『余命90分の男』:2014、アメリカ

1989年9月。ヘンリー・アルトマンは妻のベティー、長男のピーター、次男のトミーと公園へ出掛けた。ベティーは幼い子供たちが遊ぶ様子をビデオで撮影し、ヘンリーは幸せを感じていた。それから25年後、ヘンリーは病院へ向かう車の中で苛立ちを募らせていた。信号が青になって車を発進させた彼は、横から突っ込んで来たタクシーとぶつかった。ヘンリーは車を降りてウズベキスタン人の運転手を怒鳴り付け、激しく罵倒した。
同じ頃、バスで医療センターに向かっていた女医のシャロン・ギルは、3日前に死んだ飼い猫のハロルドを思い出した。ハロルドが死んだことで、彼女の心は折れそうになっていた。診察にも身が入らず、明らかに心を病んでいた。医学生の頃は理想に燃えていたシャロンだが、現実は全く違っていた。そのことで苛立ちを覚えた彼女は、誰もいない場所で絶叫した。ヘンリーは医療センターの待合室にいる間も、イライラしていた。彼は秘書のジェーンに電話を掛け、経営する弁護士事務所の会議に遅れることを告げた。
看護師のローワンに呼ばれたヘンリーは、担当医のフィルディング医師が急用で不在なので代わりにシャロンが診察すると言われる。薬を飲んで気持ちを落ち着かせたシャロンが診察室へ行くと、ヘンリーは「何をしてた?2時間以上も待ったぞ」と怒鳴った。「検査結果は聞いてます?」とシャロンが尋ねると、彼は「いや、たぶん偏頭痛だろうと」と言う。「前回の検査前に話をした」と彼が説明すると、シャロンは「脳動脈瘤です」と静かに告げた。
激しく動揺したヘンリーは、「叔父と同じだ。歯磨き中に倒れて死んだ」と口にする。「死ぬのか」と彼が尋ねると、シャロンは「コブの大きさと場所によります」と説明する。ヘンリーが喚き立てて具体的な説明を求めると、シャロンはコブが大きいこと、脳幹の近くにあることを教えた。ヘンリーが批判的な言葉を浴びせて罵ったので、余命を問われたシャロンは「残り90分」と適当な嘘をついた。ヘンリーは「きっと生きてやるからな。病院の責任者に電話してクビにしてやる」と言い放ち、診察室を出て行った。
ヘンリーは「死ぬ前に何をすればいい?」と考えながら、弁護士事務所へ向かう。シャロンはヘンリーを追い掛けるが、既に彼は病院を出ていた。彼女は同僚のジョーダンから「患者に余命90分と告げたことが噂になっている」と言われ、「パニックになっていたから」と言い訳した。脳動脈瘤なのに帰らせてしまったことも知って、ジョーダンは「マズいよ。医師免許を失いかねない。訴えられたら君は終わりだ」と告げる。すぐにシャロンは、ヘンリーを見つけ出す必要性を実感した。
弁護士事務所に戻ったヘンリーは、共同経営者である弟のアーロンが顧客のクーパー&イェーツと話している部屋へ赴いた。「相談がある。私の顧客が余命90分と宣告された。何をすべきだろう?」と言われたクーパーたちは冗談として受け止め、軽い気持ちで答える。複数の意見が出た後、イェーツはヘンリーに「最後に妻と愛し合い、幸せな時間を過ごすんだな。結局は家族が全てだ」と述べた。「妻や息子と過ごしたい」とヘンリーが告げると、「今さら受け入れられると?この2年、喧嘩ばかりだった」とアーロンは口にした。
ヘンリーが「金魚が家族のお前に何が分かる?」と言い返すと、アーロンは「兄さんの家族のことは分かる。90分で何が分かる?フェラにしろ」と最後はジョークを口にした。ヘンリーを抱き締め、「愛してる」と告げて立ち去った。一方、ヘンリーの職場へ向かおうとしていたシャロンは、ジョーダンからの電話で「彼について調べたが、タチの悪いクレーマーだ。それと脳の画像を調べさせたが、既に動脈壁から出血してる。死ぬのは時間の問題だ」と聞かされた。
ヘンリーはジェーンに電話を掛け、「初恋相手のフリーダや小学生時代の担任、恩師のトーマスや旧友のビックスたちを食事会に招待する。リストをメールで送った。30分で必ず来てほしいと伝えてくれ」と告げる。死亡記事を録音しようとした彼は、トミーのことを思い出す。ヘンリーはトミーを弁護士にしようと一流教育を受けさせたが、「ダンスを仕事にする」と言われて激怒した。「名刺も用意してある」とヘンリーが言うと、トミーは「ピーターのためだろ。僕はピーターじゃない」と告げた。
ヘンリーはダンスアカデミーに電話を掛け、練習しているトミーを呼び出してもらおうとする。しかしトミーは学費返済の催促だろうと考え、電話に出なかった。彼はアカデミーの助手に「用件を聞いておけ」と言い、恋人であるアデラとの練習を続けた。シャロンは弁護士事務所へ行き、ヘンリーの不在を知る。そこにアーロンが来たので、シャロンは場所を変えて「お兄さんは脳動脈瘤の治療を拒んだ」と説明した。
アーロンはシャロンに、「兄は様子が変だったが、今に始まったことじゃない。2年前、息子のピーターを狩猟事故で亡くして、それから人が変わった。昔は一緒に良くランチをしたが、今は会話も無い」と話した。シャロンは余命90分が誤解であることを告げ、すぐに入院させる必要性を説いた。彼女はアーロンに、「血圧が上がると困るから怒らせないで」と言う。ヘンリーは最後に妻のベティーを抱きたいと考え、自宅へ戻った。隣人のフランクが来ていたので、彼はベティーに「今すぐ追い出せ。君とセックスして夫婦の時間を過ごしたい」と述べた。ベティーが「セックスはしない」と拒むと、ヘンリーは「この2年間、怒ってばかりで良い夫じゃなかった。だが君への愛は変わらない。大事なのは家族だ」と述べた。
ベティーは「罪滅ぼしのセックスなんて御免よ。以前の貴方は楽しい人だったけど、今は最低の男よ」と罵り、「息子を亡くしたんだ」とヘンリーが言うと「私もよ」と反発した。彼女が泣きながら「もうピーターはいないのよ。なぜトミーを愛してやれないの」と責めると、「社交ダンスは仕事じゃない、道楽だ」とヘンリーは声を荒らげた。ベティーは「私はフランクとセックスしまくってる。私たちは愛し合ってる」と嘘をつき、ヘンリーを追い払った。
ヘンリーはダンスアカデミーに電話を掛けるが、トミーは外出中だと助手に言われる。腹を立てたヘンリーは助手を怒鳴り付け、携帯電話を叩き付けて壊してしまった。シャロンとアーロンはベティーの元を訪れ、事情を説明した。アーロンはジェーンからの電話で、ヘンリーがレストラン『ジュニア』でパーティーを開いていることを知らされた。ヘンリーは期待に満ちた様子で『ジュニア』へ行くが、25人を招待したのに来ていたのは高校の同級生であるビックスだけだった。
ヘンリーはビックスに、脳動脈瘤で余命90分であることを話した。ビックスが「高校時代に彼女を奪われた」と怒り出したので、ヘンリーは「私が死のうとしているのに、大昔の恨みか。だから今でも惨めなんだよ」と罵って立ち去った。彼はトミヘーに愛してると伝えたいと考え、ビデオカメラを購入した。ホームレス集団を見つけた彼は、元は映画会社の重役だったというのガミーとカメラマンのレオンに自分を撮影してほしいと頼んだ。ヘンリーはビデオに向かって、トミーへの謝罪と愛の言葉を語った。
ヘンリーはピーターの事故死に触れ、「神様は、なぜあんな惨いことを。世の中は欺瞞だらけだ。夢を見せておきながら、残酷な現実を突き付ける。悲しみは癒える、怒りを手放せだって?ふざけるな。私には怒りしか無い」と感情的になった。そのせいで血圧が上がり、彼は頭を押さえて倒れ込んでしまった。トミーはベティーからの電話で、ヘンリーが脳動脈瘤であること、行方不明になっていることを聞かされた。ヘンリーから電話があったことを思い出し、トミーは無視したことを悔やんだ。
意識を取り戻したヘンリーは、自分が「愛してる」さえ怒りながらでなければ言えないのだと気付いた。ビデオカメラを持っているレオンを見つけたシャロンは、ヘンリーの居場所を教えてほしいと頼んだ。彼女が持っていた薬を渡すと、レオンはヘンリーが自殺するためにブルックリン橋へ向かったことを教えた。ヘンリーは橋へ来たシャロンに呼び掛けられ、「なぜ最後まで苦しめる?放っておいてくれ」と怒鳴った。シャロンは「脳動脈瘤は本当だけど、余命は嘘。鎮静剤の飲み過ぎで普通の状態じゃなかった」と釈明し、病院へ戻るよう説得する。シャロンは「飛び降りたら人生は取り返しが付かない」と訴えるが、ヘンリーは橋から飛び降りてしまう…。

監督はフィル・アルデン・ロビンソン、オリジナル脚本はアッシ・ダヤン、脚本はダニエル・タプリッツ、製作はボブ・クーパー&ダニエル・J・ウォーカー&タイラー・ミッチェル、共同製作はキャスリン・ディーン、製作総指揮はパウル・チョー&トレヴァー・サリバ&カレン・ランダー&ミニ・クニス&マリーナ・グラシッチ&アンソニー・ジャブレ&ジャン・コーベリン&ジャン=シャルル・レヴィー&グレン・マーレイ&デイル・アーミン・ジョンソン&ジュリー・B・メイ&マイケル・イリッチJr.&オリン・ウォインスキー&ゴードン・ビエロニッチ、製作協力はコーリー・ラージ、撮影はジョン・ベイリー、美術はインバル・ワインバーグ、編集はマーク・ヨシカワ、衣装はエマ・ポッター、音楽はマテオ・メッシーナ、音楽監修はボニー・グリーンバーグ。
出演はロビン・ウィリアムズ、ミラ・クニス、ピーター・ディンクレイジ、メリッサ・レオ、ジェリー・アドラー、ボブ・ディッシー、サットン・フォスター、リー・ガーリントン、クリス・ゲッタード、リチャード・カインド、ハミッシュ・リンクレイター、オルガ・メレディス、ダヴィン・ジョイ・ランドルフ、イザイア・ウィットロックJr.、ジェームズ・アール・ジョーンズ、ダニエル・レイモント、ジェレミー・ハリス、ロイ・ミルトン・デイヴィス、ハンク・チェン他。


俳優のアッシ・ダヤンが監督&脚本&出演を務めた1997年のイスラエル映画『Mar Baum』をリメイクした作品。
オリジナル版はイスラエル・アカデミー賞で最優秀男優賞と最優秀脚本賞を監督している。
『フィールド・オブ・ドリームス』『スニーカーズ』のフィル・アルデン・ロビンソンが、2002年の『トータル・フィアーズ』以来となる監督を務めている。脚本は『マンハッタン・ミステリー/消えた黒い箱』『カオス・セオリー』のダニエル・タプリッツ。
ヘンリーをロビン・ウィリアムズ、シャロンをミラ・クニス、アーロンをピーター・ディンクレイジ、ベティーをメリッサ・レオ、クーパーをジェリー・アドラー、フランクをボブ・ディッシー、アデラをサットン・フォスター、ガミーをリー・ガーリントン、ジョーダンをクリス・ゲッタード、ビックスをリチャード・カインド、トミーをハミッシュ・リンクレイター、ジェーンをオルガ・メレディスが演じている。
「ロビン・ウィリアムズの遺作」と紹介されているデータもあるようだが、最後の出演作は2015年に公開された『ミラクル・ニール!』(声優としての参加)。正しくは「最後の主演作」だ。

この映画の欠点は、「ちっとも笑えない」という一言に集約できる。そこに集約してしまえば、それが唯一の、そして致命的な欠点ということになる。
どう見たってコメディー映画として作られているはずなんだから、「笑えない」ってのは致命的でしょ。
「余命わずかと宣告されたヘンリーが最期は自分の望み通りに過ごそうとするが、ことごとく計画通りに運ばない」という部分で笑いを作ろうとしているようだが、そこが湿っぽいまま終盤へと突入してしまう。
残り20分ぐらいになって、ようやく「ヘンリーとシャロンが乗ったタクシーの運転手が序盤で揉めたウズベキスタン人で、ヘンリーに襲い掛かろうとする。シャロンが催涙スプレーを噴射して蹴りを入れ、激しく罵ってタクシーを奪う」とか、「ヘンリーに促されたシャロンがタクシーを飛ばすが、すぐパトカーに捕まる」といったシーンでコメディーとしての味わいを感じることが出来る。
だけど、もう遅すぎるのよね。

冒頭、1989年9月にアルトマン一家が公園で過ごしている様子が描かれる。
それが「まだ一家が幸せで、ヘンリーが偏屈じゃなかった頃」を示すためのオープニングってことは理解できる。そして、「ヘンリーが最初から嫌な男だったわけじゃない」ってことを示すために、過去の様子を入れるのが悪くない方法だってことも理解できる。
しかし、その冒頭シーンは、それほど有効に機能しているわけではない。
その程度で済ませるぐらいなら、むしろ「現在の偏屈なヘンリー」からスタートして、「昔は違ったよね」という回想シーンを途中で挿入する形にした方が効果的だっただろう。

現在のヘンリーが写し出されると、「ヘンリー・アルトマンは病院へ向かう途中、嫌いな物リストを頭の中で作成した」という語りが入る。そしてリストの一覧が羅列された後、タクシーを衝突するシーンが描かれる。
それが終わるとシャロンが登場し、「シャロン・ギルは死んだハロルドを思い出した。3日前、10階から飛び降りたのだ」というナレーションが入る。
まず、2人の心境をナレーションで説明するのが不恰好という問題が1つ。
それより大きな問題は、最初に「ヘンリーの物語」として始めたはずなのに、いきなり「ヘンリーとシャロンの物語」という形になっていることだ。これは構成として、どう考えても上手くない。

シャロンが医療センターに到着した後、「医学生時代の彼女は理想に燃えていた。患者の一人一人に誠意を尽くすと。しかし誠意には限りがあり、要求はエンドレスだ。現実は患者一人に対し、15分の診察が限界だ」というナレーションが入る。
しかし、それは「ハロルドの死で診察に身が入らない」ってのとは全くの別問題だ。
「理想と現実のギャップ」でシャロンがストレスを貯め込んでいるのなら、ハロルドの死という要素は邪魔になる。どっちか片方に限定すべきだろう。
っていうか、その辺りを全てナレーションで説明しなきゃならないというのは、やっぱり処理として失敗していると思うわ。

ヘンリーがタクシー運転手に怒鳴り付けた後、すぐにシャロンのターンへ移ることによって、「ヘンリーが常にイライラしている男」というアピールは薄味になってしまう。
その後の展開を考えても、シャロンの診察を受ける前の段階で、もう少し「ヘンリーが多くの苛立ちを抱えている」ってことをアピールしておくべきだろう。
「そういう性格や言動のせいでヘンリーが身内から嫌われている」ってのは、余命宣告を受けた後のシーンで初めて提示するよりも、その前の段階で触れておいた方が得策だ。

ヘンリーに喚かれたシャロンは近くにあった雑誌の表紙にあった数字を見て、余命が90分だと口にする。
だが、それが「ヘンリーの罵倒に苛立って嘘をついた」ってことなのか、「精神的に追い込まれて咄嗟に変なことを口走った」ってことなのか、その辺りがボンヤリしている。正直、そんなにイライラしている様子が強いわけじゃないしね。
ただ、後から「パニックになった」と釈明しているけど、それだと「だから余命が90分だと告げる」ってのは腑に落ちないわ。やっぱり「ヘンリーが罵倒するので、憤慨して嘘を教えた」という形が腑に落ちると思うなあ。
っていうかさ、「ヘンリーに罵倒され、憤慨して嘘の余命を告げる」ってことにしておけば、そこまでの「ハロルドが死んで云々」とか「理想と現実の違いで云々」とか「気持ちを落ち着かせるために薬を服用している」といった説明や描写は全く要らないんだよね。そこは無駄にシャロンというキャラの描写を厚くしているとしか思えないのよ。
そりゃあキャラを厚くするってのは大切なことだけど、序盤でヘンリーと同じぐらいシャロンを厚くしているのは、バランスが悪いと感じるのよ。

ヘンリーはイェーツから「結局は家族だ」と言われ、妻子と最後の時間を過ごそうと決める。
しかし、その場に弟のアーロンがいるのに、彼が余命宣告を受けたことを全く明かさないのは違和感が強い。
アーロンが「弟は家族じゃないのか?」と問い掛け、ヘンリーは「妻や息子と過ごしたい」と答えるが、もちろん「最後は妻と息子」ってのは分かるのよ。だけど、その前にアーロンに事情を説明するぐらいのことはしてもいいでしょ。
あとさ、アーロンって「ますます嫌な奴になったな」と言ってるけど、そんなにヘンリーを嫌っているようには見えないのよ。そうなると、「嫌われ者が余命宣告を受けたことで変化して」という仕掛けの意味が弱くなるでしょ。

ヘンリーが「顧客が余命90分と言われて」と相談した時、アーロンにしろイェーツにしろ、それがヘンリーの余命だとは思っていないはず。
ところが、イェーツは真面目な様子で「最後に妻と愛し合い、幸せな時間を過ごすんだな」と助言する。また、アーロンは「90分で何が分かる?」と言っている。
なぜ「ヘンリーが90分で妻子と分かり合おうとしている」という部分は、普通に受け入れているのか。
そこで「なぜ90分にこだわるのか。もっと時間を掛ければいいでしょ。すぐ死ぬわけでもないんだし」といった疑問を抱かないのは、どうにも引っ掛かってしまう。

ヘンリーは食事会を企画したり、家族と最期の時間を過ごそうと考えたりする。
そういう行動を取る中で疑問に感じるのは、「なぜ余命のことを誰にも話さないのか」ってことだ。
「あえて余命を隠すことで、周囲の人々の本当の気持ちを知ろうとする」という作戦であれば、それは分からないでもない。しかし、彼は単純に「最後は家族や思い出のある人々と過ごしたい」ってことで身内や仲間を集めようとしているだけなのだ。
だったら、「余命わずかなので集まって欲しい」と事情を打ち明けない理由が全く無いでしょ。

シャロンがジョーダンから「動脈壁から出血してる。死ぬのは時間の問題だ」とヘンリーの病状を聞かされた段階で、ちょっと困惑してしまう。
「余命90分はシャロンの嘘」ってことで始まっているんだから、最終的に「嘘だと知ったヘンリーが助かって、性格も改善されて、周囲との関係も良くなってハッピーエンド」ってのを予想していたのよ。
ところが、「結局は死期が近い」ってことになると、「余命90分の嘘」っていう仕掛けが弱くならないかと。

さらに、シャロンがアーロンと話すシーンで、「ピーターが2年前の事故で死んでいる」という出来事が明かされて、ますます困惑してしまう。
「どっちにしろヘンリーは死期が近い」「長男を2年前に事故で亡くしている」という要素を盛り込んでおいて、それで喜劇を作ろうってのは、かなり難しい作業じゃないのかと。
こうなると、もはや演出が云々とか、そんな問題じゃないような気がするぞ。何をどう頑張っても、喜劇に昇華できないんじゃないかという気がするぞ。
だって、幾らヘンリーがコミカルに行動しようと、どれだけドラマをコミカルに描こうと、「主人公は2年前に息子を亡くし、自分も死期が近い」というシリアスな状況は変えられないんだから。

2年前にピーターが死んでいることが明かされると、同時に「そのせいでヘンリーは人が変わった」ということも説明される。それは、「ヘンリーが無闇にイライラして周囲に罵声を浴びせるようになった理由」の説明である。
それによって、ヘンリーは単なる「嫌な奴」から、「同情すべき哀れな男」へと変化する。
主人公が嫌な奴のままだと何も笑えないので、そこを変化させるのは間違っちゃいないよ。
だけど「長男の死で人が変わった」と説明されても、やっぱり笑えないでしょ。

諸々の問題を全て脇に置いておくとして、「じゃあ感動のドラマとして見ればいいんじゃねえか?」と思うかもしれないけど、そのように捉えたとしても、作品の評価が上がるわけではないのよね。
感動させるドラマとしては、家族関係の描写が薄すぎるのよ。
「余命宣告を受ける前の段階」からアルトマン家の家族関係は、それなりに描写しておいた方がいい。その上で、余命宣告の後にも充実させた方がいい。
そういうことを考えると、「シャロンが個人的な問題を抱えている」とか、「ヘンリーが大勢を招待してパーティーを開く」とか、その辺りはバッサリでもいいよ。そうすれば、もっと「家族のドラマ」に使える時間も増えただろうし。
本来なら「家族全員がピーターの死を引きずっている」ってのは重要な要素のはずなのに、そこも弱いし。

(観賞日:2016年4月21日)

 

*ポンコツ映画愛護協会