『マネキン2』:1991、アメリカ

遥か昔、ハウプトマン=コーニク王国。ウィリアム王子は農家の娘であるジェシーと交際しており、結婚を申し込んだ。女王は2人の交際に反対しているが、ウィリアムは駆け落ちして挙式してしまおうと考える。しかし女王の命令を受けた兵隊が2人を包囲し、ジェシーを連れ去ろうとする。ウィリアムは兵士たちを倒してジェシーを奪還するが、女王が来て別れるよう要求した。女王はジェシーが金目当てと決め付けており、魔法使いのスプレッツルは宝石の首飾りを差し出した。
ジェシーは受け取りを拒否するが、ウィリアムがスプレッツルから首飾りを奪い取って「これを僕たちの永遠の愛のシンボルにしよう」と彼女に告げる。ウィリアムが首に付けると、ジェシーは「大切にするわ」と喜ぶ。しかし首飾りにはスプレッツルが呪いを掛けており、ジェシーは人形に変身してしまった。ウィリアムが元に戻してほしいと頼むと、女王は「千年後か、真実の愛に出会った時にしか呪いは解けない」と告げた。ウィリアムが「この国も千年後まで呪われる」と怒りの言葉を口にすると、大雨が降り出した。
それから約千年後、ハウプトマン=コーニク王国では雨が降り続けていた。ジェシーの人形は伝説と共に、城で展示されていた。魔法使いの子孫である伯爵は、目覚めたジェシーを自分の妻にしようと目論んでいた。数日後、フィラデルフィア。プリンス・デパートに就職したジェイソン・ウィリアムソンは初出勤の日、同居する母の作った朝食を持って家を出た。母は結婚の仲介人をしており、ジェイソンにも逆タマの相手を探していた。
ジェイソンがデパートに着くと、警備担当のアンディー・アッカーマンが社員バッジの写真を撮った。社長のジェームズは社交界の花形が集まる大事なイベントを控え、神経を尖らせていた。イベント担当のアルバートが不注意でマネキンを壊してしまうと、彼は容赦なくクビにした。ジェイソンが挨拶に来ると、ジェームズはアルバートの後任に入るよう命じた。イベント担当のリーダーを務めるハリウッド・モントローズはダンサーを集め、ショーの練習を積ませていた。しかしジェームズには下品な演目だとして反対されると分かっており、彼がジェイソンを連れて来ると練習を中断した。
イベントではジェシーが目玉として展示されることになっており、ハリウッドはジェイソンに伝説を語ね。香水売り場のゲイルから「恋人にどう?」と勧められたジェイソンは、「いないんだ。真実の愛を探してる」と言う。ゲイルがデートに誘うと、彼は「もっと知り合ってからでも遅くない」と告げた。ゲイルはアンディーに好意を寄せられているが、まるで相手にしなかった。人形が事故に遭ったという連絡が入ったため、ジェイソンとハリウッドに同行して現場へ急行した。するとジェシーを積んだトラックの荷台が、橋から落ちそうになっていた。ジェシーが川に落下したので、ジェイソンは飛び込んで引き上げた。
人形を護衛していた伯爵の部下3名が川で衣装を探している間に、ジェイソンはジェシーをハリウッドの車に乗せてデパートへ向かう。彼が水を拭き取るため首飾りに触れると、ジェシーは一瞬だけ人間に戻った。伯爵の部下たちはゴミ収集車に乗せてもらってデパートに着き、ジェシーを捜索する。デパートに戻ったジェイソンが首飾りを外すと、ジェシーは人間の姿に戻った。ジェイソンは驚くが、ジェシーは彼がウィリアムだと思い込んで「私よ、恋人のジェシーよ」と言う。彼女は時間の経過も分かっておらず、ウィリアムが兵士たちと戦った数分後だと思っていた。
ジェイソンは伝説を説明し、「今は20世紀だ」と教えた。しかしジェシーはジェイソンがウィリアムだと断言し、「それでも愛してる。必ず思い出すわ」と述べた。そこへ伯爵の部下たちが来ると、ジェシーは人形のフリをする。ジェイソンが「人形の管理は大丈夫だ」と言うと、部下たちは伯爵を迎えるため空港へ向かった。ジェシーが空腹だと知ったジェイソンは、車で食事に連れ出した。彼が「宿泊先を探さないと。俺の家に来ないか。仕事をするなら家が必要だ」と言うと、ジェシーは機織りの仕事をしていたことを話した。
ジェームズやハリウッドたちは空港へ行き、伯爵を出迎えた。伯爵はジェームズに、今回のショーがハウプトマン=コーニク王国の宣伝になり、落ち込む観光収入の改善に繋がることへの期待感を語る。彼は部下たちと車で移動し、「人形と宝石を国外へ持ち出した。数週間後にはバミューダだ。女王の待つ国には帰らない」と告げた。ジェイソンとジェシーはクラブに入り、一緒に踊った。ジェイソンはジェシーを自宅へ連れ帰り、母に気付かれないよう2階へ連れ込んだ。ちょうど1階では、ジェームズが素性を偽って見合い用の紹介ビデオを撮影していた。ジェイソンは全く気付かなかったが、ジェームズは彼に気付いた。ジェイソンが2階へ行った後、ジェームズは彼の母に「気が変わった。私は来なかったことにしてくれ」と言い、ビデオテープを壊して去った。
翌朝、ジェイソンは朝食を用意し、ジェシーは入浴する。しかしジェシーは首飾りを付けたため、人形に戻ってしまう。伯爵はジェームズの案内でデパートを訪れ、ハリウッドに人形を見せるよう要求した。ジェイソンはジェシーを運んで来るが、伯爵たちを見て逃げようとする。しかし気付かれてしまったため、仕方なく彼らの元へ赴いた。伯爵は「人形には二度と触るな」と言い、人払いをしてからジェシーに「お前は生き返る。千年間、待ちわびた」と告げた。
伯爵が去った後、戻って来たジェイソンはジェシーに「元に戻ってくれ」と語り掛ける。その様子を見たハリウッドが声を掛けると、彼は「ジェシーに恋をした」と告げる。彼はジェシーが人間になった出来事を話そうとするが、結局は思い留まった。ジェイソンが去った後、ハリウッドが首飾りを外したため、またジェシーは人間の姿にに戻った。ハリウッドは首飾りを付けて人形になってしまい、ジェシーはジェイソンの捜索に向かった。伯爵の部下たちが戻って来て首飾りを奪い取ったため、ハリウッドは元に戻った。
伯爵はジェシーが消えたことを手下たちに知らされ、すぐに見つけ出すよう命じた。ハリウッドはジェイソンから「不思議なことがあった。ジェシーが生き返ったんだ」と聞き、その話を信じて一緒にジェシーを捜すことにした。ジェシーは部下たちに見つかって逃げ出し、髪型や服を変えた。伯爵はジェイソンを見つけて「ウィリアム王子だ」と激しい嫌悪感を示し、始末しようとする。部下たちに追われるジェイソンを見たジェシーは、カートを使って彼を助けた。ジェシーはデパートを飛び出し、ジェイソンの実家へ戻る。ジェイソンは彼女とキスを交わし、「奴らが来る前に出よう」と告げる。しかし伯爵やジェームズたちが、警官隊を率いて乗り込んできた…。

監督はスチュワート・ラフィル、キャラクター創作はエドワード・ルゴフ&マイケル・ゴットリーブ、脚本はエドワード・ルゴフ&デヴィッド・アイザックス&ケン・ルヴァイン&ベッツィー・イズラエル、製作はエドワード・ルゴフ、製作総指揮はジョン・フォアマン、共同製作はマルコム・R・ハーディング、製作協力はケイト・ベイルズ、撮影はラリー・パイザー、美術はウィリアム・J・クレバー、編集はジョン・ローゼンバーグ&ジョアン・チャップマン、衣装はアーネスト・ミスコ、音楽はデヴィッド・マクヒュー。
出演はクリスティー・スワンソン、ウィリアム・ラグズデイル、メシャック・テイラー、テリー・カイザー、スチュアート・パンキン、シンシア・ハリス、ジュリー・フォアマン、アンドリュー・ヒル・ニューマン、ジャッキー・ロバーツ、エリック・ワイズ、ジョン・エドモンドソン、フィル・ラテラ、マーク・グレイ、ジョン・カジノ、ローリー・ウィング、ジュリー・ワーダー、ジェームズ・リード、ジョアン・ブラッドリー、クリスティン・アン・バウアー、アレロン・ルジェリオ、ヘザー・ヘンダーソン、シェリー・ウォーレン、トム・クリストファー・ウォーレン他。


1987年の映画『マネキン』の続編。ただし続投キャストはハリウッド役のメシャック・テイラーのみで、話としても繋がりは無い。
監督は『フィラデルフィア・エクスペリメント』『マック』のスチュワート・ラフィル。
ジェシーをクリスティー・スワンソン、ジェイソンをウィリアム・ラグズデイル、スプレッツルをテリー・カイザー、ジェームズをスチュアート・パンキン、ジェイソンの母親をシンシア・ハリス、ゲイルをジュリー・フォアマンが演じている。
アンディー役のアンドリュー・ヒル・ニューマンは前作にも出演していたが、役柄が異なっている。

前作の主人公であるジョナサンは、マネキンのエミーに恋をしていた。人間の姿になってから、恋をしたわけではなかった。ジョナサンはアガルマトフィリア(ピグマリオン・コンプレックス)の性的倒錯者だったのだ。
じゃあ今回のジェイソンはと言うと、こいつも厄介なことに、まだマネキンの状態のジェシーに恋をして、キスまでしている。自分で「どうかしてる」と漏らすけど、でも惹かれちゃったことは事実だ。
ただし、ジョナサンの場合は、自作のマネキンに恋をしたのに対し、ジェイソンは「そもそも人間だったマネキン」への恋心なので、そこは大きく異なる。
こちらはアガルマトフィリアと診断しなくてもいいだろう。

ただし、それとは別の問題は起きている。
それは、「ジェシーが結ばれる相手は、本当にジェイソンでいいのか」ってことだ。
粗筋でも触れているように、ジェシーはウィリアム王子と惹かれ合っていた。だったら復活した後に彼女が結ばれるべき相手は、ウィリアムのはずじゃないかと。
もちろんウィリアムはとっくの昔に死んでいるので、それが不可能なのは分かっている。ただ、だからってウィリアムの子孫と結ばれるってのは、なんか腑に落ちないのよ。

この映画では「子孫」だけど、これが「孫」ぐらいの距離だったら、どうだろうか。
例えば、「主人公の祖父と恋仲だった女性が冷凍睡眠に入り、目を覚ます。好きだった男性の孫が瓜二つなので惹かれるようになり、2人が結ばれる」という話だったら、どう感じるだろう。
まあ上手くやれば、そんなに気にならないのかもしれないけど、なんか引っ掛かるんだよなあ。
そういうことを考えると、本来はジェシーだけじゃなくてウィリアムも現代に蘇り、「今回は結ばれる」という形の方が望ましいんだよね。

それは話の設定として、ちょっと無理だろう。
だから、ジェイソンはウィリアムの子孫じゃなくて「生まれ変わり」みたいな設定の方が良かったんじゃないかと。
あとさ、女王が「千年後か、真実の愛に出会った時にしか呪いは解けない」と説明しているけど、ジェシーが愛しているのはウィリアムだけのはずで。
だから、幾ら瓜二つであっても、ジェイソンに恋してしまったら、それは「ウィリアムへの一途な愛」が失われることになっちゃうでしょ。

冒頭、ジェシーは女王が用意した首飾りの受け取りを拒否する。彼女は金目当てじゃなくて純粋にウィリアムを愛しているのだから、その対応は当然だ。ところがウィリアムが首飾りを受け取り、ジェシーにプレゼントしてしまう。
この時点で「いやダメじゃん」と言いたくなるが、そのプレゼントをジェシーが素直に受け入れて喜んでいるのは「もっとダメじゃん」と言いたくなる。
その結果としてジェシーが人形に変貌してしまうと、ただの自業自得になっちゃうでしょ。
もちろん女王の仕掛けた罠ではあるけど、それは金目当てじゃなかったら絶対に引っ掛からないはずの罠なんだからさ。

ジェシーはジェイソンから千年後だと聞いても、冗談だと思って全く信じていない。しかし車で出掛ける時には、そこが20世紀のアメリカだと理解している。
ものすごく短い時間で、あっさりと理解する。
そして、タイムスリップ物では定番の「初めての光景に戸惑ったり、初めての体験でトラブルを起こしたり、時代錯誤な言動に周囲が翻弄されたり困惑したり」という描写は乏しい。テレビに驚くとか、口紅の使い方を女性に教えてもらうとか、ほんの少し触れる程度に留まっている。
そこに主眼が置かれていないとは言え、ちょっと勿体無い気もしてしまうなあ。

伯爵の部下たちがデパートに来ると、ジェシーは人形のフリをする。
でも、彼女は自分が人形になっていたことなど知らないはず。なのに、なぜ人形のフリをするのか。仮に自分が人形だったことを知っていたとしても、部下たちの前で人形のフリをする必要性など無いはずだ。相手の正体も目的も知らないんだし、普通に人間として会えばいいでしょ。
っていうか、いきなり「マネキンのフリをする」ってのを見せるのは違うんじゃないかと。
人間になった彼女が再びマネキンに戻るのは、ホントに「首飾りを付けてマネキンに戻ってしまう」というパターンだけに限定しておいた方がいいよ。
フリをするのは、例えばラストに「それまでは実際にマネキンに戻っていたが、最後はフリをしているだけで、悲しんでいたジェイソンが芝居と知って喜ぶ」みたいな使い方ならいいけどさ。

ジェイソンはジェシーを家へ連れ帰る時、「ママは自営で働いてる。見つかったらマズい」と言い、気付かれないように彼女を自分の部屋へ連れ込む。
ところが翌朝になると2人分の朝食を用意してジェシーを入浴させており、まるで母に隠そうとする気が無い。
もちろん母も入浴している人間に気付いて質問するが、ジェイソンは平然と「友達さ」と答えている。母は相手が恋人だと思っているが、嬉しそうに質問している。
ってことは、見つかってもマズいことなんて何も無かったんじゃねえか。

ジェシーは途中でジェイソンがウィリアムではないと認識するが、それでも「愛してる」という気持ちは全くブレていない。
だけど、そうなるとジェシーのウィリアムに対する愛は、簡単に忘れてしまえる程度のモノだったってことになるでしょ。
ウィリアムに対する気持ちが「真実の愛」ってことになると、じゃあウィリアムへの気持ちは何だったのかってことになるでしょ。
「顔が同じなら別人でもOK」ってことじゃダメでしょうに。

スプレッツル伯爵はジェシーが目覚めた後、自分の妻にしようと企んでいる。しかし、なぜなのかサッパリ分からない。
まず、ジェシーの伝説を全面的に「事実」として信じているのが、なぜなのか分からない。
まだ「莫大な財宝が手に入る」的な伝説なら、それを信じて行動するのも分からなくはない。でも、「人形が千年後に目覚める」という伝説を信じて、おまけにジェシーと結婚することを企むって、その感覚は何なのか。
ジェシーと結婚しても、何も得られるモノなんて無いでしょ。

これが例えば、「魔法使いが千年後も生きていて、千年前の野望を実現しようとする」ってことなら分かるけど、そうじゃないはずでしょ。
いや、途中で「千年も待ちわびた」と言っているし、ジェイソンを見て「ウィリアム王子だ」と口にするし、ひょっとすると「魔法使いが千年後も生きていて」という設定なのかもしれない。
ただ、そうだとしたら魔法を使うはずだから、たぶん違うよね。だとすると、単純にキャラ描写が破綻しているってことだよね。
あと、そもそも魔法使いがジェシーに横恋慕していたってことが描かれているわけでもないから、仮に千年後も生きている設定だとしても、やっぱり描写としての手落ちは大きいんだよね。

前作が決して傑作だったわけではなくて、そっちの批評でも書いたように、中身がペラペラで浅薄な映画だった。ただし、MTV映画のような演出があって、それで上手く観客を乗せているような印象はあった。
それに比べると今回の第2作は、そういう色付けが薄い。まあ監督が違うので当然っちゃあ当然だが、そのせいで前作よりもポンコツ度数が上昇している。
あと、エンディング・テーマ曲として前作と同じJefferson Starshipの『Nothing's Gonna Stop Us Now』を使うのは違うなあ。
それは前作のジョナサンとエミーのためのテーマ曲であって、メインのカップルが違うのなら別の曲を使うべきだわ。

(観賞日:2021年4月12日)

 

*ポンコツ映画愛護協会