『モンスターズ/地球外生命体』:2010、アメリカ

6年前、NASAは太陽系に地球外生命体の存在を確認し、探査機でサンプルを採取した。しかし、大気圏突入時にメキシコ上空で大破してしまった。その直後に出現した地球外生命体が増殖したため、メキシコの半分は危険地帯として隔離された。メキシコ軍と米軍による地球外生命体の封じ込めは、現在も難航している。中央アメリカのサンホセ。地球外生命体を撮影するためにメキシコ入りしたカメラマンのコールダーは、病院を訪れた。上司からの電話で、勤務する会社の社長令嬢であるサマンサの無事を確認をするよう指示されたからだ。病室へ赴いたコールダーは、サマンサが左手に怪我を負っただけで済んでいることを確認した。
上司に報告を入れたコールダーは、サマンサを脱出させろという社長命令を伝えられた。「3年も待って掴んだチャンスなのに」と不満を漏らすコールダーだが、社長命令には従うしかなかった。列車の駅に到着したサマンサは、父親に電話を入れた。父親から「ジョーに連絡しろ、婚約者だぞ」と言われたサマンサは面倒そうな表情を浮かべ、「もう電車が来たから」と告げる。コールダーは社長から「絶対に娘を家まで送り届けろ」と厳しい口調で命じられ、疎ましそうな様子を見せた。
コールダーとサマンサは列車で移動するが、次の停車駅が危険地帯に指定されたためにサンホセへ戻ることになってしまう。一刻も早く先へ進みたいコールダーは、駅の無い場所で列車を降りることにした。しばらく歩いた2人は民家を発見し、主婦に場所を尋ねた。地図を広げた主婦は現在地を説明し、港まで100キロもあること、電車もバスも近くを通っていないことを教えた。さらに彼女は、軍が2日後に港を閉鎖することを話す。つまり2日以内に脱出できなければ、当分はアメリカへ戻れないということだ。
コールダーとサマンサは主婦の家で泊まらせてもらい、翌朝を迎えた。主婦は1人のために、水と食料も用意してくれた。出発した2人はトラックをヒッチハイクし、バスが停まる村まで乗せてもらう。村でバスに乗り込んだコールダーたちは港へ到着し、チケットを買おうとした。すると販売員は明日の7時に出るフェリーのチケットしか無いこと、1人5千ドルであることを語る。「いやなら危険な陸路を行くしかない」と言われ、仕方なくコールダーはサマンサのチケットを購入した。
コールダーとサマンサは安ホテルにチェックインし、夜の町へ飲みに出掛けた。町を歩いた2人は、軍の爆撃によって大勢の犠牲者が出ていること、政府への批判が高まっていることを知った。サマンサはコールダーから「帰国して何をする?」と問われ、「家に戻って婚約者と会い、結婚する」と答えた。「結婚式はいつ挙げる?」と質問された彼女は、「まだ決めてない」と告げた。コールダーは彼女の部屋に長居しようとするが、軽く拒否されたので一人で飲みに出掛けた。
翌朝、サマンサはコールダーの部屋をノックし、「出発前に一緒にコーヒーでもどう?」と誘う。しかしコールダーが女を連れ込んでいることを知り、顔を強張らせて「もういいわ」と立ち去った。追い掛けたコールダーが「どうしたっていうんだ?」と訊くと、サマンサは不機嫌そうに「家に帰る。パスポートを返して」と言う。コールダーが部屋に戻ると、連れ込んだ女は姿を消していた。しかも彼女は、サマンサのパスポートやとチケットを盗んでいた。
港へ赴いたコールダーは販売員に事情を説明し、何とかサマンサを船に乗せるよう頼む。しかし販売員は冷淡な態度で拒否し、「もう軍が港を封鎖した」と述べる。サマンサが「じやあ陸路は?」と尋ねると、販売員は「川を渡るボートと操縦士、それに道案内として武装した護衛が何名か必要だ」と語った。全て合わせて1万ドルの費用が必要だと言われ、サマンサはダイヤモンドの婚約指輪を差し出した。
検問書を通過したコールダーとサマンサは、フアンという男のボートで川を移動する。給油に立ち寄った場所で、コールダーは奇妙な物音を耳にした。途中でエンジンが故障したため、修理のために時間をロスした。夜更けに地球外生命体が水中から出現し、フアンは急いでボートを発進させた。船を降りたコールダーとサマンサは、武装した一団の案内で山道を進む。2人は彼らから、米軍が森に毒薬を散布していること、地球外生命体は木の中で育って川へ下りて行くことを聞かされた。深夜に地球外生命体が迫っているという情報が届き、一行は急いで移動しようとする。しかし車で山道を進んだ一行の前に、地球外生命体が現れた…。

脚本&監督はギャレス・エドワーズ、製作はアラン・ニブロ&ジェームズ・リチャードソン、製作総指揮はナイジェル・ウィリアムズ&ニック・ラヴ&ルパート・プレストン、撮影はギャレス・エドワーズ、美術はギャレス・エドワーズ、編集はコリン・グーディー、視覚効果はギャレス・エドワーズ、音楽はジョン・ホプキンス、音楽監修はロル・ハモンド。
出演はスクート・マクネイリー、ホイットニー・エイブル他。


それまでVFXクリエイターとして活動し、Sci-FIチャンネルの48時間映画コンテストに出品した短編映画でグランプリを獲得したギャレス・エドワーズが撮ったSF映画。
ギャレスは監督、脚本、撮影、美術、視覚効果の5役を兼ねている。
製作費はわずか50万ドルだが、多くの評論家から高い評価を受け、英国インディペンデント映画賞の監督賞やサターン賞のインターナショナル映画賞などを受賞した。ロケーションはゲリラ的に行われ、その場にいた一般人がエキストラとして起用された。
アンドリュー役のスクート・マクネイリーとサマンサ役のホイットニー・エイブル以外は、全てエキストラだ。

超低予算の映画なので、VFXを使って地球外生命体の暴れる姿を存分に見せるということは難しい。そういう方針で作ろうとしたら、チープな特撮がバレバレで陳腐な映画になってしまう恐れがある。
そこで本作品は、なるべく地球外生命体を登場させず、「地球外生命体が出現している地域の様子」を中心に描写していく構成にしてある。
ほとんど地球外生命体が登場しない中で描かれるのは、男女の心情を掘り下げるロードムービーである。
実は地球外生命体って、後半になって襲撃してくるまでは、ほぼ背景のような存在なのだ。

序盤、ブレまくる暗視カメラの映像で、巨大な地球外生命体の姿が写し出される。
そういう手法を使うことで、地球外生命体をハッキリと見せずに済ませている。
ただし、序盤で地球外生命体を出現させることで「そんなモンスターに隔離地域が何度も襲撃され、人々は恐怖を抱いている」ということが伝わりやすくなり、そこに説得力は出るが、「後でまた地球外生命体が登場するだろうし、もっとハッキリとした形で大暴れする様子が描写されるだろう」と期待させてしまうデメリットはある。
本作品がモンスターとの戦いに主眼を置いていないことを考えると、いっそのこと一度も登場させないってのも1つのやり方だったかもしれない。

サマンサの父親は、娘を必ず無事でアメリカへ帰国させてもらいたいと願っている。
ただ、それにしては、自分の会社で雇っているとはいえ良く知らないコールダーにサマンサを任せている。
本気でサマンサを無事に帰国させたいと思っているのなら、もっと信頼できる人間や武装した複数の傭兵なんかを雇って派遣した方がいいんじゃないか。
それと、なぜサマンサがメキシコにいたのかってのも引っ掛かる。仮に結婚を嫌がって逃げていたとしても、だからって危険な地域を選ぶこたあないだろ。

地球外生命体の登場シーンが少ないからといって、それだけで不満を覚えるようなことはない。
しかし問題は、そこの物足りなさを補うべきコールダーとサマンサの心理ドラマやロードムービーが退屈を誘ってしまうってことだ。
一番の問題は、コールダーとサマンサにキャラとしての魅力が乏しいってことだろう。
コールダーの方は、ボンクラのくせに自覚が無く、やや不快な奴になっている。後先考えずに行動し、港まで100キロもある荒野で列車を降りてしまう。近くに電車やバスも通っておらず、夜は危険だから誰も出歩かない場所で、たまたま親切な主婦が助かったけど、かなりボンクラ度数の高い行動だ。

コールダーはサマンサに婚約者がいることを知りながら、何かと理由を付けて彼女の部屋に寝かせてもらおうとする。明らかに下心がある態度だ。
そこに「軽薄だけど、明るくて憎めない奴」という方向での味付けがあるわけでもないから、好感度は低い。
そんでサマンサの部屋に寝かせてもらえなかったので町で女を拾い、部屋に連れ込んで関係を持つ。そんで女にパスポートとチケットを盗まれるんだから、どうしようもないぞ。しかも、そのことでサマンサに謝罪もしないし。
話が進む中で、最初にあったような不快感は消えて行く。
しかし、だからといった魅力が見えて来るわけではない。

ところが、そんなコールダーが軽い調子で口説いて来ることに対して、サマンサがまんざらでもない様子を見せる。
っていうか、コーヒーを誘いに行った時、女を連れ込んでいると言って不機嫌な態度になるってことは、そこに嫉妬心が生じているということになる。
だけど、サマンサがコールダーのどこに惹かれたのかサッパリ分からない。
吊り橋効果のように、「特殊な状況下で一緒にいるから、コールダーに対して恋愛感情を抱いているように誤解した」という可能性はあるけど、劇中でそういう分析に基づいた描写があるわけでもなくて、普通に「コールダーに惚れた」という形になっているので、どうにも解せない。

サマンサに関しては他にも大いに引っ掛かる部分があって、それは「あまりにも淡々としすぎじゃねえか」ってことだ。
「一刻も早く危険な場所から逃げ出したい」とか「いつモンスターが襲って来るかもしれないから怖い」という切迫感や緊張感が、全く見えて来ない。恐れや焦りという感情が、これっぽっちも感じられない。
まるで「別に死んでもいいや」とい諦念に満ちているかのようだが、そういうわけでもないんだよな。
「自分が移動しているのは危険地帯に指定されていない場所だから安全」ということで余裕があるのかもしれないが、本人が「危険地帯の指定は当たらない」と言っているんだよな。しかも危険地帯に入った後も、やはり落ち着いているし。
「実際にモンスターを見たことが無いから、無知であるが故に恐れも知らない」と解釈することも可能だが、そうだと仮定しても「無知だから恐れが無い」という表現が出来ていないってことになるし。

コールダーがパスポートやチケットを盗まれてフェリーに乗れなくなっても、サマンサは腹を立てたりしない。
どういう心境なのか、良く分からない。フェリーに乗れなきゃ当分はアメリカへ戻れず、残されているのは危険な陸路だけだと分かっているのに、なぜ怒ったり陸路での移動に怯えたりしないのか。
そもそも、メインの男女に「いつモンスターに襲われるかも分からない」という不安や緊迫感が欠如しているのなら、「モンスターのいる地域」という状況設定は何のためにあるのかと。
ただのロードムービーにするなら、その設定は要らないってことになっちゃうでしょ。

コールダーやサマンサがモンスターを恐れず、落ち着いて淡々としていることによって、「いつモンスターが襲って来るかもしれない」「すぐ近くにモンスターがいるかもしれない」という印象が、こっちにも伝わって来ない。
これが「かつてはモンスターに襲われたが、最近はとんとご無沙汰」という設定ならともかく、2人が出発する前日にもモンスターは暴れているわけで。
だったら、あまりにも危機感や警戒心が薄いってのは、いかがなものかと。
そこに暮らしている人々なら、「モンスターが襲って来るのは日常」ってことで慣れや諦めがあるかもしれないけど、コールダーとサマンサにとっては非日常のはずなんだし。

川でモンスターが現れて、ようやく「ああ、モンスターが近くにいるのね」ということが感じられるけど、ホントは登場しない段階でそれを感じさせなきゃダメなはずでしょ。
しかも、そこはモンスターが襲ってくる気配がゼロだし、緊迫感も全く持続しない。
コールダーとサマンサが間近でモンスターを目撃して、そこから態度や気持ちが変化するわけでもない。相変わらず淡々としている。山道でモンスターに襲われて、ようやくビビっている。
お前ら(特にサマンサ)は不感症なのかと言いたくなるぞ。

それにしても、幾ら高い評価を受けたとは言っても、この映画が長編デビュー作なのに、これを見ただけで『GODZILLA』の監督に彼を抜擢したレジェンダリー・ピクチャーズのトーマス・タルCEOは、かなり大胆な人物だなあ。
下手すりゃ「低予算のB級映画だと面白いモノを作れたけど、大作映画だと要領が全く分からないし、おまけにビビっちゃって散々な出来栄えになりました」という可能性だって充分に考えられるのに。
まあ結果的には大ヒットしたから、当たりだったわけだけど。

(観賞日:2014年9月5日)


2011年度 HIHOはくさいアワード:5位

 

*ポンコツ映画愛護協会