『レイジング・ブレット/復讐の銃弾』:1996、アメリカ

カレン・マッキャンは夫マック、ジュリーとミーガンという2人の娘に囲まれ、平穏で幸せな生活を送っていた。ミーガンの誕生日、仕事帰りに買い物をすることにしたカレンは渋滞に巻き込まれた。彼女は家にいたジュリーに電話を掛け、帰りが遅れそうだと伝える。
その電話の最中、カレンはジュリーの激しい悲鳴を聞く。急いで家に戻ったカレンは、レイプされて殺されたジュリーの姿を発見する。カレンは担当のデ・ニーロ刑事から子供を失った親達による犯罪被害者の会を紹介され、マックに付き添われて参加する。
ジュリーを惨殺した犯人として、食料品店の配達係ロバート・ドゥーブが逮捕された。DNA鑑定により、ドゥーブの犯行は明らかになった。しかし、検察局のミスでドゥーブは無罪放免となってしまう。大きなショックを受けるカレン。
カレンはドゥーブを尾行し、行動を調査する。それを知ったドゥーブはミーガンに近付き、カレンを挑発する。犯罪被害者の会のメンバーが犯人殺害の斡旋をしていることに気付いたカレンは、彼らに連絡を取り、自らの手でドゥーブを殺そうと決意する…。

監督はジョン・シュレシンジャー、原作はエリカ・ホルツァー、脚本はアマンダ・シルヴァー&リック・ジャッファ、製作はマイケル・I・レヴィー、共同製作はマイケル・ポラーレ、製作協力はキャスリン・ノウルトン、撮影はアミール・M・モクリ、編集はピーター・ホーネス、美術はスティーヴン・ヘンドリクソン、衣装はボビー・リード、音楽はジェームズ・ニュートン・ハワード。
出演はサリー・フィールド、キーファー・サザーランド、エド・ハリス、ビヴァリー・ダンジェロ、シャーレイン・ウッダード、ジョー・マンテーニャ、オリヴィア・バーネット、アレクサンドラ・カイル、キース・デヴィッド、フィリップ・ベイカー・ホール、ナタリア・ノグリッチ、アーミン・シマーマン、ニコラス・カスコーネ、ダレル・ラーソン、ワンダ・アキューナ、ジェフリー・リヴァス他。


『狙う女 恐怖の連続レイプ殺人』という安っぽい別タイトルもある作品。
監督がジョン・シュレシンジャーで、出演者にはサリー・フィールド、キーファー・サザーランド、エド・ハリスと言った面々が揃っているのに、日本では劇場公開されなかった。
作品を見れば、それも納得がいく。

娘をレイプ殺人で失った親が犯人を殺すという筋書きでピンと来る人もいるだろうが、これってチャールズ・ブロンソン主演の“デス・ウィッシュ”シリーズの第2作『ロサンゼルス』に似ている。つまり、これは“デス・ウィッシュ”の女版なのだ。

“デス・ウィッシュ”が超B級ムービーだったのだから、それに似ている今作品がA級の作品になるはずもない。日本で劇場未公開にしたのは賢明な選択だろう。
単なる殺人にしておけば、まだ救いはあったのかもしれないが、レイプという要素を入れたことが安っぽさを増長させる大きな要因となってしまった。

さすがにジョン・シュレシンジャーなので、単なるチープな復讐劇にはしない。
重い人間ドラマを挿入している。
そして、人間ドラマと復讐劇を組み合せたことによって、どちらの要素も薄くなってしまうという悪い結果を生み出している。って、じゃあダメじゃん。

カレンが復讐しようとしていることを知った周囲の人間は、それを止めようとする。
しかし、カレンの心の傷を癒す方法は教えようとしない。
何の代案も示さないで、単純に「復讐してもジュリーは戻ってこないから、やめなさい」と言っても、そこには説得力のかけらも無い。

ドゥーブには表面的な残忍さは感じられるが、彼の性格を示すような時間が少ないせいか、キャラクターに奥行きは感じられない。
カレンの夫マックは、ほとんど何もせず、最後まで傍観者である。
このキャラクターを上手く生かしていれば、もう少しマシな内容になったはず。

デ・ニーロ刑事も一度だけドゥーブを脅しに行くが、目立つ行動はその場面ぐらい。
中途半端にしゃしゃり出るぐらいなら、何もせずに埋もれてしまった方がマシだ。
FBIの捜査官も登場するが、あまり出てきた意味は感じられない。

カレンの行動は、ちょっと引っ掛かる。ストレートに復讐へと突き進んでくれればいいものを、なぜか無駄な寄り道をしてしまう。
初歩的なミスで全てを台無しにした検事が、何の責任も負わずに終わってしまうのも引っ掛かる。私がカレンの立場なら、犯人と同じぐらい検事を殺したいと思うだろう。

 

*ポンコツ映画愛護協会