『マイティ・ジョー』:1998、アメリカ
アフリカ奥地の小さな村。動物学者ルース・ヤングは、ゴリラの保護活動に力を入れていた。ルースの娘ジルは、ゴリラの中でも生後5ヶ月にして大人のように大きくなったジョーと仲良しだった。ある日、密猟者のストラッサー達が現れ、ゴリラを守ろうとしたルースが撃たれて死亡した。ジルは、ジョーを守っていくことを母に約束した。
それから12年後、カリフォルニアの動物保護センターの職員グレッグ・オハラが、動物の血液を採取するためにアフリカへとやって来た。彼は、ハンターのピンディ達を雇い、ジャングルへと入った。そこでグレッグは、巨大なゴリラを発見し、1人で後を追う。
巨大ゴリラに捕まったグレッグの前に、大人になったジルが姿を現した。巨大ゴリラは、成長したジョーだった。ジルは、ジョーが密猟者に見つからないよう、守り続けていた。グレッグはジルに、密猟者から守るためにジョーを保護センターに入れるべきだと告げる。最初は断ったジルだが、結局はグレッグの誘いを承諾することにした。
ジルはジョーを連れて、グレッグと共にカリフォルニアの動物保護センターへとやって来た。ジルとジョーにとっての、新しい生活が始まった。だが、テレビでジョーの存在を知ったストラッサーはセンターに向かい、罠を仕掛けてジョーを暴れさせる…。監督はロン・アンダーウッド、原案はメリアン・C・クーパー、脚本はマーク・ローゼンタール&ローレンス・コナー、製作はテッド・ハートリー&トム・ジェイコブソン、製作総指揮はゲイル・カッツ、共同製作総指揮はマーク・リッソン&ゲイリー・スタットマン、製作監修はラルフ・ウィンター、撮影はドン・ピーターマン&オリヴァー・ウッド、編集はポール・ハーシュ、美術はマイケル・コレンブリス、衣装はモリー・マギニス、クリーチャー・デザイン&製作はリック・ベイカー、音楽はジェームズ・ホーナー。
出演はシャーリーズ・セロン、ビル・パクストン、レイド・セルベッジア、ピーター・ファース、デヴィッド・ペイマー、レジーナ・キング、ナヴィーン・アンドリュース、ロバート・ウィズドム、ローレンス・プレスマン、リンダ・パール、マイカ・ブレム、コーリー・バック、リズ・ジョージス、リチャード・リール、シンシア・アリソン、ケン・テイラー、テリー・ムーア、ジャドソン・ミルズ他。
1949年の『猿人ジョー・ヤング』をリメイクした作品。
ジルをシャーリーズ・セロン、グレッグをビル・パクストン、ストラッサーをレイド・セルベッジアが演じている。また、オリジナル版のヒロインを演じたテリー・ムーアと、特撮を担当していたレイ・ハリーハウゼンが、保護センターでのパーティーのシーンに顔を見せている。ゴリラが良く出来ているというのは、もちろんそうなのだが、それよりも、「話がヘボだからゴリラを見る以外に無い」というのが実情だ。それと、その良く出来たゴリラにしても、「外見が良く出来ている」というだけで、キャラとしては大して魅力的だと感じない。
人間キャラクターに関しては、ほとんど「ただ出てるだけ」の領域を抜け出せていない。ジルとグレッグには、互いに惹かれ合うようになるという話が用意されているのだが、これがジョーと全く関係無い。例えばジョーがグレッグに嫉妬するとか、ジョーがジルの恋の手助けをするとか、そういう風に影響を及ぼすようなことが全く無い。何か大きな障害が起きそうになっても、そこに行き着く前に解決方法が示され、問題を簡単に回避してしまう。だから、後半になってストラッサーが本格的に動き始めるまで、物語は粛々と進められていき、大きな障害が無くて、ツルツルと滑っていく。
例えば、ジルはジョーを保護センターへと移送には大反対していたのに、あっさりOKする。そこは、もう少しで密猟者に見つかりそうなシーンを作るなどしてジルを追い詰め、ジョーをセンターに移送せざるを得ない状況を作り出すべきだろう。
例えば、ジャングルでタチの悪いハンターにジョーが見つかりそうになるとか、アメリカに移送する際にトラブルが生じるとか、そういうことがあっても然るべきだろう。しかし、ジョーはグレッグの連れて行ったハンター以外に見つかることは無いし、移送では何のトラブルも生じることなく、スムーズに保護センターまで辿り着く。ピンディがストラッサーに、巨大ゴリラがいることを連絡するシーンがあるのだが、これも何のドラマにも繋がらない。ストラッサーが、「んなバカな」と言って終わってしまう。保護センターでジョーが暴れるシーンがあるが、すぐにおとなしくなる。結局、単調なドラマが大きな動きを見せるには、ストラッサーの行動を待たねばならない。
ファミリー映画だから話を分かりやすくしようと考えたのなら、その考え方には同意する。しかし、結果的に分かりやすくなったのではなく、安っぽくなっている。
面白味の無い登場人物を揃えた、何の捻りも無い話を、平平凡凡に見せられてもなあ。