『メトロポリス』:1984、ドイツ&アメリカ

2026年、人々は一部の絶大な権力者によって抑圧され、支配されていた。メトロポリスの地下深くには、工場で働く労働者たちが住む街があった。機械的で過酷な労働は、彼らを生命の限界まで追い込んでいた。一方、地上高くそびえ立つメトロポリスには、支配者階級のために建てられた競技場や「永遠の園」と呼ばれる娯楽施設があった。労働者の娘であるマリアは多くの子供たちを連れて永遠の園を訪れ、すぐに立ち去った。権力者の息子であるフレーダーは彼女に心を奪われ、後を追った。
地下の街に足を踏み入れたフレーダーは、初めて労働者の置かれている実態を知った。爆発事故を目にした彼は父であるフレーダーセンの元へ行き、メトロポリスを築いた功労者たちの過酷な労働環境について訴える。呼び付けた現場主任から爆発事故の現場で見つかった図面を渡されたフレーダーセンは、側近のヨザファトにクビを通告した。外へ出たヨザファトが自殺しようとすると、駆け付けたフレーダーが慌てて制止した。
フレーダーセンは部下を呼び、息子を監視するよう命じた。フレーダーはヨザファトに協力を要請し、地下の街へ赴いた。彼は倒れそうになっている労働者のゲオルギを救い、仕事を引き受けた。彼は服や身分を交換してもらい、ヨザファトに自分を待つよう伝えるよう頼んだ。しかしゲオルギは歓楽街のヨシワラで誘惑に負け、ヨザファトの元に行かなかった。メトロポリスの中心部に住む発明家のロトワングは、ヘルという女性のことばかり考えていた。ヘルはロトワングの恋した相手だったがフレーダーセンと結婚し、フレーダーを産んで死去していた。かつてフレーダーセンとロトワングはヘルを巡って対立し、長きに渡って会っていなかった。
ロトワングはフレーダーセンを呼び、ヘルに似せたロボットを披露した。「足りないのは魂だけだ」とロトワングが誇らしげに告げると、フレーダーセンは「こんな物は作らない方がいい」と否定的な考えを示した。彼はロトワングに図面を見せ、「これが何か分かるか」と尋ねた。フレーダーが図面を拾って見ていると、労働者の1人が歩み寄って「またマリアが集会を開く」と囁いた。過酷な労働を必死で続けていたフレーダーは、ようやく勤務時間を終えて解放された。
フレーダーセンはロトワングから「これは古い地下墓地の図面だ」と教えられ、案内を頼んだ。フレーダーは大勢の労働者たちと地下墓地の集会に参加し、指導者であるマリアに跪いた。フレーダーセンとロトワングは、集会の様子を密かに覗き込んだ。マリアはバベルの塔について人々に語り、計画者の頭脳と労働者の手を結び付ける橋渡し役の必要性を解いた。「それは心でなくてはならない」という彼女の言葉に、フレーダーは感銘を受けた。マリアは労働者たちに、耐えていれば橋渡し役が必ず現れると説いた。
フレーダーセンはロトワングに、マリアに似せたロボットを作るよう命じた。マリアを監禁してロボットを送り込み、労働者たちが自分の指示に従うように仕向けようと企んだのだ。フレーダーは集会の後でマリアに声を掛け、キスを受けた。翌日に大聖堂で会う約束を交わし、マリアはフレーダーを見送った。ロトワングはマリアを追い込み、自分の家に閉じ込めた。翌日に大聖堂を訪れたフレーダーは、マリアが来ないので捜索に出た。ロトワングと揉み合うマリアの声を聞いたフレーダーは、家のドアを激しく叩いた。ドアが開いたので彼は突入するが、閉じ込められてしまった。
ロトワングはマリアを気絶させ、瓜二つのロボットを誕生させた。奥のドアが開いたのでフレーダーが足を踏み入れると、ロトワングが待ち受けていた。マリアの居場所を尋ねられた彼は、「君の父上と一緒だ」と答えた。フレーダーはマリアのロボットに、「お前を通じてロボットを支配する」と話し掛けた。そこへ駆け込んだフレーダーはマリアがロボットだと気付かず、高熱を出して寝込んでしまった。ロトワングは大勢の人々にロボットを披露し、エロティックな格好で踊らせた。
回復したフレーダーは、ヨザファトからマリアがヨシワラの「罪の家」にいたことを知らされた。ロボットは多くの男たちを魅了し、争いを引き起こしていた。フレーダーはロボットが労働者たちを暴力に走らせようと煽っている現場を目撃し、偽者だと気付く。しかし労働者たちはフレーダーの言葉に耳を貸さず、殺害しようとする。フレーダーは必死に抵抗し、労働者たちを止めに入った男が命を落とした。ロボットに扇動された労働者たちは暴動を起こし、発電所の破壊に向かった。
心臓部の機械を破壊すれば地下の街が水没するのだが、そのことに労働者たちは全く気付いていなかった。発電所の責任者であるグロットは何とか阻止しようと立ちはだかり、「機械を壊せば洪水が起きるんだぞ」と叫ぶ。しかし労働者たちは耳を貸さず、グロットを襲撃して制圧した。本物のマリアはロトワングと格闘して逃亡し、機械が破壊される現場を目にした。労働者の街は洪水に見舞われ、人々は逃げ惑った。フレーダーはマリアと再会し、協力して子供たちを避難させた…。

監督はフリッツ・ラング、脚本はテア・フォン・ハルボウ、提供はジョルジオ・モロダー、製作はエリッヒ・ポマー、製作総指揮はミシェル・コーエン&キース・フォーシー&ローリー・ハワード&ジョージ・ナシュケ、撮影はカール・フロイント&ギュンター・リッタウ、美術はオットー・フンテ&エーリッヒ・ケトルハット&カール・ヴォルブレヒト、編集はレイ・ラヴジョイ、特殊効果はユルゲン・シュフタン、音楽はジョルジオ・モロダー、作詞はピート・ベロッテ。
出演はグスタフ・フレーリッヒ、ブリギッテ・ヘルム、アルフレート・アーベル、ルドルフ・クライン=ロッゲ、テオドー・ルース、フリッツ・ラスプ、アルウィン・ビスワンガー、ハインリッヒ・ゲオルギ他。


1927年に公開された同名映画を作曲家のジョルジオ・モロダーが再編集し、新たに伴奏音楽を付けた作品。
オリジナル版の監督は、『死滅の谷』『ドクトル・マブゼ』のフリッツ・ラング。脚本は彼の妻だったテア・フォン・ハルボウ。
フレーダーをグスタフ・フレーリッヒ、マリアをブリギッテ・ヘルム、フレーダーセンをアルフレート・アーベル、ロトワングをルドルフ・クライン=ロッゲ、ヨザファトをテオドー・ルース、ゲオルギをアルウィン・ビスワンガーが演じている。

フリッツ・ラングが最初に完成させた時、映画は153分という上映時間だった。
しかし興行的な理由と政治的な理由によって、ラングに無断で114分のバージョンに編集された。
その後、第二次世界大戦の影響でオリジナルのフィルムは失われた。しかし作品の熱烈なファンだったジョルジオ・モロダーは再び世に出したいと考え、世界中のコレクターからフィルムを買い取って80分のバージョンに再編集した。
そこに自身が作曲した音楽や効果音を付け、一部の映像をカラー処理したのが、この作品である。

ジョルジオ・モロダーは1980年代に人気を集めていたロックミュージシャンを起用し、歌唱を担当させている。
具体的には、クイーンのフレディー・マーキュリーが『Love Kills』、パット・ベネターが『Here's My Heart』。
イエスのジョン・アンダーソンが『Cage Of Freedom』、エンジェルのフランク・ディミノが『Blood From A Stone』。
ボニー・タイラーが『Here She Comes』、ラヴァーボーイが『Destruction』。
ビリー・スクワイアが『On Your Own』、アダム・アントが『What's Going On』といった具合だ。

オリジナル版はSF映画の傑作と評されており、以降に公開された多くの作品に大きな影響を与えている。
紛失していたフィルムは次々に発見され、2010年には150分バージョンが発表されている。
なので、本当に『メトロポリス』の良さを味わいたいのであれば、そちらを観賞することをオススメする。
こちらのバージョンに関しては、当時は「これしか選択肢が無かった」ってことで大勢が食い付いただけであり、今となっては「好事家のための映画」と化している。

先に「ジョルジオ・モロダー版」ということを抜きにして、『メトロポリス』についての批評を書いておく。
当時としては画期的な「SFとしての表現」が、幾つも持ち込まれている。
例えば人間の形をしたロボットが画面の中で動き回っているが、これは当時の映画界では初めての表現だった。当時はストップモーション・アニメーションのような技術も無いので、中に人間が入って動かしている。
近未来的なガジェットや世界観だけをセールスポイントにしているわけではなく、当時の資本主義と共産主義の対立を投影したディストピア映画として作られている。

「一部の映像をカラー処理した」と前述したが、「パートカラー」という意味ではない。画面全体の色調を青っぽくしたり、黄色っぽくしたり、そういうことだ。
そんな一部のカラー化は全く効果的ではなく、「全てモノクロで統一しておけば良かったのに」と言いたくなる。
そっちの方が、「SFの古典」としての味わいがハッキリと感じられて良かったんじゃないかと思うんだよね。シーンによって色調を変化させているけど、その意味合いは判然としないし。
地下と地上で分けているとか、描かれている内容で分けているとか、そういう基準も見えて来ないし。

さて、この映画が公開時に酷評を浴びた理由は簡単で、「ジョルジオ・モロダーによる加工がマズかった」ってことだ。
もう少し具体的に言うと、特に酷評の対象となっているのは音楽だ。
最初から最後まで伴奏音楽が鳴り響いているのだが、大音量で盛り上がると「騒がしいなあ」と感じてしまう。
当時の流行であり、そもそもジョルジオ・モロダーの得意分野である電子ロックが使われているのだが、これが映像と全く合っていない。

何よりダメなのは、インストではなく多くの歌曲を伴奏に付けていること。
やたらと歌が入ることによって、ほぼミュージック・ビデオのような雰囲気を醸し出しているのだ。
あと、一部ではミュージカル映画っぽさも感じさせる。ところがミュージック・ビデオとしては歌がフルコーラスじゃないし、ミュージカル映画としては実際に登場人物が歌っているわけでもないしダンスも無い。
そのため、「雰囲気に対して中身が伴っていない」という不足感を覚える羽目になる。

映像としては近未来の世界を描いているのだが、そこにある「近未来」っぽさは決して「電子ロックの流れていそうな近未来」ではない。
だからと言って「だったら何が合うのか」と問われたら答えは難しいけど、現代音楽かクラシック辺りになるのかな。
まあ「これが正解」ってのは断言できないけど、ともかくジョルジオ・モロダーの用意した音楽が合っていないと感じるのは確かだ。
あと、何となく『ピンク・フロイド/ザ・ウォール』の亜流みたいな印象になっているかな。

(観賞日:2021年5月27日)


第5回ゴールデン・ラズベリー賞(1984年)

ノミネート:最低オリジナル歌曲賞「Love Kills」

 

*ポンコツ映画愛護協会