『マギー』:2015、アメリカ&スイス

世界的な伝染病が発生して数ヶ月が経過し、アメリカ政府は腐歩病ウイルスの抑制対策を開始した。感染した農作物は被害の拡大を防ぐため、焼却が勧告された。都市部の被害は甚大だったが、隔離対策によって感染率は30%低下した。しかし戒厳令は続いており、治療法やワクチンに関して当局は沈黙を保っていた。そんな中、田舎町に住むウェイド・ヴォーゲルは娘であるマギーの留守電メッセージを聞いた。カンザスシティーへ出掛けたマギーは、「街に出たの。捜しに来ないで。外出禁止令が出てる」と吹き込んでいた。
ウェイドは聖メアリー病院の隔離所へ赴き、マギーを診察したジョージ・ガーメン医師と面会した。ガーメンはマギーが感染者に左腕を噛まれて感染したことを話し、「凶暴化して食欲を失う。食欲が戻ったら隔離所へ」と告げた。感染者の帰宅は本来なら認められないが、地元医師のヴァーン・キャプラン医師からの要請で特別に許可された。ただしガーメンはウェイドに、「ターン」と呼ばれる兆候が出たら必ず隔離所へ連れて来ることを要求した。
ウェイドはマギーを車に乗せて帰宅する途中、給油のためにガソリンスタンドへ立ち寄った。トイレに入ろうとしたウェイドは隠れていた感染者に襲われるが、撃退して立ち去った。ウェイドが帰宅すると、妻のキャロラインは息子のボビーと娘のモリーを親戚の家へ預ける支度を整えていた。ウェイドはマギーの母であるサラと死別した後、キャロラインと再婚してボビーとモリーを授かっていた。ボビーはマギーの感染を知っており、「死ぬんでしょ?学校にも感染者が出た」と口にした。
ウェイドはマギーから「2週間、私を捜したの?」と問われ、「そうだ。お前を守るとママに約束したんだ」と答えた。「私がパパたちを襲うかも」とマギーが言うと、彼は「大丈夫だ。パパたちは身を守れる」と述べた。マギーは食欲が無く、ウェイドから何か食べるよう促されても夕食を取らなかった。キャロラインはウェイドに、「どうなるかを知ってて見てるなんて無理よ」と不安を吐露した。マギーは友人のフレッドに電話を掛けるが、留守だったので切った。
翌朝、ラジオのニュースでは、学校が再開されることが報じられている。庭のブランコに乗っていたマギーは左手の人差し指を骨折し、目撃したキャロラインは慌てて医者に電話を掛けた。その間にマギーは包丁を握り、腐食が始まっている指を切断した。外へ出たマギーは、森から現れたネイサン・アンダーソンと4歳の娘であるジュリアを目撃した。2人とも感染しており、虚ろな目をしていた。そこへウェイドが駆け付け、マギーに家へ帰るよう指示した。ウェイドは親しくしていたネイサンに声を掛けるが、反応は無かった。ネイサンに襲われたウェイドは彼を始末し、ジュリアも殺害した。
日が暮れてから、ウェイドと親しい保安官のレイと相棒のホルトがやって来た。ウェイドが「家族同然だったのに」と漏らすと、レイは「仕方ないさ。悪いのはネイサンの妻のボニーだ。家に隠して誰にも知らせなかった」と告げる。ホルトはウェイドに、「ボニーを捜しているが、見つからない」と言う。ウェイドはレイからルールを守るよう忠告され、「マギーは誰にも渡さない」と反発する。レイは静かに、「自分が何をすべきか考えろ」と説いた。
キャロラインはウェイドから悩む気持ちを打ち明けられ、「今はマギーとの時間を大切にするのよ」と告げられる。深夜にボニーが訪ねてきて、ウェイドは「まだジュリアは4歳だった。夜は夫婦が交代で見張っていたけど、ある時、ネイサンは娘の寝室から戻らなかった。ドアに鍵を掛け、どれだけ叩いても返事は無かった。彼は覚悟の上だった」と語った。2人の居場所を問われたウェイドは、遺体のある場所まで案内した。
明け方になって回収車が到着し、ネイサンとジュリアの遺体が移送された。ウェイドはアンダーソン家へ赴き、寝室の壁に記されている「愛する娘」という文字を目にした。彼が帰宅するとガーメンから電話があり、マギーの病状確認のためにヴァーンと会うよう指示された。翌日、ウェイドはマギーを連れてヴァーンの診察所を訪れた。ヴァーンはマギーを検査し、サンプルを採取した。彼はマギーに、友人のアリーが心配しているので電話するよう促した。
ヴァーンはウェイドと2人になり、「症状の進行が速い。じきに食べ物を拒否し、他の物を欲しがるようになる。人の匂いに反応するようになったら、選択肢は限られる」と述べた。「隔離所に入れる」という1つ目の選択肢についてウェイドが「それはダメだ」と拒否すると、ヴァーンは「私も勧めない。進行は遅いと報告しておくから時間は稼げる」と告げた。2つ目の選択肢は、隔離所で使う薬の使用だ。薬を使えば最後まで一緒にいられるが、極度の苦痛を感じるという問題があった。ウェイドが3つ目の選択肢を尋ねると、ヴァーンは「一息に殺す」と答えた。
夕食の後、ウェイドはガレージでオンボロ車を整備した。その傍らで、マギーはサラの遺品である本を読んだ。ウェイドはサラの思い出を語り、「お前はママに良く似てる」とマギーに告げた。深夜、就寝していたマギーの傷口からウジが湧き、彼女は叩き落として泣いた。翌朝、アリーが訪ねて来て、マギーに「今夜、トレントやキャンディスたちと貯水池へ行くの」と言う。トレントの感染を知るマギーが「どうなの?」と訊くと、アリーは「大丈夫みたいだけど保証は出来ない。自分の目で見て」と告げた。
マギーはアリーから「みんな会いたがってる」と言われ、夜になって貯水池へ出掛けた。トレントたちの他にも数名の同級生が来ており、全員で花火やバーベキューをして楽しんだ。メイソンは学校の再開について不満を示し、「アンダーソン家みたいなのが他にもいるかも。隠れてるやつが何人いる?」と言う。トレントは「自分の家族が感染したらどうする?隔離されたらどうなると思う?病院勤務の叔父から聞いた」と話し、「医者は全員を大部屋へ放り込む。治療などしない。僕なら自殺する」と語った。
マギーはトレントと2人になり、「メイソンは最低よ」と言う。トレントは「怖いんだよ」とメイソンを擁護し、感染の前日に彼と一緒だったことを話す。トレントはマギーに、感染の経緯を明かした。彼は感染した女性を目撃し、同情心を抱いて声を掛けた。女性は噛んだ直後に後悔したような表情を浮かべたが、トレントの父に射殺された。マギーはトレントに「会いたかった」と言い、キスして別れた。アリーから「次の週末に会えるよね」と言われたマギーは、「ええ、約束する」と答えた。帰宅したマギーの状態を、キャロラインが確認した。「食べ物の匂いがする」というマギーの言葉に、キャロラインは平成を装いながらも警戒心を強めた…。

監督はヘンリー・ホブソン、脚本はジョン・スコット三世、製作はコリン・ベイツ&ジョーイ・トゥファーロ&マシュー・ベア&ビル・ジョンソン&アラ・ケシシアン&トレヴァー・カウフマン&アーノルド・シュワルツェネッガー&ピエール=アンジュ・ル・ポギャム、製作総指揮はジム・セイベル&クローディア・ブリュームフーバー&フローリアン・ダーゲル&ジョン・スコット三世&トッド・トロスクレア&ロニー・R・E・ハーバート&バリー・ブルッカー&スタン・ワートリーブ、共同製作総指揮はライアン・ブラック、共同製作はケイティー・オマリー、製作協力はチャールズ・V・ベンダー&ジェイソン・ワッゲンスパック、撮影はルーカス・エトリン、美術はガボール・ノーマン、編集はジェーン・リッツォ、衣装はクレア・ブロー、音楽はデヴィッド・ウィンゴ、音楽監修はローラ・カッツ。
出演はアーノルド・シュワルツェネッガー、アビゲイル・ブレスリン、ジョエリー・リチャードソン、ダグラス・M・グリフィン、J・D・エヴァモア、レイチェル・ウィットマン・グローヴス、ジョディー・ムーア、ブライス・ロメロ、レイデン・グリア、エイダン・フラワーズ、カーセン・フラワーズ、ウォルター・ヴォン・ヒューネ、デイナ・グーリエ、エイミー・ブラセット、デヴィッド・アンソニー・コール、マッティー・リプタク、リアン・パティソン、マリス・ブラック、ジェシー・ヒューズ、デニース・ローレン・ウィリアムソン、テイラー・マーフィー他。


主演のアーノルド・シュワルツェネッガーが製作も兼任した作品。
タイトルデザイナーとして数々の作品に参加してきたグラフィック・デザイナーのヘンリー・ホブソンが、初めて映画監督を務めている。
脚本のジョン・スコット三世は、これがデビュー作。
ウェイドをシュワルツェネッガー、マギーをアビゲイル・ブレスリン、キャロラインをジョエリー・リチャードソンが演じている。他に、レイをダグラス・M・グリフィン、ホルトをJ・D・エヴァモア、ボニーをレイチェル・ウィットマン・グローヴス、ヴァーンをジョディー・ムーア、トレントをブライス・ロメロが演じている。

2003年から2011年までカリフォルニア州知事を務めていたアーノルド・シュワルツェネッガーは、『エクスペンダブルズ2』で映画界に復帰して以降(シリーズ1作目にもアンクレジットでカメオ出演しているが)、『ラストスタンド』『大脱出』『エクスペンダブルズ3 ワールドミッション』『サボタージュ』『ターミネーター:新起動/ジェニシス』に出演してきた。
州知事になる以前はコメディー映画にも手を広げていたが、復帰後はアクション俳優としての仕事を積み重ねてきた。
そんな彼が、久々に製作も兼任し、アクションの無いジャンルに参加したのが、この映画だ。
ハリウッドで長く続くブームに便乗したのか、なんとゾンビ映画である。

前述したように、復帰後のシュワルツェネッガーには次々に出演作が舞い込んでいる。
しかし残念ながら芳しい評価は得られておらず、主演作は興行的にも失敗が続いている。
今まで全く縁の無かったゾンビ映画というジャンルに足を踏み入れたのは、そんな状況に危機感を抱いたからだろうか。
ブラッド・ピットが『ワールド・ウォーZ』に出演したことで、「ハリウッドの大物俳優はゾンビ映画なんかにゃ出演しない」という価値観も消滅しているしね。

「シュワルツェネッガーがゾンビ映画に主演する」と聞けば、多くの人は「主人公がゾンビと戦う」という内容を想像するはずだ。
しかし、この映画でシュワルツェネッガーは、アクション俳優としての行動を1カットも見せない。彼が演じるのは「苦悩する父親」だ。
また、ゾンビの群れから必死で逃げるという内容でもない。ゾンビ映画ではあるのだが、群れは登場しない。
基本的には「変貌していく娘に父親が苦悩する」という姿を描く話なので、派手なパニックシーンは無く、ものすごく地味な作品となっている。

シュワルツェネッガーが「アクション映画でコケまくっているからゾンビ映画ブームに乗っかろう」と考えたのか、「新しいことに挑戦してみたい」と思ったのか、詳しい事情は分からない。
ただ、「これってシュワルツェネッガーじゃなくても良くねえか」と言いたくなる。
もっと引っ掛かるのは、「これってゾンビじゃなくても良くねえか」と思ってしまうことだ。
ゾンビの要素を全面的に排除して、「難病モノ」として構築しても普通に成立しちゃうんだよね。
それだと何の新鮮味も無いので、ゾンビという要素を付け加えてみたってことかもしれないけどさ。

それと、「身内がゾンビウイルスに感染して苦悩する主人公」という設定も、大量のゾンビ映画が氾濫してしまった現在では、もはや使い古されたネタに過ぎないのよね。
その使い古されたネタをどうやって見せるのか、あるいは思い切った捻りを加えて意外性で勝負するのかと思っていたが、何の捻りも加工も無い。
真正面から、生真面目に描いているだけなのだ。
その生真面目さは、使い古されたネタを使う時には欠点でしかない。

なぜマギーがカンザスシティーまで出掛けたのか、その理由が良く分からない。後になって、「実はこういう理由で」という手順が用意されているわけでもない。
外出禁止令を破った理由が明らかにされないので、「特に切羽詰まった理由も無いのにカンザスシティーまで出掛けた」という可能性が濃厚だという印象になる。
なので、映画が始まった段階から同情心を削がれることになる。
そこでマイナスを背負うメリットなんて、何も無いでしょ。

何か仕方の無い事情があるならともかく、ただ「ずっと家にいるのは退屈だから」とか「ルールなんてクソ食らえ」といったバカな理由で外出禁止令を破ったのだとしたら、自業自得じゃないかというとになる。
マギーがフレッドという男に電話を掛けるシーンがあるので、彼に会いに行ったのかもしれない。
ただ、惚れた男に会いに行ったとしても、やっぱり外出禁止令を破って感染者に噛まれたとしたら自業自得だろう。
しかもフレッドが恋人なのかと思ったらトレントと惹かれ合っているようだし、ますます分からなくなる。

マギーはウェイドの連れ子で、後妻であるキャロラインとの間に2人の子供がいるという設定だ。ただ、そういう家族構成が効果的に作用しているとは、到底言い難い。
「実母じゃないキャロラインとマギーの関係」「母親の違うマギーとボビー&モリーの関係」ってのは、まるで意味を成していない。
「ウェイドだけが最後までマギーを守ろうとする」という状況を用意するため、キャロラインを継母にして「実母じゃないから途中で逃げ出す」という言い訳に使っているだけにしか思えない。
むしろ、継母にしておいて「それでも実子のように愛し、感染する覚悟を決めて」という使い方をした方がいいと思うのだが、ドラマとしては全く機能していない。

ウェイドとマギーの親子関係が軸になるはずだが、そこもドラマとしては、なかなか高まっていかない。
マギーの抱える苦悩や不安、嘆きや焦燥といった感情は、充分に伝わって来る。それに比べると、ウェイドの思いは遥かに弱い。
それはシナリオとして描き込みが弱いってこともあるが、やはりシュワルツェネッガーの演技力が足りないってのが大きい。
ウェイドはマギーと一緒にいる時間を増やさないと、その思いが伝わりにくい。それは、シュワルツェネッガーが単独だと厳しくて、アビゲイル・ブレスリンに引っ張ってもらう必要があるってことだ。
ただ、そもそもシュワルツェネッガーの主演を想定して執筆されたシナリオではないので、仕方が無いのよね。

マギーにターンの兆候が現れた後も、ウェイドはレイとホルトに「娘は渡さない」と強い口調で言い放つ。ホルトが確認を求めると、彼は力ずくで阻止しようとする。キャロラインがマギーの隔離を求めても、断固として拒否する。しかしマギーは自分の状態が分かるので、「私の苦しみを終わらせて」と殺害を懇願する。でもウェイドは殺害できず、マギーは彼が寝ている間に自害を選ぶ。
ウェイドの激しい苦悩や葛藤が充分に表現できていれば、覚悟を決められなかった彼に感情移入できたかもしれない。だが、そこが全く足りていないので、「娘に辛い決断を丸投げしてしまう」というダメな父親になっている。
そこはベタベタの予定調和かもしれないけど、「ウェイドが苦悩の末に娘を殺害する」という終わり方で良かったんじゃないのか。
変に捻ってみたものの、それに見合うドラマが附随していないから、ただのモヤッとするエンディングになっている。

シュワルツェネッガーは1947年生まれだし、年齢的にはジジイの領域に入って来たので、そろそろアクションの分野だけで勝負するのは厳しいと思ったのかもしれない。
ただ、『クラブ・ラインストーン/今夜は最高!』や『刑事ジョー ママにお手上げ』でコメディーに手を出したり、『コップランド』で演技派への転向を目指したりして失敗を繰り返してきた盟友のシルヴェスター・スタローンと同様、その考えは間違いだったことに本作品で自身も気付いたんじゃないかな。
幸いなことにスライと違って、シュワルツェネッガーにはコメディーというジャンルが残されている。
なので、アクションがキツかったら、そこを選ぶのも1つの選択肢かもね。

(観賞日:2017年11月11日)

 

*ポンコツ映画愛護協会