『マイ・ボディガード』:2004、アメリカ&イギリス

テキサス州エル・パソ。警備会社を経営するポール・レイバーンの元を、かつて米軍対テロ部隊で一緒だったジョン・クリーシーが訪ねてきた。経営者として成功したレイバーンは豪邸で裕福な暮らしを楽しんでいるが、クリーシーは無職のままコロンビアを転々として彼の所にやって来た。一方、メキシコ人実業家のサムエル・ラモスは弁護士のジョーダンから、18歳の青年が誘拐された事件について話す。父親が身代金を支払った2日後に、青年は片耳を失った状態で戻って来たことをジョーダンは語った。
サムエルはジョーダンに、妻のリサが9歳の娘ピタのためにボディーガードを雇いたがっていることを話す。サムエルは父から譲り受けた誘拐保険に加入しているが、その更新にもボディーガードの雇用が必要だった。サムエルが「金が無い」と言うと、ジョーダンは「値段によってボディーガードも色々だ。経歴がちゃんとしていればいい。安いのを雇って更新手続きを済ませたら、理由を付けてクビにしろ。娘をまた学校に通わせて、奥さんの顔が立つようにすればいいだけだ」と述べた。
レイバーンはスペイン語の堪能なクリーシーに、ボディーガードの仕事を持ち掛けた。「死体も守れんよ」と軽く笑うクリーシーに、彼は「金持ちが見栄で雇うだけだ。格好だけでいい」と告げる。「酒浸りの負け犬を使うのか?もし本当に誘拐されたらどうする?」と酒を飲みながらクリーシーが言うと、「最善を尽くせ。お前の力なら半分で充分だ」と告げた。「話し相手になることもあるが、苦手だ」とクリーシーは口にするが、「無口で通せばいい」とレイバーンは述べた。
レイバーンはクリーシーに、依頼主がフアレスで自動車部品工場を営むサムエル・ラモスであること、日本の自動車産業が不振なのでフォードと組もうとしていること、自宅がメキシコ・シティーにあることを説明した。クリーシーは「気分転換に引き受けろよ」と言われ、サムエルと会う。履歴書に目を通したサムエルは、クリーシーが米軍に16年も在籍して対テロ活動に従事していたことを知って驚いた。クリーシーは酒浸り状態にあることを明かし、「最善は尽くしますが、報酬以上のことは出来ません」と告げた。
サムエルは酒の問題をリサには秘密にするよう告げ、クリーシーを自宅に連れて行く。クリーシーと会ったリサは、同じ米国人であることも考慮し、彼を雇うことに決めた。ピタはクリーシーを部屋へ案内した後、リサに「彼は熊に似てるわ。大きくて寂しそう。そう見える」と告げた。リサはサムエルに、ピタがクリーシーを気に入ったことを教えた。クリーシーは地図でルートを確認し、ピタを車で学校まで送り届ける。ピタは彼に、校長であるシスター・アナを紹介した。
ピタが帰りの車内で立て続けに質問すると、クリーシーはちゃんと答える。しかし質問攻めが続いたので、「もう終わりだ。僕の仕事は君の護衛であって、友達になることじゃない」と告げた。ピタは悲しそうな表情を浮かべ、助手席から後部座席に移動した。ピタから話を聞いたリサは、クリーシーに「子供は欲しい物に貪欲よ。きっと彼女は友達が欲しいの」と言う。クリーシーは「適任じゃない。もっと社交的な人間を」と告げる。リサは「仕事は護衛よ。それで充分だわ」と述べた。
ピタが水泳教室で泳ぐのを見ていたクリーシーは感想を求められ、「スタートが遅い」と告げる。3週間後の大会に出場するピタは、3位が最高で優勝経験は無かった。サムエルとリサが仕事でデトロイトへ出張した後、クリーシーはピタに水泳の練習をさせた。スターターが使うピストルの銃声を怖がるピタに、クリーシーは「銃声は怖くない」と何度も言わせ、スタートを繰り返させた。クリーシーはピタの勉強にも付き合い、すっかり仲良くなった。銃声の恐怖を克服したピタは水泳大会で優勝し、クリーシーに抱き付いた。
ピタはピアノの稽古を辞めたがっているが、サムエルは許可しなかった。ピアノ教室にピタを送ったクリーシーが終了時間まで車で待機していた時、パトカーでやって来た不審な2名の動きに気付いた。別の車が近付いてきた直後、ピタが教室から出て来た。クリーシーは誘拐を察知し、ピタに「逃げろ」と叫んだ。警官たちに発砲を受けたクリーシーは反撃して射殺するが、銃弾を浴びて重傷を負った。ピタはクリーシーに駆け寄り、車の男にたちに捕まって拉致された。
警察はクリーシーを警官2名の殺害容疑で逮捕し、誘拐事件への関与が疑われると発表した。新聞記者のマリアナ・ゲレロは、非番だった警官たちが制服姿で現場にいたことを疑問視した。しかし彼女がそのことを記者会見で質問すると、ラミレス本部長は明確な回答を出さずに次の質問へ移った。連邦捜査局の長官であるミゲル・マンサーノは、マリアナの隣で「汚職で名を挙げて殉職か」と口にした。
ジョーダンは犯人との交渉を自分だけでやろうとするが、司法警察誘拐課のフエンテスは「令状も出ており、非公式な関与が許可されている」と告げた。彼はサムエルに、犯人は身代金を一人で運べと言ってきますが、決して応じぬように」と忠告した。犯人のダニエル・サンチェスはサムエルの邸宅に電話を掛け、1千万ドルの身代金を要求した。サムエルは指定された場所に金を運ぶが、邪魔が入ったためにサンチェスの甥が命を落とした。サンチェスはサムエルに電話を掛け、「裏切ったな。俺の甥を殺し、金まで奪った。アンタの娘は神の下へ送る」と告げた。
ミゲルはクリーシーを病院に置いておけば警察に狙われると考え、レイバーンと共に動物病院へ移した。意識を取り戻したクリーシーに、レイバーンはピタが殺されたことを伝えた。マンサーノが見せた容疑者リストの中にはサンチェスの顔写真も含まれていたが、クリーシーは「違う」と告げた。「警官の顔を見た方が早い」と言うクリーシーに、マンサーノはラ・エルマンダーという汚職警官の犯罪組織があることを教えた。
クリーシーが何とか歩けるまでに回復した頃、レイバーンは彼を車に乗せる。「国境で友人に引き渡し、海軍病院へ移す」とレイバーンは言うが、マリアナの尾行に気付いたクリーシーは「予定変更だ。彼女を誘拐現場へ」と告げた。マリアナはクリーシーに声を掛け、「手を貸すわ。おそらく貴方とピタは組織の犠牲になった」と告げる。「どうやって助ける?」とクリーシーが訊くと、彼女は「貴方は外国人でしょ。事情通の友達が必要よ」と名刺を渡した。
荷物を取りにラモス邸へ立ち寄ったクリーシーは、ピタの日記を見た。そこには「私のこと愛してね、クリーシー」と書かれていた。そこにリサが現れ、娘を失った悲しみを吐露した。クリーシーが「奴らを殺す。事件に関わった奴らを」と言うと、リサは「みんな殺して」と告げた。クリーシーは以前に尾行していた車のナンバーをマリアナに伝え、調べてほしいと依頼した。マリアナはマンサーノと会い、協力を要請した。
クリーシーは汚職警官のゴンザレスを捕まえ、拷問を加えて尋問した。金の受け渡しで何があったのかと尋ねると、彼は「娘を命令しろと言われただけだ。役割が決まってる。電話の指示で標的を拉致して用心棒の所へ連れてて行く。ボスは標的を見ずに交渉だけを担当する」と話す。クリーシーが用心棒について尋ねると、ゴンザレスは「ネザの店で働いている。顔の左側に痣がある奴で、ブッチャーと呼ばれている」と告げた。情報を聞き終えたクリーシーは、彼を始末した。
ネザの街に赴いたクリーシーはクラブへ乗り込み、ブッチャーに銃を突き付けた。オーナーの元へ案内させたクリーシーは、何も言わないブッチャーを銃殺した。オーナーは「仕事の仕組みを話せ」と脅され、「携帯で指示が来るのを待つだけだ。報酬は銀行のカードで2週間ごとに200ドルずつ引き出す」と明かした。クリーシーはカードを奪い、暗証番号を聞き出した。「娘を殺したか」という質問に、オーナーは「ボスか弟だ」と答えた。さらに尋問すると、彼はフエンテスが身代金を奪ったことを話した。
クリーシーはオーナーを始末し、一緒にいた女を尋問する。女は「ボスのことは知らないけど、子供を返すわ。ここにいる」と言うが、それは昨晩に誘拐されたカミラという少女のことだった。カミラを保護したクリーシーは威嚇射撃で全ての客を追い出し、店を爆破した。クリーシーはマリアナを呼び出し、カミラを引き渡した。そして銀行のカードを見せ、入金者を調べるよう頼んだ。カードの所有者はレイナ・サンチェスという名前だった。マリアナはマンサーノにカードを渡し、関連口座の調査を要請した。
クリーシーは次の標的をフエンテスに定めるが、彼は警察の官舎に住んでおり、移動は護衛付きだった。しかしクリーシーは護衛の連中を全て始末し、フエンテスを車ごと拉致した。フエンテスはクリーシーに、自分がエルマンダーの会長を務めていることを明かした。脅しを受けた彼は、「私は誘拐とは無関係だ。指示された場所に部下を待機させ、チャンスを物にしただけだ」と語る。さらに彼は、「袋の中には250万ドルしか入っていなかった。残りは紙切れだ。ジョーダンが車に積んだ時、摩り替えたんだ」と言う。クリーシーはフエンテスを始末し、ジョーダンの屋敷へ行く。するとプールにジョーダンの死体が浮かんでいた…。

監督はトニー・スコット、原作はA・J・クィネル、脚本はブライアン・ヘルゲランド、製作はアーノン・ミルチャン&トニー・スコット&ルーカス・フォスター、共同製作はコンラッド・フール、製作協力はピーター・トゥーマシス&ドン・フェラローネ、製作総指揮はランス・フール&ジェームズ・W・スコッチドープル、撮影はポール・キャメロン、編集はクリスチャン・ワグナー、美術はクリス・シーガーズ&ベンジャミン・フェルナンデス、衣装はルイーズ・フロッグリー、音楽はハリー・グレッグソン=ウィリアムズ。
主演はデンゼル・ワシントン、ダコタ・ファニング、ミッキー・ローク、クリストファー・ウォーケン、ジャンカルロ・ジャンニーニ、ラダ・ミッチェル、マーク・アンソニー、レイチェル・ティコティン、ロベルト・ソーサ、ヘスス・オチョア、ジェロ・カミーロ、マリオ・サラゴサ、チャールズ・パラヴェンティー、カルメン・サリナス、エステバン・デ・ラ・トリニダード、アンジェリーナ・ペラエス、ノーマ・パブロ、ローサ・マリア・ヘルナンデス、エリベルト・デル・カスティロ、スティーヴ・ゴンザレス、アンドレス・バルダヴ、ロドリゴ・スリータ、マリソル・カル・イ・メイヤー他。


A・J・クィネルの小説『燃える男』を基にした作品。
監督は『エネミー・オブ・アメリカ』『スパイ・ゲーム』のトニー・スコット、脚本は『L.A.コンフィデンシャル』『ミスティック・リバー』のブライアン・ヘルゲランド。
クリーシーをデンゼル・ワシントン、ピタをダコタ・ファニング、ジョーダンをミッキー・ローク、レイバーンをクリストファー・ウォーケン、ミゲルをジャンカルロ・ジャンニーニ、リサをラダ・ミッチェル、サムエルをマーク・アンソニー、マリアナをレイチェル・ティコティンが演じている。

まず、146分という上映時間が長すぎる。
それだけの尺が必要な映画もあるだろうが、この作品は無駄に長くなっているだけ。賢明な監督が撮っていれば、2時間以内に確実に収まっている。
146分になってしまった最大の要因は、映像に凝り過ぎるトニー・スコットの悪癖。それは上映時間を無駄に長くするだけでなく、目がチカチカして疲れるというマイナスにも繋がっている。
その一方で、映画を魅力的にするという効果には全く繋がっていない。
だって無駄にガチャガチャしているだけなんだもん。

トニー・スコットは映画を面白くするために映像を加工しまくっているわけじゃなくて、ただ単に加工したいから加工しているだけなんじゃないか。
そうじゃなかったら、冒頭から細かくカットを割りまくって繋ぎ合わせ、スローモーションやストップモーションなど様々なテクニックを過剰なほどに使いまくっている意味が分からん。
そこは「中南米の誘拐事件は恐ろしい」ってのを観客にアピールするためのシーンであることを考えても、素直に見せるべきでしょ。
そこをガチャガチャした映像にしてしまったら、誘拐事件の恐ろしさってのが伝わりにくくなるだけで何のプラスも無いでしょうが。

クリーシーは酒浸りになっており、自殺願望もあり、シスターに「僕は迷える羊です」と言う。
長きに渡る対テロ活動のストレスで心が傷付いているということらしい。
ただ、彼が生きる気力を失い、心を閉じてしまった理由が、あまりにもボンヤリとしている。
対テロ活動を長くやっていたことがセリフで語られるだけで、具体的に彼がストレスを感じた過去の出来事が描写されることは全く無いのだ。

何か1つの出来事だけがきっかけでアル中になったわけではなく、長年に渡るストレスが原因ということなのかもしれない。
でも、どうであれ、そこを曖昧にしておくことは賢明ではない。
1つのきっかけでないなら、米軍時代にクリーシーが従事した幾つかの任務を断片的に描写し、過酷な労働や残酷な出来事がクリーシーの心身を蝕んでいったのだと観客に感じさせるようにしておいた方がいい。
映像演出で過剰に凝るぐらいなら、そういう映像を挿入した方が遥かに得策だ。

146分という上映時間になった要因の1つに、「クリーシーとピタの交流に多くの時間を費やしている」ということが挙げられる。
誘拐事件が発生するのは、映画開始から60分ほど経過した辺りだ。もしも2時間の映画なら、遅くても40分辺りで誘拐事件が起きる構成にするだろう。
ただし、「ピタと触れ合ってクリーシーの気持ちに変化が生じ、立ち直る兆しが見えつつあった」ということを丁寧に描くのであれば、それが「ピタが殺されてクリーシーが怒りの復讐鬼に変貌する」という展開に繋がるわけだから、そこに時間を掛けるのは悪いことじゃない。さすがにトータルで146分ってのはどうかと思うが、前半の中身次第では許容範囲だったかもしれない。
この映画の問題は、「時間ばかり使って、それに見合う中身が無い」ってことなのだ。

クリーシーはレイバーンからボディーガードの仕事を持ち掛けられた時に「話し相手になるのは苦手だ」と言っているが、ピタから色々と話し掛けられると、普通に答えている。
笑顔は無いし、淡々と返答しているだけだから、一応は「無愛想に接している」という表現のつもりかもしれない。でも、ちゃんと返答し、しかも短く済ませたり適当に打ち切ったりするわけではなくマトモに話している。
幾つか質問が続いたところで「もう終わりだ」と打ち切っているが、ピタを悲しませたことを気にしている素振りを見せる。早い段階から、彼の心が見えすぎている。少なくとも、その夜に自殺を試みるような男の態度としては、ちょっと違うんじゃないかと。
弱さや脆さは見えていいんだけど、ピタへの接し方には優しさが見えちゃってる。
そんで翌日、水泳教室へ行った時にはピタに手を貸してプールから上がらせたり、質問されて普通に喋ったりしている。そこに「自分は護衛だから」という拒絶の態度はゼロだ。

その後、クリーシーはピタに水泳の練習をさせている。すっかり友達である。
友達関係になるのは一向に構わないんだが、「最初は心を閉ざしていたクリーシーが少しずつ打ち解けていき、ピタへの態度が変化していく」という経緯が全く無いのはダメでしょ。ちょっと拒絶の態度を見せただけで、すぐに心を開いている。そこには「人と接するのが苦手」という感じもゼロだし。
それなら、たっぷりと時間を掛けて2人の交流を描く意味が無いし、クリーシーが心を閉ざして自殺願望を抱いていたという設定も無意味になる。
単に「元米軍の男がボディーガードを頼まれて幼女に懐かれ、その幼女が殺されて復讐に乗り出す」ということでも大して変わらん。

「ピタが殺されたことが観客にハッキリと伝わらない」ってのは、この映画の大きな弱みとなっている。
サンチェスが「アンタの娘を神の下へ送る」とサムエルに言い、レイバーンがクリーシーに「ピタは殺された」と言うが、セリフだけで処理してしまう。
サンチェスがピタを撃つことも無ければ、死体が発見されたことがニュースで報じられることもない。死体の写真がサムエルの元へ届くことも無い。
ピタの死を確定させるような証拠は、何一つとして提示されないのだ。

最初に「ラテン・アメリカでは60分に一件の頻度で誘拐事件が発生している。被害者の70パーセントは生還できない」と表示されるけど、それだけで「ピタは殺された」と観客に確信を抱かせるのは不可能だろう。
むしろ、そこで不自然にピタの死をボカしていることによって、「こりゃピタは生きている可能性が高いな」と思ってしまう。
だから終盤にピタが生きていると分かっても驚きは無くて「やっぱりな」という印象だった。
ようするに、ピタが殺されたことが観客にハッキリと伝わらないのは、伝えることが出来ないからなのだ。
で、ホントは殺されてないのに殺されているように見せ掛けなきゃならないんだけど、そこを上手く突破できていないわけだ。

何となく予想は付いていたものの、やはり「実はピタが生きていた」ということが明らかにされると、脱力感がハンパないぞ。
何しろ、クリーシーは「ピタが殺された」と確信して怒りの復讐に乗り出しているのだが、その前提条件が崩れてしまうのだから。
しかも前述したように、「ピタが殺された」と言われた時点から既に「ホントは生きてるだろ」という匂いがプンプンと漂っているので、クリーシーが復讐を開始しても今一つ乗り切れない部分があるんだよな。
そしてピタの生存が明らかになると、「やっぱりクリーシーの行動はやり過ぎだったじゃねえか」と言いたくなってしまう。

原作ではホントにピタが殺されているという内容らしいんだが、映画化に際して「実は生きていた」ということに変更している。
どういう意図があったのかは知らないが、その改変は失敗だったと言わざるを得ない。
大体さ、サンフェスがピタを生かしておく必要性が何も無いでしょうに。
どうしても「実は生きていた」ということにしたいのなら、「ピタを殺さない理由」を用意しておくべきでしょうに。

ピタを生かしておくという改変だけでなく、もう1つ原作からの大きな変更点がある。それはクリーシーが命を落とすってことだ。
まあ「ピタが生きているのに大勢の人を殺した」ということを考えると、相手が悪党ばかりとは言え、やり過ぎちゃってるので、その代償として彼にも死んでもらうってのは、バランス感覚としては間違っちゃいないかもしれない。
ただ、最期を迎えるシーンを見ると、「別に殺さなくてもいいんじゃねえか」と思ってしまう。
なんかクリーシーが殺される展開を無理に作っちゃってる印象を受けるのよね。

「ピタが戻って目的は果たされた」ってことで無抵抗で連行されたら、まだ自殺願望が残っていたように見えてしまうよ。でもピタとの交流で自殺願望は消えたはずなので、ぶり返したってことなのか。
どんな風に解釈しても、やっぱりスッキリしないんだよなあ。
あそこまで来たら、ピタの無事を確認して自分は観念するんじゃなくて、クリーシーが最後まで一味を蹴散らした方が受け入れやすいわ。
そこまでは、圧倒的な強さでワルを次々に始末していたんだから。

(観賞日:2014年8月19日)

 

*ポンコツ映画愛護協会