『ムーンウォーカー』:1988、アメリカ

世界的なスーパースターであるマイケル・ジャクソンは、数々の大ヒット曲を世に送り出してきた。ライブで彼が歌い踊ると、会場に押し寄せた多くのファンが熱狂し、時には失神する。彼は少年時代に兄弟グループのジャクソン5でデビューしたが、その頃から最も人気が高かった。ジャクソン5は黒人グループだが、白人からも好意的に受け入れられた。その後、マイケルはソロとしての活動を開始し、グループ時代を遥かに凌ぐほどのメガヒットを生み出すスーパースターへと成長した。
スタジオから出て来たマイケルは、見学ツアーの人々に見つかった。ツアー客に追われたマイケルは逃げ出し、身を隠した。気付かれた彼は再び逃亡し、西部劇の撮影スタジオに迷い込んだ。監督や俳優たちに激怒されたマイケルは、「急いでるんだ」と言って逃げ出した。俳優たちに追われたマイケルが走っていると、行く手にはマスコミが待ち受けていた。マイケルは衣装室に入り、ウサギの被り物で変装した。しかし調子に乗って踊ったので気付かれ、自転車でスタジオを抜け出した。
マイケルはバイクと車で追跡され、バイクを走らせる。追って来た連中は警官に違反切符を切られ、逮捕されて連行された。荒野に辿り着いたマイケルは被り物を脱ぎ、ウサギのスパイクに誘われて楽しく踊り始めた。しかしダンス禁止区域だったため、白バイ警官に違反切符を切られてしまった。周囲を見回すと、いつの間にかスパイクの姿は消えていた。警官が去った後、マイケルが近くの岩に視線をやると、その形がスパイクに変化して笑った。
ある夜、孤児院で暮らすショーン、ジーク、ケイティーの3人は、向かいのアパートからマイケルが出て来る様子を眺めた。すると銃を持ったギャングが現れ、マイケルに一斉射撃を浴びせた。マイケルはショーンたちを、本当の家族のように可愛がっていた。ある時、犬のスキッパーが森に迷い込んだので、マイケルはケイティーと共に捜索した。不気味な洞窟に入った2人は、秘密の扉を発見した。マイケルは怯えるケイティーに「大丈夫」と声を掛け、扉の奥へと足を踏み入れた。すると犯罪組織の首領であるフランキー・リデオが、無数の蜘蛛を使って子供たちにドラッグを蔓延させる計画を企てていた。ケイティーが悲鳴を上げて気付かれたため、マイケルは彼女を連れて逃げ出したのだ。
再び夜の街の場面に戻る。リデオはアパートの前に現れ、マイケルを始末したと確信して笑った。しかしマイケルが生き延びて逃亡したため、リデオは手下たちに捜索を命じた。マイケルは街を逃げ回るが、袋小路に追い詰められる。彼はスポーツカーに変身し、一味から逃走した。ケイティーが閉鎖されたクラブに入ると、ショーンとジークが隠れていた。ケイティーが「マイケルは逃げた」と教えると、彼らは「ここでマイケルと落ち合う約束だ」と口にした。
マイケルは人間の姿に戻り、クラブへやって来た。彼が歌い踊る様子を、ショーンたちは店の外から眺めていた。そこへギャングが現れ、ケイティーが拉致される。マイケルはショーンとジークを連れて、救出に向かった。しかし一味のアジトに潜入すると扉が閉まり、彼は子供たちと離れてしまう。マイケルは武装した一味に包囲され、そこにリデオがケイティーを連れて現れた。リデオはマイケルに暴行を加え、ケイティーを殺せと手下に命じる。その時、上空に奇妙な雲が出現し、マイケルはロボットに変身する…。

[Smooth Criminal]
監督はコリン・シルヴァース、原案はマイケル・ジャクソン、脚本はデヴィッド・ニューマン、製作はデニス・E・ジョーンズ、製作総指揮はマイケル・ジャクソン&フランク・ディレオ、撮影はジョン・ホラ、プロダクション・デザイナーはマイケル・プルーグ、編集はデヴィッド・E・ブレウィット、振付はマイケル・ジャクソン&ヴィンセント・パターソン、衣装はベティー・マッデン、音楽はブルース・ブロートン。
出演はマイケル・ジャクソン、ジョー・ペシ、ショーン・レノン、ケリー・パーカー、ブランドン・アダムス他。

[Anthology Segments]
監督はジェリー・クレイマー、製作はジェリー・クレイマー、製作総指揮はマイケル・ジャクソン&フランク・ディレオ、撮影はトーマス・アッカーマン&ボブ・コリンズ&フレッド・エルムズ&クレッシェンツォ・ノータライル、アート・ディレクターはジョン・ジョーンズ&ブライアン・ジョーンズ、編集はミッチェル・シノウェイ&デイル・ベルディン。
出演はマイケル・ジャクソン、ブランドン・アダムス、ショーン・レノン、ケリー・パーカー、フランク・ディレオ、ベン・ホーグ、ビラル、ブレント・ケリー、ダニアル・ブラウン、カイリー、ジョゼ・チャイデス、ガーランド・スペンサー他。


“キング・オブ・ポップ”ことマイケル・ジャクソンが企画し、本人役として主演を務めた映画。
"Smooth Criminal"パートの演出を担当したのは特殊効果マンのコリン・シルヴァースで、脚本は『シーナ』『サンタクロース』のデヴィッド・ニューマン。
リデオをジョー・ペシ、ショーンをショーン・レノン、ケイティーをケリー・パーカー、ジークをブランドン・アダムスが演じている。
Anthology Segmentsのパートで監督を務めたのは、『シンシア・ギブの モダン・ガールズ』のジェリー・クレイマー。

この映画が製作されたのは1988年。
前年の8月31日にマイコーはアルバム『Bad』をリリースし、史上初の全米チャート5曲連続1位という快挙を達成した。
9月から初のワールド・ツアー『Bad World Tour』をスタートさせ、4つのギネス記録を誕生させた。
1988年1月には自伝『ムーンウォーク』を発表し、5月には豪邸の「ネバーランド」に引っ越した。
誰もが認める圧倒的なスーパースターとして、当時のマイケル・ジャクソンは確固たる地位を築き上げていた。

企画したのがマイケル・ジャクソンでなければ、原案の段階で却下されていただろう。このプロットで映画化にゴーサインを出すのは、よっぽどのボンクラじゃないと考えにくい。
しかし、何しろマイケル・ジャクソンが自らのプロダクションで製作した映画なので、そこに「ノー」という答えは無かった。企画と主演を務めるマイケル・ジャクソン本人がボスなので、彼がゴーサインさえ出せば成立するのだ。
それに、周囲のスタッフで、彼に反対意見を唱えることが出来る人間もいなかっただろう。
あまりにも大きな存在になり過ぎたせいで、こんなボンクラ映画が世に出ることになってしまったわけだ。

しかし考えてほしいのは、マドンナだって、プリンスだって、自らの主演映画を世に送り出しているということだ(プリンスに至っては自ら監督も務めている)。さらに遡れば、エルヴィス・プレスリーやザ・ビートルズも主演映画が作られている。
そういうことを考えれば、人類史上最も成功したエンターテイナーであるマイケル・ジャクソンの主演映画が作られない方がおかしいのだ。
他の誰も作らないのなら、本人が作って何が悪いというのか。
だから出来栄えはともかく、この映画が作られたことは正しいのである。

「作られたことは正しい」と書いておきながら、いきなり矛盾するかもしれないが、この映画は間違いなくポンコツだ。
コンセプトからして、何を目指していたのかが分からない。まとまりが無いし、前半と後半は全く別物と言ってもいい。そして前半部分は丸ごとバッサリとカットしても、何の問題も無い。
そもそも前半部分は「映画」と呼ぶべきかどうかさえ疑問だ。「劇映画を作ったら短すぎて長編映画が成立しないので、後からテキトーにくっ付けた」と言われても納得できるようなドイヒーな構成だ。
しかも、そういう事情だったとしても問題だが、最初から意図した構成の結果がデタラメなので、ますます困りものなのである。

作品が始まってから40分ぐらいは、マイコーのミュージック・クリップが延々と続く。1本の長いミュージック・クリップが流されるわけではなく、幾つものクリップを連ねている。
まずはマイコーがコンサートで歌う映像が写し出され、そこに熱狂する観客、キング牧師やガンジー、ジョン・F・ケネディーなどのアーカイブ映像などの様子をコラージュした『Man in the Mirror』から始まる。
ここをフルコーラスで見せた後、マイケルに関するニュースを報じる短いナレーションが次々に入り、『Music and Me』がチラッと流れる。
その後、『ABC』『The Love You Save』『Who's Lovin' You』『Ben』『Dancing Machine』『Blame It On The Boogie』『Shake Your Body (Down to the Ground)』『Rock With You』『Can You Feel It』『Human Nature』『Beat It』『Thriller』『Billie Jean』『State of Shock』『We Are the World』『The Way You Make Me Feel』『Dirty Diana』の映像が、連続で少しずつ写し出される。

1つのミュージック・クリップをフルバージョンで流せば、MTVとしては楽しむことも出来るだろう。
実際、『Man in the Mirror』はフルなので、それなりに満足感を得ることが出来た。
「そういうのが望みなら普通にPVを見た方がいいんじゃないか」と言いたくなるかもしれないが、そういうことでも求めないと、他に何も無いのだ。
ミュージック・クリップの断片を無造作に次々と写し出されても、何をどう楽しめばいいのかサッパリ分からない。

ミュージック・クリップが連なるパートのラストだけは、ようやく「ちゃんと作り込んだ」と感じる映像が用意されている。
『Bad』の映像を子供たちのキャストで再現させた映画用のPVが写し出されるのだ(ちなみに、そのパートでマイケルのポジションを担当するのはジーク役のブランドン・アダムスである。)。
ぶっちゃけ、パロディーとしての面白さは皆無に等しくて、「子供たちが『Bad』を再現している」ってのを見せられるだけだ。
でも、そこまでの退屈な時間に比べれば遥かにマシだ。

20分ほど経過すると、スタジオの見学ツアーに来た客たちがマイケルを見つけて追い掛けるパートに移る。
その観客はアニメーションで描写されているが、そういう表現にしたことの面白味が充分に発揮されているとは思えないので、「だから何なのか」と言いたくなる。
そんな面々に追われたマイケルがバイクでのチェイスを開始すると、『Speed Demon』が流れる。
つまり、このパートも結局は長い前置きを持つPVという状態になるわけだが、まだPVになってくれて良かったと感じる。そのまま追い掛けっこだけが延々と続いたら、ホントに退屈な映像でしかないのでね。

その追い掛けっこパートが10分ほどで終了すると、『Leave Me Alone』のPVがフルコーラスで流れる。それが終わり、映画開始から37分ほどが経過したところで、ようやく「劇映画」としての"Smooth Criminal"パートに入る。
その冒頭は孤児たちが撃たれるマイケルを目撃するシーンなのだが、時系列を入れ替えて構成している意味が全く感じられない。
順番通りに描いて、「洞窟でマイケルとケイティーがリデオに見つかり、逃げ出すけど襲われる」という流れにした方が絶対にスムーズだ。
洞窟でリデオに見つかった後、どうやってマイケルとケイティーが逃げ出したのか、その辺りがサッパリ分からないし。

マイケルが生きていると知ったリデオは手下に捜索を命じるのだが、ここの手順が無駄に長い。
ただマイケルが逃げて一味が捜索するという様子がダラダラと描かれるだけで、アクションシーンとしての面白味があるわけではない。そんなに緊迫感が高まるわけでもないので、そこはシェイプ・アップした方がスッキリする。
で、袋小路に追い詰められたマイケルはスポーツカーに変身するのだが、その過程は描かれない。カットが切り替わると車になっている処理なので、映像的な魅力は無い。
だったら、「マイコーが車を見つけて運転する」という形の方がいいんじゃないかと思ってしまう。

人間に戻ったマイケルがクラブの扉を開けると、中から光とスモークが噴出する。無人だったはずなのに、なぜか中には大勢の人間がいて、急に『Smooth Criminal』のPVに突入する。
これが開始から55分ほどの時間帯で、『Smooth Criminal』はフルで流している。
どうせドラマとしての面白さは乏しいので、劇映画からPVに変化することはOKだ。
ただし、もうちょっと上手い形で入れなかったかと。そこはギクシャク感がハンパないわ。

ケイティーの救出に赴いたマイケルは、ロボットに変身する。
またデタラメな展開と言えなくも無いけど、その手のデタラメなら大歓迎。
だって、単純に楽しいからね。そこまでの退屈を一気に吹き飛ばしてくれる、バカ映画としての面白さが充分すぎるほど感じられる展開だ。車の時とは違い、ちゃんと変身の過程も映像で表現してくれるし。
ここまで耐えなきゃいけないってのはツラいものがあるが、映画開始から1時間以上が経過して、ようやく楽しめるようになるわけだ。

ロボットの顔を、マイケルに似せているってのは重要なポイントだ。
つまり、ちっともカッコ良くないのよ。そして、それがいいのよ。
しかし残念ながら、そこから宇宙船に変化してしまい、面白味が消えちゃうんだよなあ。この映画で面白いのって、マイケルロボぐらいしか見当たらないのに。
で、敵を倒したんだから話は終わりなんだけど、まだ20分ぐらい残っている。
どうするのかと思ったら、宇宙船が飛び去った後、寂しがる子供たちの元へマイケルが戻って来て一緒にクラブへ入り、スキッパーと再会させる。

子供たちがスキッパーとも再会したので、いよいよ描くべき事柄は全て片付けたはずだが、まだ時間が残っている。
後は何を描くのかというと、やはりミュージック・クリップということになる。
マイケルはステージに上がり、『Come Together』を歌う。ここも流れなんてゼロで、かなりギクシャクした形で歌唱シーンへ突入する。
で、それが終わると、Ladysmith Black Mambazoというグループがアカペラで『The Moon is Walking』を歌い出し、クロージング・クレジットに突入する。
どういう構成だよ、それは。

マイケル・ジャクソンの熱烈なファンでさえ、高評価は厳しいドイヒーな映画である。
だが、ゴールデン・ラズベリー賞でもスティンカーズ最悪映画賞でも、受賞どころか候補にさえ入っていない。
関係者が相手にしなかったとか、逆にマイケル・ジャクソンの熱烈なファンだったから遠慮したとか、そういうわけではない。
ラジー賞にもスティンカーズにもノミネートされなかった理由は簡単で、そもそもアメリカでは劇場公開されなかったのである。

(観賞日:2015年12月24日)

 

*ポンコツ映画愛護協会