『楽園の瑕』:1994、香港

歐陽峰は白駝山(パットウサン)から砂漠に移り住み、殺し屋の斡旋業をしている。毎年、3月になると、友人の黄薬師(ウォン・イヨシー)がやって来る。今年は、女から貰った酔生夢死という名の酒を持って現れた。その酒を飲めば、過去が忘れられるのだという。しかし、歐陽峰は酔生夢死に口を付けようとはしなかった。
慕容燕(モッヨンイン)という男が、歐陽峰の元を訪れた。妹を裏切った黄薬師を殺してほしいというのだ。黄薬師は慕容燕に対して、妹がいれば結婚すると告げたが、約束の場所に現れなかったという。だが、慕容燕の妹・嫣は、兄を殺してくれと歐陽峰に依頼する。やがて歐陽峰は、慕容燕と嫣が同一人物だと気付いた。
弧女という女が歐陽峰の元を訪れ、弟の仇討ちをしてほしいと頼む。しかし金が無いため、助けてくれる人が現れるまで待つと言う。視力が失われつつある剣士は、故郷の桃花を見る旅費を稼ぐため、仕事を求めてやって来た。歐陽峰は馬賊を退治する仕事を与えるが、剣士は命を落とした。翌春、歐陽峰は桃花が彼の妻だと知った…。

監督&脚本はウォン・カーウァイ、原著は金庸カム・ユン、製作はツァイ・ムホー、製作総指揮はジェフ・ラウ、撮影はクリストファー・ドイル、編集はパトリック・タム&ウィリアム・チャン&カイ・キットワイ&クォン・チーリョン、美術はウィリアム・チョン、武術指導はサモ・ハン・キンポー、音楽はフランキー・チャン&ロエル・A・ガルシア。
出演はレスリー・チャン、レオン・カーファイ、ブリジット・リン、トニー・レオン、カリーナ・ラウ、チャーリー・ヤン、ジャッキー・チュン、バイ・リー、マギー・チャン他。


タイトルは「らくえんのきず」と読む。
武侠小説の大家・金庸の代表作をベースにして、登場する東邪と西毒というサブキャラクターの、小説に書かれていない物語を描くという野心作。
多額の製作費を投入した大作映画だか、撮影は大幅に遅れた。
香港では公開当時、多くの観客が退席したり騒いだりする事態が発生したらしい。

オールスターキャストによる時代劇だ。
さすがにウォン・カーウァイ作品、映像は美しい。
もう一度書こう。
映像は美しい。
だから映像だけを見なくてはいけない。
映像以外の要素、ドラマの充実度やアクションの迫力は、徹底的に無視すべきだ。

古装武侠片(チャンパラ活劇)のはずなのに、アクションがメインではない。
これは、人々が文学的なセリフをクドクドと語る、辛気臭い文芸ドラマだった。
これはおそらく、前衛的な芸術映画なのだろう。
だから、アクションシーンを芸術的に見せたのだろう。

チャンバラシーンは、独特のカット割りやカメラアングルによって描き出されている。
せっかくサモ・ハン・キンポーが武術指導を担当しているのに、アクション映画が本来持っているはずの爽快感は、そこには全く無い。
古装武侠片ではないということだろう。

頭のいい人、予備知識のある人でなければ、一度見ただけでは内容が良く分からないかもしれない。それほどに、一見すると難解な作品である。
しかし、しっかり観賞してみると、実は話そのものは難解とは全く逆で、むしろ非常に単純であることが分かる。

この作品は、欧陽峰の元を誰かが訪れて、何か出来事があって、そいつが消えるということが繰り返されるだけの、たわいも無い話だ。
そんな単純で起伏に乏しい淡々とした話を、耽美の映像によって著しく歪めてしまい、まるで難解な物語であるかのように見せ掛けているだけなのだ。

映像に凝りまくっているのだが、それだけで内容を充分に説明しようとせず、モノローグに頼りまくっている。それもまた、前衛的ということだろうか。
たぶん、これは凄い映画なんだろう。そう思わないと、ヴェネチア国際映画祭の金のオゼッラ賞など、数々の映画賞を受賞している説明が付かない。
ただし凄い映画だとしても、2度と観たいとは思わないが。

 

*ポンコツ映画愛護協会