『モンキーボーン』:2001、アメリカ

人気コミック作家のスチュ・マイリーは、猿のキャラクター「モンキーボーン」が登場する『モンキーボーン』を執筆した。この作品はTVアニメ化のパイロット版が製作され、その試写会が行われた。司会を務めたマネージャーのハーブは、既に6話分の放送が決定していることを発表した。ハーブは玩具メーカーやハンバーガー店とも交渉し、『モンキーボーン』グッズの試作品が作られている。しかしハーブとは違って、スチュは金儲けに何の感心も無く、商売目的で群がって来る連中にも辟易していた。
スチュが考えているのは、恋人のジュリーにプロポーズすることだけだった。スチュは完成披露パーティーの会場からジュリーを連れ出し、家に帰ろうとする。車の後部座席に積んであったモンキーボーンの空気人形を畳もうとした彼は、誤って膨らませてしまう。人形に押される形でアクセルが踏み付けられ、車が急にバックしてしまい、スチュは交通事故を起こした。昏睡状態に陥ったスチュを、ジュリーは大学病院へ搬送してもらった。
昏睡状態のスチュがローラーコースターで辿り着いたのは、「ダーク・タウン」と呼ばれる奇妙な世界だった。駅に届いていたトランクを開けると、10歳の頃に様々なキャラクターを描いたノートが入っていた。様々な生物が現れて声を掛けるが、スチュは何も答えず、町へと足を踏み入れた。スチュが昏睡バーに立ち寄ると、バーテンのブルが話し掛けて来た。ブルはスチュを知っており、「アンタの悪夢は全て見てる。ダーク・タウンじゃアンタは大スターだよ」と告げた。ステージにモンキーボーンが現れ、スチュの元にやって来た。
一方、ジュリーはスチュの姉であるキミーと共に、病室でスチュの様子を見守っていた。そこへ担当医のエデルスタインが来ると、キミーは意識が戻る可能性について質問する。キミーは「弟とは、万が一のことがあったら延命措置は望まないと話し合ったの」と言い、生命維持装置のプラグを抜こうとする。「3ヶ月を過ぎると回復の見込みが急激に減って行きます」という説明を受けた彼女は、「この子には助かって欲しいの。3ヶ月ぐらい待てるわ」と口にした。
ジュリーが友人のアリスと共にスチュの家へ行くと、彼がプロポーズのために用意しておいた仕掛けがあった。2人が初めて出会ったのは、ジュリーが勤務している睡眠クリニックだった。スチュは悪夢にうなされて眠れず、クリニックを訪れたのだ。その頃に描いた悪夢の絵は、今もスチュの家に飾られていた。アリスが「その絵から、どうやって漫画に?」と疑問を口にすると、ジュリーは「右利きの彼に、左で絵を描いてみたらって提案したの。そしたら、モンキーボーンが誕生した」と述べた。
スチュはモンキーボーンがジュリーを侮辱するような歌を歌い始めたので、激怒してバッグに閉じ込めた。ウェイトレスのミス・キティーが「何か悩んでる?」と話し掛けて来たので、スチュは「恋人のこと。2度と会えないかもしれない。あそこでプロポーズするんだった」と後悔の念を口にした。キティーは「大丈夫、待っててくれるわよ」と告げる。モンキーボーンがバッグから飛び出したのでスチュが後を追い掛けようとすると、急に店が薄暗くなり、死神が現れた。そして客の老人に歩み寄り、黄金のパスを手渡した。
それは昏睡状態から目覚めることの出来る復帰パスだった。「なんで、あんな年寄りに」とスチュが納得いかない様子を見せる中、老人はダーク・タウンから現世へ戻って行った。「これじゃ2度とジュリーに会えない」とスチュが嘆いていると、ヒュプノス主催のパジャマ・パーティーの招待状が届いた。「おめでとう、町の大ボスに会える」とモンキーボーンは言い、スチュは「ヒュプノスは悪夢の神だ。僕の訴えを聞いてくれるはずだ」と喜んだ。
スチュが昏睡状態に陥ってから、3ヶ月が経過した。ジュリーが話し掛けても、相変わらずスチュは何の反応も示さない。そこへキミーが現れ、プラグを抜いてもらうことをジュリーに告げた。一方、パジャマ・パーティーに参加したスチュは、「今日は生中継よ」とドームを見るよう促される。するとドームの中には、スチュが写し出された。それはジュリーの見ている夢だった。キミーと医師が大きなハサミでプラグを切断すると、スチュの体は空気人形のように萎んだ。
スチュは「ジュリー、僕だよ、ここにいる」と激しくドームを叩き、破壊してしまう。病室で転寝していたジュリーは目を覚まし、慌ててスチュの様子を見る。まだ彼のプラグは抜かれていない。ヒュプノスがパジャマ・パーティーの会場に現れ、スチュに「君は姉と約束を交わした。延命措置は断ると」と言う。スチュは「有り得ない、ジュリーが許すはずがない」と困惑するが、ヒュプノスは「明日の朝9時に抜かれる」と告げる。スチュが助けを求めると、ヒュプノスは「それは私じゃなく、デスの管轄だ」と述べた。
ヒュプノスは声を潜め、「デスを欺くんだ。死の国まで行き、デスの部屋に忍び込め。復帰パスを盗むんだ」とスチュに助言した。スチュがローラーコースターで死の国へ向かうと、モンキーボーンも付いて来た。一方、ジュリーはアリスに協力してもらい、何とかスチュを起こそうと考える。彼女は睡眠クリニックの仲間であるハッチとクラリッサを集め、スチュの脳波が悪夢のループ状態に陥っていることを示すデータを見せた。そしてジュリーは、悪夢を起こす酵素を限界まで増やし、その刺激でスチュを起こす作戦を提案した。
スチュは死神に変装し、新人の死神たちに紛れてデスの前に赴いた。しかし復帰パスを目にしたモンキーボーンが騒いだため、デスに変装を見抜かれてしまう。モンキーボーンがパスを手に入れ、スチュは彼を連れてダークタウン行きの汽車に飛び乗った。しかしデスの手下と揉み合ったモンキーボーンは、汽車から落ちてしまう。ジュリーが酵素を注射したため、スチュは自分の描いた悪夢の絵に飲み込まれた。そこへモンキーボーンが駆け付け、スチュを絵の中から救い出した
スチュはダークタウンの駅へ戻り、モンキーボーンに礼を述べた。するとモンキーボーンは背後からスチュを殴り付け、復帰パスを奪い取った。彼は高笑いを浮かべ、その場から逃走する。スチュは慌てて後を追うが、ダークタウンの住人たちに取り押さえられた。そこにヒュプノスが現れ、「こいつと取引したんだ。悪いが、君の体を使わせてもらうぞ」と不敵に笑った。モンキーボーンはスチュの復帰パスを使い、現世へと向かった。
医師が生命維持装置を切ろうとした時、スチュが起き上がった。モンキーボーンがスチュの肉体を使い、現世に戻って来たからだ。何も知らないジュリーは大喜びし、スチュ(中身はモンキーボーン。以下、「スチュ’」)を家に連れ帰った。スチュ’は「思ったよりパッとしないね。印税でリッチになってると思ってた」と落胆を示す。一方、本物のスチュを牢獄に入れたヒュプノスは、モンキーボーンから「スチュの体を自分に与えたら、新鮮な悪夢をどんどん見せる」と取引を持ち掛けられ、承諾したことを話した。「僕はコミック作家だ。悪夢なんて作らない」とスチュが言うと、ヒュプノスはジュリーが発見した悪夢を作り出す酵素のことを口にした。
スチュ’はマスコミを家に招き入れ、グッズ販売を大々的に展開することも決めた。眠りに就いたスチュ’は水着の女たちと戯れる夢を見るが、そこにヒュプノスが現れた。ヒュプノスはスチュ’に、悪夢の酵素を早く手に入れて仕事に取り掛かるよう要求した。スチュ’は深夜の睡眠クリニックに侵入し、酵素を盗み出した。ジュリーはスチュ’の様子が以前と全く違うので、アリスに相談を持ち掛けた。
玩具メーカーが開発したオナラを発射するモンキーボーン人形を見たスチュ’は、酵素を散布するのに利用できると考える。彼はオナラが放出される人形の尻穴にに酵素を注入し、スチュの飼い犬であるバスターを実験台にして効果を確かめた。一方、キティーはヒュプノスの目を盗んで牢獄の鍵を奪い、スチュに渡す。キティーの協力で脱獄したスチュは、死の国へ向かう。デスに捕まったスチュは、「恋人に愛してると伝えたい。僕の命をあげてもいいから、1時間だけ欲しい」と頼む。デスは「特例として、別の体をあげる」と告げ、スチュを前世へ戻した。スチュは手術中だった男の体を借りて蘇り、病院を脱走してジュリーの元へ向かう…。

監督はヘンリー・セリック、原作はカジャ・ブラックリー、脚本はサム・ハム、製作はマイケル・バーナサン&マーク・ラドクリフ、製作総指揮はラタ・ライアン&ヘンリー・セリック&サム・ハム&クリス・コロンバス、撮影はアンドリュー・ダン、編集はマーク・ワーナー&ジョン・ポル&ニコラス・C・スミス、美術はビル・ボース、衣装はベアトリクス・アルナ・パスツォール、視覚効果監修はピーター・クロスマン&ピート・コザチク、音楽はアン・ダッドリー、音楽監修はドーン・ソーラー。
出演はブレンダン・フレイザー、ブリジット・フォンダ、ウーピー・ゴールドバーグ、クリス・カッタン、ジャンカルロ・エスポジート、ローズ・マッゴーワン、デヴィッド・フォーリー、ミーガン・ムラリー、ボブ・オデンカーク、パット・キルベイン、リサ・ゼイン、サンドラ・シグペン、ウェイン・ワイルダーソン、エイミー・D・ヒギンズ、アラン・ゲルファント、クリスティン・ノートン、クリス・ホーガン、ルーシー・バトラー、ジョン・シルヴェイン、ルー・ロマノ、レオン・ラデラック、スコット・ロジャース、クリス・トーマス=パロミノ、トニー・パンテラ他。
声の出演はジョン・タートゥーロ。


カジャ・ブラックリーのグラフィック・ノベル『Dark Town』を基にした作品。
ただし主人公のキャラクター設定を含め、内容は大幅に異なっているようだ。
脚本は『バットマン』のサム・ハム、監督は『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』『ジャイアント・ピーチ』のヘンリー・セリック。
スチュをブレンダン・フレイザー、ジュリーをブリジット・フォンダ、デスをウーピー・ゴールドバーグ、スチュが憑依する男をクリス・カッタン、ヒュプノスをジャンカルロ・エスポジート、キティーをローズ・マッゴーワン、ハーブをデヴィッド・フォーリー、キミーをミーガン・ムラリーが演じている。

スチュが入れられたヒュプノスの土牢には、他にリジー・ボーデン(1892年に発生した父と継母の惨殺事件で犯人として起訴され、裁判で無罪になった女性)、エドガー・アラン・ポー(詩人&小説家)、ラスプーチン(帝政ロシアの怪僧)、切り裂きジャック(連続殺人犯)、アッティラ(フン族の王)、メアリー・マローン(世界で初めて症例が発表されたチフス菌の無症候性キャリア)などがいるのだが、その中に作家のスティーヴン・キングらしき人物もいる。
「まだ死んでいないスティーヴン・キングがいる」というのがネタになっているわけだが、残念ながら本物ではなく、ジョン・ブルーノという役者。
当初は本物のスティーヴン・キングがカメオ出演する予定だったが、スケジュールの都合が付かなくなり、彼に似せた役者を使うことになったそうだ。
配役の表記でもスティーヴン・キングの名前は使われず、「Man in the Dungeon(土牢にいる男)」となっている。

ダーク・タウンを一言で表現するなら、「不気味な遊園地」だ。悪夢とまでは言わないが、とても可愛いとは言えないような生物が露店を出したりバーで働いたりしている。
異形の生物が露店で打っている鳩のバーベキューが人の顔をしているとか、バーテンがチューブで昏睡マティーニを注ぐとか、パスを貰った老人がハンマーゲームで上空へ飛ばされて現世に戻るとか、その他諸々、ダークで楽しくないアミューズメント・パークの描写がある。
そういった不思議で不気味な世界に迷い込むのだから、「スチュが様々な生物や景色に驚いたり戸惑ったり怖がったりする」という描写があるのかというと、そうでもない。一応、到着した当初は困惑の様子を見せるが、昏睡バーに入ると、すぐに順応する。
だから、例えばミス・キティーに話し掛けられると、まるで常連であるかのように会話を交わす。復帰パスが老人に渡されると、「それは何なのか」と疑問を抱くことも無い。
つまり彼は、すぐに「自分が昏睡状態にある」ということを理解しているのだ。
このように「不可思議な現象や生物に対して疑問を抱かず、簡単に順応する」というのは、メルヘンにおける主人公の動かし方である。

ぶっちゃけ、この映画は、「奇妙な生物たちが暮らし、奇妙な風景が広がるダーク・タウン」を描写するための作品だと言ってもいい。
スチュがコミック作りやビジネスに辟易しているとか、恋人にプロポーズしようとしているとか、そんな設定は、特に大きな意味を持っていない。
それどころか、「スチュが交通事故を起こして昏睡状態に陥り、ダーク・タウンに迷い込む」という展開へ持って行くための、きっかけとしても機能していないのだ。

この映画の抱える最も大きな欠陥は、「肝心のモンキーボーンがダーク・タウンに全く馴染んでいない」ということだ。
まずキャラクター・デザインや質感などの問題がある。ダーク・タウンの世界観や他の生物たちの造形と比べると、明らかにモンキーボーンだけが異質だ。それは良い意味で際立っているのではなく、完全に浮いている。
そもそもキグルミや特殊メイクのキャラクターが多いので、そうじゃない時点で質感は異なるが、それだけじゃない。駅ではモンキーボーンと同様、ストップモーション・アニメで表現されるキャラクターも登場しているのだが、それらとも質が異なる。
他のキャラクターが不気味さを持っているのに対し、モンキーボーンだけは普通に「可愛い」というイメージなのだ(でも、ちっとも可愛くないんだけど)。

モンキーボーンが抱えているのは、見た目の問題だけではない。
そもそもキャラクターとして、この話に必要が無いんじゃないかと感じてしまうのだ。
モンキーボーンを排除して、「主人公が自身の悪夢であるダーク・タウンに迷い込む」というプロットで映画を作っても、それで別に構わないんじゃないかと思うのだ。
むしろ、モンキーボーンは邪魔な存在だ。コメディー・リリーフは登場させてもいいが、ジャージャー・ビンクスのような騒ぎまくるモンキーボーンは、ただ疎ましいだけだ。

モンキーボーンはダークタウンの案内役でもなければ、スチュを助ける頼もしいパートナーでもない。だからと言って、スチュを妨害するトラブルメーカーというほどでもない。
スチュがダーク・タウンで復帰パスを手に入れるために行動している間、モンキーボーンは周囲でギャーギャーと騒ぎ、好き勝手に暴れているだけだ。
彼がいてもいなくても、ストーリー進行には何の影響も無い。彼が観客に与えるのは、単なる不快感だけだ。
死の国に到着して、ようやくモンキーボーンは「状況を考えずに騒いでスチュの邪魔をする」という役割を担う。
しかし、それは単にジャージャー・ビンクス的な不快感を強めるだけに過ぎない。
その後、モンキーボーンはスチュを助けるが、それは自分がパスを手に入れるためなので、もちろん不快感はさらに強まる。

不快感はともかくとして、モンキーボーンがパスを手に入れてスチュの体を乗っ取ったことで、後半の展開においては、彼は「不必要な存在」ではなくなる。
しかし、そもそも、その展開自体に疑問がある。
なぜ終盤までダーク・タウンで物語を進めないのか。その悪夢の町をスチュが冒険するってのが、この話の肝じゃないのか。
後半に入ると舞台が現世に戻ってしまうと、もはやダーク・タウンなど何の意味も無くなってしまうでしょ。

主人公がコミック作家をしているとか、モンキーボーンというキャラクターが登場するとか、そいつが主人公の体を乗っ取るとか、そういうのは、どうやら原作には無い要素らしい。
皮肉なことに、映画オリジナルで用意された設定が、映画をダメにする要因になっているわけだ。
モンキーボーンが必要性をアピールすると、それと引き換えにダーク・タウンが必要性を失うって、どんだけバランスが悪い脚本なんだよ。

前世に戻った後、モンキーボーンが人形を使って酵素を巻き散らし、それによってバスターやハーブが悪夢を見るという展開がある。 でも、この映画で重視すべきは様々な人が見る悪夢の描写ではなく、ダークタウンの描写のはずだ。
色んな種類の悪夢を描いて行きたいのであれば、むしろ前半の舞台をダークタウンにしたことはマイナスになる。
それによって、物語の焦点が定まらなくなるからだ。

終盤に入ると、体操選手の体を借りて現世に戻ったスチュが偽者&ジュリーがいる自然史博物館へ向かうとか、そのスチュが外科医たちに追われるとか、そういうことでドタバタ劇を作って話を盛り上げようとしているが、そこも散漫になっている印象しか受けない。
そういうドタバタ劇を、なぜダークタウンでやらないのかと思っちゃうのよ。
スチュが憑依する相手が体操選手という設定も、ただアクロバットをさせたいだけで用意されている設定であり、その使い捨て感覚も引っ掛かるし。

それと、スチュはアクロバットな動きをやって追跡を撒いたり博物館に突入したりしているけど、それは終盤になって登場した体操選手の体でやっていることなので、そこも引っ掛かるんだよな。
見た目はスチュじゃないのでね。
誰か他の人間の体を借りるにしても、せめて前半から登場していて、スチュと親しい関係にあるキャラクターの体を借りる形にした方が良かったんじゃないかと。
後半になって急に出て来た知らない男の体で、主人公として行動されてもなあ。

結局、ヘンリー・セリックって、『Dark Town』を映画化したかったわけじゃないのではないかと。
モンキーボーンがビートルジュース的に暴れる話をやりたくて、そのために『Dark Town』を利用しただけに過ぎないんじゃないかという気がするぞ。
そうじゃなかったら、原作に対する愛やリスペクトがあったら、そんなにバランスを悪くしてまで、モンキーボーンというキャラクターを盛り込もうとは思わないはずだ。

(観賞日:2013年11月1日)


第24回スティンカーズ最悪映画賞(2001年)

ノミネート:【最悪の助演女優】部門[ウーピー・ゴールドバーグ]
<*『モンキーボーン』『ラットレース』の2作でのノミネート>

 

*ポンコツ映画愛護協会