『ラスベガスをやっつけろ』:1998、アメリカ

1971年。ラウル・デュークはドクター・ゴンゾーを助手席に乗せ、オープンカーを走らせていた。車が砂漠に入った辺りで、ドラッグの効き目が出てくるようになった。デュークはコウモリの群れにを追い払おうとするが、それは幻覚だった。車のトランクには、何種類ものドラッグが大量に積んである。デュークはゴンゾーに運転を交代してもらい、ドラッグを吸う。ヒッチハイカーを見つけた2人は、慌てて車を停めた。ヒッチハイカーは彼らがジャンキーだと気付いて当惑するが、後部座席に乗り込んだ。
デュークは心の中で呟いているつもりだったが、いつの間にか声に出して喋っていた。彼はヒッチハイカーに、自分がジャーナリストでゴンゾーは弁護士だと話す。24時間前、ロサンゼルスでホテルのラウンジにいたデュークは電話を受けて、「ラスベガスでポルトガル人のカメラマンのラセルダに会えと言われた。奴から俺たちに会いに来るらしい」とゴンゾーに説明する。ゴンゾーは「オープンカーとテレコを借りよう」と言い、デュークは同意する。2人は飲んだ酒の代金を支払わず、ラウンジを後にした。
デュークとゴンゾーはレンタカー店へ行き、オープンカーを借りようとする。担当者は荒っぽい運転に困惑するが、デュークとゴンゾーは構わずに車を発進させた。彼らは明け方まで旅の準備をしてドラッグを楽しみ、海へ出掛けた。ゴンゾーは車を停めてドラッグを吸い、ヒッチハイカーに「ホントはヤクの売人を殺しに行くんだ」と告げる。彼は拳銃を持ち出して引き金を引くが、弾は入っていなかった。ヒッチハイカーは2人に怯え、隙を見て逃げ出した。デュークは再び運転を交代し、車を発進させた。
ラスベガスに着いた2人は、ミント・ホテルにチェック・ィンした。デュークはフロント係と話す時も、バーに入った時も、ずっと幻覚に見舞われていた。ゴンゾーがフロント係から受け取ったメッセージを見て「ラセルダが12階で待っているらしい」と言うが、デュークはラセルダが誰なのか思い出せなかった。デュークが気付かない内に、ゴンゾーはラセルダと会って戻って来た。デュークはバーで喚いて客を怖がらせたので、危うく警察を呼ばれそうになった。
デュークは部屋に入ってテレビを見るが、自分が機関銃で撃たれていると思い込んで動揺した。ゴンゾーはバーでの行為について説教するが、デュークは全く覚えていなかった。ラセルダが部屋に来て、デュークとゴンゾーに挨拶した。「今日のバイクの登録を見逃したろ」と彼は楽しそうに言い、凄いレースになるだろうと告げた。ラセルダが部屋を去った後、ゴンゾーはデュークに「あいつは嘘をついてる。目を見れば分かる」と告げた。
翌朝、デュークは取材のために、砂漠を疾走するバイクレースのスタート地点に赴いた。しかし砂埃で前が見えなくなり、デュークは取材を放棄してビールを飲み始めた。そこへラセルダが車で現れ、デュークを同乗させた。デュークは取材が面倒になり、すぐに車を降りた。夜になると、彼はゴンゾーと車で街へ繰り出した。2人はデビー・レイノルズのコンサートが開かれているデザート・ルームの前に車を停め、「ここは駐車場じゃない」と注意されても無視した。
彼らがコンサートホールに入ろうとすると、受付係は満席だと言う。ゴンゾーは彼に難癖を付けて脅しを掛け、無料で中に入れてもらった。しかし騒ぎを起こしたため、すぐに2人は追い出されてしまった。彼らはドラッグでフラフラしながら、サーカスの会場へ入る。しかしゴンゾーが気分の悪さを訴えて「早く出よう」と訴えたので、デュークは仕方なく退出することにした。ホテルの部屋に戻ったゴンゾーは、「ラセルダが俺の女を横取りした」と言い始めた。デュークは理解できなかったが、すぐに数時間前の出来事を思い出した。
デュークとゴンゾーがエレベーターに乗った時、ラセルダがブロンドのTVリポーターと話していた。リポーターはゴンゾーがレーサーだと勘違いし、話し掛けて来た。ゴンゾーはラセルダが馬鹿にしたと感じ、ナイフを持ち出して威嚇した。彼はリポーターが自分に惚れたと決め付け、デュークが頭を冷やすよう諭しても耳を貸さなかった。デュークがカジノで負けて部屋に戻ると、ゴンゾーは部屋を荒らしていた。彼は服を着たまま入浴し、大音量で音楽を流していた。デュークは「朝まで2時間だけ眠らせてくれ」と頼むが、ゴンゾーはナイフを構えて喚いた。デュークは「邪魔をするな」と拡声器で怒鳴り、彼を浴室に閉じ込めた。デュークはタイプライターに向かい、1965年にサンフランシスコのクラブでドラッグを吸った出来事を振り返った。
翌朝、ゴンゾーは多額の請求書を残して姿を消しており、デュークはホテルから逃げ出した。彼は車を飛ばしてロサンゼルスへ向かうが、パトカーに停止を命じられた。警官は次の休憩所で仮眠するよう促し、「別れる前にキスしてほしい」と求めた。スピード違反を見逃してもらったデュークは、ヒッチハイカーの幻覚を見て狼狽した。電話ボックスを見つけた彼は、ゴンゾーに連絡を入れた。するとゴンゾーは事務所に戻っており、「電報を読んでないのか?ベガスにフラミンゴ・ホテルのスイートを取ってやったのに」と言う。デュークは「全国地方検事麻薬取締会議の取材が入った。全て段取りは付いてる」と聞き、車を交換してラスベガスへ戻った。
デュークがフラミンゴ・ホテルに着くと、警察や検察の関係者がロビーに集まっていた。ミシガンの警察署長は、予約が遅かったことでフロント係と揉めていた。デュークが部屋に行くと、先にゴンゾーがルーシーという少女を連れて宿泊していた。ルーシーはモンタナ出身で、バーブラ・ストライサンドの肖像画を何枚も描いていた。デュークはゴンゾーを部屋から連れ出し、ルーシーをどうするつもりなのか尋ねる。ゴンゾーは飛行機で知り合ったと言い、ドラッグを与えたら初めてだったと告げた。
デュークが「薬漬けにして、ここの客を取らせようぜ」と持ち掛けると、ゴンゾーは「なんて酷い奴だ」と呆れ果てる。デュークが「あの子は薬に慣れてない。薬の効果が切れたら、お前のことを警察に知らせるぞ」と語ると、ゴンゾーは男に金を渡してルーシーを別のホテルに運んでもらった。デュークとゴンゾーは全国地方検事麻薬取締会議の会場へ行くが、L・ロン・バンクイスト博士のスピーチに退屈を感じる。すぐにゴンゾーは部屋へ戻り、デュークも後に続いた。2人は効果の強いドラッグを吸い、意識を失った。彼らが目を覚ますと、部屋は激しく荒らされていた…。

監督はテリー・ギリアム、原作はハンター・S・トンプソン、脚本はテリー・ギリアム&トニー・グリゾーニトッド・デイヴィス&アレックス・コックス、製作はライラ・ナバルシ&パトリック・カサヴェッティー&スティーヴン・ネメス、製作総指揮はハロルド・ブロンソン&リチャード・フース、共同製作はエリオット・ルイス・ローゼンブラット、製作協力はジョン・ジャーゲンス、撮影はニコラ・ペコリーニ、美術はアレックス・マクドウェル、編集はレスリー・ウォーカー、衣装はジェリー・ワイス、ラウンジ・リザード・デザインはロブ・ボッティン、音楽はレイ・クーパー。
出演はジョニー・デップ、ベニチオ・デル・トロ、エレン・バーキン、ゲイリー・ビジー、フリー、クレイグ・ビアーコ、キャメロン・ディアス、マーク・ハーモン、キャサリン・ヘルモンド、ライル・ラヴェット、クリス・メローニ(クリストファー・メローニ)、ハリー・ディーン・スタントン、マイケル・ジェッター、トビー・マグワイア、クリスティーナ・リッチ、ティム・トマーソン、トロイ・エヴァンス、ゲイル・ベイカー、グレゴリー・イッツェン、ジェネット・ゴールドスタイン、リチャード・ホートナウ、ラリー・セダー、アレックス・クレイグ・マン、マイケル・ウォーウィック、スティーヴン・ブリッジウォーター、マイケル・リー・ゴギン、ブライアン・レバロン、タイド・キアニー他。


ハンター・S・トンプソンの同名小説を基にした作品。
監督は『フィッシャー・キング』『12モンキーズ』のテリー・ギリアム。
デュークをジョニー・デップ、ゴンゾーをベニチオ・デル・トロ、終盤に登場するウェイトレスをエレン・バーキン、ハイウェイの警官をゲイリー・ビジー、サンフランシスコのミュージシャンをフリー、ラセルダをクレイグ・ビアーコ、TVリポーターをキャメロン・ディアス、雑誌の記者をマーク・ハーモンを演じている。
他に、判事の役でハリー・ディーン・スタントン、バンクイスト役でマイケル・ジェッター、ヒッチハイカー役でトビー・マグワイア、ルーシー役でクリスティーナ・リッチが出演している。

デュークとゴンゾーの旅には「レースの取材」という目的があるが、それは早い段階で失われる。しばらくすると別の目的が持ち上がるが、これも簡単に喪失される。
っていうか目的がある時間帯でも、そこに意味なんて無い。
これは「ジャンキーがドラッグでラリった状態で色んな場所へ行き、無軌道な行動を繰り返して暴れ回る」ってのを見せるだけの映画だ。
それ以上でも、それ以下でもない。
正真正銘、それしか無い作品だ。

デュークとゴンゾーの珍道中を描くことで、当時を知る人々のノスタルジーを喚起しようとする狙いなんて無い。
ヒッピーど真ん中の2人を描くことを通じて、現代と重ね合わせて何かを浮き彫りにしようとする狙いも無い。
ドラッグの怖さをアピールするプロパガンダ映画でもない。
何かしらのメッセージを主張しようとか、痛烈な風刺を示そうとか、そういうことも無い。
前述したように、ホントにヤク中がラリッて暴れ回る様子を描いているだけだ。

「ヤマ無し、意味無し、オチ無し」という意味でBL物を「ヤオイ」と呼んだりすることがあるが、この映画は真の意味で「ヤオイ」になっている。
見終わった時に「だから何なのか」と言いたくなるかもしれないが、ハッキリとした答えが用意されている。
「いや、特に何も無いですよ」ってのが、その答えだ。
ただ現象を淡々と描いているであり、そこから見えて来る深いモノなんて何も無い。
たぶんテーマやメッセージは込められているはずだが、何もハッキリとは見えて来ないので、結果としては同じことだ。

デュークの語りで物語は進行し、彼が見る幻覚も何度か挿入される。
彼は「存在しない物が存在するように見える」とか、「人間の顔の一部が歪んだり別の生物に変貌したりする」とか、「周囲の景色がユラユラと揺れ動く」とか、色んなタイプの幻覚に見舞われる。
ホテルのバーでは、デュークが「グラスに入ったお菓子はウジ虫で、そこにいる全員はハ虫類人間」という幻覚を見る。
レースの取材に行くと、そこが戦地で兵士たちが現れるという幻覚を見る。

監督がテリー・ギリアムなので、たっぶりと時間を使ってヤク中が見る幻覚映像を表現し、トリップ・ムービーにでもするのかと思った。「本物のサイケデリックとは、こういうことだ」とでも言わんばかりの内容になっているのかとも思った。
でも、幻覚の映像は何度か挿入されるものの、そんなに割合が多いわけではない。
それよりも、デュークとゴンゾーが暴れたり喚いたりしているだけのシーンの方が遥かに多い。
なので、トリップ・ムービーとしての面白さや(そんな面白さがあるかどうかは知らないが)、サイケな映像作品としての魅力は期待しない方が賢明だ。

デュークのナレーションで物語は進行するが、その中には多くの「無様で愚かしい言い訳」が含まれている。
彼はホテルのラウンジにいたことを「1971年という悲惨な現実から逃避するため」とか語るけど、ただ酒を飲んでウダウダしているだけだ。なので、「そういう事情があったら、ドラッグに走るのも仕方がないよね」とか、そんな共感なんて全く誘わない言葉になっている。
彼らは金を払わずに去るが、何の言い訳も出来ない犯罪行為だ。担当者が止めようとしても無視して、オープンカーを猛スピードで発進させるのも同様。
デュークたちは笑って見ていられるタイプのバカではない。情状酌量の余地はゼロの、断罪されるべきクズどもでしかない。

「この旅で、この国の無限の可能性を身を賭して証明し、アメリカ合衆国の正義と真実の証を立てなければならない」というデュークの語りも入るけど、やってることは「ラリって暴れて周囲に迷惑を掛ける」という行為の繰り返し。
そういうのが「カッコ悪い言い訳ばかり繰り返しているけど、ただアル中でジャンキーでボンクラなだけの唾棄すべき奴らでしょ」というツッコミのポイントになっているのかというと、そうでもなさそうなんだよね。
どうやら、マジっぽいのだ。

途中でデュークが1965年の頃を振り返るシーンが挿入され、「あの頃、人はどこにいても熱くなり、輝いていた。自分のやっていることは正しい。これで世界を変えられると誰もが信じていた。あの熱気は何だったのか。軍事力に頼らなくとも、古き悪しき力には必ず勝てると信じていた。人々の元気は1つの大きなうねりとなり、僕らは高く美しい波のてっぺんに乗っているだけで良かった」などと語る。
それは「信じていた物が崩れ去り、幻滅と絶望が無軌道で身勝手な行動を生んだ」とでも言いたいがための説明なのか。
でも、そんなのは何の言い訳にもならないわけで。
なので、そんな回想や解説は何の意味も無いモノでしかない。
最後にデュークは「我々は失われたアメリカンドリームを追い求めているのだ」と締め括るが、それも愚かしくて浅薄な自己弁護に過ぎないし。

(観賞日:2020年9月30日)


第21回スティンカーズ最悪映画賞(1998年)

ノミネート:【最悪の助演男優】部門[ベニチオ・デル・トロ]

 

*ポンコツ映画愛護協会