『マイ・ビッグ・ファット・ドリーム』:2009、アメリカ&スペイン

ジョージア・ラナコポリスは古代ギリシャの美と建築の虜だが、現在のギリシャには納得できない部分も多い。彼女は1年前にアテネ大学の教員として採用されたが、あっさりと解雇された。そのため、現在は一時的にパングロス・ツアーズという旅行会社の観光ツアーガイドとして働いている。ジョージアはパングロス・ツアーズ経営者のマリアから、ツアー客のアンケート結果が全て「普通」という評価だと聞かされる。最も低い評価が「普通」なので、つまり彼女の評価は最悪ということになる。
しかしジョージアは全く反省せず、むしろツアー客の質に問題があるのだと主張する。彼女は「私じゃなくて客が退屈なのよ。今までのツアーで客は毎回、同じタイプ。酔っ払ったオーストラリア人、タチの悪いアメリカ人、不幸な夫婦、男漁りをするバツイチ女、年寄り、ウケてるつもりのイラつく男」と語る。マリアは彼女に、バスの運転手がスピロが駆け落ちしたため、プロコピが代役を務めると告げる。プロコピは髪も髭も伸ばし放題の不気味な男で、しかも英語が全く通じない様子だった。
ジョージアが出掛けるのと入れ違いに、評判の良い同僚のニコがオフィスー戻って来た。マリアはニコに、「ジョージアはケフィ(情熱や喜び)に欠ける。教職までの繋ぎのはずなのに、仕事が無いから居座ってる」と愚痴る。ニコが「彼女を辞めさせたら昇給してくれる?」と持ち掛けると、マリアは「私に内緒でやってね」と告げた。ジョージアは担当するBグループのツアー客の元へ行き、自己紹介する。アーブという男が真っ先に口を開き、くだらないジョークを飛ばして大笑いした。オーストラリア人カップルのケンとスーは、訛りの強い言葉で陽気に喋った。
女医のエリザベスと夫のスチュワート、不機嫌そうな娘のケイトリンというタレン一家もツアー客だ。キムとビッグ・アルのソーチャック夫妻、バーナビーとドーカスの老夫婦もバスに乗り込む。男漁りが目的で参加したバツイチ女のレナとララは早速、バンケーキ店オーナーのマークに目を付けた。後から来た老女3人組は、まるで英語が通じない様子だった。小太り男のゲイターは恋人探しでギリシャに来たことを話すが、うっかり者のようだった。
バスが出発すると、ジョージアはギリシャの建造物について説明を始めようとする。しかしドーカスが土産物を配り出し、エリザベスは「蒸し暑いわ。これじゃ娘が息苦しい」と不満を訴える。ジョージアはプロコピに送風機を動かすよう指示するが、煙が噴き出したので慌てて止めた。ジョージアがツアー客を連れて最初の目的地に到着すると、先に出発していたニコがAグループのツアーの客を楽しませていた。ジョージアが歴史について真面目に講釈を始めようとすると、ツアー客は口々に「アイスは?」「コンビニは?」と文句を言う。その近くでニコは自作したゼウスとアテナの顔出し看板を取り出し、そこでツアー客に写真を撮影させた。
ジョージアは「安っぽい」と見下し、さっさと歴史的価値のある神殿へ移動した。「顔出し看板で写真を撮りたい」とBグループの客たちもいたが、そんな言葉を彼女は無視した。ジョージアは神殿について説明するが、真面目に拝聴する者など皆無だった。そこへニコが来ると、神殿の説明は適当に終わらせ、土産の買い物へとAグループの客を案内した。Bグループの面々も買い物を望み、ニコに誘われるとアーヴ以外は喜んで同行した。
ジョージアはプロコピの前で、「歴史に興味の無い団体に遺跡を案内して回り、給料はスズメの涙。ツアー中の宿は最悪。友達はいないし、セックスも御無沙汰」と漏らす。プロコピが言葉を挟んだので、ジョージアは彼が英語を話すと知って驚いた。バスに戻って来たツアー客に対し、ジョージアは「時間が無いので車中で食べられる物を買って来たわ」と肉の串焼きを差し出す。しかしツアー客は不満を漏らし、ニコが「ハードロックカフェに行かないか。ギリシャ風だ」と誘うと喜んで付いて行った。
バスが宿泊先に到着すると、工事中のオンボロ宿だった。ニコのAグループは、向かいの一流ホテルにチェックインした。ジョージアはマリアに電話を掛けて文句を言うが、「ホテルがあるだけマシよ。予算が無いの」と切られてしまった。彼女は辞職を告げるマリア宛ての手紙を書き、翌朝になってからホテルの従業員に投函を頼む。法外な値段を吹っ掛けられたのでジョージアが文句を言うと、「嫌なら現金じゃなくてもいい」と体の関係を迫る。今まで同じ手口で4人と寝たと言う男に、ジョージアは金を支払った。
ジョージアは教会へ赴いて解説するが、やはり誰も真剣に聴かない。スチュワートが妻と娘の写真を撮ろうとしているのを見たアーヴは、「家族写真を」と撮影係を請け負う。アーヴは合図のカウントを取り続け、「娘さんが笑うまで数える」と言う。ケイトリンは笑うが、エリザベスが「早く撮ってよ」と怒ったタイミングでアーヴはシャッターを切る。エリザベスはジョージアに、「あの男、我慢の限界よ」と怒りをぶつける。ジョージアが「私は耐えてるわ」と告げると、エリザベスは「上司に連絡するわよ」と言う。
ジョージアは「文句があるなら、これに書いて」と述べ、アンケート用紙を配った。ジョージアから「アンタのジョークは笑えない」と冷たく言われたアーヴは、「女房とは20年間、ツアーで各地を回ったが、今回は彼女がいないから最悪だ」と話す。ジョージアは「奥さんも嫌気が差して一人で羽を伸ばしに行ったんでしょ」と告げるが、アーヴの表情で事情を察し、謝罪した。他のツアー客の冷たい視線に気付いた彼女は、「ショッピングに行きましょう」と持ち掛けた。
髭を剃ったプロコビはアイスを買ってジョージアに渡し、「彼にあげて」と一人で佇んでいるアーヴを指し示した。ジョージアが改めて詫びると、アーヴは「妻がいた頃は、僕もマシだった。3年前に死んだ妻にも言われた。自分が思ってるほど面白くないって」と笑った。「幸せだったのね」とジョージアが言うと、彼は「喧嘩ばかりだったが、楽しかった。毎朝、笑顔で目覚めた」と話す。彼はジョージアに、「君も出来る。肩の力を抜いて心を開けばね」と述べた。
遅れてバスに戻って来たドーカスは、ラナとララに首飾りをプレゼントした。それは彼女が露店から盗んだ物だった。ジョージアは文句を言いに来た露店の主人に気付くが、プロコピにバスを発進させた。オリンピアに到着したジョージアは真面目に解説するが、やはり誰も真面目に聴かない。「この仕事は苦痛」と彼女が吐露すると、アーヴは「仕事だと思わなければいい。僕はアイスのテイスターだったが、妻が倒れて世話をした。ギリシャに来たがってた」と言う。彼の助言を受けて、ジョージアは解説の内容を柔らかく変えた。
その夜、アーヴから「もっとセックスしないと。彼氏はいないのか」と問われたジョージアは、「ちょっと惹かれてる人がカウンターにいるの」と告げる。アーヴはプロコビのことだと誤解し、「行ける。迫れ」と促した。しかしジョージアの目当てはマークで、彼に声を掛けて話し始める。密かに期待していたプロコビは、早々にカウンターを後にした。ジョージアはセックスへの雰囲気に持ち込もうとするが、マークはシロップやクレープについて饒舌に喋る。ジョージアはすっかり退屈し、途中で眠り込んでしまった。
翌朝、アーヴはジョージアに、「みんなを楽しませたらどうだ?歴史は卑猥な話に事欠かない」と下ネタを使うよう提案した。出発したバスの中でジョージアが真面目な解説を始めると、途端にツアー客たちは退屈そうな様子を見せた。そこでジョージアは、すぐさま下ネタに切り替えた。しかし気になったプロコピが余所見をしてしまい、対向車と衝突しそうになる。ジョージアの叫び声で、彼は慌ててハンドルを切ったが、道を外れて崖に乗り上げてしまった。
車の修理を待つ間、ソーチャック夫妻はジョージアに「彼は君に見とれてしまったんだ」と言う。アーヴやキムは、彼に話し掛けるよう促した。プロコビはジョージアと話し、デイジーの花を摘んで差し出した。いい雰囲気になっている2人の様子を見たツアー客たちは、ジョージアに向かって手を振った。バスの修理が終わり、再びジョージアたちは出発した。アポロン神殿に到着すると、彼女は「神託を伝える巫女は人目に触れぬよう、石の後ろに隠れて質問に答えたの」と解説した。アーヴは石の後ろに隠れ、他のツアー客たちの質問に答えて行く。最初は軽い質問だったが、次第に真剣な悩み相談になっていく。そんな質問に対し、アーヴは穏やかな口調でカウンセラーのようにアドバイスを送った…。

監督はドナルド・ペトリ、脚本はマイク・リース、製作はミシェル・チュドシック・ゾーヴァ&ナタリー・マルシアーノ、共同製作はデニース・オデル&マーク・アルベラ、製作総指揮はジェフ・アッバリー&ジュリア・ブラックマン&リタ・ウィルソン&ピーター・サフラン&トム・ハンクス&ゲイリー・ゴーツマン、共同製作はピーター・フレンドランダー、製作協力はデニス・ペドレゴサ、撮影はホセ・ルイス・アルカイネ、編集はパトリック・J・ドン・ヴィトー、美術はデヴィッド・チャップマン、衣装はララ・ウエテ&レナ・モッサム、音楽はデヴィッド・ニューマン。
出演はニア・ヴァルダロス、リチャード・ドレイファス、マリア・アダネス、シーラ・ベルネッテ、マリア・ボット、ジャレブ・ドープレイズ、レイチェル・ドラッチ、アレクシス・ゲオゴーリス、サイモン・グリーソン、イアン・ゴメス、キャロライン・グッドール、アリステア・マッゴーワン、ラルフ・ノセック、ナタリー・オドネル、イアン・オギルヴィー、ブライアン・パレルモ、バーニス・ステガーズ、ソフィー・スタッキー、ハーランド・ウィリアムズ、リタ・ウィルソン他。


『デンジャラス・ビューティー』『10日間で男を上手にフル方法』のドナルド・ペトリが監督を務めた作品。
脚本は『ザ・シンプソンズ MOVIE』『アイス・エイジ3 ティラノのおとしもの』のマイク・リース。
ジョージアをニア・ヴァルダロス、アーヴをリチャード・ドレイファス、レナをマリア・アダネス、ドーカスをシーラ・ベルネッテ、ララをマリア・ボット、ゲイターをジャレブ・ドープレイズ、キムをレイチェル・ドラッチ、プロコピをアレクシス・ゲオゴーリス、ケンをサイモン・グリーソンが演じている。
アーヴの死んだ妻エリノアの役で、トム・ハンクス夫人のリタ・ウィルソンが1シーンだけ出演している。

原題は『My Life in Ruins』なので、日本語タイトルとは全く異なっている。
『マイ・ビッグ・ファット・ドリーム』という邦題は、ニア・ヴァルダロスが主演し、本作品と同じくトム・ハンクスがプロデュースした『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』を意識した物だ。意識したっていうか、「便乗した」と表現した方が正確かな。
『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』の方は、全米で大ヒットを記録したし、日本でもそれなりに知名度があるだろうってことで、似せた邦題を付けたんだろう。
そういう安易な感覚で既存の映画に似せた邦題を付けた洋画にロクなモンが無いってのが私の持論なんだけど、それは本作品も該当する。

そもそも、この企画でニア・ヴァルダロスをヒロインに起用している時点で、なんかズレてるんじゃないかという気がするんだよなあ。
だって、これは「アメリカ人女性がギリシャ美術に夢中で遥か遠くのギリシャへ行き、アテネ大学教員になったけど1年で解雇され、情熱を完全に失っていたけど観光客と触れ合う中で変化していく」という話でしょ。だったら、ギリシャ系カナダ人のニア・ヴァルダロスではなくて、ギリシャとは全く無縁の女優を起用した方がいいんじゃないかと。
ギリシャが舞台で、ギリシャ系カナダ人が主演だったら、「母国を離れて遥か遠くで仕事をしている孤独なアメリカ人」という印象が無駄に弱まるでしょ。その一方で、ギリシャ系カナダ人としての強みも使えなくなるし、何の得も無いと思うんだよね。
序盤でニコとマリアの「心意気に欠けるギリシャ人?」「生粋のギリシャ人じゃないのかも」という会話から考えると、「ギリシャ人なのにケフィを失っていたヒロインが、ケフィを取り戻すまでの話」ということなのかもしれない。
でも、そうなると今度は「それならヒロインをアメリカ人に設定している意味が無くなるんじゃないか」と言いたくなってしまう。

まず序盤の段階で、ヒロインに共感する余地が全く感じられない。
彼女は遺跡や神殿について真面目に歴史を説明し、その美術的価値を語ろうとする。
観光客は全く興味を示さない連中ばかりだが、ジョージアは「観光客が退屈な連中ばかりなのだ」と主張し、自分のやり方を変えようとはしない。顔出し看板を使ったり、神殿の説明を適当に終わらせて買い物に連れて行ったりするニコに対しては、安っぽいし間違っていると考えている。
しかし、誰がどう考えたって、ニコの方がツアーガイドとしては優秀だ。

ヒロインが共感を誘わないのは、「最初は堅苦しいガイドを続けていたジョージアが変化し、柔軟になる」という展開を用意してあることが最初からバレバレであり、良い意味での予定調和として、その通りの展開が用意されているので、そこは一向に構わない。
しかし問題は、ガイドとして優秀であるニコを悪役にすることで、彼のガイドとしての仕事ぶりまで全否定されてしまうってことだ。
ニコがジョージアを辞職に追い込むために策を講じるのは、否定されるべきだろう。
だけど、ニコのガイドぶりはツアー客から好評なんだから、そこは正当に評価しなきゃダメだと思うのよね。

しかも、ニコがジョージアを陥れようとしているという筋書き自体、ものすごく中途半端な扱いになっているんだよね。
それに、そんな策略があろうが無かろうが、ジョージアは途中で嫌気が差して辞任を決意しているわけで。
そうなると、ニコの行為は全くの無意味ということになってしまうでしょ。
だったら、そんな役割など与えず、単純に「いけ好かない所もあるけど、ガイドとしては優秀な男」としてだけ使えばいいんじゃないかと。

ジョージアはガイドとしては堅苦しい解説ばかりするけど、まるで冗談が通じないガチガチの性格なのかというと、そういうわけでもない。
日焼け止めが目に入ったマークが目をパチパチさせたのを自分へのウインクだと誤解し、ウインクを返すシーンもある。
スーからビールを差し出されると、「飲むと酔っ払って、すぐにベルボーイを漁っちゃう」と笑えない冗談を飛ばしたりする。
「歴史的建造物や芸術作品に対してだけ生真面目」ってのは、分かることは分かる。でも、それが彼女のキャラを中途半端にしていると感じる。

ずっと不機嫌で仏頂面だったケイトリンが、アーヴから「笑うまでカウントする」と言われたら素直に笑い、それどころか母親が怒った顔で写っている写真を見たら楽しそうにしている。
その安易すぎる豹変ぶりはどうなのよ。
しかも、それ以降は再び仏頂面になるんだぜ。それなら、そこの笑顔も邪魔なだけでしょうに。
そんで、ずっと不機嫌だったのが、「ビーチに行く」とジョージが言った途端、満面の笑みを浮かべる。なんて簡単なのかと。

ジョージアはドーカスが盗みを働いていることを知っても、バスを発進させる。
それを「肩の力を抜いて心を開いた」という表現にしているつもりなのかもしれんけど、それは単に「アカン振る舞い」だろ。なんで盗みを正当化しちゃってるんだよ。幾ら相手が問題のある店主だったにしても、盗みはダメだろ。
しかも、ジョージアがピントはズレてるけど柔らかい一面を見せたので、そこからツアーの内容も変化するのかと思いきや、相変わらずの堅苦しい説明だし。
最初は「笑えないジョークばかり言っている勘違い男」だったアーヴが、後半に入ってから「みんなの雰囲気を変えるムードメイカーであり、優れた助言をする優秀なカウンセラー」という立場に転換するのも、かなり唐突で無理がある。
ポジションニングをスムーズに移動させることが出来ないのなら、最初からアーヴを「優秀なムードメイカーでありカウンセラー」という役回りにしておけばいいのよ。

ジョージアがマークから口説かれていると思い込んでいる要素は、チョロッと使われるだけ。
最終的にプロコビとカップルになるんだし、そこの恋愛劇を最初から前面に出して、ハッキリとした形で進行させた方がいいんじゃないのか。
もしくは、導き手となる観光客をアーヴじゃなくて恋の相手にした方が、よっぽどスッキリするんじゃないかと。
「アーヴとの交流でヒロインが変化する」というストーリーと、プロコビとの間に生じる恋愛劇は、まるで上手く絡み合っていないし、両立させることも出来ていないんだよな。

しかもプロコピとの恋愛なんて、取って付けた感しか無いぞ。
アーヴたちからプロコピを勧められるまでは、ジョージアは彼のことなんて何とも思っちゃいなかったはずなのに、そこで話した途端、急に「プロコピに惹かれました」という態度になっちゃうんだぜ。
そこでプロコピが話す内容って、「指揮者は間近で音楽を聴き、骨で音楽を感じる。僕も同じだ。運転席でハンドルを右や左に切ると、目の前に美しい眺めが広がる。それは氷に閉じ込めた音楽のようだ」というモノなんだけど、それに対してジョージアは心を惹かれているんだよな。
ワケが分からんよ。そのセリフの、どこに惹かれる要素があったのか。

いっそのこと、ジョージアの恋愛をゼロから始めさせなければいいんじゃないかと。
以前から交際中だけど関係が悪化している恋人がいるとか、あるいは密かに思いを寄せている相手がいるとか、そういう設定にしておけばいい。
そうすれば、「恋愛感情なんてゼロだったのに、唐突に着火して燃え上がる」というトコロの無理を解消することも出来るだろう。
そして、「アーヴの影響でジョージアが変化する」という線と上手く絡ませることも可能になるだろう。

ホテルのエレベーターが故障したのにクラークが映画に夢中で全く対応してくれず、プロコピが「なぜエレベーターが使えないの?」と訊いた時にジョージアは「ギリシャだからよ」と嘆息する。そして「『その男ゾルバ』で全財産を失ったアンソニー・クインが踊るのよ。この国は、そうやって回ってる。シャワーが壊れても、プライバシーが無くても、トイレが壊れても踊るの。ギリシャの哲学よ。国中がルールや規律に無頓着」と愚痴る。
そうやってギリシャに対して不満を抱いているのであれば、そこを強調したキャラクター造形にした方がいいんじゃないのか。
ギリシャに対して好印象を抱いておらず、「ケフィ」の精神に対しても否定的だったヒロインが、仕事をしてプロコピや観光客と触れ合う中で変化していく、という話にした方が良かったんじゃないかと。
どうせ「ケフィを失っていたヒロインが、アーヴやプロコビたちと触れ合う中で少しずつ変化していく」というドラマをスムーズに描写できず、ケフィに目覚める経緯がギクシャクしちゃってるんだし。

(観賞日:2015年3月30日)

 

*ポンコツ映画愛護協会