『要塞』:1970、アメリカ&イタリア

1944年、イタリアのレアノート。ナチ親衛隊のタウシグ少佐は部隊を率いて村を制圧し、住民を並ばせてパルチザンの居場所を訊く。住民が何も答えなかったため、タウシグは部下に命じて皆殺しにした。村の外に隠れていた子供グループのアルドやカルロ、ディーノたちは、家族が射殺されても耐えるしかなかった。米軍の工作員部隊はパラシュートで降下し、パルチザンと合流しようとする。しかしタウシグはパルチザンの男を暴行して情報を聞き出しており、待ち伏せして部下たちに銃撃させた。
パルチザンはリーダーのスカルピを覗いて全滅し、米軍の部隊もパラシュートが木に引っ掛かったターナーしか生き残らなかった。アルドたちは気絶しているターナーを利用できると考え、その場から連れ去った。ドイツ軍のフフォン・ヘクト大尉は米軍のダイナマイトを発見し、軍議に出席した。彼は米軍の狙いがデラノルテ・ダムだと推測し、先に攻撃を仕掛けるよう進言した。しかしジャニングス大佐は耳を貸さず、捕虜の捜索に専念しろと命じた。
アルドたちはターナーを隠れ家の洞穴に連れ込むが、全く動かないので医者に診てもらおうと考える。アルドはナチスの薬を盗んで横流ししている町医者を尋ね、仲間が病気だと嘘をついて来てもらおうとする。そこへスカルピが来たので、すぐに彼の嘘は露呈した。そこへナチ親衛隊が来たのでアルドは逃亡し、医師とスカルピは射殺された。アルドは仲間のマリオに命じ、ドイツ人女医のビアンカの前で「母が大怪我を負った」と泣く芝居をさせた。騙されたビアンカが森に来ると、アルドは洞穴へ案内した。
洞穴に入ったビアンカはターナーを見て、「敵兵じゃないの。味方の許可が無いと何も出来ない」と治療を拒否する。怒ったアルドは仲間にビアンカを取り押さえさせ、強姦しようとする。ターナーは一時的に意識を取り戻し、アルドを殴り付けて阻止した。アルドはビアンカの応急手当てを受けたターナーを外へ連れ出し、スカルピたちが全滅したことを教える。ターナーが「無線機が欲しい」と言うと、アルドは「フォン・ヘクトの部屋に無線機もライフルもある」と告げた。
ターナーが「1人でやる。これは俺の仕事だ」と口にすると、アルドは「何のために助けたと思う?」と苛立つ。彼は隠しておいた大量の銃を見せ、自分たちに使い方を教えてほしいと頼む。「無線機が先だ」とターナーが言うと、アルドは「俺たちが事を起こす時は手伝ってもらうぜ」と述べた。アルドは見取り図を地面に描き、1人でヘクトの部隊の居留地へ赴いた。彼は「軍医を拉致して米兵を匿っているパルチザンの居場所を知っている」とヘクトに言い、嘘の情報を教えた。
ヘクトは数名の見張りを残し、部隊を率いてパルチザンの制圧に向かった。ターナーは子供たちの協力を得て、アルドと共にヘクトの部屋へ侵入した。彼は無線機を使い、工作員部隊が全滅したことを本部に伝えた。ターナーは部屋に乗り込んできた兵士たちを始末するが、無線機は壊れて使えなくなった。彼はダイナマイトを盗んで逃亡し、ダムを破壊する計画を子供たちに明かした。部屋に戻って来たヘクトはアルドが手引きしたと悟り、部下に捜索を命じた。
ターナーはビアンカに同行を要求し、子供たちを引き連れてダムへ向かう。捜索隊が来ると彼は子供たちに隠れるよう指示し、3人の敵を倒した。ヘクトはトンネル警備に二個師団を移動させる命令を出したヤニングスに撤回を求めるが、冷たく却下された。ビアンカは幼いマリアを心配し、ターナーに「足の傷に菌が入って悪化してるわ。小さい子を連れて戻らせて」と頼む。しかしターナーは冷たい態度で、「俺が許すと思うのか」と一蹴した。
ビアンカはターナーがダムの破壊にアルドたちを利用するつもりだと知り「子供を戦争の巻き添えにするなんて」と批判する。ターナーは全く悪びれず、「連中に手伝わせれば貸し借り無しだ」と告げる。ビアンカは憤慨し、ターナーにナイフで襲い掛かる。ターナーはナイフを奪い取り、彼女を押さえ付けて強姦した。ヘクトはタウシグと合流し、「ここでは私の命令に従ってもらう」と厳命される。しかし彼はトンネルの東側へ向かう命令を無視し、自分の部下たちを連れてダムへ向かった。
アルドたちはターナーからダム爆破を手伝うよう要求され、「その前にレアノート司令部を襲撃する約束だ」と告げる。ターナーは「ダムを爆破すれば大勢のナチを殺せる」と話すが、アルドたちは「協力しないとダムは爆破できない。雷管を隠した」と言う。ヘクトは偵察隊の遺体を発見した部下から連絡を受け、自分の考えが正しかったことを確信した。ターナーはドイツ軍をトラックを奪い、アルドたちを乗せてレアノートへ向かう。彼は手榴弾を次々に投げ込み、子供たちは一斉に射撃してレアノートの部隊を全滅させた…。

監督はフィル・カールソン、原作はS・S・シュバイツァー&スタンリー・コルバート、脚本はオスカー・ソール、製作はスタンリー・S・カンター、撮影はガボール・ポガニー、美術はアリーゴ・エクイニ、編集はテリー・ウィリアムズ、音楽はエンニオ・モリコーネ。
出演はロック・ハドソン、シルヴァ・コシナ、セルジオ・ファントーニ、ジャコモ・ロッシ=スチュアート、ジャック・セルナス、マーク・コレアノ、マウロ・グラヴィーナ、ジョン・フォーダイス、ジュゼッペ・カスート、アメデオ・カストラカン、ジャンカルロ・コロンバイオーニ、ロナルド・コロンバイオーニ、ヴァレリオ・コロンバイオーニ、ジュゼッペ・コッポラ、ルイジ・クリスクオロ、ガエタノ・ダナロ、ヴィンチェンツォ・ダナロ、ダニエル・デンプシー、アンナ=ルイーザ・ジャンチンティー、ダニエル・ケラー、マウロ・オルシ、マウリツィオ=ファブリシオ・テンピオ他。


「サイレンサー」シリーズのフィル・カールソンが監督を務めた作品。
イタリア公開版では第二班監督のフランコ・シリノも共同監督としてクレジットされている。
脚本はTVドラマ『ダコタの男』『ボナンザ』のS・S・シュバイツァー。
ターナーをロック・ハドソン、ビアンカをシルヴァ・コシナ、ヘクトをセルジオ・ファントーニ、タウシグをジャック・セルナス、アルドをマーク・コレアノ、カルロをマウロ・グラヴィーナ、ディーノをジョン・フォーダイスが演じている。

ターナーはアメリカ人、カルロたちはイタリア人、ビアンカやヘクトはドイツ人だが、当然のように全員が英語で話している。
そのため、ビアンカがターナーを見て「敵兵じゃないの」と反発した時、「そんな敵国の言葉をアンタは普通に使ってるぞ」とツッコミを入れたくなる。
本来なら「異なる国の人々が様々な立場で動いている」という状況なのだが、それはあまり伝わらない。
でも当時のアメリカ映画で、そこを言い出しても意味が無いわな。

ターナーはヘクトの部屋へ潜入する仕事について「1人でやる。これは俺の仕事だ」と言うが、それは決して「子供たちを巻き込むのは避けないと」という考えから来ている言葉ではない。単に「邪魔だから1人でやる」と言っているだけだ。
だから彼はアルドたちに対し、小バカにしたような態度を見せる。
銃の撃ち方を教えてほしいと頼まれた時に適当にかわそうとするのも、やはり「子供たちを戦いに巻き込んでいけない」という気持ちなど微塵も無い。
単に「面倒だから嫌だ」と考えているだけだ。

そもそもターナーは、子供たちが復讐のためにドイツ兵を殺したがっていることに対する衝撃を何も感じていない。「戦争は大人の仕事であり、子供たちは守ってやらないと」という使命感なんて全く無い。
それどころか、ヘクトの部屋へ乗り込む時に子供たちを連れて行き、協力させている。ダムの爆破計画にしても、わざわざ明かして協力させている。
部隊は全滅しているので、任務を遂行するために人手を求めるのは分かる。
ただ、そこに「だからって子供を巻き込んでいいのか」という葛藤が皆無なのよね。

「ターナーは1人で何とかしようとするが、子供たちが復讐心を燃やして志願するので、悩んだ末に手伝わせることに」みたいな手順は無い。
失敗すれば命の危険もあるような計画に、平気で子供たちを利用している。
まだ小学生にも満たないぐらいの幼児も含まれているが、長い距離を歩かせる。まるで罪悪感を見せない。

ターナーはビアンカからマリアの傷について聞かされても、冷たい態度を取る。「マリアが死んでも俺の知ったこっちゃないし」と言わんばかりの態度だ。彼はレアノートへ向かい、子供たちにナチの拠点を攻撃させる。
子供たちがレアノートで大勢のドイツ兵を撃ち殺して大喜びするシーンを見ると、公開当時に厳しい批判を受けたのも当然だと感じる。
ここで子供たちの目的を達成させたターナーは、ダムの見張りを殺す手伝いをさせる。
この時も、もちろん何も思っちゃいない。

ターナーはダムへ侵入し、アルドたちが敵と撃ち合っている間に爆弾を仕掛ける。当然のような犠牲者が出るが、ターナーは目的を果たすためなので平気だ。
単に犠牲者が出るだけでなく、アルドに至っては敵を撃つのに邪魔だからという理由でカルロを射殺する。でも仲間を殺しても彼は全く気にせず、大勢のドイツ兵を殺して興奮している。
調子に乗ったアルドの様子を見て、ようやくターナーは後悔の念を示すが、あまりにも遅すぎる。
せめてカルロが殺される前に気付いて、子供たちを巻き込まないように行動しないと。
ターナーの後悔は、そのための犠牲がデカすぎるし、ほぼ意味の無い後悔になっちゃってるのよ。

(観賞日:2021年8月18日)

 

*ポンコツ映画愛護協会