『マネキン』:1987、アメリカ

遥か昔のエジプト、イドフ。エミー・ヘジレは、母親が持ち込む結婚話を全て断っていた。新たに持ち込まれた結婚話も断ったエミーは、「誰にもできないことをやりたい」と語る。母は「女に冒険が出来るなら私だってする。そういう世の中なのよ」と言い、結婚を承諾するよう諭す。しかしエミーは納得できず、「何か知恵を授けて」と神に祈った。すると激しい揺れと共に、エミーの姿が消失した。
現代のフィラデルフィア。マネキン工場で働くジョナサンは、女性のマネキンを作った。彼は相手が人間であるかのように、マネキンに「君は日ごとに美しくなる」などと話し掛ける。ボスから仕事の遅さを叱責されたジョナサンは、平然とした態度で「美しく作るには時間が必要です」と説明するが、たちまちクビを宣告された。ジョナサンは風船売りや庭師、ピザ店の調理担当などの仕事に就くが、すぐにアーテイスト気質が出てしまい、クビにされた。
ジョナサンはバイクを走らせ、イラストラ・デパートで働く恋人のロキシーを迎えに行く。「またクビになったの?」と呆れるロキシーに、ジョナサンは何食わぬ顔で「ピッタリの仕事は必ずあるよ」と告げた。「気取った仕事だな、辞めちゃえよ」とジョナサンが言うと、「現実の見えない人ね」とロキシーは口にする。ジョナサンが「現実なんてつまらないよ」と軽い口調で述べると、ロキシーは「貴方と付き合う自信が無いわ。精神科医にでも頼んだら?」と言い、タクシーで帰ってしまった。
雨の降り出す中、ジョナサンはプリンス・デパートのウィンドウに飾られている女性のマネキンに目を留めた。それは彼が作ったマネキンだった。ジョナサンはウィンドウに駆け寄り、「あんな別れ方をしてゴメンよ。君は僕が初めて作った芸術品だ」と語り掛けた。彼は「また明日」と告げ、その場を去った。翌日、創業百年祭の看板がデパートに掛けられるのを見ていたジョナサンは、創業者の孫であるオーナーのクレア・ティムキンと知り合った。事故で看板が落ちて来た時、ジョナサンは彼女を助けた。お礼をしたいと言う彼女に、ジョナサンは「仕事を下さい」と告げた。
クレアはジョナサンを雇い入れ、デパートを案内する。デパートは閑古鳥が鳴いており、クレアは頭を悩ませていた。経営不振の原因は、ライバルであるイラストラに客を奪われていることだ。その裏では、人事部長のリチャーズが関わっていた。彼はイラストラのオーナーであるBJと通じているスパイだった。BJはプリンスを追い込み、ビルを売却させようと目論んでいた。クレアはリチャーズにジョナサンを紹介し、仕事を与えるよう命じた。
クリエイティブな仕事を志願するジョナサンに、リチャーズは在庫係の役目を与えた。自作のマネキンが気になるジョナサンは、仕事をサボッてウィンドウへ赴いた。彼はマネキンをウィンドウから運び出し、「芸術家は作品に恋をするものだけど、君は特別だ」などと話し掛けた。そこにデコレーターのハリウッドが来たので、ジョナサンは「芝居の稽古をしていただけだよ」と慌てて取り繕った。夜警のフェリックスはリチャーズからジョナサンのことを聞かされており、威圧的な態度を取った。
閉店してハリウッドが去った後、ジョナサンはマネキンに話し掛ける。するとマネキンが動いて「エマ・ハジレ。エミーよ」と自己紹介した。動揺するジョナサンに、彼女は「私を知ってるでしょ。昨晩の貴方は寂しそうだった」と話し掛ける。「貴方は私に命をくれたの」とエミーは嬉しそうに言い、ジョナサンに抱き付いた。「君の生い立ちを聞かせて」とジョナサンが言うと、エミーは紀元前2514年に生まれたことを話した。ジョナサンはストレスで幻覚を見ているのだと考えるが、エミーは何とか現実であることを理解してもらおうとする。そんなことがあったせいで、ジョナサンはロキシーとデートする約束を完全に忘れていた。
翌朝、ジョナサンがウィンドウの前で目を覚ますと、エミーはマネキンの状態に戻っていた。ジョナサンは慌ててロキシーの元へ行き、「僕の作ったマネキンが人間になった」と話す。しかしロキシーは「約束を破って、そんな作り話をするなんて」と怒りを示す。彼女は自分に好意を寄せる同僚のアルマンドが運転する車で、その場を去った。ウィンドウのマネキンやディスプレーが大人気となり、プリンスには大勢の客が押し寄せるようになった。プリンスの繁盛ぶりを知ったBJはリチャーズと電話で話し、プレッシャーを掛けた。
役員会議に出席したリチャーズは、ジョナサンの仕事を「プリンスの品位を傷付けた。奴を処分せねば」と手厳しく批判した。すぐに話題を切り替えてビルの売却問題を話し合おうとするリチャーズだが、クレアは「ウィンドウの人気が出ればお客様も増えるはずよ」と告げる。リチャーズは「手遅れだ。イラストラから買収の申し出も来ている」と言うが、「評価額の10分の1でね。店を売る気はありません」とクレアは強い口調で告げた。
「倒産するより売却の方がマシだ」と意見する幹部もいたが、売却については6週間の保留ということで決定した。クレアはジョナサンをディスプレー担当の主任に抜擢し、リチャーズはフェリックスに「ジョナサンを監視しろ。奴の行動を報告するんだ」と命じた。閉店後、ジョナサンがウィンドウへ行くと、またエミーは人間になった。ディスプレーはエミーがやったことだったので、ジョナサンは彼女に協力を求めた。エミーは喜んで承諾し、ジョナサンと一緒にデパート内で踊る。そこへハリウッドが現れたので、ジョナサンはエミーを紹介しようとするが、彼女はマネキンに戻っていた。
ハリウッドが去ると、エミーは再び人間の状態に戻る。エミーはジョナサンに「人間に見えるのは貴方だけよ」と告げた。2人は新しいディスプレーを完成させ、また大勢の人々が見物に押し寄せた。BJの依頼を受けたロキシーはジョナサンと会い、イラストラに来ないかと持ち掛ける。ジョナサンが「助手がいる。とても美しい女性だ」と言っても、ロキシーは「構わないわ」と告げる。しかしジョナサンはあっさり断り、その場を去った。
フェリックスはリチャーズに、番犬のランボーがマネキンを見ると怯えることを話し、「夜中に何か変なことが起きています」と報告した。絶対に秘密を探り出してやろうと強い決意を抱き、フェリックス閉店後の警備に当たる。一方、ロキシーはアルマンドと共に、プリンスへ侵入した。彼女はジョナサンの助手を撮影し、買収してイラストラに引き抜こうと考えていた。ジョナサンがエミーと戯れているところに、フェリックスが現れた。もちろんエミーはマネキンに戻り、ジョナサンは「こうしてるとアイデアが思い付くんだ」と言う。ロキシーはアルマンドに指示し、写真を撮影させた。
フェリックスはジョナサンに襲い掛かり、警棒で殴り付けようとする。しかし背後からエミーに腕を弾かれ、ジョナサンの反撃を食らって気絶した。エミーは店内に飾られていたハンググライダーに目を留め、それを使って飛行した。フェリックスが様子に見に来るが、エミーがマネキンに戻って着地した時に激突し、また彼は気を失った。ジョナサンはすっかりディスプレーのことを忘れており、もう早朝になってしまった。しかし服を着せる時間も無いことを逆手に取ったディスプレーは、また大勢の客を引き寄せる結果となった。
出勤したリチャーズは、フェリックスが倒れたマネキンと一緒に眠り込んでいるのを見つけて叱責する。フェリックスが「奴が半裸の人形と戯れていた」とリチャーズに告げたところへ、クレアがやって来た。クレアはフェリックスと彼を雇ったリチャーズに首を通達した。その後もジョナサンはエミーの協力で次々に新たなディスプレーを用意し、プリンスの売り上げは上昇していく。一方でイラストラの収益はガタ落ちし、BJは苛立ちを募らせる。ロキシーから写真を見せられたBJは、ジョナサンを雇って収益を回復させるため、彼が恋しているマネキンを盗み出そうと考えた…。

監督はマイケル・ゴットリーブ、脚本はエドワード・ルゴフ&マイケル・ゴットリーブ、製作はアート・レヴィンソン、製作協力はキャサリン・ポーラ、製作総指揮はエドワード・ルゴフ&ジョセフ・ファレル、撮影はティモシー・サーステッド、編集はリチャード・ハルシー&フランク・ヒメネス、、美術はジョーサン・ルッソ、衣装はリサ・ジェンセン、音楽はシルヴェスター・リヴェイ、音楽製作総指揮はジョエル・シル。
出演はアンドリュー・マッカーシー、キム・キャトラル、エステル・ゲティー、ジェームズ・スペイダー、G・W・ベイリー、キャロル・デイヴィス、スティーヴン・ヴィノヴィッチ、クリストファー・マー、メシャック・テイラー、フィリス・ニューマン、アンドリュー・ヒル・ニューマン、オリヴィア・フランシス・ウィリアムズ、チャールズ・N・ノード、ヴァーノン・R・デヴィニー、ジュディー・ゴールドハンド、ベン・ハンマー、ジェーン・ムーア、ジェーン・キャロル・シムズ、フィル・ルーベンスタイン、トーマス・J・マッカーシー、R・L・ライアン、スティーヴ・リッピー他。


マイケル・ゴットリーブが初監督&初脚本を務めた作品。
ジョナサンをアンドリュー・マッカーシー、エミーをキム・キャトラル、クレアをエステル・ゲティー、リチャーズをジェームズ・スペイダー、フェリックスをG・W・ベイリー、ロキシーをキャロル・デイヴィス、BJをスティーヴン・ヴィノヴィッチ、アルマンドをクリストファー・マー、ハリウッドをメシャック・テイラーが演じている。

「マイケル・ゴットリーブが初監督&初脚本を務めた作品」と前述したが、それよりも「ブラット・パックのアンドリュー・マッカーシーが主演した作品」と表現した方がいいだろうか。
ブラット・パックとは1980年代の青春映画に出演した若い俳優たちを示す言葉で、特に『ブレックファスト・クラブ』と『セント・エルモス・ファイアー』を指すことが多い。
具体的には、アンドリュー・マッカーシー、エミリオ・エステベス、ロブ・ロウ、ジャド・ネルソン、アンソニー・マイケル・ホール、デミ・ムーア、モリー・リングウォルド、アリー・シーディーという面々だ。
別の見方では、『アウトサイダー』『恋のスクランブル』『すてきな片想い』『オックスフォード・ブルース』『ブレックファスト・クラブ』『セント・エルモス・ファイアー』『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』『ブルー・シティ/非情の街』『きのうの夜は…』『ウィズダム/夢のかけら』の出演者をブラッド・パックと称することもあるようだ。
ちなみにアンドリュー・マッカーシーは、『セント・エルモス・ファイアー』と『プリティ・イン・ピンク/恋人たちの街角』に出演している。

そんなアンドリュー・マッカーシーが主演した本作品は、一見すると「若い男女のピュアな恋愛劇」に思えるかもしれない。
しかし、恋愛劇であることは確かだが、そう単純なモノでもない。
冷静に考えて欲しいのだが、ジョナサンが恋する相手はマネキンだ。つまり、人形に対して性的嗜好を抱いている。
彼はアガルマトフィリア(和製英語ではピグマリオン・コンプレックス)ということになるのだ。

性的倒錯というのは、ある条件を満たせば精神疾患の症状となり、その場合は治療が必要とされる。
ジョナサンは自分の性的嗜好に対して苦痛を感じていないので、精神疾患ではないという解釈になる。
ただし彼は、普通に生活している周囲の人々に対して問題を起こしており、かなり精神疾患に近い。
というか、精神医学の世界における精神疾患ではなくても、やはり性的倒錯者であることには違いない。

通常なら、性的倒錯者というのは、不快に思われたり、理解されなかったりする存在だ。
そんな類の人間を主役に据えて、しかも爽やかな恋愛劇として物語を構築しているのが、本作品なのだ。
ジョナサンはロキシーという人間の恋人がいるが、彼女よりもマネキンへの愛が遥かに強い。
そもそも、最初からジョンサンは、ロキシーに対してそんなに深い愛情があるようには見えない。
そして二股の状態になった時、何の迷いも無くマネキンの方を選ぶ。

たまたまエミーには人間の魂が宿ったが、それはジョナサンを「変態」というイメージから脱却させるための偽装に過ぎない。
エミーも言っているように、彼女が人間に見えるのはジョナサンだけだ。
つまり、ジョナサンはマネキンを愛しているから人間に見えるだけであり、傍から見れば「マネキンに恋する男」でしかないのだ。
観客はエミーが人間として動いている姿を見ているが、ラスト近くでエミーが完全な人間になるまでは、「ジョナサンが見ている妄想」と捉えることも出来なくはないのだ。

それに、人間の魂が入る前から、ジョナサンはエミーに夢中だったという事実を忘れてはいけない。
彼は紛れも無く性的倒錯者だし、魂の宿ったエミーとの恋愛を始めてからも、その本質は変わっていない。ジョナサンがエミーに心を奪われているのは、相手が自分の作った理想のマネキンだからだ。
だから、もっと美しいマネキン、もっと魅力的なマネキンに出会った場合、ジョナサンは魂の宿ったエミーより、そちらを選ぶ可能性があるのだ。
そう考えると、そんなにピュアな恋愛劇として受け取ることは出来なくなる。

ただし、「そんなことをマジに考えなくてもいいだろ」と言われたら、その通りなのだ。この映画は、そんな部分をマジに捉えて色々と批評するような類の作品ではない。
それは「そんなことを気にする奴は野暮」ということではなく、「そんなことを気にする奴はバカ」ということだ。
気合いを入れて、真剣に観賞するタイプの映画ではない。もっと気楽に、オツムをカラッポにして見るタイプの映画だ。
小腹が空いた時にスナック菓子を食べるような感覚で、深く考えずに見ればいい(その例えは合っているのかな)。

1980年代は、『フラッシュダンス』や『トップガン』など、MTV感覚の映画が流行した時代だった。
この映画も、一連の「MTV映画」に入れてもいい類の作品だろう。
オープニング・クレジットではBelinda Carlisleの『In My Wildest Dreams』が使われ、エンディング・テーマとなったStarshipの『Nothing's Gonna Stop Us Now』はビルボードのシングル・チャートで第1位になった。
劇中で歌曲が流れるシーンが何度もあるわけではないが、Alishaの『Do You Dream About Me』が流れる中で、ジョナサンとエミーがデパートのあちこちに出没し、様々な服に着替えてポーズを取ったり踊ったりするシーンなどは、完全にPVだ。

そういった辺りも含めて、「いかにも1980年代」というイメージを強く感じさせる仕上がりになっている。
何がどのようになっていれば「いかにも1980年代」なのかってのは、具体的に説明するのは難しいが、一言で言えば「トレンディー・ドラマ的」ということだろうか。
能天気で、お気楽で、ノリが良くて、軽やかで、華やかで、心地良い。少しぐらいは悲しみや切なさがあっても、最終的には爽やかでハッピーに締め括られる。重厚なテーマや濃密なドラマとは無縁で、見終わった後に残るモノは少ないけれど(もしくは皆無)、使われている楽曲だけは耳に残る。
そんな感じだろうか。

ジョナサンの作ったマネキンが大人気になるとか、画期的なディスプレーが客の心を掴むとか、そういった展開には何の説得力も無い。
他の物と大して変わらないマネキンにしか見えないし、それほど大勢の客を引き付けるディスプレーだとも感じない。
いっそのこと、エミーから特別なオーラか何かが放出されていて、それによって客が集まるという設定にでもしてしまった方が納得しやすかっただろう。

そりゃあ紛れも無く中身がペラペラで浅薄な映画ではあるのだが、しかし「駄作100選」にノミネートされていることに対しては、ちょっと違和感も否めない。
これがダメなら、『トップガン』や『フットルース』辺りもアウトなんじゃないかと思ってしまう。
で、あえて本作品が駄作100選の候補になった理由を考えてみると、やっぱり「主人公がマネキンに恋をする」という部分なのかなあと。
前述したように、爽やかな恋愛劇として見せているけど、冷静に考えればグロテスクなモノがあるからね。

(観賞日:2013年11月6日)

 

*ポンコツ映画愛護協会