『メイム』:1974、アメリカ
イリノイ州シカゴに住む富豪エドワード・デニスが亡くなり、遺言によって息子パトリックに全財産が譲渡されることになった。ただしパトリックがまだ9歳だったため、資産管理をニッカボッカ銀行に任せ、ニューヨークに住むエドワードの妹メイムが後見人になるという条件が付けられた。
パトリックがメイムの豪邸に行くと、ちょうどパーティーの真っ最中。しかし、別に何かの祝いというわけではない。メイムは大勢を集めて騒ぐのが好きな女性なのだ。メイムの周りには一風変わった人々が集まっており、パトリックは今までの生活とは全く違う世界を知った。
遺言ではパトリックをプロテスタントの伝統校に入れるよう指示されていたが、メイムは校長が裸でいるような“人生の学校”というスラム街の施設に入れる。ニッカボッカ銀行のバブコックが施設を訪れるが、生徒達が授業も受けずに騒いでいるのを見て怒る。
バブコックはパトリックを普通の学校に入れるため、メイムの元から連れ去っていく。パトリックに去られたメイムの元に、株が大暴落したという知らせが届く。パトリックを取り戻すために金を稼ごうと仕事を始めるメイムだが、失敗続きで上手くいかない。
靴屋で働いている時に客として来ていたボーリガード・ジャクソン・ビケット・ボーンサイド、通称ボーがメイムを訪れる。ボーとメイムは惹かれ合い、結婚して何年にも渡る世界旅行に出る。その途中で、ボーは雪崩に巻き込まれて死んでしまう。
ニューヨークに戻ってきたメイムを、青年に成長したパトリックが訪れる。パトリックにはグローリアという恋人がおり、メイムはパトリックの親代わりとしてグローリアの実家へ行くことになった。パトリックはグローリアと婚約するが、メイムは2人の結婚に反対する…。監督はジーン・サクス、原作はパトリック・デニス、戯曲台本はジェローム・ローレンス&ロバート・E・リー、脚本はポール・ジンデル、製作はロバート・フライヤー&ジェームズ・クレッソン、撮影はフィリップ・ラズロップ、編集はモーリー・ワイントローブ、美術はロバート・F・ボイル、衣装はセオドア・ヴァン・ランクル、振付はオンナ・ホワイト、音楽はジェリー・ハーマン、ダンス用編曲はピーター・ハワード、オーケストレイションはラルフ・バーンズ。
主演はルシル・ボール、共演はベアトリス・アーサー、ブルース・デヴィソン、ジョージ・チャン、ロバート・プレストン、ジョイス・ヴァン・パッテン、ドン・ポーター、オードリー・クリスティ、ジェーン・コネル、カービー・ファーロング、ジョン・マクギヴァー、ドリア・クック、ボビー・ジョーダン他。
舞台劇を映画化した1958年のロザリンド・ラッセル主演作『メイム叔母さん』のリメイク。ジェリー・ハーマンやラルフ・バーンズが携わっているので、音楽のクオリティは高いといっていいだろう。
1951年に始まってテレビの人気番組となった、『アイ・ラブ・ルーシー』のルシル・ボールが主演している。ルシル・ボール演じる主人公メイムにも、カービー・ファーロング演じる少年時代のパトリックにも、全く魅力を感じない。内容を詰め込みすぎて流れがギクシャクしている。
ギクシャクした流れのままでミュージカルシーンに突入するから、溢れる躍動感が薄く、冴えない感じになっている。メイムが少年パトリックに新しい世界を見せるという部分を、音楽に乗せてダイジェストの映像で処理してしまう。「メイムの型破りなライフスタイルにパトリックが次第に馴染んで行く」というのは、この作品にとって大事な部分であるはずなのに、そこで手抜きをしてしまっているわけだ。
メイムの家でのパトリックの暮らしがほとんど描かれていないから、バブコックがメイムの元から連れていこうとした時に、パトリックは嫌が気持ちが強く伝わらない。同じように、メイムがパトリックを連れさられることを悲しむ気持ちも、あまり強く伝わってこないわけだ。
その直後に待っているのは、「株が暴落して財産を失ったから、パトリックを取り戻すために金を稼ぐため、友人の主演する舞台劇にチョイ役で出演する」という展開。なぜ金があればパトリックを取り戻せるのかも分からないし、チョイ役で稼げる金なんて微々たるものだろう。メチャクチャな筋書きだ。どうやら、この映画ではまず「見せたいシーン」というのが先にあって、そこに持っていくために筋書きを作っているような感じだ。だから前述の流れでいえば、舞台劇でメイムが失敗するシーンを見せたいがために、強引に舞台出演への筋書きを作ったような感じなのだ。
で、メイムは財産を失って家財道具などを持って行かれたはずが、かなり家財道具は残っている。おまけに、大きな屋敷はなぜか取り上げられない。で、パトリックを取り返すためにメイムは仕事を始めたはずなのに、ボーと出会ってからは完全に忘れてしまい、世界旅行に出てしまう。パトリックはバブコックに連れて行かれたはずなのに、何度もメイムの家に顔を出す。つまり、「ただ同居をやめただけ」になっている。そうなると、別にメイムとパトリックがお互いに会えなくて淋しがることも無いし、メイムがパトリックを取り戻そうとする必要も無いわけだ。
パトリックは厳しい監視下に置かれて自由にメイムに会いに行くことが出来なくなり、監視の目を盗んでメイムに会いに行かねばならない。メイムは財産を全て失い、オンボロアパートに引っ越ししてしまう。それぐらいの極端な展開を用意すべきだったと思う。メイムとパトリックの擬似親子の関係を描くことに集中すれば良かったものを、そこをおざなりにするから全体がグダグダになる。メイドのイメチェンとかメイムとボーの結婚といったラインが強くなりすぎて、それが中心となるべきメイムとパトリックの関係を描くラインを圧迫している。
ハッキリ言って、後半部分は全てカットしても良かったぐらいだ。メイムとボーとの恋愛劇とか、青年に成長したパトリックの恋愛劇とか、それらは全て邪魔。パトリックを青年に成長させる必要は無かった。少年と叔母との触れ合いで最後まで引っ張れば良かったのだ。