『ラストミッション』:2014、アメリカ&フランス

ラングレーのCIA本部に呼び出された捜査官のヴィヴィ・デライは、武器密売人のウルフに関する任務を命じられた。ウルフの部下であるアルビノが、ベオグラードで爆弾の取引を行う計画がある。派遣されたチームが、爆弾の入手とアルビノの逮捕を担当する。ヴィヴィが命じられたのは、ウルフを始末する任務だ。ベオグラードに派遣されたCIA捜査官のイーサン・レナーは、爆弾の買い手であるシリアの連中をホテルで始末した。体調の悪い彼は薬局へ行き、風邪薬を購入した。
アルビノの一味がホテルに来たので、イーサンはブリーフケースの中身を密かにスキャンした。車で待機する仲間にデータを渡した彼は、16歳の誕生日を迎えた娘のゾーイに電話を掛けようとする。しかし仲間から携帯電話ではなく公衆電話を使うよう促されたので、車の外へ出た。彼が売店で小銭を借りて電話を掛けようとしている間に、アルビノは清掃係として潜入している捜査官のヤスミンに気付いた。車の捜査官たちは、ブリーフケースの中身が爆弾だと突き止めた。
ヤスミンを始末したアルビノは、ウルフに連絡を入れて取引の中止を告げた。銃撃戦が始まったのを見たイーサンは、急いで仲間に加勢した。その様子を、ヴィヴィが密かに観察していた。イーサンは逃げるアルビノを追うが、意識が混濁してしまう。イーサンは何とか発砲して爆弾を確保したが、アルビノは銃弾を受けた右足を引きずりながら逃亡した。病院で意識を取り戻したイーサンは、医者から悪性腫瘍で余命3ヶ月だと宣告された。
CIAから退職を勧告されたイーサンは、パリへ飛んだ。イーサンが自分の所有するアパルトマンに行くと、アフリカ系移民のジュールスと家族が勝手に住み着いていた。イーサンは警察に相談するが頼りにならず、自分で追い出すと逮捕されると言われてしまう。春まで待つよう勧められたイーサンは、諦めてアパルトマンに戻った。彼は寝室へジュールスを連れて行き、拳銃を突き付けた。しかしジュールスが「すぐに出て行きます」と怯えながら言うと、イーサンは「まだ出て行く必要は無い」と告げた。
ジュールスにはスミアという妊娠中の娘がおり、イーサンは「出産までは留まって構わない」と述べた。ただし彼は、「俺の寝室には絶対に入らず、勝手に塗装するな」と条件を付けた。ホテルに移ったイーサンは、幼少期のゾーイを撮影したビデオテープを再生した。翌朝、彼はクリスティンの様子を見ながら、彼女に電話を掛けた。「パリに来たので会いたい」とイーサンが言うと、クリスティンは「会議中だし、多忙なので会えない」と嘘をついた。しかし「法的な書類を見せたい」と言われ、彼女は仕方なく面会を承諾した。
イーサンはクリスティンと会い、自分が余命わずかであること、ゾーイには内緒にしてほしいことを語った。「ゾーイに会いたい」と彼が言うと、クリスティンは条件としてCIAの仕事に復帰しないことを約束させた。クリスティンはゾーイをイーサンに預け、2人だけにいた。しかし事情を知らないゾーイは、イーサンに冷淡な態度を取った。イーサンは自転車をプレゼントしようとするが、ゾーイは全く喜ばなかった。イーサンは夕食を作ると約束し、ひとまずゾーイと別れた。
食材を買いに出掛けたイーサンは、ヴィヴィに声を掛けられた。彼女はCIA長官の直属であることを明かし、ウルフの殺害に協力してほしいと持ち掛けた。イーサンが拒もうとすると、ヴィヴィは「協力すれば病気の試験薬を渡す」と注射器と資料を差し出した。すぐに仕事を始めるよう求められたイーサンは、ホテルにいた5人を襲撃する。そこへ現れたヴィヴィは1人の男に近付き、アルビノの会計士に関する情報を吐くよう要求した。何も知らないと判断した彼女は、容赦なく射殺した。
イーサンはヴィヴィに試験薬を注射され、夜になってゾーイの待つ家に到着した。ゾーイの悲鳴を聞いたイーサンは急いで家に突入するが、彼女はヘアセットに失敗しただけだった。帰宅したクリスティンは、「3時間も遅刻するなら、夕食を作るなんて約束しないで」とイーサンに告げた。「信用した私が馬鹿だった。ロンドンへ仕事に行く間、ゾーイを預けるつもりだった」と言う彼女に、「行けばいい」とイーサンは告げた。クリスティンは翌朝の飛行機で出発すること、ベビーシッターを手配したことを話した。
イーサンはクリスティンに、「病気を直せる専門家がパリにいる。試験薬を使う」と告げる。どういうことか察知したクリスティンは、皮肉めいた言葉を口にした。ソファーで眠ろうとしたイーサンは、眩暈に見舞われる。彼はヴィヴィに電話し、「何を打った?フラフラして幻覚が起きてる」と言う。するとヴィヴィは、「ウォッカを一杯飲めば症状が和らぐ」と告げた。イーサンは何とかウォッカに辿り着き、それを飲んで症状を緩和した。
翌朝、イーサンはクリスティンを見送り、ゾーイを朝食に呼ぶ。ヴィヴィからの着信にゾーイが気付くと、イーサンは「上司だ」と説明した。ゾーイが学校へ向かった後、イーサンの元にヴィヴィが現れる。イーサンは試験薬のことで文句を言うが、報酬の小切手を渡されて受け入れた。ヴィヴィは会計士を見つけ出すために、アルビノの運転を請け負う会社を運営するミタット・ユルマズと接触するよう指示した。イーサンは会社に乗り込んで部下たちを退治し、ミタットを連れ出した。
イーサンはアパルトマンの浴室にミタットを連れ込み、縛り上げて尋問する。そこへゾーイの学校の校長から電話が入り、話し合いのために来てほしいと要請された。学校へ赴いたイーサンは、ゾーイがクラスメイトを叩いたと知らされる。彼はゾーイの拳を確認し、適切な殴り方を教えた。ゾーイは不快感を示し、「なぜ喧嘩の理由を訊かないの?」と感情的になった。トランクに押し込んでおいたミタットが暴れたので、イーサンはゾーイに気付かれないよう殴って静かにさせた。
イーサンはゾーイから、公園で遊ぼうと誘われた。約束を交わしたイーサンはミタットを脅し、会計士であるグイドの情報を聞き出した。ホテルに乗り込んだ彼はグイドの部屋に向かうが、ゾーイから電話が入った。約束の時間になっても来ないことを指摘されたイーサンは、慌てて釈明した。彼は仕事を後回しにして公園に移動し、ゾーイとの時間を過ごした。レストランでホットチョコレートを飲んだイーサンは、ゾーイに「今夜は夕食の後、ホームビデオ見ないか」と提案した。するとゾーイは、友人のカリーナと学校で研究活動があるのだと説明した。ゾーイと別れた後、イーサンはクリスティンの留守電に楽しんだことを示すメッセージを残した。
商店に立ち寄ったイーサンはアルビノの手下に襲われるが、反撃して始末した。刺客のポケットを見た彼は、自分の写真が入っているのを知った。クリスティンからの留守電を聞いたイーサンは、カリーナに関するゾーイの話が嘘だと悟った。ゾーイの部屋を調べた彼は、娘がタトゥー・ギャラリーで誰かと待ち合わせたことを突き止めた。
イーサンはタトゥー・ギャラリーに乗り込むが、ゾーイの姿は無かった。裏口に放置してあった車を探った彼は、スパイダーと書かれた招待状を発見した。イーサンはミタットの家に赴き、双子の娘に会う。招待状を見せて意味を尋ねた彼は、ナイトクラブでパーティーが開かれることを知った。イーサンはナイトクラブに乗り込み、トイレで男たちに囲まれて窮地に陥ったゾーイを見つけ出した。イーサンは男たちを叩きのめし、ゾーイを救出した。しかしゾーイはイーサンに感謝しないどころか、激しく反発した。しかしイーサンが自転車の乗り方を教えて会話を交わしていると、ゾーイは心を開いた。
イーサンはミタットと会い、ホテルを引き払ったグイドがどこへ行ったのかを聞き出した。彼はグイドを襲って車で拉致し、アパルトマンに連れ込んだ。ブリーフケースのコードを聞き出そうとするイーサンだが、ゾーイから電話が掛かって来た。ゾーイは恋人のヒューに夕食でパスタを作りたいのだと話し、必要な材料を教えてほしいと求めた。イーサンはイタリア人のグイドに携帯を渡し、ソースのレシピをゾーイに伝えさせた。イーサンはヴィヴィに呼び出されてストリップクラブへ行き、ブリースケースを渡した。アパルトマンに戻った彼は、スミアの出産を目にした。赤ん坊が産まれると、ジュールスは「イーサンと名付けました」と口にした…。

監督はマックG、原案はリュック・ベッソン、脚本はアディ・ハサック&リュック・ベッソン、製作はマルク・リベール&ライアン・カヴァナー、製作総指揮はタッカー・トゥーリー&クリストフ・ランベール、共同製作総指揮はロン・バークル&ジェイソン・コルベック、撮影はティエリー・アルボガスト、美術はセバスティアン・イニザン、編集はオドレイ・シモノー、衣装はオリヴィエ・ベリオ、音楽はギヨーム・ルーセル。
出演はケヴィン・コスナー、アンバー・ハード、ヘイリー・スタインフェルド、コニー・ニールセン、トーマス・レマルキス、リヒャルト・サメル、マルク・アンドレオーニ、ブルーノ・リッチ、ジョナス・ブロケット、エリック・エブアニー、ヨアヒム・ジグ、アリソン・ヴァレンス、ビッグ・ジョン、マイケル・ヴァンダー=メイレン、パオロ・カリア、エリック・ナガー、アレクシス・ホアキン、フレデリック・マラハイド、パティー・ハンコック、マリー・ギラード、アリジー・ドゥラリュエル、イリアナ・ドゥラリュエル他。


ヨーロッパ・コープがレラティビティー・メディアと手を組んで製作した『マラヴィータ』に続く2本目の映画。
『ザ・ターゲット』『パリより愛をこめて』のアディ・ハサックと『ロックアウト』『マラヴィータ』のリュック・ベッソンが脚本を担当している。監督は『ターミネーター4』『Black & White/ブラック & ホワイト』のマックG。
イーサンをケヴィン・コスナー、ヴィヴィをアンバー・ハード、ゾーイをヘイリー・スタインフェルド、クリスティンをコニー・ニールセン、アルビノをトーマス・レマルキス、ウルフをリヒャルト・サメル、ミタットをマルク・アンドレオーニが演じている。
原題は『3 Days to Kill』だが、イーサンの余命は3日ではなく3ヶ月だ。つまり余命を意味するタイトルではなく、「3日で片が付く」ってことがバレバレになっているってわけだ。

ヨーロッパ・コープの製作で、主人公がCIA捜査官という職業で、離婚した妻との間に産まれたティーンズの娘に弱いという設定が用意されている。
そういった情報からケヴィン・コスナー版の『96時間』みたいにシリアスなサスペンス・アクション映画なのかと思った人がいても、それは仕方が無いことだろう。
しかし実際には、まるで系統が異なっている。コメディーのテイストが持ち込まれているので、むしろ『マラヴィータ』の方が近いかもしれない。
冴えない出来栄えってことも含めて、かなり近いかも。

脚本担当は雑なシナリオしか書かないリュック・ベッソンで、監督は軽薄大王のマックGなので、そりゃあ繊細な物語や厚みのあるドラマなんて描かれるわけがない。
まあ『96時間』だってリュック・ベッソン印だからシナリオは超テキトーだったのだが(テキトー脚本の相棒であるロバート・マーク・ケイメンと共同で執筆)、ピエール・モレル監督が重厚でシリアスなテイストに染め、小気味良いテンポで進めることによって、その粗さをリカバリーしようとしていた(実際に上手く隠蔽できていたかどうかは別にして)。
マックGがピエール・モレルに比べて演出力が低いのかというと、それは断言できない。ただし、「ユルいのが持ち味」ってことは確かだろう。
ひょっとすると、かなり綿密に計算された厚みのあるコメディー・アクションのシナリオを使っていれば、そのユルさが上手く作用した可能性があったかもしれない。しかし、雑なシナリオとユルい演出ってのは、組み合わせがよろしくなかった。
っていうか、雑なシナリオの時点で相当のハンデを背負わなきゃいけないわけだが。

冒頭のアクションシーンで銃撃戦が勃発した時、イーサンはゾーイのリクエストを受けて受話器に向かって『ハッピー・バースデー』を歌っている。銃撃戦を目撃しても、しばらくは歌い続けている。
自分がどういう任務に遂行中なのか理解していれば、すぐに歌を止めて迅速な行動を取るべきだろう。ところが彼は、早口で最後まで歌おうとしている。
それを「コメディーとしての描写」として持ち込んでいるのなら、TPOを考えていない。
直前にヤスミンの惨殺も描かれているわけで、そんな深刻な状況の中で娘のリクエストに応じることを最優先するのは「プロ失格」と感じるだけだ。

イーサンがホテルに突入しようとすると、アルビノがスイッチを押す。
ホテルの上の階に仕掛けられた爆弾が爆発し、なぜか玄関から爆風が吹き出す。
それを受けたイーサンは吹き飛ばされるが、それだけ激しい爆発が起きたのにアルビノの一味は何の影響も受けない。
また、イーサンは一時的に聴力を失っているが、そのせいで敵に逃げられるとか、窮地に陥るといった展開は無い。すぐに敵を撃ってアルビノを追い掛けているし、あっさりと聴力も復活しているようなので、まるで意味が無い。

CIAを退職したイーサンがパリへ飛ぶのだから、まずは「ゾーイに会う」という目的を果たすのかと思いきや、「自分のアパルトマンで勝手に住み着いた一家と遭遇する」という展開になる。
そりゃあ、妻子と会う前に自宅を訪れるのは真っ当な行動で、そこにジュールスと家族が住んでいれば会うことになるのは当然だ。
ただ、冒頭シーンで娘に対する溺愛ぶりの一端を見せておきながら、パリに飛んだ最初のシーンが「不法滞在の一家とのやり取り」ってのは、構成として上手いとは言えないだろう。
そこは先にクリスティン&ゾーイを訪ねて、手順を逆にしても良かったんじゃないかと。

一方で、序盤にイーサンがジュールスの一家と知り合う手順を配置するのなら、ここの関係は重視すべきだろう。っていうか、せっかく家族を登場させたのなら、そこは有効活用しなきゃ勿体無い。
ところが実際には、ミタットを浴室に連れ込むシーンまで再登場しない。
そのシーンにしても、ジュールスの幼い息子であるアバーテと軽く会話を交わすだけであり、ジュールスやスミアは出て来ない。それ以降も出番は少ないし、本筋にはほとんど絡まない。終盤、サミアの出産シーンで、ようやく存在意義が生じる程度だ。
「それがリュック・ベッソン脚本の仕様」ってことであるんだけど、ようするに用意した登場人物を使い切れていないのだ。

ヴィヴィがイーサンにウルフ逮捕の協力を要請するのは、どうしてなのか良く分からない。
一応は「ホテルにウルフが来ていたに違いない。イーサンは彼と会っている可能性がある」ってことらしいけど、根拠としては弱すぎる。
そもそもホテルのシーンで、アルビノが別の場所にいるウルフに電話を掛ける描写がある。そして、イーサンが気付かない内にウルフを目撃しているとか、ウルフがイーサンを見るという描写は無い。
だからヴィヴィの語る理由付けは、ただデタラメなだけにしか感じない。

ヴィヴィが協力と引き換えに病気の試験薬を提供するという展開は、さらにデタラメ度数が上がっている。まあデタラメっていうか、いわゆる「御都合主義」ってやつだね。
しかし最初に注射した段階では、副作用のことを知っているのに教えない。だから夜中にイーサンは眩暈を起こし、何とかヴィヴィに電話して対処法を教わる。
でも、最初から教えなかった理由は特に無い。単純に、ヴィヴィがサド気質だったというだけだ。
だけど、すぐに体調が悪くなるわ、薬の副作用も出るわという状態だと、優秀な捜査官とは言えないでしょ。そんな奴を、わざわざ復帰させて使わなきゃならん事情がホントに分からんわ。
「CIA内部にスパイがいるので誰も信用できない」とか、「実はヴィヴィが偽者なので現役のCIA捜査官を使えない」とか、何かしらの事情が秘められているわけでもないし。

イーサンは病気を治す試験薬をヴィヴィから受け取るのだが、そうなると「余命3ヶ月」という設定の意味が弱くなる。
余命わずかだからこそ、彼は娘との関係を修復しようとしたはずで。試験薬で病気が治るのなら、そんなに焦る必要は無くなっちゃうでしょ。
つまり、先にヴィヴィから命じられた任務を終わらせて、それから落ち着いて家族との時間を設ければいいわけで。必死になって、「任務を遂行しつつ、ゾーイとの関係も修復しよう」と頑張る必要が無くなっちゃうわけで。
それを考えると、「ヴィヴィは薬を持っているが、渡すのは任務が終了してからで、失敗したら渡さないとイーサンに通告する」ってことでも良かったんじゃないかな。

イーサンがヴィヴィからの指示された任務を遂行する筋書きは、無駄にモタモタしている。
「ゾーイとの関係を描く親子ドラマと並行しているので、そっちの歩みが遅くなるのは仕方が無い」と思うかもしれない。しかしゾーイとの関係を抜きにしても、やはりモタついている。
その理由は、無意味に手順が多いことだ。ウルフの始末が目的なのに、「そのためにアルビノを見つけることが必要で、そのためにグイドを見つけることが必要で」と、やたらと手間が掛かるのだ。
結局、イーサンがグイドと接触するのは、もう後半に入ってからだ。
アルビノとウルフは、もう「大抵は一緒にいる」ってことでもいいんじゃないかと。ここを分けているメリットが見えない。

ゾーイはナイトクラブからイーサンに救助された後、礼も言わずに反発する。そこは普通に「父親のイケてる姿を見てゾーイの態度に変化が見られる」ってことで良かったのに、変な捻りを入れちゃってるなあ。
で、そんだけ反発したのに、直後のシーンでは「イーサンがゾーイに自転車の乗り方を教える」という様子が描かれるんだよな。そこでは、なぜかゾーイがイーサンの助言に従い、自転車に乗る練習に取り組むのよ。
どういうことだよ。キャラの動かし方がメチャクチャだわ。
いや、「ホントは父親を愛しているけど、ずっと放置されたから反発する」という風に見せたいのは分かるのよ。分かるけど、見せ方が粗いのよ。

イーサンはヴィヴィに指示された任務を遂行する時も、ゾーイの嘘を見抜いてタトゥー・ギャラリーへ行く時も、同じぐらい張り詰めた態度で行動している。イーサンだけが同じ態度ってわけじゃなく、演出としても同じような緊迫感を持たせている。
でも、それは違うんじゃないかと。
意図的に同じ比重で描くことで面白さを出そうとした可能性はあるが、だとしても失敗している。
後者はコミカルなシーンとして伝わらなきゃいけないわけだから、イーサンがマジなのはいいけど、演出としては喜劇性が見えなきゃいけないはずで。
でも本作品には、そういう意識が感じられない。

ところが困ったことに、イーサンがナイトクラブへ乗り込んでゾーイを捜すシーンも、これまたシリアスに描かれているのだ。イーサンが男たちを退治してゾーイを救出する様子が、マジに描かれているのだ。
これが徹底してシリアスな映画なら、それでもいいだろう。
だけど、ヌルくてユルいとは言っても、一応はコメディーのテイストを持ち込んでいるわけで。ミタットの双子の妹から情報を聞き出すシーンなんかも、それなりに喜劇の範疇なわけで。
それなのに、なんでゾーイを助けるシーンだけはマジモードなのかと。

そこにコミカルの色を入れないのなら、もう一貫してシリアスな話にしちゃった方がいいよ。
っていうか、むしろ任務を遂行するパートの方が、「途中でゾーイから電話が入って云々」というパターンを繰り返して、コミカルなテイストを入れているんだよな。
で、こっちに喜劇ノリが入るのは一向に構わないんだけど、だからって「対比としてゾーイを助ける手順は徹底してシリアスに」っての納得できるわけではないぞ。
そもそも、対比を狙っているかどうかも分からないし。

イーサンが任務を遂行するストーリーと、ゾーイとの関係を修復しようとするストーリーを、並行して描くのは一向に構わない。
ただし問題は、ここの絡みが薄いってことだ。後半に入ったら、例えば敵の一味がゾーイを標的にしたり人質に取ったりするとか、ゾーイがイーサンを怪しんで仕事を探ろうとするとか、何でもいいけど、もっと密接に絡み合うような構成にした方がいい。
でも実際には、全く絡まない。当然のことながら、相乗効果は生まれない。
っていうか、イーサンのことを調べて写真まで持っている敵の一味だったら、妻と娘の存在も突き止めているはずでしょ。
イーサンにとっては大きな弱みになるのに、なぜ敵がゾーイを利用しようと企まないのか理解に苦しむぞ。

イーサンは病気のことも、CIA捜査官であることも、ゾーイに隠している。だからゾーイは冷淡に接したり、ノホホンと気楽に過ごしていたりする。
それによって、例えば「イーサンがグイドの元へ乗り込もうとするが、気楽なゾーイからの電話を受け、慌てて釈明する」というシーンが生じる。緊迫感から入って緩和に変化するという、コメディーとしての正しい方程式が使われる。
ただし、グイドのことを後回しにするだけでなく、ゾーイと別れた後も商店に立ち寄ったりアパルトマンに戻ったりしているのよね。
それはダメだろ。

ただ、最初はそういう状態であっても、「途中でゾーイがイーサンの仕事や病気に気付き、それによって態度や行動が変化する」という展開が用意されているんだろうと予想した。映画のプロットを考えると、それがセオリーだからね。
ところが実際には、最後までゾーイはイーサンの仕事にも病気とも全く気付かないままなのだ。
それでも面白くなっていれば文句は無いが、そうではない。
だから、それは歓迎できるセオリー崩しではなく、ドラマとして使える要素を損していると感じるだけだ。

(観賞日:2016年1月11日)

 

*ポンコツ映画愛護協会