『マダガスカル3』:2012、アメリカ

ペンギンズとチンパンジーのメイソン&フィルは、ダイヤと金塊をオンボロ飛行機に積んでモンテカルロへ飛び立った。それから何日も経過したが、彼らは全く戻って来ない。取り残されて年老いる悪夢まで見てしまったアレックスだが、マーティーやメルマン、グロリアは彼のために誕生日パーティーを開いた。土で作ったニューヨークの街並みを見て、アレックスは動物園で暮らしていた頃を思い出した。キング・ジュリアンとモーリス、モートもサプライズに参加した。
動物園へ帰りたくなったアレックスは、「モンテカルロのカジノまでペンギンズを迎えに行こう」と言い出した。仲間たちも同意し、一行は海からモンテカルロに上陸した。カジノに侵入したアレックスたちは言い争っている内に天井裏から落下してしまい、人間たちに発見されてしまった。カジノが大騒ぎになる中、一行はペンギンズを見つけて一緒に逃げ出す。カジノの警備員は動物公安局へ連絡を入れ、百獣の王を仕留めることに意欲を燃やすデュボア警部が部下を率いて出動した。
アレックスたちは車で街を逃走するが、すぐにデュボアの率いる警官隊が追って来た。一行は飛行機に乗り込み、しつこいデュボアを何とか撃退した。ついにニューヨークへ戻れると興奮するアレックスたちだが、飛行機が故障して墜落した。アレックスは修理を頼むが、ペンギンズは「もう無理だ、この飛行機は二度と飛べない」と告げる。それでも何とか自分たちで修理しようと言い出すアレックスだが、崩壊する飛行機を見て現実を受け止め、すっかり落ち込んでしまった。
パトカーのサイレンが迫って来たので、アレックスたちは慌てて逃げ出そうとする。メルマンが「僕らみたいな大きな動物が、どうやって目立たないようにヨーロッバを移動できるっていうの?」と諦めの気持ちを吐露する中、アレックスたちはザラゴザ・サーカスの列車を発見した。虎のヴィターリが車両から顔を出したので、アレックスは「ほとぼりが冷めるまで匿ってほしい」と頼む。しかしヴィターリは「この列車はサーカスの動物専用だ」と冷たく言い、荒っぽい態度で拒絶した。
列車が走り出したので、アレックスは「俺たちもサーカスの動物なんだ」と嘘をついて乗せてもらおうとする。それでもヴィターリは拒絶するが、ジャガーのジアとアシカのステファノはアレックスたちを乗せることにした。どんな芸をするのかステファノに訊かれ、一行は適当な嘘を並べ立てた。ステファノは「それなら一緒にローマまで来ない?」と誘うが、アレックスは「アメリカへ帰るから、次の駅で降りるよ」と告げる。するとステファノは、「僕らもアメリカへ行くんだ」と口にした。
興奮するアレックスたちに、ステファノは「ローマからロンドンへ行って、見に来た大物プロモーターが気に入ったら、ニューヨークに行かせてくれるんだ」と語る。「一緒に行っていい?」とアレックスが尋ねると、ステファノは喜んでOKする。しかしヴィターリは彼らを気に入らず、「サーカスのオーナーは密航者を絶対に許さないぞ」と凄んだ。するとペンギンズが現れ、持っていた宝石でサーカスを買い取ったことを明かした。ジュリアンは別の車両にいたメス熊のソーニャと遭遇し、すっかり心を奪われた。
サーカス列車はローマに到着し、アレックスたちはコロッセオに設置された会場へと赴いた。アレックスたちの追跡を続けていたデュボアもローマに入るが、警官のバイクを盗もうとして失敗した。サーカスが始まるが、動物たちの動きは酷いものだった。失敗を繰り返す動物に腹を立てた観客は、ブーイングを浴びせた。様子を見ていたアレックスが頭を抱える中、エンディングを待たずに全ての観客が出て行ってしまった。怒った客が金を返せと騒ぎを起こしたので、動物たちは列車に飛び乗って逃げ出した。
地元警察に捕まったデュボアは、隙を見て軽々と留置所から抜け出した。彼女はパソコンを使ってアレックスの資料を入手し、警察署を後にした。ステファノはアレックスを後ろの車両に呼び寄せ、かつてザラゴザ・サーカスが絶大な人気を誇っていたことを示すトロフィーやメダルの数々を見せた。その頃のスターがヴィターリで、芸のためなら何でもやる怖いもの知らずだったとステファノは語る。しかし彼は、とても小さな輪に火を放ってくぐろうとした時、体に塗っていたオリーブオイルに着火して全身に大火傷を負った。妻は駆け落ちし、ヴィターリは威厳も情熱も失ってしまったのだという。
ステファノは「ヴィターリがサーカスを引っ張っていた。彼が意欲を失ったらサーカスも共倒れだ」と言い、新しいアメリカのスタイルをを教えてほしいとアレックスに頼む。アレックスはステファノに協力することを決意し、マーティーたちに「俺たちでサーカスの概念を思い切り壊そう。誰も見たことが無い斬新なショーをプロモーターに見せてニューヨークに帰るんだ」と告げた。サーカスの動物たちは出し物を変えることに反対するが、アレックスが情熱の大切さを訴えて説得すると、ヴィターリ以外は賛同した。ヴィターリもジアとステファノに頼まれ、協力を承諾した。
サーカスの動物たちは、新しい曲芸の練習を開始した。アレックスはジアと組んで、空中ブランコに挑むことになった。ペンギンズは彼に、デュボアが近くを捜索していることを教えた。アレックスたちは見つかる前に、列車でロンドンへ逃亡した。アレックスはデュボアに気を付けながら公演を始めようとするが、大怪我の悪夢が頭から離れないヴィターリは出演を拒む。そこでアレックスは滑りを良くするための道具として、オリーブオイルではなく燃えにくいヘアーコンディショナーを使うよう提案した。ヴィターリは火の輪くぐりを成功させ、観客の喝采を浴びた。アレックスたちのサーカスに満足したプロモーターは、アメリカ公演の契約を交わす…。

監督はエリック・ダーネル&コンラッド・ヴァーノン&トム・マクグラス、脚本はエリック・ダーネル&ノア・バウムバック、製作はミレーユ・ソリア&マーク・スウィフト、製作協力はホリー・エドワーズ、編集はニック・フレッチャー、プロダクション・デザイナーはケンダル・クロンカイト=シェインドリン、視覚効果監修はマヘシュ・ラマスブラマニアン、アート・ディレクターはシャノン・ジェフリーズ、音楽はハンス・ジマー。
声の出演はベン・スティラー、クリス・ロック、デヴィッド・シュワイマー、ジェイダ・ピンケット・スミス、サシャ・バロン・コーエン、フランシス・マクドーマンド、セドリック・ジ・エンターテイナー、アンディー・リクター、トム・マクグラス、ジェシカ・チャステイン、ブライアン・クランストン、マーティン・ショート、クリス・ミラー、クリストファー・ナイツ、コンラッド・ヴァーノン、ヴィニー・ジョーンズ、スティーヴ・ジョーンズ、ニック・フレッチャー、パス・ヴェガ、フランク・ウェルカー他。


シリーズ第3作。 監督は前2作のエリック・ダーネル&トム・マクグラスと『シュレック2』『モンスターVSエイリアン』のコンラッド・ヴァーノン。
アレックス役のベン・スティラー、マーティー役のクリス・ロック、メルマン役のデヴィッド・シュワイマー、グロリア役のジェイダ・ピンケット・スミス、ジュリアン役のサシャ・バロン・コーエン、モーリス役のセドリック・ジ・エンターテイナー、モート役のアンディー・リクター、ペンギンズ隊長役のトム・マクグラス、コワルスキー隊員役のクリス・ミラー、ペンギンズ新人役のクリストファー・ナイツ、メイソン役のコンラッド・ヴァーノンといった声優陣は1作目からのレギュラー。
他に、今回はデュボアの声をフランシス・マクドーマンド、ジアをジェシカ・チャステイン、ヴィターリをブライアン・クランストン、ステファノをマーティン・ショートが担当している。

1作目の舞台がマダガスカル、2作目がアフリカで、今回はヨーロッパ。作品ごとに舞台を変えていくことでシリーズを続けようというプランは、ものすごく安易ではあるが、間違いではない。「もはや『マダガスカル』というタイトルが内容と全く合致していない」という問題をひとまず置いておくとすれば(かなり大きな問題ではあるんだけど)、舞台を変えて話を作ろうってのは悪いことじゃない。
ただ、そもそも「モンテカルロのカジノまでペンギンズを連れ戻しに行く」という導入部の時点で、やや違和感を覚える。
アレックスは「飛行機でニューヨークへ連れて帰らせる」と言っているけど、それなら「なぜ今までは帰りを待っているだけだったのか」というのが引っ掛かるのだ。
本気でニューヨークへ帰りたい気持ちが、今までは全く無かったのかと。

結局、前作で飛行機を漫然と見送り、まるでアフリカでの暮らしを楽しく続けるかのように終わらせてしまったことが、続編にも響いてしまっているのだ。
飛行機がオシャカになったところでアレックスが「もう二度とニューヨークへは帰れない」と落ち込んでいるが、「お前、前作のラストではアフリカでの暮らしに満足している感じだったじゃねえか」と言いたくなってしまう。
そりゃあ、「しばらく過ごしている間に望郷の念が強くなった」と解釈することは出来るよ。
ただ、このシリーズって作品ごとに、テメエで掲げたメッセージを否定するんだよね。

いかにもドリーム・ワークスのアニメーション映画らしく、露骨にアンチ・ディズニーの色を出していた1作目には、「動物園の動物は、そこで暮らすのが一番であって、野生に戻っても馴染めないのだ」というメッセージがあった。しかし2作目でアレックスたちの中から「動物園へ帰ろう」という意識は消え失せ、アフリカに住まわせたまま話を終わらせることで、そのメッセージを全否定した。
そして今回、なんと「動物園に戻ったアレックスたちが全く喜ばず、サーカスへ復帰する」という結末を用意するのだ。
この映画は、1作目から続いていた話を根本から引っ繰り返してしまったわけだ。
その卓袱台返しは、1作目から見ていた観客に対する裏切り行為だろ。そこの心変わりは、「様々な経験があって気持ちが変化した」と解釈しても甘受できんわ。
「正解は間違いを認めることからだ」というアレックスのセリフは、テメエたちが1作目で発信したメッセージを全否定した結末に対する製作サイドの言い訳かもしれんけど、そんなの受け入れないよ。

ペンギンズが宝石を使ってサーカスを買い取ることによって、そのサーカスは「動物しか存在しない」という奇妙な団体に変貌する。
人間がオーナーを務めている設定のままだと、当然のことながら「動物たちが人間に飼われている」という状態になる。その図式は避けたいという考えがあったんだろう。そういう形で人間を絡めると、物語を構築する上で色々と面倒が多くなることが予想されるからだ。
人間がいるサーカスの場合、「サーカスの動物たちは幸せなのか」「動物園とサーカスの生活は何がどのように違うのか」「調教されて芸をさせられることに対して動物たちはどのように感じているのか」などの問題が付きまとう。ペンギンズをオーナーにしてしまえば、そこを描く煩わしさからは解放される。
ただし、それを避けるなら、そもそも「サーカス」という舞台を持ちこんじゃダメだわ。
それを持ち込んだ時点で、「動物たちと、オーナーや調教師など人間の関係描写」ってのは必須でしょ。

これで「人間が全く出て来ない」という世界観を構築しているなら、そこは受け入れられるのよ。
だけど普通に登場する上に、デュボアという主要キャラまで人間なわけで。そういう風に悪役ポジションを人間にやらせておいて、都合が悪いポジションだけは人間を強引に排除してしまうってのは、いかがなものかと。
っていうか、もっと言っちゃうと、デュボアって要らなくねえか。前2作の老女が今回は登場せず、その代わりのようなキャラなんだけど、こいつが目立ちすぎてバランスを崩しているように思える。
この映画、無理に悪役を配置しなくても、普通に物語は成立するでしょ。

ヴィターリの曲芸がどんどん過激化し、くぐる輪の大きさが指輪サイズになったところで、さらに過激な「輪に火を付けてくぐる」というパフォーマンスに挑戦して大火傷を負ったことを、ステファノはアレックスに語る。
だけど、そもそも指輪サイズの輪をくぐるという時点で、絶対に無理でしょ。
ところが、どうやら「指輪サイズの輪はクリアした」ってことらしいんだよな(その描写は無いけど)。
いやいや、その時点で無理があるわ。普通に「火の輪くぐりで失敗した」ってことでいいじゃねえか。なんで引っ掛かる描写を無意味に持ち込んでいるのかと。

その流れでステファノは「アメリカの新しいサーカスを教えてくれ」とアレックスに頼むのだが、それは大いに違和感がある。というか、違和感どころか不快感さえ覚えてしまう。
そこには「アメリカこそが正しい。アメリカこそが世界のルール」というおごりが見え隠れするからだ。
そもそもザラゴザ・サーカスが没落したのは、動物たちの動きが鈍くなり、失敗を繰り返したからでしょうに。
決してロシアのサーカスが古臭くなったからではないのだ。

アレックスは「家族があまり楽しんでくれないのは芸がマンネリ化しているからだ。ワンパターンではダメなんだ」と言っているけど、違うでしょ。今までのような内容でも、質の高い曲芸なら観客に受けるんじゃないのか。
「マンネリ化で客の受けが悪い」ということなら、そういうシーンを描いておくべきでしょ。なんで「失敗の繰り返しで観客のブーイングを浴びる」という描写にしているんだよ。
この映画が「伝統」を全否定しているのは、いかにもアメリカ的で傲慢な押し付けがましさを感じるけど、それも「マンネリ化した古いサーカスが観客に受けなくなっている」という描写を入れておけば、感じる不快感がマシになったはずなのよ。マシになったどころか、まるで不快感なんて感じなかったかもしれない。
だって「今までのサーカスが全く受けないんだから、新しい物を取り入れなきゃ仕方が無いでしょ」という風に解釈できるわけだから。

そもそも、ザラゴザ・サーカス動物たちが失敗を繰り返すのが、やる気が失われているからなのか、それとも動物たちのレベルが単純に低いからなのか、その辺りがハッキリしない。
もしも「ヴィターリの一件があってから他の動物たちもモチベーションが落ちている」ということなら、やる気を取り戻させるための対策が必要だ。レベルが低いなら、練習を積ませるしかない。
どっちにしろ、「アメリカのサーカスを取り入れる」ってのは筋道として違うでしょ。
これが「動物たちが昔ながらのサーカスに退屈を感じて意欲を失っている」ということなら新しい風を吹かせる必要はあるかもしれないけど、そういう描写は無いんだし。

「ヴィターリが火の輪くぐりに失敗し、情熱を失った」と過去を設定している以上、「ヴィターリが輪くぐりに成功してトラウマを克服する」というドラマは必要不可欠だ。
しかし、そういうドラマを用意することで、この映画には大きな問題が発生している。
ヴィターリは輪くぐりを成功させて観客の喝采を浴びるのだが、だとすれば「新しい出し物じゃなくても、質が高ければ観客は満足してくれる」ということになるでしょ。
「新しいアメリカのスタイルを取り入れないとサーカスは立て直せない」ということだったはずなのに、そこに矛盾が生じてしまうでしょ。

(観賞日:2014年9月24日)

 

*ポンコツ映画愛護協会