『ミズーリ・ブレイク』:1976、アメリカ

モンタナの牧場主であるデヴィッド・ブラックストンは毎年、7パーセントもの馬を盗まれていた。馬泥棒のサンディーを捕まえた彼は、牧童頭のピートに命じてサンディーを吊るし首にした。ブラックストンの娘であるジェーンは、裁判無しでの処刑に批判的な態度を取った。18歳から苦労して成功したブラックストンは、「目を離せば盗む奴ばかりだ。今や最悪の状況にある。慣れることだ」と語った。
ワイオミングでの馬泥棒からアジトへ戻ったトム・ローガンは、仲間のトッド、キャリー、キャル、サイと合流した。ローガンは仲間であるサンディーの死を知らされ、処刑を目撃したトッドが最期の姿について話した。ローガンは盗んだ馬の処理について、「中継所の牧場を作ろう。そこから遠くに出荷しよう」と提案した。しかし牧場を買うための金は無く、トッドは「列車強盗をやろう」と言い、キャリーは銀行を狙おうと主張した。ローガンはキャルに、「ブラックストンの牧場の裏に中継所を作ろう」と告げた。
ローガンは汽車に乗り込んで車掌を脅し、大金を奪った。しかしバッグに金を詰めて逃走しようとした際、橋から転落しそうになった。紙幣が地面に散らばったため、ローガンは待機していたトッドと2人で拾い集めた。町へ出掛けたローガンは、酒場で開かれた裁判を見物した。裁判長はブラックストンで、犯罪者に対して「取り調べに協力的だったので、縛り首ではなく州刑務所に送る」と宣告した。
ローガンはジェーンを連れて酒場を出たブラックストンに声を掛け、「見事な裁きでした」と褒めた。彼が「貴方に頼めと言われました。鍛冶屋の店舗を売った金で、牧場を買いたいんです」と言うと、ブラックストンは桶屋の物件を紹介した。「馬泥棒が多いらしいですが、最近、誰かを縛り首にしましたか?」という問い掛けに、ブラックストンは「したとも」と答えた。ジェーンから処刑への考えを問われたローガンは、賛成だと答えた。するとジェーンは、ローガンを厳しい口調で非難した。
町を出たブラックストンは、縛り首にされているピートを発見した。ローガンは牧場を購入し、仲間たちと合流した。仲間たちが「牧場を見る前に女とバクチだ」と言い出したので、ローガンは「どちらかにしろ。ほとんど金が無い」と告げ、結局は娼宿へ出向いた。一行は牧場へ行き、修繕作業に取り掛かった。キャルはローガンに、カナダの騎馬警官の馬を盗もうと持ち掛けた。「誰もが恐れて手を出さない。だから警戒もしていない」と、彼は狙う理由を説明した。キャルはローガンに留守番を頼み、仲間を連れてカナダへ向かった。
ブラックストンの家でピートの葬儀が執り行われているところへ、「整理屋」として知られるガンマンのリー・クレイトンがやって来た。サンディーが盗まれた馬の所在を白状しなかったと聞き、クレイトンは「甘やかしたからだ。その結果、この男の死を招いた」と棺からピートの遺体を引っ張り出す。参列者が慌てて止めに入ると、彼は「手を放せ。まずは諸君が彼を死なせたことを認めろ」と声を荒らげた。彼が部屋を去った後、参列者は派手な服装や香水の匂いを嘲笑した。
ローガンが牧場で仕事をしていると、馬で野原へ向かうジェーンが挨拶した。ローガンが同行を求めると、ジェーンは拒否した。ローガンが馬で同行するとジェーンは攻撃的な態度を取り、「私が欲しい?セックスしたい?」と挑発するように告げた。しかしローガンが「君は欲しくない」と冷たく言うと、「どうして意地悪なの?」と泣き出した。後日、ローガンが仔馬を引っ張っていると、ブラックストンがクレイトンを連れて現れた。クレイトンを紹介されたローガンは、「縛り首なら自白したり遺言を残したりするチャンスもあるが、遠くから見えない相手に撃たれたら、お祈りも出来ずに死ぬ」と批判的に述べた。するとクレイトンは、「私としては、使命さえ果たせれば手段は問題じゃない」と口にした。
別の日、ローガンが畑で仕事をしているとジェーンが会いに来た。前回と違って素直な様子を示すので、ローガンは「どうした?」と質問した。するとジェーンは、「会いに来てくれないから、好かれるように変えたの」と告げた。ローガンが「中国茶でも入れよう」と家に招き入れると、ジェーンはセックスに誘った。ローガンは彼女の意思を確認し、関係を持った。双眼鏡で周囲を観察していたクレイトンは、2人が逢引する姿を目撃した。それを物陰からブラックストンが見ていることに気付き、彼はニヤニヤした。
キャルはキャリーに別の仕事を任せ、トッド、サイを連れてカナダに渡った。彼らは騎馬警官たちが教会へ行っている間に、馬を盗んだ。ローガンが畑仕事をしているとクレイトンが現れ、「ワイミオングにローガンという4兄弟がいた。上の3人は早撃ちで、ヴァイオリン好きの末弟だけが家畜を盗んだ疑いで殺された。親戚じゃないのか?」と尋ねた。ローガンが「いいや」と否定すると、クレイトンは拳銃で畑を囲うロープを撃つなどして挑発的な態度を取った。彼は「農夫じゃないな。君の出身も職業も知らないが、それだと暮らせない」と告げ、その場を去った。
トッドたちは国境で騎馬警官の面々に発砲を受け、慌てて逃げ出した。その際、トッドだけが離れてしまった。クレインはトッドを目撃し、親切な男を装って接触した。彼は「向こうでウサギを焼いている」と野営地へ誘い、夕食を与えた。翌朝、彼は一緒にミズーリ河を渡ると見せ掛け、トッドの首にロープを巻き付けて落馬させた。流れに飲まれるトッドに、クレイトンは「溺死するか喋るかだ。仲間について話せ」と要求した。トッドが「言うもんか」と拒むと、クレイトンはロープを離して溺死させた。クレイトンは薬莢をトッドの馬に付け、キャルたちの元へ向かわせた。すぐにキャルは、クレイトンの出現を察知した…。

監督はアーサー・ペン、脚本はトーマス・マクゲイン、製作はエリオット・カストナー&ロバート・M・シャーマン、製作協力はマリオン・ローゼンバーグ、撮影はマイケル・バトラー、美術はアルバート・ブレナー、編集はジェリー・グリーンバーグ&スティーヴン・A・ロッター&デデ・アレン、衣装はパトリシア・ノリス、音楽はジョン・ウィリアムズ。
出演はマーロン・ブランド、ジャック・ニコルソン、キャスリーン・ロイド、ランディー・クエイド、フレデリック・フォレスト、ハリー・ディーン・スタントン、ジョン・マクライアム、ジョン・ライアン、サム・ギルマン、ダン・アデス、ルアナ・アンダース、R・L・アームストロング、リチャード・ブラッドフォード、ヴァーン・チャンドラー、スティーヴ・フランクリン、ヴァージル・フライ、ダニー・ゴールドマン、ジェームズ・グリーン、ドロシー・ニューマン、ハンター・ヴォン・リール、チャールズ・ワッゲンヘイム他。


『俺たちに明日はない』『アリスのレストラン』のアーサー・ペンが監督を務めた作品。
脚本は『スポーツクラブ』『荒野にさすらう若者たち』のトーマス・マクゲイン。
クレイトンをマーロン・ブランド、ローガンをジャック・ニコルソン、ジェーンをキャスリーン・ロイド、トッドをランディー・クエイド、ケーリーをフレデリック・フォレスト、カルヴィンをハリー・ディーン・スタントン、ブラックストンをジョン・マクライアム、サイをジョン・ライアンが演じている。

何をどう見ればいいのか困ってしまう映画である。
早い段階で「ローガンたちが善玉、ブラックストンやクレイトンが敵」という図式が確立されるのだが、そこに乗って行くのが難しい。
ブラックストンが裁判を経ずにサンディーを処刑したのは、確かに人道的には問題のある行為だ。ただし、そもそも馬泥棒をしたサンディーが悪いという事情がある。そしてローガンたちも泥棒を繰り返しているわけで、つまり彼らを善玉として捉えるのが難しいのだ。
一方で、ブラックストン側には「馬を盗まれている」という事情があるので、こちらを完全無欠の悪玉として捉えることも難しい。

「絶対に勧善懲悪じゃなきゃダメ」というわけではないんだけど、この映画の場合、ブラックストンを完全無欠の悪党にしないのは別にいいとしても、ローガンたちは善玉キャラじゃないと厳しいんじゃないかと思うのよね。
アウトローなのは構わないけど、「サンディーを殺された復讐でピートを殺す」ってのは受け入れ難いわ。
でも本当なら、その復讐は全面的に承服できるモノであるべきでしょ。
そもそもピートはブラックストンの命令を遂行しただけであって、復讐相手が違うんじゃないかとも思うし。

ローガンたちが泥棒であっても、善玉ポジションに据えることは不可能じゃない。それはアーサー・ペンが既に『俺たちに明日はない』でやっている。
『俺たちに明日はない』のボニー&クライドは銀行強盗だが、決して客の持っている金は奪わない。
銀行を「貧しい庶民を陥れる悪玉」として描き、それによってボニーたちを「権力と戦う庶民のヒーロー」にしていた。
権力者サイドである警察を手玉に取る様子も含めて、ボニーたちの好感度を高めるように上手く描かれていた。

この映画でも、ローガンたちが標的にするのは牧場主や警官であり、つまり「金持ち」や「権力者」の位置にあるメンツだ。
ただし、この映画の場合、そういった面々が庶民を苦しめているという描写が無い。だから、ローガンたちを「庶民を苦しめる権力者から盗む英雄」と捉えることは不可能だ。
また、『俺たちに明日はない』とは違い、主人公の対峙する相手はブラックストンという「個人」がハッキリと顔を見せている。銀行や警察といった「組織」ではなく、「個人」ってのも大きい。
それと、ブラックストンは若い頃から苦労して成り上がった男であり、そんな人間に「馬泥棒は許せない」と主張させると、「筋が通っている」と感じてしまうのだ。
そもそも敵の見せ方が云々という以前に、ローガンの言動からして好感度か低いし。

ユーモラスな描写を何度も挟む演出も含め、本作品は『俺たちに明日はない』の二匹目のドジョウ的な路線を狙っているモノと思われる。
しかし残念ながら、シリアスな部分とコミカルな部分が上手く融合していない。サンディーが殺された直後のシーンでコミカルなテイストになったりすると、「それは違うだろ」と感じてしまう。
娼館へ行くシーンなんかは、何のために用意しているのかサッパリ分からない。行った途端に次のシーンへ移るのなら、まるで要らないんじゃないかと。
後で「清潔な人が商売女を買うのね」とジェーンがローガンに告げるシーンはあるけど、そんなのはローガンと仲間たちが「女を買いに行こう」と言うシーンでも入れておけば事足りるし。

ピートを殺しておいて、ローガンたちのユーモラスな様子を描いているのも、ものすごく違和感がある。
前半戦はコミカル強めで行くなら、のっけから「サンディーの処刑」→「復讐としてピートを吊るし首」という殺伐とした展開を入れるのはマズいんじゃないかと。
殺伐とした雰囲気を和らげるために、ユーモラスな描写を挟んでいるのかもしれない。
だけど、まるで混じり合わないので効果は得られていない。

ローガンが処刑に賛成だと言った時、ジェーンは厳しい口調で批判する。ローガンが「お供しても?」と言った時には断っている。
だから彼に嫌悪感を抱いているのかと思ったら、そこからの彼女の言動がキテレツになっている。
まず断られたローガンが「チャンスをくれ。私は真面目で清潔な男だ」と言うと、「清潔な男が商売女を買うの?」と攻撃的な態度を取る。この段階では、「ローガンを嫌っている」という感じなので、筋は通っている。
ここからが問題だ。

野原に到着すると、ジェーンは「何が望み?狙いがあるから付いて来たんでしょ。私が欲しい?セックスしたい?」と言い出す。
ローガンは戸惑うが、見ているこっちも戸惑ってしまう。
で、さらにジェーンは、「馬から降りなさいよ。尻込みは似合わないわ。私から行かないと駄目なの?」と強気の態度で言う。
てっきり、ローガンを嫌っていて、あえて挑発的な態度を取っているのかと思ったのだが、どうやら違っていたらしい。
そのことは、直後の展開が示している。

腹を立てたローガンが「俺が頼んだか?君は欲しくない」と冷淡な態度を示すと、ジェーンは「どうして意地悪するの?」と尋ねる。
「俺は意地悪じゃない。正直だから、本音を言ってる」とローガンに言われると、彼女は泣き出す。「涙は苦手だ。帰って肥し作りを始める」と言われると、「待って、泣かないわ。出来る限り」と告げる。「キスしよう」と誘われると狼狽し、「出会ったばかりよ。それより、散歩しながら西部を出る相談をしましょう」と提案する。
ジェーンというキャラクターが、サッパリ分からない。
「情緒不安定かよ」とツッコミを入れたくなるぞ。

しかも、その時点でジェーンは、既にローガンを好きになっていたってことなんだよね。
そんで次に登場すると、「会いに来てくれないから素直な態度に変えた」とか言うし。
だけど、どのタイミングで、ローガンのどこに惚れたのか、サッパリ分からんぞ。
しかもジェーンはローガンにゾッコン惚れ込んだだけでなく、家に招き入れられると自分からセックスに誘っているのである。
もはや、ただの色情狂にしか見えないぞ。

ジェーンがアバズレ女であれば、そういう動かし方をしても別にいいだろう。
だけどヒロインとしては、そんな情緒不安定なビッチじゃマズいだろう。
アメリカン・ニューシネマなので、ひょっとすると「既存のヒロイン像や固定観念をぶち壊す」という狙いがあったのかもしれない。
ただし、そういう意図があったとしても、そのせいでヒロインとしての魅力が失われてしまったら本末転倒なわけで。

カナダへ遠征したトッドたちの様子が何度か挿入されているのだが、ここがローガンのストーリーと全く絡まない。だから、騎馬警官から馬を盗む展開が、どういう意図で盛り込まれているのかが全く分からない。
はぐれたトッドがクレイトンに殺される展開が訪れると、一応は本筋と合流する形になる。だけど裏を返すと、そこまでの部分は全く要らないってことになるのよね。
っていうか、別にトッドたちをカナダまで遠征させなくても、「クレイトンが1人になったトッドを捕まえて拷問する」という展開は作れるし。
つまりカナダ遠征の部分は、話に厚みを持たせているのではなく、散らかしているだけにしか思えない。

クレイトンがブラックストンから依頼された任務を遂行するための行動は、かなりのノロノロ運転だ。
この映画の上映時間が長いのは、そこでダラダラしているからであって、尺に見合った中身が詰まっているわけではない。クレイトンの行動が遅いだけでなく、ローガンの方もジェーンに惚れて呑気に過ごしているだけ。
しかも、じゃあ恋愛劇に厚みを持たせているのかというと、ここもペラペラだ。
ローガンはブラックストンの娘に惚れたのに、そこでの苦悩や葛藤など皆無で、能天気に付き合っているだけだ。ジェーンに惚れたことがきっかけで足を洗おうとか、そんな風に考える展開も無い。それどころか、ブラックストンの馬を何の迷いもなく盗んでいる。

途中でクレイトンとローガンが会うシーンはあるもの、どちらもノンビリしているので、対決ムードは高まらないまま時間だけが過ぎて行く。トッドがクレイトンに殺され、ようやく物語が少しだけ先へ進むという印象だ。
ただし、その段階では、まだローガンがトッドの死を知らない。知らなければ怒りで行動を起こすことも出来ないので、ってことは、まだノロノロ運転は続いている。
映画開始から1時間半ほど経過した辺りで、ローガンがトッドを知り、激昂してクレイトンの元へ乗り込む。しかし余裕を見せるクレイトンの空気に飲まれ、殺すことは出来ずに立ち去る。
その後、そろそろ頑張らないとマズいってことなのか、クレイトンがローガンの仲間を次々に殺す展開が訪れ、急に話のテンポが上がる。しかしローガンは全員が殺されるまで全く知らないので、話の盛り上がりには欠ける。
計算を間違えているとしか思えないストーリー構成なのだ。

この映画の最大の癌は、マーロン・ブランドである。
この人は『ゴッド・ファーザー』が大当たりしたけど、他の映画ではアクの強さがマイナスに出てしまうことも少なくない。
この映画でも、クラッシャーとしての本領を発揮していると言っていいだろう。
彼は周囲に迎合するとか、バランスを取るとか、そういう意識は微塵も持ち合わせておらず、とにかく自分のやりたい芝居を自由気ままにやるだけだ。彼はリー・クレイトンというキャラクターを勝手に作り込み、勝手に演技をしている。

もちろん、全ての芝居がマーロン・ブランド発信ってわけじゃなくて、シナリオや演出通りという部分もあるだろう。
しかし『ゴッド・ファーザー』がバカ当たりした後のブランドは、短い出演時間で高額のギャラを要求する俳優になってしまった。
なので、もはや「俺様の言うことには誰も逆らえないぞ。逆らったら降板するだけだ」という王様状態だったのだ。
アーサー・ペンも充分すぎるほどの大物監督ではあるが、たぶんマーロン・ブランドをコントロールすることは出来なかっただろう。

クレイトンは登場シーンで、馬の向こうに姿を隠してブラックストンの家に赴き、顔だけをヒョッコリと出してジェーンに名乗るという必要性の無い行動を取る。
彼は派手な服装で、遺体を棺から引っ張り出したり、葬儀の参列者を怒鳴り付けたりする。香水の匂いがキツいと参列者は言うが、それ以降のシーンで匂いに言及することは一度も無い。
「酷い歯痛なんだ」とクレイトンは口元を抑えるが、それ以降のシーンで歯を気にすることは一度も無い。
「夕食はビートの青葉とオクラを避けてくれ」と要求するが、それ以降のシーンで食事の好みに触れることは一度も無い。
クセの強すぎる設定を幾つも用意して、その全てを簡単に放り出している。

双眼鏡を持っている理由についてローガンに「野鳥観察だ」と説明するのは嘘かと思ったら、実際に野鳥図鑑を持って鳥を観察するシーンがある。
ただし、鳥を観察するのは一度だけで、それ以降は人間を観察するために双眼鏡を使う。
トッドに接触した時は、マンドリンを演奏して歌う。トッドが眠り込むと口にゴミを放り込み、彼が喉を詰まらせそうになって起きると「変な奴だな。眠いんだぞ」と文句を言う。
何がしたいのかサッパリ分からない。
翌朝になってからミズーリ河に突き落として尋問するが、接触した夜に行動を起こさない理由は全くの不明だ。

終盤、クレイトンは山小屋を狙撃して炎上させる際、老婆の変装をしている。深夜の暗闇であり、しかも遠くから狙撃しているのだから変装する必要性など全く無いのに、なぜか変装するのだ。
しかも、なぜか女装で、しかも老婆の変装。どれだけ頑張って頭を捻っても、その仕事を果たすために老婆の格好をしなきゃいけない理由がサッパリ思い付かない。
そして劇中でも、全く説明されないままで終わる。
とにかくクレイトンを飾り付ける要素が無駄に多すぎて、キャラの交通渋滞を起こしている。

(観賞日:2015年11月7日)

 

*ポンコツ映画愛護協会