『ワイルド・パーティー』:1970、アメリカ

ロニー・“Zマン”・バーゼルの邸宅から、ケイシーが顔を引きつらせながら庭へと飛び出した。彼女に続いて、オットーも逃げ出して来た。Zマンは剣を構え、獲物を捜し求める。身を隠して窓から様子を覗いたケイシーは、Zマンがオットーを殺害する様子を目撃した。Zマンはベッドで眠っているロクサーヌを見つけると、口に拳銃を突っ込んだ。目を覚ましたロクサーヌは、金切り声で絶叫した。
時間を遡る。かつてケリーは、「ケリー・アフェアー」というロック・バンドのヴォーカル兼ギター担当だった。彼女はベースのケイシー、ドラムのペットと共に、田舎町で活動していた。3人は高校のプロム・パーティーに呼ばれ、体育館で演奏した。しかし学校での演奏ばかりが続くことに、3人は嫌気が差していた。ケリーはバンの中で、恋人でマネージャーのハリスとキスを交わす。2人がセックスを始めそうな雰囲気になったので、ケイシーとペットは呆れた。
ケリーはハリスに、ロサンゼルスへ行くことを告げた。ハリスは反対するが、ケリーは「成金の叔母がいるから、世話になる」と告げる。叔母のスーザンは、ロサンゼルスで写真スタジオを経営している。大叔母が亡くなった際、ケリーの母は既に死去していたため、スーザンが一人で莫大な遺産を相続していた。ケリーが訪ねると、スーザンは「遺産の一部は貴方の物よ」と告げる。債務顧問を務める弁護士のポーターは「遺言状には書いていない」と反対するが、スーザンはケリーに遺産の3分の1を渡すことを約束した。
ケリーはスーザンから、有名な音楽プロモーターであるZマンのパーティーに行かないかと誘われる。ケリーが仲間も誘っていいかと確認すると、スーザンは歓迎した。ケリーはケイシーたちに電話を掛けた後、スーザンやポーターと共にZマンの邸宅を訪れた。Zマンはボディーガードのヴァネッサを紹介した後、ケリーを連れて邸内を案内する。会場にはポルノ女優のアシュレーやレズでデザイナーのロクサーヌ、役者でプレイボーイのランス、ウェイターを弁護士志望のエマーソン、ドイツ人バーテンダーのオットーなど、大勢の姿がある。ステージではストロベリー・アラーム・クロックが演奏しており、ケリーは興奮した。Zマンがケリーを連れて寝室や浴室へ赴くと、複数のカップルが情事の最中だった。
後からやって来たケイシー、ペット、ハリスの3人は、スーザンやヴァネッサと挨拶を交わした。ポーターはケイシーに話し掛け、議員の娘である彼女を侮辱した。ロクサーヌはケイシーに目を付け、「男はみんな同じよ。服を作ってあげる。スタジオへ遊びに来て」と名刺を渡した。アシュレーはハリスに狙いを定め、誘惑に掛かった。ハリスは冷たくあしらうが、アシュレーは「いつか落としてやるわ」と自信たっぷりに告げた。ペットはエマーソンと知り合い、すぐにキスを交わした。
ケリーを捜していたハリスは、Zマンに口説かれて楽しそうな彼女を発見した。Zマンはケリーが聞かされていたバンドのメンバーだと知ると、「バンド名がイマイチだな」と言いながらもステージに上げてパーティー客に紹介した。Zマンはケリーたちに演奏させた後、その場でバンド名を「キャリー・ネイションズ」に改名した。Zマンはバンドの売り出しを開始し、デビューのイベントは大成功に終わる。有頂天のケリーは、自分の居場所を失っているハリスのことなど全く気にも留めていなかった。
ケイシーはパーティー続きの日々に疲れを感じるが、ケリーは楽しい気分で一杯だった。彼女は不満を漏らすハリスのことなど放置し、口説いて来たランスと共にパーティーへ出掛けてセックスに及ぶ。気持ちが腐っていたハリスはアシュレーに誘われ、彼女と肉体関係を持った。金目当てでケリーに近付いたランスは、彼女が遺産を放棄するつもりだと知り、「3分の1じゃなくて、半分貰えよ。ポーターが遺産を横取りしようとしている。スーザンじゃなくて君を利用しようと目論んでいる」と吹き込んだ。ケリーはポーターに「遺産から手を引かないと法的手段に訴える」と言われ、「半分貰う。私には権利がある」と反発した。
ポーターから話し合いを提案されたケリーに、ランスは「奴は何か企んでる。仕返ししてやれ」と促した。ケリーはポーターから5万ドルの契約書で手を打つよう持ち掛けられ、自宅に招き入れる。ケリーはポーターにドラッグを吸わせ、ベッドに誘い込んだ。キャリー・ネイションズがゴールドディスクを獲得した記念として、Zマンは自宅でパーティーを開いた。ポーターはスーザンに、ケリーには財産を渡さないよう説いた。Zマンはペットに、スーザンの元恋人であるバクスターが来たことを教えた。スーザンとバクスターは変わらぬ愛を確かめ合い、キスを交わした。
ケリーと踊っていたランスは、親友のランディーと再会した。ボクシング王者のランディーは、エマーソンをダンスに誘った。エマーソンは司法試験に向けた勉強で忙しく、パーティーには来ていない。パーティーに嫌気が差しているケイシーも欠席している。アシュレーは浜辺でスリルのあるセックスにハリスを誘うが、冷たく拒否される。彼女はハリスを罵倒し、他の男と共に立ち去った。泥酔したハリスはパーティー会場に乗り込み、ランスと一緒にいるケリーを見つけた。ハリスがケリーに強引なキスをすると、ランスが怒った。ハリスは彼に掴み掛かるが、反撃を受けて一方的に殴られた。
ハリスが立ち去った後、帰ろうとしたケリーにポーターが「忘れるな」と囁いた。ケリーはカッとなり、5万ドルの契約書を叩き付けてZマンの邸宅を後にした。スーザンはポーターがケリーと勝手に取引していたことを知り、解雇を通告した。ペットはエマーソンが勉強で図書館へ行っているのをいいことに、ランディーを自宅へ連れ込んでベッドインした。ハリスはケイシーの元へ行き、彼女に慰められた。薬を飲んだケイシーは、酔っぱらっているハリスと一緒にベッドへ入った。
翌朝、予定より早く戻って来たエマーソンは、ペットとランディーがベッドにいるのを見てショックを受けた。ランディーが車で帰ろうとすると、エマーソンが立ちはだかった。エマーソンは走り出した車にしがみ付くが、振り落とされた。ペットはエマーソンに駆け寄り、彼に謝罪した。ケイシーはハリスと関係を持ったことに気付き、激怒して追い出した。キャリー・ネイションズがテレビ番組のスタジオで生演奏した時、ハリスは天井の足場から飛び降りた…。

製作監督はラス・メイヤー、原案はロジャー・イーバート&ラス・メイヤー、脚本はロジャー・イーバート、製作協力はレッド・ハーション&イヴ・マイヤー、撮影はフレッド・J・コーネカンプ、編集はダン・カーン&ディック・ウォーメル、美術はジャック・マーティン・スミス&アーサー・ロネガン、音楽はスチュー・フィリップス。
出演はドリー・リード、シンシア・マイヤーズ、マーシア・マクブルーム、ジョン・ラザー、マイケル・ブロジェット、デヴィッド・ガリアン、ストロベリー・アラーム・クロック、エディー・ウィリアムズ、エリカ・ギャヴィン、フィリス・デイヴィス、ヘンリー・ローランド、ハリソン・ペイジ、ダンカン・マクラウド、ジム・イーグルハート、チャールズ・ネイピア他。


ソフトコア・ポルノの帝王であるラス・メイヤーが監督・製作・原案を務めた作品。
駆け出しの映画評論家だったロジャー・イーバートが、ラス・メイヤーの指名を受けて脚本を担当している。
当初は1967年の映画『哀愁の花びら』の続編として製作される予定だったが、原作小説の作者であるジャクリーン・スーザンから協力を拒否されたため、関連性の無い作品として公開された(ただし『哀愁の花びら』を連想させるような内容になっている)。
ケリーをドリー・リード、ケイシーをシンシア・マイヤーズ、ペットをマーシア・マクブルーム、Zマンをジョン・ラザー、ランスをマイケル・ブロジェット、ハリスをデヴィッド・ガリアン、アシュレイをエディー・ウィリアムズ、ロクサーヌをエリカ・ギャヴィン、スーザンをフィリス・デイヴィス、オットーをヘンリー・ローランド、エマーソンをハリソン・ペイジ、ポーターをダンカン・マクラウド、ランディーをジム・イーグルハート、バクスターをチャールズ・ネイピアが演じており、ロックバンドのストロベリー・アラーム・クロックも登場してパフォーマンスする。
パム・グリアがチョイ役で女優デビューしている。

ラス・メイヤーは独立系プロダクションで映画製作を続けていた人だが、この作品は20世紀フォックスで撮っている。
ソフトコア・ポルノを撮っているので、独立系での活動は当然のことだ。当時の20世紀フォックスは、そんなラス・メイヤーと2本の契約を交わした(もう1本は『恍惚の7分間・ポルノ白書』)。
ようするに、その頃のハリウッドというのは、メジャー会社が低予算ポルノに手を出すような状況だったってことだ。
その辺りは、日本の映画界と似ているかもね。当時、日本でも東映がポルノ映画を作っていたし。

冒頭、「この映画は『哀愁の花びら』の続編ではない。完全なるフィクションである」という但し書きが出た後、「ショービジネスの恐怖を『哀愁の花びら』とは別の角度で描いている」という説明が表示される。
だが、本作品にショービジネスの恐怖を感じ取ることが出来る人は、よっぽど感覚が鋭敏か、想像力の豊かな人だろう。デタラメでメチャクチャな映画だなあ、と思う人も少なくないんじゃないか。
でもラス・メイヤーの映画なので、支離滅裂だったり行き当たりばったりだったりしても、それは基本形である。
ラス・メイヤーの辞書に、「理路整然」や「軽妙洒脱」といった文字は無い。

ケリーはロサンゼルスに進出し、音楽プロモーターと知り合って有名になっていくのだが、決して成り上がろうという野心に満ち溢れてギラギラしているわけではない。楽しく人生を過ごしたいというだけであり、かなりアーパーな意識しか無い。
楽しいことが全てなので、バンドが売れて来たらハリスのことなんて気にしなくなる。彼の焦りや苛立ちを無視するどころか、他の男とねんごろになる。「享楽だけが人生さ」ってな感じである。
ラス・メイヤーの作品なので、ヒロインがボンクラで共感を誘わないような奴でも仕方が無い。そこに真っ当なヒロインとしての魅力を求めることが間違いなのだ。
ラス・メイヤーのヒロインなので、モラルが欠如していたり、優しさや誠実さなど「好感の持てる女性」としての要素に乏しかったりしても、「それが仕様」と受け止めるべきなのだ。
一応、後半に入って「ハリスが下半身不随になるので反省して生き方を改める」という展開はあるけど、まあ取って付けたようなモンだ。

冒頭に「ソフトコア・ポルノの帝王」と書いたが、エロの部分では「使える」映画になっているのかというと、そんなことは全く無い。
劇中には特に意味も無く裸の女性が登場したりするが、そそるようなエロティシズムは含まれていない。
そもそも、現在の感覚からすると、ラス・メイヤーのソフトコアというのは、ちっともエロ度数が高くない。
たぶん中高生男子でもリビドーを全く刺激されないレベルで、田舎の小学生なら何とか引き付ける力が発揮されるかな、という程度だ。

何の見所も無いポンコツ映画ではなくて、序盤はなかなか面白い。
冒頭、顔がアップになっているロクサーヌが悲鳴を上げた直後にカットが切り替わると、プロムで歌っているケリーの叫びが写し出される。
導入部としては、かなりキャッチーな演出だ。
ロスへ行くことを反対するハリスとケリーが「スモッグだらけ」「木に登るわ」「車の渋滞」「歩くわ」「文化が無い」「楽しいわ」「冷たい街だ」「プールで泳ぐわ」「腐ってる」「魅力的よ」「インチキだ」「何でも有りよ」「騒がしい」「ソウルフル」「見かけ倒し」「本物の街」と短い言葉で討論すると、それに合わせた短い映像が次々に切り替わっていくという演出も、いい感じだ。
ただ、細かいカットを連ねたり、セリフから間を置かずに次のシーンへ切り替えたりすることで小気味よいテンポを作り出そうという意識が強かったのもしれないが、その調子が続くと、ちょっとガチャガチャした印象になってしまう。
ハリスに叔母の名を問われたケリーの「スーザン・レイクよ」という台詞に重なるようにスタジオへとシーンが切り替わり、そこにいる人々を細かいカットの連続で写し出すところでは、「目が疲れるなあ」と感じてしまった。

その後も「誰かがセリフを言っている間にカットを切り替える」という場面転換がずっと続くんだけど、それは数ヶ所に限定した方が良かったんじゃないかなあ。緩急の使い分けがイマイチなので、何となく慌ただしい印象を受けてしまうんだよな。
で、ゴールドディスクのパーティーでもスタジオの時と同様に細かいカットで会場の人々を写し出すが、それよりも場面転換直後にケリー&ケイシー&ペットのベッドシーンを挿入する映像演出がガチャガチャした印象を強めている。
しかも、そこでケイシーとロクサーヌの濡れ場は初登場なのよ。
そんな形で2人がレズ関係になっていることを示すのは、雑じゃないかね。

ゴールドディスクの記念パーティーでは、ポーターがスーザンと揉める。
その近くでZマンはペットを口説くような素振りを取りつつ会場に現れたバクスターのことを説明し、スーザンとバクスターはヨリを戻す。
ランスはランディーと再会し、ランディーはペットを誘い、乱入したハリスはケリーにキスしてランスにボコられる。今までランスとベタベタしていたケリーは急にハリスへの愛が復活したような態度を取り、Zマンは占い師みたいな女に予言される。ランスはケリーを追わず、ケリーはポーターに契約書を叩き付け、スーザンはポーターをクビにする。
そんな風に色んな事が次々に起こるのだが、詰め込み過ぎてゴチャゴチャしてしまっている。

あと、そこでケリーが5万ドルの契約書をポーターに叩き付けるってことは、彼から持ち掛けられた取引を承諾していたことになるけど、それは不可解だ。ランスから「何か企んでるから仕返ししてやれ」と言われていたはずでしょ。
っていうか、そもそも、「家に招き入れてドラッグを吸わせ、ベッドに誘い込む」という行動は、何の意味があったんだよ。
それが何らかの罠なのかと思ったら、それでポーターの弱みを握っているわけでもなく、ポーターは相変わらずスーザンに「ケリーに遺産を渡すな」と告げているし。
契約書の存在がバレてクビを宣告されているけど、たまたまだからね。ケリーが作戦を仕掛けて解雇に追い込んだわけではないからね。

ケリーが邸宅を去った後、Zマンはジゴロなランスに嫌味っぽいことを言い、パンチを浴びる。
だが、その言動は「Zマンって、そんなキャラだったっけ」と思ってしまう。
Zマンに限らず、どのキャラクターに対しても、その動かし方や出し入れが行き当たりばったりで適当だと感じる。
そんで、ケイシーは関係を持ったランスを罵って追い払ったり、彼が半身不随になった後で出産を決意したり、ペットはエマーソンに詫びてヨリを戻したりと、「ただのアバズレじゃありません」アピールをするけど、取って付けた感が強い。

そんな風にケリー、ケイシー、ペットが急に落ち着いた辺りで、Zマンが急に仮装パーティーを主催する。彼はケイシー、ロクサーヌ、ランスを呼んで、オットーに給仕をさせる。スーパーウーマンの格好をした彼は何となくヤバい雰囲気で参加者にも仮装を強要し、薬を飲ませて全員でラリパッパになる。Zマンは嫌がるランスに性的関係を強要し、ケイシーとロクサーヌもコテージで関係を持つ。
それだけでもデタラメな展開だと感じるが、Zマンは唐突にオッパイをさらして実は女だったことを明かし、発狂して殺人鬼に変貌する。
そこに脈絡は無い。彼が発狂する兆しとか、きっかけとか、そういうのは何も無かった。少しずつイカれていく様子が描かれていたわけでもない。
そのシーンはマンソン・ファミリーによるシャロン・テート殺害事件の影響を受けているらしいが、映画製作開始直後に事件が起きたので、流れとか脈絡を無視して強引に盛り込んだだけじゃないかと。

ケイシーから電話でSOSを受け取ったケリーやペットたちは、急いでZマンの邸宅へ向かう。
車椅子のハリスを車に乗せるのに時間が掛かっているが、置いて行けばいいのに連れて行くのは、後の展開に必要だからだ。
ケイシーが撃ち殺され、取り押さえられたZマンが誤射で死亡した直後、ハリスのつま先に感覚が戻り、ケリーと一緒に喜び合うという展開に必要だからだ。
でもさ、ケイシーが殺された直後なのに、「ハリスが歩けるようになった」と喜ぶのは、「もっと状況を考えろよ」と言いたくなるぞ。

その後には「1つの死が1つの生を生み出す。我々は生きる喜びを分かち合い、兄弟として共に生きる。生と死は人の心に何らかの影響を与え、貴方が他人の人生をも運命づける」などと妙に説教臭いテロップが出るんだが、バカバカしいだけ。
さらに、そこからは「Zマンは他の人と交わることなく、自分の観念の中で生きていた。アシュレーにとって男はオモチャだった。彼女の心の無さは愛を遠ざけた。ランスは決して自分を捧げない。奪うだけの人間は最も高いツケを払うのだ」などと、劇中で充分に表現できていなかったことを文字によって説明するという、あまり格好の良くない作業が続く。
人物説明は、その後も「ポーターは立場を利用して私利私欲に走り、信用する者を裏切った。スーザンは純粋過ぎた。善意が邪魔をして、落ちて行く仲間に気付かない。エマーソンは相手への理解こそが真実の愛に帰すると知った。ケイシーとロクサーヌは光と影だ。美しい関係ゆえに、悪魔に付け込まれた。ハリスは昨日を過去とは思わなかったため、明日のことが見えなかった。ペットは一瞬の感情に身を任せ、2人の男を破滅させかけた。ランディーの肉体には獣が住み着き、彼を王者にしたが、結局はその獣に殺されかけた。ケリーは 身勝手に周囲をかき回し、友情を軽視したが、痛みから生涯忘れ得ぬ教訓を学んだ」と続く。

テロップの最後は、「人生をどう生きるかは貴方が決める。そこに差し伸べられた手は愛の象徴に他ならない。愛は見返りを求めない。ただ、そこにあるだけだ。心に愛あらば、どんなに険しい谷も越えられるだろう」と綴られる。
まるで本作品が教訓に満ちた映画であるかのような締め括りだが、もちろん教訓など何も無い。
完全に後付けだ。
その後にエピローグとしてケリー&ハリス、ペット&エマーソン、スーザン&バクスターの合同結婚式があるけど、もちろん、特に意味は無い。

劇中で使われる音楽に関しては、かなり魅力的だ。
ストロベリー・アラーム・クロックがサイケデリック・ロックを代表する1曲である『Incense and Peppermints』と『A Girl From The City』『I'm Comin' Home』を演奏しているが、それよりも劇中バンドのキャリー・ネイションズが演奏する楽曲に惹き付ける力がある。
もちろん本人たちの演奏ではなく、力強くてソウルフルな歌声はリン・ケアリー。
プロムで演奏している激しい曲は『Find It』、車でロスへ向かう時に歌っている穏やかな曲は『Come With The Gentle People』、Zマンのパーティーで歌うサイケな曲は『Sweet Talkin' Candy Man』、デビューのイベントで演奏する爽やか路線の曲は『In The Long Run』、ケイシーに追い出されたハリスが見る番組で歌っているのは『Look On Up At The Bottom』。
映画の出来栄えはともかく、サントラが欲しくなるタイプの作品であることは間違いない。

(観賞日:2014年6月13日)

 

*ポンコツ映画愛護協会