『マンディ・レイン 血まみれ金髪女子高生』:2006、アメリカ

女子高生のマンディ・レインが親友のエメットと歩いていると、同級生のディランが家のパーティーに来ないかと誘って来た。マンディはエメットと一緒ならという条件付きで、その誘いを承諾した。大勢の高校生がプールで遊ぶ中、水着を持参していないマンディは下着姿で座っていた。ディランが口説いて来たが、マンディは乗らなかった。ディランが下着を脱がそうとするので、マンディは拒んだ。エメットは水鉄砲を打ち、ディランを妨害した。
ディランは怒ってエメットをプールに落とし、沈めようとする。マンディが「やめて」と叫ぶと、ディランは「ふざけてるだけさ」と言い、エメットは「溺れそうになったのを助けてくれんだ」と告げた。エメットが屋根の上で座っていると、ディランがやって来た。エメットは「彼女をモノにしたかったら違いを見せなきゃ」と言い、屋根からプールへ飛び込むよう促した。酔っ払っていたディランはプールへ飛び込むが、血まみれになって死んだ。それを見た学生たちは、「お前のせいだ」とエメットを非難した。
9ヶ月後、エメットは他の生徒たちから嫌悪されていた。マンディはエメットから声を掛けられても、相手にしなかった。マンディは同級生のレッドから別荘に誘われ、仲間のクロエ、マーリンと共に出掛けることにした。レッドは仲間のジェイク、バードを誘い、一行は2台の車に分乗して別荘へ向かった。1台はレッドの車で、もう1台はクロエが父から借りた車だ。途中でガソリンスタンドに立ち寄った際、マーリンはコカインを吸う。マンディも勧められるが、遠慮した。
一行は店主に目を逸らしてガソリンを盗み、車で逃走した。途中でクロエが車を停め、「そっちに乗せて。傷付けたらパパに怒られる」と言い出した。定員オーバーになるため、マンディが「私は歩くわ」と車を降りた。バードも「付き合うよ」と続き、ジェイクは「すぐに迎えを寄越すから」と車で走り去った。バードが「手を繋いでいい?」と言うと、マンディは承諾した。「キスは?キスだけだ」とバードが言うので、マンディは受け入れた。そこへ別荘の管理人であるガースが迎えに来たので、マンディたちは車に乗った。
マンディはクロエたちと合流した後、湖へ遊びに行く。1人だけジョギングで湖へ向かった彼女は、あぜ道に血溜まりを発見した。湖で一行が泳いでいると蛇が近付くが、誰も気付かなかった。そこへガースが現れ、ショットガンで蛇を撃ち殺した。夜、カードゲームをしていたマンディはマーリンから「告白するか、ガースを呼んで来るか」と言われ、ガースを呼びに行く。しかしガースは「行きたいけど、レッドの父親に怒られるから」と断った。
ジェイクはクロエからペニスのサイズをからかわれ、腹を立てて外へ出て行った。ジェイクに思いを寄せるマーリンはクロエを批判し、後を追った。ジェイクが納屋にいるとマーリンが現れ、フェラチオを始めた。ジェイクが射精したので、マーリンは「交替よ」と告げる。しかしジェイクが「レッドにでも頼めよ」と冷たく言うので、「ガースにしてもらうから」と怒鳴った。ジェイクが去った後、マーリンはショットガンを持った何者かに襲われた。
別荘が停電するとジェイクは「発電機が必要だ」と言い出し、バードが取りに行くことになった。トイレにいたクロエが「ちょっと来て」と言うので、レッドが向かう。マンディはジェイクをリビングに残し、蝋燭を捜しに行く。バードはガースから「ヒューズを確認したか?ここでは発電機を使ってない」と言われ、ジェイクにハメられたと悟って別荘へ戻る。マンディはジェイクから口説かれるが、冷たく拒否した。バードがヒューズを直し、電機は復旧した。
ジェイクはバードから責められると、「ちょっとした遊びだ」と笑って告げる。彼はクロエを「湖へ行こう」と誘って断られ、マンディにも拒まれた。ジェイクは「じゃあ1人で行くよ」と言い、ショットガンを持って車に乗り込んだ。彼は湖畔で背中を向けて座っているマーリンを見つけ、車を停めて歩み寄った。するとマーリンは口から血を吐いて倒れ込み、ジェイクはエメットに突き飛ばされて湖に転落した。エメットはショットガンを構え、ジェイクを撃ち殺した。
銃声を耳にしたクロエはジェイクが心配になり、レッドとバードに連れ戻してきてほしいと頼む。しかしレッドたちは断り、マンディも放っておけばいいと言う。クロエが自分で連れ戻しに行こうとすると、ガースがやって来た。彼は「銃声がした。どういうつもりだ。何をして騒いでも自由だが、銃はやめろ」と忠告し、その場を去った。エメットは車で別荘へ行き、ドアに向かってロケット花火を発射した。エメットが車で走り去ると、クロエたちはジェイクだと思い込んだ。バードは後を追い、車から出て来たエメットに激怒して殴り付けた。エメットはナイフで彼の目に斬り付け、背中をメッタ刺しにして殺害した…。

監督はジョナサン・レヴィン、脚本はジェイコブ・フォーマン、製作はフェリペ・マリーノ&ジョセフ・ニューローター&チャド・フィーアン、共同製作はブライアン・ウドヴィッチ、製作総指揮はキース・カルダー、撮影はダーレン・ジェネット、美術はトム・ハモック、編集はジョシュ・ノイス、衣装はミシェル・リネット・ブッシュ、音楽はマーク・シュルツ、音楽監修はヘンリー・セルフ。
出演はアンバー・ハード、アンソン・マウント、マイケル・ウェルチ、ホイットニー・エイブル、エドウィン・ホッジ、アーロン・ヒメルスタイン、ルーク・グライムス、メリッサ・プライス、アダム・パウエル、ペイトン・ヘイスリップ、ブルック・ブルーム、ロバート・アール・キーン他。


卒業制作の『Shards』でブルックリン映画祭の最優秀撮影賞などを受賞したジョナサン・レヴィンが、初めて手掛けた長編映画。
脚本のジェイコブ・フォーマンは、これがデビュー作。
マンディをアンバー・ハード、ガースをアンソン・マウント、エメットをマイケル・ウェルチ、クロエをホイットニー・エイブル、バードをエドウィン・ホッジ、レッドをアーロン・ヒメルスタイン、ジェイクをルーク・グライムス、マーリンをメリッサ・プライスが演じている。

この映画は2006年に製作され、トロント国際映画祭など複数の映画祭でプレミア上映された。
当初はワインスタイン・カンパニーがディメンション・フィルムズのレーベルで配給する予定だったが、『グラインドハウス』の興行的失敗を受けて営業計画が変更され、権利をセネター・エンターテインメントに売却した。
ところが、そのセネター・エンターテインメントが倒産してしまったため、イギリスやカナダなど一部の国では上映されたものの、本国のアメリカでは一般公開されないままお蔵入りとなってしまった。
その後、2013年に入ってワインスタイン・カンパニーが権利を買い戻したことで、ようやく一般公開された。

ワインスタイン・カンパニーが権利を買い戻したのは、たぶんジョナサン・レヴィンの手掛けた『50/50 フィフティ・フィフティ』が高い評価を受けたからだろう。そして2013年には彼の新作『ウォーム・ボディーズ』が公開されたので、それに便乗しようという狙いだったんだろう。
そういう事情でもなければ、わざわざ買い戻して公開するなんて有り得ない。
だって、「ジョナサン・レヴィンの幻の長編デビュー作」という売りが無かったら、ただのポンコツ映画だぜ。
まあ「アンバー・ハード主演」という部分の訴求力が少しは見込めるだろうけど、それだけでは商売的に美味しいと言えないだろう。

冒頭、マンディはディランだけでなく、他の男からも同時に声を掛けられている。しかし「All the Boys Love Mandy Lane」という題名からすると、それだけでは物足りない。
パーティーのシーンに切り替わっても、プールサイドで座っているマンディの様子が写ると、彼女は1人きりだ。周囲の男たちが揃ってマンディに視線を向けるとか、彼女を口説くとか、そういう様子は全く無い。エメットがディランに「みんなが彼女を狙ってる」と告げる時、2人の男がマンディと話している様子が写るだけだ。
それでは弱すぎる。最初の事件が起きる前に、もっと大げさなぐらい、「全ての男どもがマンディに惚れる」という様子を強調しておくべきだ。
この映画の描写だと、「マンディは他の女たちに比べて1人だけ別格」という印象を全く受けないんだよな。

エメットとディランの動かし方にも違和感がある。最初にディランがエメットをプールへ沈めた段階で、「いじめっ子といじめられっ子」という関係性が示されている。
ところが屋根のシーンになると、エメットは「嫌われたな」と言い、ディランは「だろうな」と認める。
そしてディランは「仲良くしようぜ」と告げ、エメットは「彼女をモノにしたかったら違いを見せなきゃ」と述べてプールへダイブするよう促す。
あっという間に関係性が変化しているのだ。

そこから9ヶ月後に時間が飛躍する構成は、あまり意味が感じられない。
むしろ、短い間隔で次々に人が死ぬ内容にしておいた方がいいんじゃないかと思うのだ。その方が整合性も取れる。
後で完全ネタバレを書くけど、真相が明らかになった時に、「その9ヶ月間、全く殺人が行われていないのは不自然でしょ」と言いたくなってしまうのよ。
犯人は人が死ぬのを見たくてしょうがない奴なんだから、冷却期間を置いている意味は何なのかと。整合性が取れていないと感じるのよ。

9ヶ月後に飛んでからは、何かありそうで何も無い時間がダラダラと続く。マンディが湖までジョギングする途中で血溜まりを発見する出来事は、伏線でも何でもない。そういうのを投げっ放しにするだけでなく、「何かが起きそう」という緊迫感で引っ張ることも出来ていない。
ぶっちゃけ、何をどう描きたいのか、どういった方向へ話を転がそうとしているのか、そういうことが曖昧模糊とした時間が、しばらく続いて行く。
しかも、繰り返しになるがタイトルは「All the Boys Love Mandy Lane」であり、別荘へ向かう男たちは3人ともマンディを狙っているはずなのに、彼女が車を降りて「私は歩く」と言った時、なぜか「俺も」と名乗りを上げるのはバードだけなのだ。
それは設定とキャラの動かし方に矛盾が生じているだろ。
「マンディを狙っているけど、そんなことより歩くのは嫌」ってことなのか。だとしたら、マンディはその程度の女でしかないってことになるわけで。

マンディたちが別荘へ移動すると、「若者たちが殺人鬼に殺されていく」というスラッシャー映画のベタなパターンに突入する。
しかも『13日の金曜日』や『ハロウィン』シリーズのような、同じフォーマットを使った既存の映画と比べると、その品質はかなり落ちる。
まず、「そこに殺人鬼がいる」とか「これから惨劇が始まる」といったことを匂わせるための作業が全く行われていない。そして、連続殺人の進み具合も遅い。最初の犠牲者が出るまでに、かなりの時間を費やしている。
残った面々が「殺人が行われている」ってことに気付くまでには、もっと長い時間が掛かっている。
何しろ、残り20分ぐらいになって、ようやく殺人を知るのだ。

観客の不安を煽る作業や緊迫感を醸し出す作業が充分に行われていれば、最初の殺人が起きるまでに時間が掛かっても構わないだろう。しかし、そういうのは全く出来ていない。
ガースが迎えに来ても、怪しさなんてゼロ。湖へ向かう途中も、血溜まりはあるけど、特に不安を煽られるわけではない。湖で泳ぐ時も、蛇が出て来てガースが撃つとか、どういうつもりなのかと。
せめて「何かいると思ったら蛇でした」という見せ方をするならともかく、最初から蛇を登場させちゃうから、まるで意味が無いし。
まあ、「何かいると思ったら蛇でした」という肩透かしの見せ方が良いのかと言われたら、決して良くはないんだけどさ。
そのシーンは、たぶん「ガースがショットガンを持っている」ってことをアピールするためのモノなんだろうとは思うのよ。ただ、そんなミスリードをやったところで、まるで効果を発揮していないんだよな。

納屋でマーリンが襲われて、ようやく連続殺人がスタートする。
とは言え、そこでマーリンが殺されたのかと思ったら、無駄に生かしている。ジェイクを脅かすために使っているけど、別に死体でも同じような効果を与えることは出来るからね。
まあ、それは置いておくとして、そんなことより引っ掛かるのは、「冒頭の出来事と上手くリンクしていない」ってことだ。
納屋のシーンはハッキリとした殺人であり、その時点では「正体不明の人物による犯行」となっている。一方で冒頭の出来事は「エメットにそそのかされたディランの事故死」なので、どこにも接点が無いのだ。
結果的には関連しているんだが、種明かしの前から繋がりを持たせておくべきだよ。

ジェイクが撃ち殺されるシーンで、犯人がエメットであることは明らかにされる。
だから、その後でショットガンを持ったガースが別荘へ来て「銃声がしたぞ。どういうつもりだ」と言ったり、クロエの「ガースって独身?」という質問を受けたレッドが「奥さんがいたけど事故で亡くなった。元海兵隊員で、戦地で死体を見過ぎてトラウマになった。戦争神経症だ」と語ったりすることが、何の意味も持たなくなってしまう。
コカインを吸ったクロエが窓の外の人影に気付き、「誰かいた」と言うけど信じてもらえないというシーンがあるが、窓の人の人影は正体が分からないぐらいチラッと写るだけ。でも、もう観客はエメットであることを知っているし、クロエがバードたちから信じてもらえないという描写の後、エメットが隠れている様子が写し出される。
だから、そういうトコも演出がおかしなことになっていると感じる。

エメットが実行犯としての正体を現しても、その動機は全く分からない。そして終盤、彼の背後でマンディが糸を引いていたことが判明する。
しかし、なぜ彼女がエメットに命じて次々に同級生を殺させていたのか、その理由は全く明かされない。
これは本作品の致命的な欠点となっている。
ただし、最初からマンディが犯人だと明らかにした上で物語を進めるのであれば、殺人に至る心理や殺人を遂行する際の様子を厚く描写することによって、動機が分からなくてもOKになる可能性はある。
この映画の抱える問題は、ミステリーとして進めておきながら、犯人が判明した後の動機説明が無いってことなのだ。マンディに繋がる伏線も全く張っていないし。

前述したように、マンディの要望に応じてエメットが殺人を遂行していたのなら、9ヶ月間は何も起きていないってのは不自然だ。
そして別荘へ行ってからの殺人に関しても、やはり不可解さは残る。
何しろ、マンディは人が殺される様子を見ていないし、殺されたことを知るまでにも時間が掛かっている。
死体さえ見ていない時間が続くわけで、それだと彼女の気持ちは満たされないんじゃないのかと。

マンディとエメットは別荘の連続殺人の後で心中する予定だったらしいが、その理由もサッパリ分からない。
マンディが約束を一方的にホゴにして「高校は卒業したい」と言い出すが、どういう理由で心情が変化したのかも分からない。マンディは最初から死ぬ気なんてゼロだったのかもしれないけど、その辺りも不明。
殺人に充実感を抱いていたはずの彼女が、ガースだけは生かしておく理由も良く分からない。
たぶんジョナサン・レヴィンは「意外性のあるオチ」ってことだけで思考停止し、理屈や整合性なんて全く考えていなかったんじゃないだろうか。
だけど、「ドンデン返しのためのドンデン返し」って、ただ陳腐なだけなんだよね。

(観賞日:2015年8月9日)

 

*ポンコツ映画愛護協会