『私が愛した大統領』:2012、イギリス

子供時代は裕福だったデイジーだが、大恐慌で一家は落ちぶれた。今は地味な毎日で、何も期待せずに暮らしている。ある日、彼女は親族であるサラ・ルーズベルトから電話を受け、頼みがあるから午後に来てほしいと告げられた。サラはデイジーに、息子であるフランクリンには気晴らしが必要だと述べた。他にも多くの親族に電話が入っていたが、たまたまデイジーが最も近くに住んでいた。デイジーが私邸へ赴くと、フランクリンの側近たちが忙しく動き回っていた。
第32代アメリカ合衆国大統領のフランクリンは、鼻炎が悪化していた。彼は母の目を盗み、酒を飲んだ。フランクリンはデイジーに切手のコレクションを見せ、煙草を吸いながら解説した。早々にサラが去ろうとすると、もう少し残ってくれと彼は頼んだ。ヨーロッパの戦争が近付いており、やがてアメリカも巻き込まれることは確実だった。不況が社会全体に影を落とし、失業者は助けを求めていた。その春、ハドソン河沿いのハイドパークで執務を行ったフランクリンは、デイジーに「君がいると暗い世界情勢を忘れる」と述べた。
フランクリンはラジオ放送を使い、「企業が雇用を確保できなければ、政府が支援に乗り出す」と国民に約束した。彼は安らぎを求めており、地元に戻るとデイジーと一緒に出掛けた。2人はドライブに繰り出し、手を握り合った。フランクリンは自分が建てた別邸を見せ、「2人で過ごせる時間を、ここで作れたらいいと思った」と話す。フランクリンとデイジーと互いに愛し合っている気持ちを確認した後、「いつでもここへ来て、私を想ってくれ」と口にした。
英国王バーティー(ジョージ6世)と王妃のエリザベスがハイドパークを訪れることになり、準備が進められた。大統領夫人のエレノアはハイドパークに現れ、夫や秘書のミッシーたちと会話を交わした。デイジーはフランクリンから、エレノアにはロレーナ・ヒコックというレズビアンの友達がいると聞かされていた。フランクリンとエレノアはほとんど一緒に生活しておらず、世間は不仲だと噂していた。だが、デイジーの前で一緒にいる時の2人は、仲が良さそうに見えた。
屋敷が準備に追われたため、馬小屋が会議室として使われた。エレノアは「国王と王妃は普通の人よ。特別じゃない」と全く敬意を示さず、それどころかゴシップの対象として捉えていた。今夜はハイドパークで泊まると言う彼女に、フランクリンは「国王も王妃も、まだ若い。寛大な目で見てやれ」と告げた。車でハイドパークに向かうバーティーは、緊張を隠せない様子だった。エリザベスは彼に、「今回の訪米は重要よ。きっと成功すると信じてる」と声を掛けた。
英国大使館員のジェームズ・キャメロンは国王夫妻に、フランクリンが母の家で暮らしていること、エレノアはレズビアンの家具職人たちと生活していることを教えた。にわかには信じられず、夫妻は言葉を失った。かつてハイドパークに泊まったことがある大使夫人の証言が参考になるだろうと考えたキャメロンは、彼女の手紙を読んだ。「気遣いのカケラも無く、居心地が悪い」と酷評の言葉が並んでいたため、バーティーとエリザベスは困惑の表情を浮かべた。
ヨーロッパの戦争の火の粉を被ることを嫌った米国政府の閣僚は、その半分が国王夫妻の訪米に反対した。そこでフランクリンは肩の力を抜いて話し合えるよう、人目を避けた田舎に国王夫妻を招待したのだった。夫妻がハイドパークに来ると、フランクリンはスパイとしてデイジーを2階へ送り込んだ。エレノアとエリザベスが話す様子を見たデイジーは、フランクリンに「問題は無い」と報告した。「2人とも緊張してるのね。意外だわ」とデイジーが言うと、フランクリンは「アメリカの助けが無いと、イギリスは安泰でいられないからさ」と告げる。彼はデイジーに、「晩餐会が終わったら抜け出そう。息抜きが必要だ」と述べた。
バーティーとエリザベスが通された部屋には、イギリスを馬鹿にするような絵画が飾られていた。バーティーはエリザベスに、サラから「外そうとしたのにフランクリンが飾っておくよう言った」と釈明されたことを話した。フランクリンだけでなくエレノアも無礼な態度を取っており、バーティーは意図が分からず困惑していた。エリザベスは絵画に憤慨するが、バーティーは「そのままにしておこう」と言う。エリザベスは彼に、「馬鹿にされないで」と告げた。
フランクリンが禁じていた酒を持ち込んだと知り、サラは叱責した。エレノアが「叫ばないで。お客様がいるのよ」と咎めると、サラは彼女に怒りを向けた。フランクリンは口論に介入し、エレノアに「黙ってろ。私は大統領だぞ」と怒鳴った。エレノアは呆れて「いい加減にしてよ。子供みたいに」と告げ、その場を去った。翌日のイベントの予定を確認したバーティーは、ピクニックで先住民の儀式があると知った。彼は困惑の表情を浮かべ、エリザベスは強い嫌悪感を示した。
晩餐会が始まると、デイジーは参加せずに屋敷の外へ出た。そこへミッシーが現れ、「今夜は国王に掛かりっきりなので、帰っていい」とフランクリンが言っていることを伝えた。夜遅く、フランクリンはバーティーを書斎へ呼び、2人きりになった。彼が「今夜の貴方は気品に満ちて堂々としていた。きっと素晴らしい国王になられるだろう」と話すと、バーティーは「これを伝えるよう言われている」と告げて預かった手紙を取り出した。彼は手紙の文面を読もうとするが吃音が出たので自分の言葉で話し始めた。
バーティーはイギリスの状況や戦争の悲惨さを必死に訴えようとするが、上手く言葉が出て来なかった。「くそっ、吃音が」と彼が苛立つと、フランクリンは「吃音が何だ。私は小児麻痺だぞ」と述べた。バーティーが「国民は私ではなく、もっといい国王を求めている」と言うと、彼は「私も告白しよう。誰も私の足が不自由だと言わない。彼らは真実を見ようとしないのだ。国民は我々の実像を知りたいとは思っていない」と語った。
バーティーがフランクリンとの対話を終えて寝室へ戻ると、まだエリザベスは眠っていなかった。「彼は面白い男だ。話して楽しかった」とフランクリンが告げると、エリザベスは疑念を示す。バーティーが「私も戴冠式の失敗を披露した」と言うと、エリザベスは「馬鹿にされるだけよ」と顔をしかめる。そこでバーティーは彼女に、「彼も失敗話をした。ピクニックのことも話した。先住民はエリザベスの提案らしい。クレイジーな案だとボヤいていた」と話した。
エリザベスが「3人の女性から問われたわ。アメリカ人の王妃を認めるかって」と明かすと、「無礼だな」とバーティーが言う。「望んだ人生じゃない。辛いわ」とエリザベスが漏らすと、彼は「そうだな」と短く告げた。バーティーが「戦争になれば大統領は国民を説得し、イギリスを助けてくれる」と話すと、エリザベスは「晩餐会の出席者の名簿を見た?イタリア系、ドイツ系、ユダヤ系。イギリスの敗北を望んでるわ」と口にする。バーティーは彼女に、「君は間違ってる。イギリス人は、もっと自信を持つべきだ」と述べた…。

監督はロジャー・ミッシェル、脚本はリチャード・ネルソン、製作はケヴィン・ローダー&ロジャー・ミッシェル&デヴィッド・オーキン、製作総指揮はテッサ・ロス、撮影はロル・クロウリー、美術はサイモン・ボウルズ、編集はニコラス・ガスター、衣装はダイナ・コリン、音楽はジェレミー・サムズ。
出演はビル・マーレイ、ローラ・リニー、オリヴィア・ウィリアムズ、サミュエル・ウェスト、オリヴィア・コールマン、エリザベス・マーヴェル、エリザベス・ウィルソン、エレノア・ブロン、マーティン・マクドゥーガル、アンドリュー・ヘイヴィル、ナンシー・ボールドウィン、ティム・ベックマン、ガイ・ポール、イーベン・ヤング、サマンサ・デイキン、バフィー・デイヴィス、モーガン・ディアレ、ティム・アハーン、トミー・キャンベル、ジェフ・マッシュ、ケヴィン・ミリントン、ネル・ムーニー、ロバート・G・スレード、ジョナサン・ブリュワー、クミコ・コニシ、ブレイク・リットソン、パーカー・ソーヤーズ、ジェームズ・マクニール他。


アメリカ合衆国第32代大統領のフランクリン・デラノ・ルーズベルトを主人公とする伝記映画。
英国インディペンデント映画賞助演女優賞(オリヴィア・コールマン)を受賞し、ゴールデン・グローブ賞男優賞(ビル・マーレイ)やサテライト賞の映画部門主演女優賞(ローラ・リニー)、デトロイト映画批評家協会賞の主演男優賞(ビル・マーレイ)にノミネートされた。
フランクリンをビル・マーレイ、デイジーをローラ・リニー、エレノアをオリヴィア・ウィリアムズ、バーティーをサミュエル・ウェスト、エリザベスをオリヴィア・コールマン、ミッシーをエリザベス・マーヴェル、サラをエリザベス・ウィルソンが演じている。

映画が始まると、デイジーのナレーションで「落ちぶれて地味な生活をしている」ってことが語られる。
その情報に重要な意味があるのかと問われたら、何も無いと答えておく。
もしかすると「落ちぶれて何の期待も無い生活を送っていたが、フランクリンとの交流によって華やかで明るい暮らしに変化した」ってことを描こうとする狙いがあるのかもしれない。
ただ、そうだとしても全く伝わって来ないので、どういう意図があったにせよ効果は得られていない。

そのままデイジーの語りによる進行が続き、彼女がフランクリンとドライブに出掛けて手を繋いだり、別邸で互いの気持ちを告白したりという様子が描かれる。
表面的な流れだけを見れば、大きな間違いは無い。しかし実際に映画を観賞すれば、完全に失敗していると感じる。最初は単なる親戚だった2人が「親しい友人」になり、そこから「愛し合う2人」になるドラマが、まるで伝わって来ないからだ。
区切りとなるシーンは用意されているが、それを繋ぐ部分の描写が脆弱で、肉付けが全く出来ていないのだ。
ナレーションベースで進行しているので、そこを使ってドラマの弱さを補う、っていうか誤魔化す狙いが、ひょっとすると隠されていたかもしれない。だが、ナレーションが邪魔なだけになっており、こいつのせいで中身がペラッペラになっていると感じる。

フランクリンはデイジーが最初に面会するシーンで、「私の欠点は、人が良すぎることだ。だが、上院の賛成票が必要だ。政治家が正直に生きるのは無理なのかな」と語る。
そもそも自分で「人が良すぎる」と言っている時点で「たぶん違うな」とツッコミを入れたくなるが、そこは置いておくとしよう。
フランクリンは何か上院の賛成が必要な問題で悩んでいるようだが、具体的なことが何も分からない。「苦悩が多くて弱気になっており、そんな彼にデイジーが安らぎを与えた」という設定は分かるが、どういう苦悩があったのか、なぜデイジーに安らぎを感じたのかは全く分からない。
そもそも、「フランクリンには安らぎが必要、息抜きが必要」と何度もアピールされているが、彼がストレスだらけで息苦しい環境下に置かれていることは全く伝わって来ない。

フランクリンの魅力もデイジーの魅力も全く伝わらないまま、始まって20分ほど経って「2人が惹かれ合うようになりました」という段階に至る。
もっと丁寧に描けばいいんじゃないかと思うが、そこをバタバタと駆け足で片付けてしまうのは理由がある。
この2人が交際するようになってからが、物語のメインなのだ。
それが判明した時に感じるのが、「じゃあデイジーがフランクリンに呼ばれるトコから始める意味って無くねえか?」という疑問だ。
既にフランクリンとデイジーが不倫している状態から始めてもいいんじゃないかと。

こもっと根本的なことを言っちゃうと、デイジーのナレーションで、彼女視点の物語として始めている意味も無いんじゃないかと感じるのだ。
と言うのも、バーティーとエリザベスが登場すると、もはや「デイジーの物語」から完全に外れてしまうからだ。
国王夫妻の側から描くパートが何度も用意されており、デイジーが全く関与していないシーンが増える。
そうなると、デイジーのナレーションで進行することはホントに正解なのかと言いたくなるのだ。

デイジーのナレーションで進行するのなら、「彼女の視点から見たフランクリンと周辺の人々のドラマ」として構築すべきだろう。
しかし、途中からは明らかに「英国王の夫妻がハイドパークに来る」という出来事を中心としているんだから、それなら「デイジーの物語」のように始めるのは上手くない。
バーティーが困惑したり苛立ったりする様子を何度も挿入すると、「これは何をどう描きたい映画なのか」ってのが分からなくなる。
と同時に、「こっちメインで良くないか」と感じるぞ。「英国王として初めて訪米したバーティーが、米国大統領夫妻の無礼な態度に困惑しながらも、国を救うために必死で頑張る」と話にした方が、面白くなるんじゃないかと。
何しろバーティーとエリザベスが来てからのフランクリンって、明らかに無礼な態度を取っているし。基本的にはエレノアが無礼な奴として描かれているので、フランクリンが無礼な絵を飾っていることに何か裏でもあるのかと思ったが、特に何も無いし。

バーティー&エリザベスがハイドパークに来ると、デイジーは完全なる脇役へ追いやられている。じゃあフランクリンが主役を務めるのかというと、これも違う。
かなりボヤけてしまうものの、あえて主役を挙げるならバーティーだろう。
フランクリンは「バーティーが対面した相手」として強調される存在だが、主役とは言い難い。それでも話の中心に位置するだけマシで、デイジーに至っては存在意義がゼロになる。
晩餐会にもバーティーとフランクリンの対話にも同席していないから、語り手としても不適格だし。
描いている内容と語り手の選択が、明らかにズレている。

バーティーとフランクリンの対話シーンが終わると、ようやくデイジーがチラッとだけ姿を見せて「彼が恋しかった」というナレーションが入る。
だが、心底から「どうでもいい」としか思えない。彼女の恋心なんて全く興味をそそらない場所へ、物語が舵を切っているからだ。しかも、前述のモノローグを語っただけでデイジーは再び姿を消し、またバーティーのパートに戻るし。
デイジーとフランクリンの恋愛を軸に据えるなら、そこから離れる時間が長すぎる。
そもそも、「大きな目的を持って訪米したバーティーとエリザベスをフランクリンが迎える」という出来事を話のメインに据えた時点で、そのヒロインをデイジーにするってのは難しすぎるでしょ。

後半、デイジーはフランクリンがミッシーを含む複数の女性と不倫していると知り、ショックを受ける。エレノアと別居したのも不倫が原因だが、ミッシーは「私は受け入れた。貴方も受け入れるようになる」とデイジーに言う。
フランクリンは全く悪びれていないし、普通に考えれば「デイジーはフランクリンと別れる」という流れになりそうだが、「デイジーも受け入れてフランクリンとの関係を続ける」という着地になるのだ。
つまり「フランクリンは女好きのジジイ」として描かれており、「大勢の不倫相手の1人であることを受け入れたデイジーとの恋愛劇」ってことになる。
前述したように、バーティーたちに目を向ける部分が大きいことが問題ではあるが、そこを削って恋愛劇に絞り込んだとしても、クソみたいな話ってことよ。

(観賞日:2018年11月18日)

 

*ポンコツ映画愛護協会