『ミュンヘン』:2005、アメリカ

1972年9月5日の早朝、ミュンヘンのオリンピック村にパレスチナの過激派組織「黒い九月」のメンバーが侵入した。彼らはイスラエル選手団宿舎へ武装して突入し、抵抗した2人を殺害して残る9人を人質に取った。彼らはイスラエル軍事政権に対し、政治犯200名の解放を要求した。テレビの生中継を見たメンバーは西ドイツの警官隊が包囲していることを知り、脅しを掛けて撤退させた。さらに彼らは移動を要求し、空軍基地へ向かった。しかし西ドイツの警官隊と激しい銃撃戦が勃発し、人質は全滅した。
イスラエル政府は緊急閣議を開き、ゴルダ・メイア首相は「彼らに共存する気が無いのなら、我々も共存する義務は無い」と述べた。既にゲリラの訓練所を空爆して60名が死亡していることから、報復に反対する意見も出た。しかしゴルダは「我々の強さを示さねば」と言い、責任は全て自分が取ると約束した。モサドの一員であるアヴナーはザミール将軍に呼ばれ、ゴルダの元へ出向いた。アヴナーは2年前にゴルダの警護を担当しており、顔見知りの関係だった。
その場にはゴルダの他に、モサド長官のハラリとヤリフ将軍、ナデフ将軍も同席していた。ザミールはアヴナーに、「特命を受ける気はあるか?祖国を離れる。数年間かもしれん。誰にも話してはならん」と告げる。アヴナーの妻であるダフナは、妊娠中の身だった。しかしアヴナーは、特命を受けることにした。彼は工作管理官のエフライムから、「モサドを退職してもらう」と言われる。さらにエフライムは、雇用関係が無いことを示す契約書への署名を指示した。これにより、アヴナーは公式には「存在しない人間」になった。
アヴナーは工作費と給与用として、ジュネーヴの銀行に2つの口座を作るよう指示される。エフライムが「ミュンヘン事件に関与した11名を1人ずつ殺すのだ。全員がヨーロッパにいる」と話すと、アヴナーは「情報はくれないのか」と尋ねる。エフライムは「君を知らないから、協力できない」と告げるが、仲間が4人いることは説明する。そして彼は、「車や文書偽造のプロ、掃除屋もいる。君がリーダーだ。出来れば爆弾で殺せ。仲間の1人が作る」と述べた。
アヴナーはジュネーヴへ飛び、仲間たちと顔を合わせた。車輌専門のスティーヴ、後処理専門のカール、爆弾専門のロバート、文書偽造専門のハンスという4人である。アヴナーはローマに住む旧友のアンドレアスと連絡を取り、情報収集に協力してもらおうとする。彼が訪れると、アンドレアスはイヴォンヌという恋人と一緒にいた。アヴナーはアンドレアスから仕事を問われ、アメリカ人のために働いていると嘘をつく。イヴォンヌは彼の持っていた札束を奪い取り、協力を引き受けた。
アヴナーはアンドレアヌスの友人であるトニーと会い、アブ・ダウド、アブ・ユセフ、ワエル・ズワイテル、カマル・ナセルといった面々の情報提供を求める。ミュンヘン事件の首謀者であるアリ・ハッサン・サラメの名を出すと、トニーは「奴は無理だ」と告げた。同席したアンドレアスが「PLOに入るつもりか」と心配すると、アヴナーは席を外すよう指示した。トニーは1人につき6万ドルの報酬を要求し、「ズワイテルはローマにいる。『アラビアン・ナイト』をイタリア語に翻訳した。明日は朗読会だ」とアヴナーに教えた。
次の日、アヴナーたちはズワイテルを張り込み、朗読会が終わるのを待った。アヴナーとロバートはアパートへ戻ったズワイテルを待ち受け、拳銃を発砲して逃走した。アヴナーはフランスへ飛び、情報屋のルイと接触した。ルイが「政府の手先になるのは御免だ」と言うと、アヴナーは「相手は個人だ」と告げた。ダマスカス発のルフトハンザ機がハイジャックされ、ドイツ政府はミュンヘン事件の犯人3名を釈放せよという要求を承諾した。チャーター機でリビアへ渡った3人は英雄扱いを受け、テレビの取材を受けて堂々と会見を開いた。その様子を見たアヴナーだが、そちらには行かず、暗殺リストを片付けるようチームに告げた。
アヴナーたちが2人目の標的に選んだのは、パリに住むマフムッド・ハムシャリだ。ロバートは記者を装って彼のアパルトマンへ行き、取材と称して接触する。彼は連絡を入れるフリをして、電話機を確認した。ハムシャリが妻と娘を連れて外出した時、ロバートは家に侵入して用意した電話機と入れ替えた。その電話機には爆弾が設置されており、受話器を取ると爆破装置の青いランプが付くようになっている。装置のキーを差し込んで回すと、爆発が起きるという仕掛けだ。
翌日、アヴナーたちはアパルトマンを張り込み、ハムシャリの妻と娘が外出するのを確認する。カールが電話ボックスからハムシャリを呼び出そうとするが、ロバートたちが乗る車の前に大型トラックが停車した。アヴナーはカールに待機を命じ、ロバートの元へ走る。その間にハムシャリの娘が戻って来たが、アヴナーたちは気付かなかった。アヴナーはトラックが前を塞いでいても電波に問題は無いと聞き、カールに電話を掛けるよう指示した。カールは声の主が娘だったので、慌てて電話を切った。彼は車へ走り、爆破の中止をロバートに要求した。娘が去った後、アヴナーたちは改めて作戦を実行する。しかし爆薬の量にミスがあり、ハムシャリは病院送りになっただけで命まで奪うことは出来なかった。
ロンドンのイスラエル大使館に手紙爆弾が届けられ、開封したシャホリ博士が死亡する事件が起きた。エフライムはアヴナーに、世界各地の大使館に手紙爆弾が送られていることを語る。彼はアヴナーに、「我々に気付いたサインだ」と告げた。アヴナーは現在地を問われ、情報収集でニューヨークに来ていると答えた。しかし実際には、妻の出産に立ち会うため密かにイスラエルへ戻っていた。ダフナの出産を見届けた彼は、「しばらくアメリカへ行け。ブルックリンに家を借りた。当分はイスラエルへ戻れない」と告げた。
次にアヴナーたちが狙ったのは、黒い九月とKGBの連絡役を務めるフセイン・アル=シールだ。彼はキプロスのオリンピック・ホテルに宿泊し、外出の際は常にKGBと行動している。ロバートはベッドに起爆装置を仕掛け、始末する計画を立てた。アヴナーはフセインの隣室にチェックインし、フセインが就寝するのを確認して合図を送ることにした。反対側の隣室には、新婚カップルが宿泊している。計画を実行する直前、アヴナーはカールから、ハムシャリが入院先で死亡したことを知らされた。
アヴナーはホテルの部屋に入り、バルコニーへ出てフセインと会話を交わした。フセインがベッドに入るのを確認した彼は、部屋の明かりを消して合図を送る。しかし予想以上に大きな爆発が起きたため、両隣の部屋も崩壊した。アヴナーは怪我を負い、新婚カップルも巻き込まれた。ロバートはアヴナーに、「プラスチック爆弾の性能が違う」と釈明した。爆弾を手配したのがルイだと知ったカールとハンスは、アヴナーに「何者か分からないのに、なぜ信用する?」と問い掛ける。アヴナーが「彼の情報が頼りだ」と言うと、ハンスは「ルイはPLOと組み、我々に邪魔者を消させる気だ」と述べた。
アヴナーは新たな情報を受け取るため、ルイと接触する。ルイはフセインの一件について、「爆薬に問題は無い」と告げた。彼はケマル・アドワン、カマル・ナセル、アブ・ユセフの3人について、レパノンのベイルートにいるという情報を知らせた。彼は組織の関与を疑い、「私を騙したら一切の連絡を断つ」と通告した。アヴナーと仲間たちはエフライムに対し、ベイルートへ行かせるよう要求した。しかしエフライムは場所がアラブであることから、「モサドと軍にやらせる」と告げた。
アヴナーが「軍を送り込んだら、我々がモサドだとバレる。我々がベイルートに行く」と主張するが、エフライムは彼の要求を却下する。アヴナーが「情報源が連絡を断つぞ」と言うと、彼は「情報源は誰なのか教えろ。命令だ」と口にする。アヴナーが返答を拒否すると、エフライムは「教えれば作戦に協力させる」と持ち掛けた。アヴナーはベイルート行きを承諾させ、チームと共に現地へ飛んでモサドや軍と合流した。彼らは作戦に参加し、標的の3名がいるアパートへ突入した。
ヨーロッパへ戻ったアヴナーは、ルイから「パパが会いたいそうだ。私の父で、グループの統率者だ」と告げられる。アヴナーは目隠しで車に乗せられ、郊外の家へ連行される。そこには大勢の家族が集まっており、パパが昼食の準備を進めていた。彼はアヴナーと2人きりになり、「ワシは政府は信用せん。君は家族を養うためにやったのだろう」と告げる。昼食会が始まると、パパはアヴナーに「家族のために、やるべきことをやった君が気に入った」と述べた。
アヴナーはルイに車で送ってもらい、サラメの居場所を尋ねる。ルイは「手が届かない」と告げた後、「ザイード・ムシャシがアテネに2週間滞在する」という情報を教えた。彼はアヴナーに、ムシャシがフセインの後釜だと説明する。ルイはアテネの隠れ家と古い爆弾を用意し、アヴナーのチームはアテネへ飛んだ。5人が隠れ家で就寝していると、誰かが来る物音がした。彼らが飛び起きて銃を構えると、部屋に入って来たのはPLOの4人だった。
ロバートは自分たちの素性を隠すため、咄嗟にETAやドイツ赤軍だと嘘をついた。PLO側のリーダーであるアリは、ルイに2泊分の料金を支払ったと話す。そこでアヴナーは、彼らと共同で隠れ家を利用することにした。アリとアヴナーと2人になると、相手の素性を知らないまま「アラブ諸国は対イスラエルで決起する。世界は助けず、イスラエルは消滅する」と述べた。「夢物語だ。存在しない国は、取り戻せない。国家を夢見て難民キャンプで死ぬ」とアヴナーが告げると、彼は「子や孫の代まで永遠に待つ」と口にした。
アリが「必要なら、全世界のユダヤ人を脅かすと口にすると、アヴナーは「世界が野蛮人と呼ぶぞ」と批判する。するとアリは静かな口調で、「俺たちを野蛮にしたのは彼らだ」と言う。アヴナーは彼に、「本当にオリーブの木が恋しいか?何も無い地に戻ろうと思うの?」と質問した。それに対してアリは、「心からそう願う。百年掛かろうとも、俺たちは勝利する。国の無い悲しみは分かるまい。お前たちには、帰る国があるから。俺たちに世界の革命など、本当はどうでもいい。国家を樹立したい。祖国こそが全てだ」と語った…。

監督はスティーヴン・スピルバーグ、原作はジョージ・ジョナス、脚本はトニー・クシュナー&エリック・ロス、製作はキャスリーン・ケネディー&スティーヴン・スピルバーグ&バリー・メンデル&コリン・ウィルソン、撮影はヤヌス・カミンスキー、美術はリック・カーター、編集はマイケル・カーン、衣装はジョアンナ・ジョンストン、音楽はジョン・ウィリアムズ。
出演はエリック・バナ、ダニエル・クレイグ、キアラン・ハインズ、ジェフリー・ラッシュ、マチュー・カソヴィッツ、ハンス・ジシュラー、アイェレット・ゾラー、マイケル・ロンズデール、マチュー・アマルリック、リン・コーエン、マリ=ジョゼ・クローズ、マクラム・J・クーリー、イガル・ノール、オマー・メトワリー、モーリッツ・ブライブトロイ、モステファ・ジャジャム、ギラ・アルマゴール、モシェ・イヴギー、イヴァン・アタル、ヒアム・アッバス他。


ジョージ・ジョナスのノンフィクション小説『標的(ターゲット)は11人 モサド暗殺チームの記録』を基にした作品。
監督は『ターミナル』『宇宙戦争』のスティーヴン・スピルバーグ。
脚本はピューリッツァー賞戯曲部門受賞者の劇作家であるトニー・クシュナー(映画初脚本)と、『インサイダー』『ALI アリ』のエリック・ロスによる共同。
アヴナーをエリック・バナ、スティーヴをダニエル・クレイグ、カールをキアラン・ハインズ、エフライムをジェフリー・ラッシュ、ロバートをマチュー・カソヴィッツ、ハンスをハンス・ジシュラー、ダフナをアイェレット・ゾラーが演じている。

スティーヴン・スピルバーグは本作品において、「暗殺を繰り返す中で精神を病んでいく男たちの苦悩」を描きたかったらしい。
しかし、それが本当ならば(政治的批判をかわすための建前という可能性もあるからね)、ミュンヘン事件を扱わない方がいい。ミュンヘン事件に関わらず、実際に起きた事件なんて題材に使わない方がいい。
ミュンヘン事件を扱う以上、「イスラエルとパレスチナの政治問題」は避けて通れなくなる。
それによって、本来のテーマが薄くなってしまう。

スピルバーグ監督は『シンドラーのリスト』を作ったことから、「イスラエルびいき」という批判を受けることも少なくなかった。それと同じ批判が起きるのを懸念したのか、今回はイスラエルを一方的に善玉として描かないよう、かなりバランスは意識したようだ。
しかし、結果としては、「やっぱりイスラエル寄りだよね」という印象が否めない。
そもそも主人公はモサドのアヴナーだし、イスラエル側の人間は英語で喋っている。一方、パレスチナ側はアラブ語だ。
公開された時のメインの市場となるのは、もちろんアメリカだ。
だから、おのずと「英語を喋る側が善玉」という意識になるわけで。

それだけではなく、他にもイスラエル寄りに感じてしまう表現がある。
それは、アヴナーがミュンヘン事件について思い浮かべるシーンを何度か挿入していることだ。
飛行機でジュネーヴへ向かう際、彼は「黒い九月が宿舎を襲撃し、抵抗する選手を容赦なく始末する」という様子を思い浮かべる。
だが、それをアヴナーは目撃したわけではない。つまり完全に彼の妄想だ。後半にはアヴナーが「バスで運ばれる人質」の夢を見るが、それも完全に妄想だ。
それは「アヴナーが復讐心を高める」というための描写かもしれないが、観客は「黒い九月は残忍で卑劣な奴らだ」という印象を受けることになる。
しかも、それは妄想なのに、まるで「実際にあった出来事」のように錯覚させてしまうのだから、タチが悪い。

危うくハムシャリの幼い娘を殺しそうになっているアヴナーだが、そのことに対して特に何か感じている様子は無い。
その時のアヴナーは「もうすぐ子供が産まれる」という状況にあるわけだが、「可愛い娘のいるハムシャリを冷徹に殺してもいいのだろうか」という苦悩や葛藤は全く抱いていない。
娘が外出した直後にハムシャリを爆殺しようとしているが、そこには何の迷いも無い。
その後に妻の出産というイベントがあるが、それを受けてハムシャリの娘のことを連想するようなことも無い。

アヴナーはフセインを爆殺する際、自分のミスではないものの、危うく無関係な新婚カップルを殺しそうになっている。
しかし、そのことで罪悪感を抱くような様子は見られない。
彼はレバノンのベイルートに3人の標的がいることを知ると、エフライムの指示に逆らって「自分たちを行かせろ」と要求する。それぐらい彼は、「パレスチナに報復してやる」という強い復讐心を燃えたぎらせている。
「自分は正しいのだ。復讐すべきなのだと」いう思いに迷いは無く、真っ直ぐに突き進んでいる。

イヴォンヌは「アンドレアスの恋人」というだけのはずだが、やたらとミステリアスな存在感を見せ付ける。だけど結局のところ、彼女が何者なのかはサッパリ分からない。
彼女は金を貰って人捜しに協力すると持ち掛けているので、その直後にアヴナーが会うトニーを紹介したのかと思ったら、そいつはアンドレアスの友人という設定だ。なので、ますます彼女の存在が良く分からない。
その後、アヴナーはルイと会うのだが、イヴォンヌが仲介したという描写も無いし。なので、アヴナーとルイの接点も良く分からない。
その辺りは、物語を面白くするためのミステリアスな要素じゃなくて、ただ無意味に分かりにくいだけだ。

ハムシャリを始末する作戦に入った時、ロバートは下調べでアパルトマンを訪れ、ピアノを弾く娘に笑顔を向けられる。その後、爆殺を実行しようとした時、アヴナーはトラックが停車したので作戦を中断させる。カールは電話に娘が出たので、慌ててロバートに爆破を中止させる。
その手順を担当するメンツが全て異なるのは、焦点がボヤけてしまう。
それだと、娘が笑顔で挨拶した描写の意味が、ほぼ死んでしまう。爆破を実行するシーンで初めて娘を登場させても、大して変わらない。
だからホントは、そこを全てアヴナーに担当させた方がいい。変に「チームの面々」を描こうとして配慮せず、もっと割り切ってアヴナーに絞り込んだ方がいい。

アヴナーはエフライムに脅しを掛けてまで、自分のチームをベイルートへ派遣させている。
しかし、彼らのチームだけで標的の3名を始末する作戦が展開されるわけではなく、あくまでもメインとして動くのはイスラエル軍とモサドだ。アヴナーたちは、そこに加わるだけだ。
なので、わざわざベイルートまで出掛けている意味は全く無いと断言してもいい。
いてもいなくても全く影響はないので、「軍とモサドに任せておけばいいだろ」と言いたくなる。
どうせ彼らがベイルートに行かなかったとしても、ルイの情報を受けて軍とモサドが行動した時点で、「パパがアヴナーを呼び出す」という手順は成立するし。

あと、ベイルートの作戦は、ゴチャゴチャしていて何がどうなっているのか分かりにくいし、緊迫感も乏しい。
アパートにいた3人の男が射殺されるので、「そいつらが標的なんだろう」ってのは何となく伝わるけど、「確実に任務を達成した」ということさえボンヤリしている。
そもそも「チームが暗殺を実行する」という条件から完全に外れているし、そこは丸ごとカットしてもいい。
ベイルートで事件があったことは事実だから、「そういう出来事があったのを、アヴナーたちがテレビのニュースやエフライムからの報告で知る」という手順で済ませておけばいい。

ズワイテルを殺す時、アヴナーは彼に無言で銃を下ろすよう求められ、戸惑う様子を見せる。暗殺に不慣れなので、同行したロバートも含めて全く冷静に対応できていない。ハムシャリの時は、娘が帰って来るという予想外の出来事が生じ、慌てて作戦を中断する。
その辺りは、「任務は無事に成功するのか否か」という緊迫感で引っ張るサスペンスドラマの作りになっている。登場人物の心情描写が薄くて淡白な印象は受けるが、「実話ベースってこともあって冷ややかなタッチにしているのかな」と思いつつ、ともかく「任務の成功に向けて進行するサスペンス」として観賞する形になる。
それは終盤になって別の方向へと舵を切るのだが、その航路選びが成功しているとは思えない。
終盤の展開を考えると、「もっと早めに舵を切っておくべきじゃなかったのか」と感じるのだ。

ムシャシを殺害する計画では仕掛けた爆弾が作動せず、ハンスが部屋まで乗り込んで手榴弾を投げ込む。ムシャシの殺害には成功するが、外で待機していたKGBとの間で銃撃戦が勃発する。アヴナーたちは無事に逃げ出すものの、KGBを殺してしまう。
その仕事の後で、カールが「法を幾つ破ったと思う?そもそもイスラエルの法律に死刑は無い」と言い出し、サラメを狙う次の任務に反対する姿勢を示す。
しかし、それはムシャシ殺害の時に予想外の大きなトラブルが起きたせいで、混乱しているだけだ。
「自分たちは本当に正しいのか」という疑問を抱いたわけではなく、単に怖くなっただけだ。

アヴナーはスティーヴから「リーダーとしての統率力が低い」と指摘され、サラメを自ら始末しようと躍起になる。しかしCIAに妨害され、1度目は失敗に終わる。
その直後、フリーの女殺し屋によってハンスが殺され、アヴナーはパパとルイから自分も標的になっていることを知らされる。
その前に女殺し屋を始末しようと企むアヴナーに対し、ロバートは「いつか俺たちが、血を浴びる。俺たちに節度はあったのか。高潔であらねば」と反対する。
これもカールと同様、ただビビっているだけだ。

アヴナーはスティーヴ&ハンスと共に女殺し屋を始末するが、精神的に参ってしまったハンスはベンチで死体となって発見される。殺害に参加しなかったロバートは、自作の爆弾が暴発して命を落とす。アヴナーはスティーヴと2人でサラメの隠れ家へ乗り込むが、見つかって逃げ出す。
作戦が中止になり、アヴナーはイスラエルへ戻るが、監視されているのはないかと怯えたり苛立ったりするようになる。精神的に追い込まれ、エフライムに憤懣をぶつける。そのようにアヴナーは、終盤に入って初めて精神がグラつくようになる。
何度も「復讐のための殺人」を繰り返している時には、何の苦悩も葛藤も感じていない。しかも終盤になってから生じる精神的な揺らぎにしても、「自分が殺されるかもしれない」という不安や恐怖から来るモノでしかない。
「殺害を繰り返すことは正しいのか」「本当にパレスチナこそが悪なのか」という疑念で、任務に対する揺らぎが生じているわけではないのだ。

でも本来なら、アヴナーは「復讐は正しいのか」「イスラエルは正義なのか」というトコで疑問を抱くべきだと思うのだ。
だから、もっと早い段階で、不安や恐怖とは別の理由で揺らぎや迷いが生じる形に移るべきだと思うのだ。
ラスト寸前になって、アヴナーは「こんなことの先に平和は無い」とエフライムを批判するが、それまで何人ものパレスチナ人を平然と抹殺しておいて、今さら何を言っているのかと。
容赦なく殺人を遂行して来た奴が、終盤になって急に宗旨替えしても、まるで共感を誘わないのよ。

アヴナーを呼び出したパパは、自分たちの情報で軍やモサドが動いたことを非難せず、あっさりと認めてしまう。かなり都合の良すぎる展開で、思わず苦笑したくなるほどだ。
パパは「政府は信用せん」と言いながら、なぜかイスラエル政府の行動は許している。そしてアヴナーのことも、「家族のためにやったことだから」という理由で受け入れる。その背後にイスラエル政府がいると見抜いているのに、簡単に許してしまうのだ。
その理由としてパパは、「世界は君の一族に非情な行いをしてきた。非情な答えを返す義務がある」と語る。
ちょっと待ってくれ。むしろ世界が非情な行いをしてきた相手は、パレスチナじゃないのか。
パパの台詞を通じてイスラエルを全面的に「被害者であり、善玉である」という扱いにしちゃうんだから、やっぱりスピルバーグはイスラエルびいきなのよ。

そもそもユダヤ人がパレスチナ民族の土地を身勝手に略奪し、イスラエルという国を作って「我々の土地だ」と正当性を主張したことが争いの発端にあるのだ。
その歴史的事実に向けるべき視点が、この映画からは抜け落ちている。
そしてミュンヘン事件を冒頭に描くことで、「始めたのはパレスチナ」という形にしてある。
そうなると、おのずと観客は「そもそも事件を起こしたのはパレスチナなんだから、悪いのはパレスチナ」という見方になってしまうわけで。

一応、アリが自分たちの立場から、「パレスチナが被害者であり、自分たちを野蛮な行動に駆り立てたイスラエルが悪いのだ」と主張するシーンは用意されている。
しかし、それに対してアヴナーが何の迷いも見せず、「PLOの考え方は間違っている。そもそも存在しない国を取り戻すことは出来ないんだから、その行動は意味が無い」と全面的に否定してしまう。
だから、やっぱりイスラエル側の「正義」や「正当性」の方が強くなってしまう。

結局、ユダヤ人であるスティーヴン・スピルバーグは、「相変わらずのユダヤびいき」ってことになるわけだ。
しかし同じ民族が連帯感を持つのは当然っちゃあ当然なので、「だからダメ」と全否定することは出来ない。
ただ、それならそれで、割り切って「だってユダヤ人だからユダヤの味方をするのは当たり前だろ」というスタンスに立てば良かったのだ。
だけど、中途半端に「パレスチナのことも考慮していますよ」というバランス感覚をアピールしちゃったもんだから、それが見せ掛けに過ぎないことが露呈して、ますます厄介なことになっているのよ。

あと、「復讐しても連鎖するだけ」「テロ行為に終わりは無い」なんてのは、今さら言われなくても分かり切っていることなんだよね。
だからと言って、それを映画のテーマにすることに何の意味も無いとは言わないよ。ただ、そういうテーマで映画を作るのなら、表現方法や掘り下げ方に工夫が無いと、凡庸な仕上がりになってしまう恐れがあると思うのよ。
ところが、「巨匠」としての確固たる地位を築いているスティーヴン・スピルバーグともあろう人が、アヴナーに「殺して何になる?より凶悪な後継者が現れる」と台詞で言わせてしまう。
主人公がモロにテーマを喋っちゃうってのは、どう考えても安易だわ。

(観賞日:2017年3月1日)


第28回スティンカーズ最悪映画賞(2005年)

ノミネート:【最も過大評価の映画】部門

 

*ポンコツ映画愛護協会