そんなに肩に力を入れて聴かなきゃいけない音楽だとすれば、そりゃあ世間が死を求めたとしても仕方がないよ。
ジャズってのはダンス・ミュージックだった時代もあるんだから、気楽に聴いても、BGM扱いされても、本流から外れているとは言えないでしょ。
っていうか、世間がジャズの死を望んでいるってのも、セブの勝手な思い込みなんだけどさ。

セブって、たぶん「ジャズを愛しているがゆえに頑固者になっている」という設定のはずなのよね。でも彼の発言を聞いていると、ホントにジャズを愛しているのかどうか、懐疑的になってしまう。
彼の発言を総合すると、どうも「緊張感があって、集中して聴くべき音楽」だけをジャズとして認めている感じなのよね。
そうなると、ニューオーリンズ・ジャズやスウィング・ジャズは、全否定されることになる。ただ、そのくせカウント・ベイシー楽団が出演していたジャズクラブへの思い入れは語っているんだよね。
カウント・ベイシーの音楽って、決してセブの言うような「集中して聴かなきゃいけない音楽」じゃないぞ。もっと気軽に楽しめる音楽だぞ。

セブのジャズに対する概念は、恐ろしいほど狭い。それを認めない者、受け入れない者は、ジャズの敵として完全に排除しようとしている。
だけどセブのジャズに対する考えって、ジャズを滅ぼすことにしか繋がらないんだよね。
視野の狭い人間として彼を登場させても、自分の考えが間違っていると気付いて改める展開が用意されているのなら、何の問題も無いのよ。
だけど、こいつは最後まで、自分が正しいという考えを絶対に崩さないのだ。

だったら、そんなセブが「愚かな頑固者だったせいで成功できず、柔軟に対応できた知人や友人の成功を横目に虚しさを抱える」というゴールでも用意するのかというと、そうではない。「自分の夢を叶えて、幸せに暮らしています」ってのが着地なのだ。
ここに監督の特徴がハッキリと表れている。
「閉じられた世界の中での幸せ」こそが、デイミアン・チャゼルの本質だ。だからセブとミアの仕事も恋愛も、2人だけの世界で描かれる。2人のために、世界は回っているのだ。
セブもミアも、他人の意見を聞こうとはしない。そして2人とも、これといった努力をした様子は見えないが、見事に成功を掴む。
徹底して排他的でも、成功してしまうのだ。

ミアがセブを「好きでもない音楽をやるバンドを続けるのではなく、店を持つべきだ」と非難するのは、「自分より先に成功を掴んだ」ということへの嫉妬心が入っているのなら、決して良いことではないが、しかし理解は出来る。
だが、そうではなくてホントに言葉通りの意味しか無いという設定だ。
ただ、セブの演奏がが大勢の人に聴いてもらえるようになったんだから、それは喜んであげた方がいいだろ。
セブ本人が「これでホントにいいのか」と悩み始めて、それを察したミアが助言するという形なら分かるのよ。だけど、なんでミアに非難されなきゃならんのかと。やりたい音楽や将来の夢が変わることなんて、珍しくもないことなんだし。

最初の冬パートでは、何度もミュージカルシーンが訪れる。
しかし、次の春パートになると、セブがピアノを弾きながらミアとデュエットするシーンだけ。キースのバンドがステージでパフォーマンスする様子はあるが、ここはミュージカルシーンと言えないだろう。また、ダンスシーンは全く無い。
秋パートでは、オーディションの時にミアの歌が入るが、ミュージカルシーンは1つだけ。
全体の構成を考えた時に、バランスが悪すぎるだろ。

最後は5年後の冬パートで、結婚したミアがセブの店を訪れるシーンが描かれる。ミアがピアノを演奏するセブに気付くと、「もしも2人が別れず、こういう選択をしていたら」という妄想シーンが8分ほど続く。
最後に盛り上げようという意図を感じるシーンなのだが、残念ながら邪魔なだけ。
ここは現実のシーンだけで、サラッと終わっておけばいい。幻想的なシーンではあるけど、ミュージカルシーンってわけではないし。
ファンタジーなシーンを用意したいのなら、エンドロールでミュージカルシーンとして描いた方がいいよ。

「冬」「春」と季節に応じて文字を出すのは、たぶん『シェルブールの雨傘』を意識した演出だろう。そんな『シェルブールの雨傘』の影響は、物語のエンディングでも強く感じる。
完全ネタバレだが、セブとミアは別れる。そして数年後、前述したように、結婚したミアが偶然にもセブの店を訪れる。2人は互いに気付くが、もちろヨリを戻す気配も無いまま別れる。
この終わり方が『シェルブールの雨傘』を意識したモノであることは明白だし、それぐらい好きな映画なのだろう。
だけど、「セブとミアを別れさせる必要なんて無いだろ」と言いたくなるのよね。
普通に2人が結ばれて、ハッピーエンドでいいんじゃないのかと。

(観賞日:2018年10月19日)


2017年度 HIHOはくさいアワード:第9位

 

*ポンコツ映画愛護協会