『メラニーは行く!』:2002、アメリカ

アラバマ出身のメラニー・カーマイケルはニューヨークでデザインの勉強を積み、7年で独り立ちしてショーを開催できるほどになった。 そんな彼女は現在、市長ケイト・ヘニングスの息子アンドリューと交際している。メラニーはアンドリューからプロポーズされ、即座に OKした。2人の婚約は、すぐマスコミに取り上げられた。
アンドリューから両親への連絡を求められたメラニーは、1人で会いに行くと告げる。実は、彼女は故郷の町ピジョン・クリークで結婚 しており、まだ離婚が成立していなかったのだ。故郷に戻ったメラニーは、夫ジェイクの元を訪れて離婚届にサインをするよう迫る。 しかしアンドリューは拒否し、保安官ウェイドまで呼び寄せる。
メラニーはひとまず、父アールと母パールの待つ家に戻った。翌日、彼女は旧友ボビー・レイ、銀行の警備員ユージーン、ウェイドの妻で 銀行員のドロテアなど、昔馴染みの人々に会う。メラニーはジェイクに署名させるため、彼の貯金を全て使い果たす。メラニーはジェイク を追い掛け、彼の母ステラの営むバーへ出向く。ジェイクを見つけたメラニーだが、悪酔いしたボビー・レイがゲイだと皆の前でバラした ことから、その場の雰囲気が一気に悪くなる。ジェイクはメラニーを店から連れ出し、自分の家へ連れ帰った。
翌日、メラニーが目を覚ますと、ジェイクが署名した離婚届が置いてあった。メラニーは離婚届を弁護士ビュフォードに送り、ジェイクと 仲直りした。メラニーはボビー・レイに謝るため、彼がいるマーフィー・カーマイケル大佐の豪邸へ向かう。ボビー・レイに詫びた直後 、ケイトが調査目的で送り込んだ男バリーが現われた。裕福な家庭で生まれ育ったと経歴を詐称しているメラニーは、カーマイケル邸を 自分の家だと偽った。ボビー・レイも話を合わせ、バリーは街を去った。
メラニーはルーリンから、ジェイクが彼女に会うためニューヨークへ行ったこと、今のままでは妻を取り戻せないと感じて故郷に戻り 頑張ってきたことを聞かされた。メラニーの心が揺れる中、アンドリューが街にやって来た。メラニーが結婚していたことを知り、アンドリューは街を去ろう とする。しかし彼はすぐに戻り、あらためてメラニーに愛を伝える。メラニーが故郷で結婚式を開きたいと言うと、アンドリューは喜んで 同意した。大勢の人々が集まり、ピジョン・クリークで2人の結婚式が催されることになったのだが…。

監督はアンディー・テナント、原作はダグラス・J・エボック、脚本はC・ジェイ・コックス、製作はニール・モリッツ&ストークリー・ チャフィン、製作総指揮はマイケル・フォトレル&ジョン・ジャシュニ&ウィンク・モードーント、撮影はアンドリュー・ダン、 編集はトロイ・タカキ&トレイシー・ワドモア=スミス、美術はクレイ・A・グリフィス、衣装はソフィー・デ・ラコフ・カーボネル、 音楽はジョージ・フェントン。
主演はリース・ウィザースプーン、共演はジョシュ・ルーカス、パトリック・デンプシー、キャンディス・バーゲン、フレッド・ウォード、 メアリー・ケイ・プレイス、ジーン・スマート、イーサン・エンブリー、メラニー・リンスキー、コートニー・ゲインズ、メアリー・リン ・ライスカブ、ローナ・ミトラ、ネイサン・リー・グラハム、 ショーン・ブリッジス、フリート・クーパー、ケヴィン・サスマン、トーマス・カーティス、ダコタ・ファニング他。


『エバー・アフター』のアンディー・テナントが監督を務めた作品。
メラニーをリース・ウィザースプーン、ジェイクをジョシュ・ルーカス、アンドリューをパトリック・デンプシー、ケイトをキャンディス・バーゲン、アールをフレッド・ウォード、パールをメアリー・ケイ・ プレイス、ステラをジーン・スマート、ボビー・レイをイーサン・エンブリーが演じている。

メラニーはワガママで自分勝手でイヤな女として描かれている。
それは「そんな彼女が自分の心に正直になって変わっていく」という展開にしてあるので(それは全く上手く行っていないんだが)、まあ良しとしよう。
ただし終盤、テメエで結婚式をドタキャンしておいて、ケイトに非難されたら逆ギレするってのは違うだろうに。

原題が「Sweet Home Alabama」なので、「メラニーがジェイクとヨリを戻して故郷のアラバマに戻る」という結末が待っていることは 見え見えだ。
しかも、ただ故郷に戻るというだけではない。仕事を辞めて故郷に戻るのだ。
彼女はデザイナーの仕事に疑問を抱いたり都会での生活に疲れたりしていたわけではなく、むしろ充実していた。
なので、その結末に行き着くために越えるべきハードルは、かなり高いものになっている。
で、どうやってハードルを越えるのかと思っていたら、越えていなかった。

これまでアラバマのことを完全に自分の中から切り離そうとしていたメラニーが、久しぶりにピジョン・クリークに戻って故郷の良さに 触れ、「もう故郷を捨てようなんて思わない、ニューヨークでデザインの仕事は続けるけれど、たまに故郷には帰るしアラバマのことを 大切に思う」という程度なら、まあ分かる。
しかし、仕事を辞めて故郷に戻るとなると、アンタの7年間は何だったのかと思ってしまう。
そんなに簡単に辞められるものだったのかと。
そもそも、メラニーがピジョン・クリークへ戻ることを嫌がっている、そこでの暮らしを嫌がっているという様子が乏しい。
故郷に戻っても、普通に昔馴染みの人々と旧交を温めているし、仲良くやっている。
ずっと帰っていなかったという設定はあっても、故郷を捨てていたという印象は伝わってこない。
せいぜい、故郷じゃなくジェイクを捨てたという感じにしか見えない。

「なぜ仕事を辞めて故郷に戻るのか」というハードルの他にも、「なぜアンドリューと別れてジェイクとヨリを戻すのか」というハードル が設定されている。
そして、このハードルも越えられていない。
アンドリューはメラニーに優しく、ワガママも聞いてくれて申し分の無い男である。
そんな彼とあっさり別れてしまうメラニーの行動に付いていくことは、ちょっと難しい。
しかもメラニーがジェイクとヨリを戻すトドメになるのが、「彼がガラス製品の事業で成功していたことを知る」というシーンなのだ。
人間性よりも「仕事で成功しているか否か」という部分が大きな決め手になっているような描写になっている(いや、ちゃんと頑張って いるということを伝えたかったんだろうけどね)。

結果的には、「ヤンキー(北部の人間)になろうとしたヒロインが、ヤンキーで民主党員の恋人と別れ、バリバリの南部女だった自分に 戻ってダンナとヨリを戻すことを決めました。南部ってサイコーだよね」という、諸手を挙げて南部を賞賛する映画になっているんだが、 なぜメラニーがその結末を選んだのかという部分に全く説得力が無い。
ジェイクもアンドリューも「性格的にも良い人物で金銭的にも余裕がある」という申し分の無い人間に設定したのは、メラニーの「強い 意思を持って正直に生きる」という選択を描こうとしたゆえ、なのかもしれない。
しかし、それによってハードルは非常に高くなっているわけで、自分で設定したハードルなら、ちゃんと越える方法は考えておくべきだろう。
自分でハードルを高くしておきながら、それを全くのノープランで越えられずに終わるって、そんな茶番は無いだろうに。

最後のハードルとして、アンドリューに同情が集まりすぎることを避けねばならない、という問題がある。
彼に同情が集まってしまうと、「メラニーの選択に納得がいかない」という問題をさらに大きくしてしまうことに繋がる。
だが、ここも全く越えられずに終わっている。
一応、アンドリューにはメラニーとは別に恋の相手が設定されているんだが、その描写は全く無いのよね(というかカットされたらしい)。
ってなわけで、ハードルは1つも越えられずに終わりましたとさ。

 

*ポンコツ映画愛護協会