『誘拐騒動/ニャンタッチャブル』:1997、アメリカ

マサチューセッツ州ボストン。豪邸に住むフリント夫妻は、リジーというメイドを雇っていた。フリントからホットミルクを寝室へ運ぶよう命じられたリジーは、キッチンへ向かう。窓の外から様子を見ていた覆面強盗2人組は、リジーがフリント夫人だと誤解し、彼女を連れ去った。田舎町のエッジフィールドに暮らす16歳のパティーは、のどかで平穏な生活に嫌気が差していた。担任教師から「この町にも良い所が何かあるでしょ?」と問われた彼女は、「飼い猫のDCだけ」と答えた。
パティーは母のジュディーが車で迎えに来ても、「カッコ悪い」と嫌がる。仕方なく車に乗り込んだパティーは、「ここは退屈。ボストンへ引っ越したい」と愚痴をこぼす。ジュディーが一人暮らしの老女マクラッケンや自動車修理工のダスティー、肉屋の店員ルーたちに挨拶しても、パティーは愛想が悪く、馬鹿にしたような態度を取る。ジュディーから注意されても、彼女は憎まれ口ばかり叩いた。
フリント夫妻から誘拐事件発生の連絡を受けたFBIは、捜査に乗り出す。捜査官のジークは見当はずれの場所を調べ、ボスのボディカーは呆れ果てる。ボディカーが穏やかに間違いを指摘しても、ジークは「あの夫婦は嘘をついてますよ」と考えを曲げなかった。パティーの家では、夜の8時になってDCが出掛けて行く。それは毎日のことだ。DCはいつものコースを移動し、空き家に入り込む。そこに監禁されていたリジーはCDを呼び寄せ、腕時計の裏に「Help」の文字を刻んで助けを求めようとする。だが、電話が鳴って慌てた彼女は、「Hell」と書いたところでリジーの首に腕時計を掛けた。
翌朝、パティーはリジーの首に掛けてある腕時計を発見した。新聞に掲載されたリジーの写真を見た彼女は、同じ腕時計だと気付いた。パティーは「リジーがDCに渡した」と確信し、ジュディーが「良くある時計よ」と告げても聞く耳を貸さなかった。フリント家には犯人から身代金を要求する脅迫状が届いた。フリントはボディカーに、株の失敗で破産し、無一文になっていることを打ち明けた。そのことを全く知らなかったフリント夫人は驚いた。
パティーは警察署に赴き、「猫がリジーの居場所を知っている」と訴えるが、まるで相手にされなかった。彼女はボストンのFBI本部へ趣き、腕時計の文字に線を足して「Help」に変える。パティーは「猫がリジーの居場所を知っているから調書を取ってほしい」と求めるが、ボディカーは真剣に子供の相手をするのがバカバカしいので、ジークに担当を任せた。ジークも最初は相手にしなかったが、パティーから腕時計を見せられ、彼女の言葉を信じた。
ジークはボディカーに捜査チームの派遣を申請し、4人の捜査官を与えてもらう。パティーは父のピーターとジュディーにミュージカル『キャッツ』のチケットをプレゼントし、2人を外出させる。ジークはパティーの家で待機し、捜査官たちを張り込ませた。夜8時にDCが外出し、捜査官たちは尾行する。警備員のメルヴィンに恋するルーが事務所の前に肉を置く姿や、ガソリンスタンド経営者のロロがダスティーの工場にある車を破壊する姿などを目撃した捜査官たちは、ジークに無線で「ここは奇妙な町だ」と報告する。
葉巻を吸うために歩いて町に戻って来たピーターは、DCを見つけて抱き上げるが、不審人物としてFBI捜査官たちに拘束される。DCはリジーの監禁されている場所へ行かず、そのままパティーの家に戻って来た。翌朝になって解放されたピーターは帰宅し、パティーと会話を交わす。FBIまで動かしていることに関して、「ママには内緒にしておいて」とパティーが頼むと、ピーターは「1つぐらい秘密があってもいいか」と優しく承知した。
何の情報も得られなかったジークは、ボディカーに叱責され、誘拐事件の捜査から外された。「このままではクビにされる」と危機感を覚えた彼は、パティーと手を組んでリジーの居場所を突き止めようとする。2人は夜8時に外出するDCを尾行した。マクラッケン、ルー、メルヴィンと先輩警備員マーヴィンの行動を目にしたパティーは、「4人がリジーを誘拐した犯人グループよ」と決め付けた。
DCの尾行を続けたパティーとジークは、不審人物として警察に逮捕される。身柄の引き取りに来たジュディーの言葉で、ジークは腕時計の裏に記されていた文字が「Hell」だったことを知る。ジュディーに厳しく叱られたパティーは、家出してニューヨークへ旅立とうと決意した。彼女が駅へ行くと、メルヴィンに振られたと思い込んだルーが旅立とうとしていた。パティーは「気持ちを打ち明けなきゃ」とルーに説き、そのことで自分の考えも変化した。町に戻った彼女は、布の切れ端を拾ったDCと遭遇する。走り出したDCを追ったパティーは、監禁されているリジーを発見する。彼女はジークに電話を掛けるが信じてもらえず、一人でリジーを助けようとする…。

監督はボブ・スピアーズ、脚本はS・M・アレクサンダー&L・A・カラゼウスキー、製作はロバート・シモンズ、共同製作はロス・ファンガー、製作協力はリチャード・ハリス、製作総指揮はアンドリュー・ゴットリーブ、撮影はジャージー・ジーリンスキー、編集はロジャー・バートン、美術はジョナサン・カールソン、衣装はマリー・フランス、音楽はリチャード・ケンドール・ギブス。
出演はクリスティーナ・リッチ、ダグ・E・ダグ、ジョン・ラッツェンバーガー、ミーガン・カヴァナー、エステル・パーソンズ、ディーン・ジョーンズ、ジョージ・ズンザ、ピーター・ボイル、マイケル・マッキーン、ベス・アームストロング、ダイアン・キャノン、レベッカ・シュル、トム・ウィルソン、ブライアン・ヘイリー、マーク・クリストファー・ローレンス、レベッカ・クーン、ネッド・ベラミー、ブラッド・シャーウッド、ロブ・クリーヴランド、ジェフリー・キング、トム・タービヴィル、リビー・ホイットモア、カサンドラ・ロートン、マーゴ・ムーラー他。


1965年のディズニー映画『シャム猫FBI/ニャンタッチャブル』をリメイクした作品。
監督のボブ・スピアーズは1976年からTVドラマを演出しているベテランだが、映画を手掛けるのは本作品が初めて。
オリジナル版では、当時の子役スターだったヘイリー・ミルズが主演した。
1997年に公開された本作品では、『アダムス・ファミリー』や『キャスパー』の出演で子役スターとなったクリスティーナ・リッチがヒロインを務めている。
っていうか、まず彼女ありきでリメイクの企画が立ち上がったんじゃないかと思う。
他に、ジークをダグ・E・ダグ、ダスティーをジョン・ラッツェンバーガー、ルーをミーガン・カヴァナー、マクラッケンをエステル・パーソンズ、フリントをディーン・ジョーンズ、ボティカーをジョージ・ズンザ、ピーターをマイケル・マッキーン、ジュディーをベス・アームストロング、フリント夫人をダイアン・キャノン、メルヴィンをトム・ウィルソン、マーヴィンをブライアン・ヘイリー、ロロをマーク・クリストファー・ローレンスが演じている。

序盤、学校帰りのパティーと迎えに来たジュディーが町を歩くシーンがあり、そこでマクラッケンやルー、ダスティー、ロロ、メルヴィンとマーヴィンなど、エッジフィールドの住人たちが紹介される。
その夜、DCが外出するシーンで、住民たちと昼間とは違う顔が描かれる(例えば地味で陰気なルーは、派手な格好で踊っている)。
無駄に紹介シーンがあるわけではなく、ちゃんと後に繋がっては来るのだが、その一方で、序盤の内から、もっとDCをアピールした方が良かったんじゃないかという風に思えてしまう。
そうやって大勢の脇役たちを紹介することで、話が散漫になっているのではないかという印象も受ける。

DCは毎晩8時になると必ず出掛けるというが、何か大きな1つの目的があるわけではなく、同じルーティーンに従って行動しているという設定だ。
でも、最初の外出シーンでは、観客がそれを見せられるのは1度目だから、それがルーティーンだという印象は弱い。
で、他のルーティーンと同じテンポで、空き家にいるリジーと遭遇するシーンが描かれるので、そこがスーッと流れてしまう。
そのシーンは、もっとチェンジ・オブ・ペースが欲しい。

だから欲を言えば、そこでDCの外出を見せるのではなく、前日の夜に「こういうルーティーンで行動します」ってのを描いておいて、リジーと出会う夜は「いつものように行動したのに、そこだけがいつもと違っていた」という「変化」を見せたいところだ。
ただ、後で捜査官たちがDCを尾行するシーンがあり、そこでも同じルーティーンを見せられることになる。
そうなると、リジーを見つける前に外出シーンを見せるのは避けた方がいいってことになる。
3度も同じようなことを繰り返されてもね。

ただ、その捜査官たちによる尾行シーンも、「人々の行動を見た4人の捜査官が、そこは奇妙な町だと感じる」ってのと、「それぞれがヘマをやらかしてドタバタ喜劇になっちゃう」ってのと、2つを同時進行でやっているのは、上手くないと感じる。
どちらか1つに限定した方がいい。
あと、そこはジークが尾行する形にした方がいい。そこしか出て来ない捜査官たちに「猫を尾行する途中で色んなヘマをやらかす」という役回りを担当させるより、ジークの方が適任でしょ。
むしろ捜査官チームなんて邪魔だよ。

「住民たちの昼と夜の顔が違う」という部分も、要らないんじゃないかなあ。そこ、そんなに上手く使えているようには思えないし。
もっとパティー、ジーク、DCの関係性を厚く描いた方がいい。
これだと、ジークとDCの関係性も、DCの存在感も薄い。
それと、町の人々を描くより、犯人2人組を描いた方がいいんじゃないかとも思う。
誘拐シーン以降、犯人2人組が全く登場しないのは、「実はカフェ経営者夫婦が犯人だった」という展開を用意しているからなんだけど、そこに劇的な効果なんて無いし。
それよりは、別で犯人を用意して、序盤から何度か登場させた方がいいんじゃないかと思う。

捜査官による尾行で何の情報も得られなかった後、今度はパティーとジークがDCを尾行するシーンが用意されているが、それは要らんなあ。
だったら、捜査官チームによる尾行シーンをバッサリと削ぎ落としてしまった方がいい。尾行は1度で充分だ。
ジークとパティーが協力して捜査する部分に関しては、また夜の8時にDCを尾行するのではなく、2人が昼間に聞き込みをしたり町を調べ回ったりして、そこにDCを連れて行くという形にでもした方がいい。
そうすれば、「同じことの繰り返し」という印象は消える。

パティーがマクラッケンやルーたちの行動を見て「みんなが誘拐犯」と思い込むのは、ものすごく無理があるぞ。
っていうか、そういうトチ狂った思い込みに凝り固まるのは、むしろジークに担当させるべき役回りじゃないかと。
パティーの方は、それに呆れたり、否定したりする役回りをやらせた方がいい。
序盤でジークはバカな思い込みをボディカーに呆れられているのに、パティーがバカな思い込みで犯人を決め付けちゃうと、彼のキャラ設定が死んじゃうでしょ。
パティーの勘は、全て的中していることにした方がいい。

ジークがDCに翻弄されるという描写は薄いし、最初はバカにしたり嫌ったりしていたジークがDCとタッグを組むという面白さは無い。
終盤なんて、「ジークが家出したパティーを捜索する」という流れがあるんだから、そのためにDCに手伝ってもらうという展開にすればいいでしょうに。
ところが、「ジークが猫に成り切り、DCの行動を再現しようとする」という展開になっている。
いやいや、もっとDCを使おうよ。そしてパティーやジークとDCの関係性を有効活用しようよ。

『誘拐騒動/ニャンタッチャブル』という邦題は、ふざけているように思うかもしれないが、実は上手いタイトルなのだ。
だから本来は、もっと「人間と猫が協力し、事件を解決に導く」というところがアピールされるべきなのだ。
それなのに、パティーやジークとDCのコンビネーションってのが、ものすごく薄っぺらい。
後半までは、自由奔放なDCにジークが振り回されるということでもいいよ。ただ、クライマックスでは絶妙なコンビネーションを見せるべきじゃないかと。
なんで肝心な時に、DCが関与しないんだよ。

クライマックスはカーチェイスで、そこから連鎖して複数の場所で騒動が起きるという展開になっている。 で、そこでダスティーとロロが争いを始めるとか、マーヴィンが誤解して武装するとか、そういったことが描かれるけど、どうにも散漫になっている印象を受ける。
肝心のカーチェイスの方では、DCはジークとパティーの車に乗せられているだけで、何もしない。
一応、群れに加わってカフェ夫婦の車のボンネットに着地し、驚いた犯人が運転を誤って店に突っ込んで停止するという流れはあるけど、DCが活躍したとか、ジークたちと協力して犯人を捕まえたとか、そういうことではない。
最後まで、DCの存在価値は低い。
極端な話、別にDCがいなくてもいいんじゃないかと思ってしまうぐらいだ。
そこに主眼は置かれていないんだから。

(観賞日:2013年6月28日)

 

*ポンコツ映画愛護協会