『Mr.タスク』:2014、アメリカ

ロサンゼルス。ポッドキャスト番組『ナッシー・パーティー』を運営しているウォレス・ブライトンとテディー・クラフトは、映画『キル・ビル』に影響された少年の動画を取り上げた。少年はガレージで刀を振り回していたが、誤って自分の右脚を切ってしまった。2人は動画を見て大笑いし、次週の番組でウォレスが取材した少年の映像を放送することにした。飛行嫌いのテディーはロスに留まり、ウォレスは少年が暮らすカナダへ飛んだ。
マニトバ州を訪れたウォレスは、2日前に少年が死んだことを知った。彼はウィニペグのバーからテディーに電話し、動画で使った刀で自殺したことを伝えた。代わりのネタが無いまま帰れないウォレスは、トイレに貼ってあった一枚のチラシに着目する。それはハワード・ハウという老人が書いた物で、数々の冒険談を伝えたいという内容だった。ウォレスはバイフロストに住むハワードに電話を掛け、「来てくれるなら屋敷の一室を提供する。部屋代は無料で構わない」と告げられた。
深夜になってウォレスが屋敷に到着すると、電動車椅子で暮らすハワードが歓迎した。彼はウォレスに紅茶を勧めると、ノルマンディーでアーネスト・ヘミングウェイと会った時のことを語る。彼はウォレスに、暖炉に飾ってある酒瓶がその時の証拠だと告げた。その近くに飾ってある動物の骨にウォレスが興味を示すと、ハワードはセイウチのペニスの骨だと教えた。彼は「セイウチは最も高貴な生き物だ」と言い、漂流した時のことを話す。彼は1959年にシベリアのホオジロザメを追っていたが、船が氷山に激突して沈んだ。1人だけ生き残ったハワードは、小さな島に辿り着いた。
島にいたセイウチが、ハワードの体を温めてくれた。そのセイウチを、ハワードはミスター・タスクと呼ぶことにした。彼の「ミスター・タスクと一緒に過ごした半年は至福の時だった」という話を聞いていたウォレスは、紅茶に混入されていた薬で眠りに落ちた。ウォレスは恋人のアリーから、カナダ行きを反対されていた。「その子を利用するなんて意地悪よ」とアリーは言うが、ウォレスは「その小僧が連絡してきたんだ。ポッドキャストのためだ」と反論した。アリーが同行を求めると、彼は「テディーが嫉妬する」と告げた。
アリーとセックスしている夢から醒めたウォレスは、自分が広い部屋で車椅子に座っていることを知った。意識が朦朧としているウォレスに、ハワードは「冒険談を話していたら、君がソファーから滑り落ちた。君のズボンから毒グモが見つかった」と語る。ウォレスが「電話を掛けたい」と言うと、彼は「君を診たドクター・ムシエが踏み付けて壊してしまった」と述べた。ウォレスが「足の感覚が無い」と口にすると、ハワードは「それは脊髄に麻酔を打ったせいだろう。毒を大量に入れられて、足首が象のように腫れてしまったんだ。医者は命を救うため、荒療治を行った」と説明した。
自分の下半身を確認したウォレスは、左脚の膝から下が切断されていることを知って驚愕する。「なぜ病院に運ばない?」という質問に、ハワードは「病院は病原菌だらけだし、この屋敷の方が消毒されていて綺麗だというのがドクター・ムシエの考えだ」と述べた。ウォレスが「その医者と話したい。どこにいるんだ?」と尋ねると、彼は「往診に出ている」と答えた。ウォレスの体はベルトで固定してあり、ハワードは「椅子から落ちないようにするためだ」と告げた。「電話を貸してくれ」というウォレスの頼みに、ハワードは「安静のために、ドクターが全ての電話を持ち去ってしまった」と述べた。
夕食の際、ウォレスはハワードに疑いの眼差しを向け、「クモなんていなかったんだろ?」と問い掛ける。ハワードは「クモはいた」と言って具体的に説明するが、ウォレスは納得せずに「イカれた変人野郎、今すぐ家に帰らせろ」と怒鳴る。するとハワードは立ち上がって平手打ちを浴びせ、「だったら無駄は省こう」と告げた。彼はリアルなセイウチのスーツを作ったことを話し、「それを着る前に君自身がセイウチになるんだ。人間の言葉を使ってはいけない」と述べた。
ウォレスが「なんで、こんなことを?」と泣きながら訊くと、ハワードは「長年の謎を解き明かすんだ。我らが海を出て直立した頃からの謎を。人類の本質はセイウチなのではないか」と語った。ウォレスは隙を見てアリーに連絡しようとするが、彼女は充電の最中だった。ウォレスは知らなかったが、アリーはテディーと浮気していた。翌朝、アリーは留守電に残されたハワードのメッセージを聞き、ベッドで寝ているテディーを慌てて起こした。テディーとアリーはウォレスを捜索するため、カナダへ赴いた。
ハワードはウォレスの肉体を改造し、セイウチ人間に変貌させた。ウォレスは舌を抜かれ、話すことも出来なくなった。テディーたちは刑事のフランク・ガーミンに留守電の声を聞かせるが、「ハワード・ハウという人物はマニトバに存在しない」と告げられた。ガーミンは2人に「足の件が気になる。2日前にケベックから男性が訪ねてきた。足の無い死体が発見されていないかと。元警官で、連続殺人犯を捜しているらしい」と語り、ギー・ラポワンテという男の連絡先を教えた。
ハワードはウォレスを鎖で拘束しており、「セイウチな泳げないとな」と言ってプールに引きずり込んだ。ウォレスが必死で体を動かすと、ハワードは手を叩いて喜んだ。プールに沈んだウォレスは、セイウチ人間の死骸を目撃した。テディーとアリーはギーと会い、20年前から連続殺人犯のハワードを捜していることを聞かされる。これまでにハワードは23人を殺害しており、行方不明者は1ヶ月後に皮膚を剥がされた状態で発見される。両脚は膝下から切断され、両腕は体と結合し、舌は引き抜かれている。ギーは2年前にハワードと接触したが、簡単に騙されて見逃していた…。

脚本&監督はケヴィン・スミス、製作はシャノン・マッキントッシュ&サム・イングルバート&ウィリアム・D・ジョンソン&デヴィッド・S・グレートハウス 製作総指揮はジェニファー・シュウォールバック・スミス&ネイト・ボロティン&ニック・スパイサー、製作協力はジェイソン・ミューズ&ジョーダン・モンサント&クリス・パーキンソン、撮影はジェームズ・R・ラクストン、美術はジョン・D・クレッチマー、編集はケヴィン・スミス、衣装はマヤ・リーバーマン、特殊メイク効果プロデュースはロバート・カーツマン、音楽はクリストファー・ドレイク。
出演はマイケル・パークス、ジャスティン・ロング、ハーレイ・ジョエル・オスメント、ジェネシス・ロドリゲス、ギー・ラポワンテ(ジョニー・デップ)、ハーリー・モレンスタイン、ラルフ・ガーマン、ジェニファー・シュウォールバック・スミス、ハーリー・クィン・スミス、リリー=ローズ・メロディー・デップ、アシュリー・グリーン、ダグラス・バンクス、マシュー・シヴリー他。


『クラークス』『世界で一番パパが好き!』のケヴィン・スミスが脚本&監督を務めた作品。
ハワードをマイケル・パークス、ウォレスをジャスティン・ロング、テディーをハーレイ・ジョエル・オスメント、アリーをジェネシス・ロドリゲスが演じている。
ギー・ラポワンテを演じている役者は「ギー・ラポワンテ」と表記されるが、これはジョニー・デップの変名。
ウェイトレス役はケヴィン・スミス夫人のジェニファー・シュウォールバック。コンビニ店員を演じているのは、ケヴィン・スミスの娘であるハーリー・クィン・スミスとジョニー・デップの娘であるリリー=ローズ・メロディー・デップ。
ジョニー・デップの娘は、これがデビュー作。

ケヴィン・スミスは映画プロデューサーを務める盟友のスコット・モシャーと共に、ポッドキャスト番組「SModcast」を配信していた。
そのポッドキャストから生まれたのが、この映画だ。
つまり劇中に登場するウォレスとテディーのモデルは、ケヴィン・スミスとスコット・モシャーだ。
番組の視聴者がリンクしたサイトに、「セイウチのスーツを作ったので、それを着てセイウチの真似をしてほしい」という広告が掲載されていた。広告が偽物だったことは後に判明するが、それが着想の発端となっている。

『キル・ビル』少年が右脚を切断する動画を見たウォレスとテディーが大笑いするシーンから、映画は始まる。その少年にウォレスは会いに行き、既に死んでいることを知る。
だが、その辺りの出来事は、ストーリー展開に大きな影響を与えるモノではない。キル・ビル少年に関連するシーンの意味は、「ウォレスとテディーは大怪我を負った少年を嘲笑するようなクソども」ってことを示しておくことにある。
少年の死を知っても、ウォレスは何の罪悪感も抱かず、「代わりのネタが必要になった」と嘆くだけだ。そんな連中ってことを最初に示すことで、「クソ野郎だったウォレスが、セイウチ人間に改造されることで人間性を見せるようになる」といいうシニカルなトコを狙ったんだろう。
ただ、それが成功しているかというと、答えはノーだけどね。

ウォレスとテディーの性格を見せておくという意味はあるし、とりあえずメイン2人のキャラは紹介しておいた方がいいので、キル・ビル少年関連のシーンで時間を割くのは分かる。
ただ、饒舌な入国審査官がベラベラと喋るシーンの意味は、これっぽっちも分からない。ここで話したことが、後の展開に絡んでくるわけではない。その入国審査官が、後で再登場するわけでもない。入国審査官を演じている人物が、ゲスト出演の俳優というわけではない。
だから、そこは「ちょっとした時間稼ぎ」にしか思えない。
ウォレスがコンビニでバイフロストまでの距離を尋ねるシーンだって無意味っちゃあ無意味だけど、入国審査官のシーンに比べれば遥かに短いし、何よりハーリー・クィン・スミスとリリー=ローズ・メロディー・デップを登場させるという意味があるからね。

ウォレスはバーでハワードのチラシを見ると強い好奇心を示し、すぐに連絡を取る。
だけど、「老人の冒険談を聞かせます」なんてチラシは、そこまで食い付く力を持っているだろうか。具体的に「こういう類の冒険談」ってのが書かれているわけではないし、老人がどんな奴なのかも全く情報は無い。
「他に何も見つからないし、とりあえず当たればラッキー」という程度の意識なら、分からんでもないのよ。
だけどウォレスは最初から「大当たりだ」という前のめりな態度で、ハワードに会いに行くわけで。それは不可解だなあ。

ウォレスが屋敷に到着すると、最初にハワードはヘミングウェイに会った時の出来事を語る。
薬の効果が出るまでの時間稼ぎという意味もあるし、映画としても「いきなりウォレスを眠らせて」という流れよりは少し準備段階があった方がいいだろう。
なのでヘミングウェイの話をするのは別にいいのだが、わざわざ青年時代のハワードとヘミングウェイのシーンを入れる意味は無い。
ウォレスがシベリアで島に辿り着いた時のシーンも、これまた全く必要性が無い。「セイウチと遭遇し、温めてくれた」というトコまで見せるなら一気に必要性が生じるが、それが無いのなら回想シーン丸ごとカットでいい。

ポッドキャストの存在を知らないハワードにウォレスが「ネット上のラジオ」と説明すると、彼とテディーが番組で下品な発言をしている様子が挿入される。
そんなの、まるで必要性が無い。
前述したウォレスの冒険談に関連する回想シーンの何倍も、必要性が無い。
最初のシーンで、「彼らはこういうポッドキャストを配信しています」ってのは観客に提示しているし。そこも、短いシーンではあるものの、入国審査官の時と同じく「ちょっとした時間稼ぎ」でしかない。

ウォレスが眠りに落ちた後、カナダへ来る前にアリーと話していた時の様子が挿入される。
それは「薬で眠ったウォレスの見ている夢」という設定なのだが、そこでアリーとのシーンを挿入する意味も乏しい。これまた前述したシーンと同じく、時間稼ぎでしかない。
後からアリーが登場するので、彼女を登場させておくという意味はあるかもしれない。ただし、それならカナダへ飛ぶ前に、そのシーンを描いておけばいいんじゃないかと言いたくなる。
「早くハワードを登場させたかった」という言い訳は、他のトコで無駄な時間稼ぎをしている以上、成立しない。

ウォレスが眠りに落ちた時点では、ハワードが紅茶に薬を混入したことは明らかだが、それをハッキリと描くことは無い。
そしてウォレスが目を覚ました後も、ハワードは「クモに噛まれたので医者が来て右脚を切断して」と説明する。それが真っ赤な嘘なのはバレバレなので、その手順の必要性も全く分からない。
まだ「ウォレスが最初の内は信用する」ってことなら分からんでもないが、すぐに怪しんでいる。そして夜になると、あっさりとハワードが本性を表すのだ。
だったら、嘘をついている手順はホントに無意味だよ。さっさと「全ては計画通り」ってことを明かしてしまった方がいい。

サハワードがウォレスに目的を明かすシーンの後、カットが切り替わるとアリーが泣きながらカメラ目線で「彼が憎いけど、それ以上に男に振り回される自分が憎い」などと語る様子が2分ほど続く。そこからカットが切り替わると、今度はウォレスがカナダへ出発する前に放送したポッドキャストのシーンが写し出される。放送が終わると、ウォレスはカナダで浮気する考えを楽しそうに話し、テディーが「あんないい女を騙して」と言う。
その後でテディーとアリーの浮気が描かれるので、「そりゃあウォレスがそんな男なら、アリーも浮気するわ」と思わせるための行程を用意したつもりなんだろう。
だけど、そもそもテディーとアリーが浮気している設定の必要性が皆無に等しい。ウォレスが浮気性ってことだけを示しておけば、それで事足りるはずでしょ(それさえも必要不可欠というほどではないが)。
テディーとアリーの関係が後の展開に影響を及ぼすことなんて、何一つとして無い。なので、アリーが泣きながら誰に「貴方無しでは生きていけない」と言っているのか分からないように描いておいて、しばらくしてから「その後はテディー」と明かす仕掛けも、「だから何なのか」と言いたくなるだけだ。

ハワードはウォレスを施術しながら、少年時代の過酷な出来事を語る。無法者に両親を殺されて孤児院に収容されたこと、教会の策略で孤児たちが精神病院へ移されたこと、そこで暴行と強姦を受け続けたこと、15歳でカナダを逃げて渡米したことを語る。
「そんな経験があったので、人間よりもセイウチの方がいいと思うようになった」ってことをアピールしたかったようだ。
だけど、ハワードという人物に厚みを持たせるために、そこが貢献している部分はものすごく脆弱だ。
さらに困ったことに、「セイウチ人間に作ろうとする彼の策略より、そっちの経験の方が遥かに怖いじゃねえか」と感じてしまう。

この映画の最大の問題は、「怖くないのに笑えるトコも無い」ってことだ。
表面上はホラーなので、「怖くない」ってのは致命的な欠点となる。しかし、「イカれた老人が標的をセイウチ人間に改造する」というプロットのバカバカしさを考えれば、「笑いと恐怖は紙一重」ということを意識して映画を作った方がいいだろうと感じる。
なので、最初からホラー・コメディーとして作るにせよ、「マジにやっているけど笑えてしまう」というテイストにするにせよ、喜劇の方向へ振った方が望ましい。
ところが、この映画には笑いの意識が全く無いのだ。
そのため、「セイウチ人間」という部分の荒唐無稽っぷりが、純粋に「ダメなバカバカしさ」として伝わってしまう。

実際のセイウチ人間が登場すると、その印象はさらに強まる。
ツギハギ状態の縫合跡や滲んでいる血によって不気味さや怖さを醸し出そうとはしているのかもしれないが、滑稽にしか感じない。それが「喜劇としての意図した面白さ」なら問題は無いが、ただ安っぽいだけだ。
ギーが登場すると、こいつの振る舞いだけはユルいコメディーを感じさせる。
ただ、そこまでが徹底してホラーなので、ギーだけがユルさを表現すると、今度は「場違いなキャラ」として浮いてしまう。

あと、ギーが登場すると2年前にハワードと出会った時のシーンが挿入されるが、これまたダラダラと時間を稼いでいるだけになっている。
そんなの、丸ごとバッサリとカットしていいようなシーンだ。
結局、「イカれた男が標的をセイウチ人間に改造する」というトコを、綺麗な形で膨らませることが出来なかっただけにしか思えないのよ。
だからクエンティン・タランティーノの出来損ないみたいな手口を使い、無駄話と寄り道で誤魔化す構成になっちゃっただけにしか思えないのよ。

(観賞日:2018年12月8日)

 

*ポンコツ映画愛護協会