『めぐり逢い』:1994、アメリカ

元NFL選手のマイクは、現在はテレビのスポーツ解説者をしている。ある時、彼はシドニーへ向かう飛行機でテリーという女性と出会った。プレイボーイのマイクは、彼女を熱心に口説き始めた。エンジン故障により、2人が乗る飛行機はクック諸島の小さな飛行場に不時着した。乗客は、近くを航行中の客船で移動することになった。
船での旅が続く中、マイクとテリーは互いに引かれ合うようになった。だが、マイクはキャスターのリンと婚約したばかりで、一方のテリーも実業家のケンと婚約中だった。船がボラボラ島に寄港した時、マイクはテリーを誘って伯母ジニーの家を訪れる。
船に戻ったマイクとテリーは、互いの気持ちに素直になって体を重ねた。2人は婚約を解消し、新しい仕事を見つけて2人で人生を歩もうと決めた。3ヶ月後の5月8日、エンパイア・ステート・ビルの展望台で再会しようと誓い合った。ただし、どちらかが当日に姿を見せなくても、決して非難せず、電話もしないという約束だ。
マイクはリンとの婚約を解消し、解説者を辞めて大学のコーチになった。テリーはケンとの婚約を解消し、幼稚園の先生になった。そして5月8日がやって来た。テリーはエンパイア・ステート・ビルへと急ぐが、車にはねられてしまう。
そんな事故が起きているとは知らないマイクは、テリーが現れないことにショックを受ける。約束した通り、マイクはテリーに電話をすることも無かった。彼女にプレゼントするために描いた絵は、ビルのレストランに提供した。月日が経ち、マイクはレイ・チャールズのコンサートに出掛けた。そこで彼は、ケンと一緒にいるテリーを目撃する…。

監督はグレン・ゴードン・キャロン、オリジナル版原案はミルドレッド・クラム&レオ・マッケリー、オリジナル版脚本はデルマー・デイヴィス&ドナルド・オグデン・スチュワート、脚本はロバート・タウン&ウォーレン・ビーティー、製作はウォーレン・ビーティー、製作協力はマーク・H・オーヴィッツ、製作総指揮はアンドリュー・Z・デイヴィス、撮影はコンラッド・L・ホール、編集はロバート・C・ジョーンズ、美術はフェルディナンド・スカルフィオッティー、衣装はミレーナ・カノネロ、音楽はエンニオ・モリコーネ。
出演はウォーレン・ベイティー、アネット・ベニング、キャサリン・ヘップバーン、ギャリー・シャンドリング、クロエ・ウェッブ、ピアース・ブロスナン、ケイト・キャプショー、ポール・マザースキー、ブレンダ・ヴァッカロ、グレン・シャディックス、バリー・ミラー、ハロルド・ライミス、レイ・チャールズ、キャリー・ローウェル、エド・マクマホン、メアリー・ハート、ジョン・テッシュ、スティーヴ・クメトコ他。


レオ・マッケリー監督によって1939年に作られた『邂逅』(シャルル・ボワイエ&アイリーン・ダン主演)という作品がある。同監督は、1957年に『めぐり逢い』(ケイリー・グラント&デボラ・カー主演)として再映画化している。
で、これが3度目のリメイクとなる。
マイクをウォーレン・ベイティー、テリーをアネット・ベニング、ジニーをキャサリン・ヘップバーン、マイクの友人キップをギャリー・シャンドリング、テリーの友人ティナをクロエ・ウェッブ、ケンをピアース・ブロスナン、リンをケイト・キャプショーが演じている。

大まかな展開はオリジナル版と同じだが、マイクが元NFLの名QBでスポーツ解説者という設定だったり、2人の出会いが船ではなく飛行機だったりと、幾つかの変更点がある。そういった変更を行うことによって、色々と問題が生じることになる。
例えば、マイクは元NFLの選手で、テリーと約束した後は大学のコーチになる。で、画家でもないのに彼の描いた絵がキーポイントになるという、困ったことが起きている。
そこでのスムーズな展開を犠牲にしているぐらいだから、元NFLの選手という設定はストーリーの中で大きな意味を持っているんだろう。
私には良く分からなかったが。

マイクとテリーは、飛行機の中で知り合う。昔なら船旅が当たり前だったが、1994年という時代においては、飛行機での移動が当たり前という観点からの変更だ。しかし、短いフライト時間で2人が惹かれ合うというのは、ちょっと難しい。
そこで、2人に惹かれ合う時間を用意するため、「エンジン故障で飛行機が不時着し、2人は船に乗り換えて旅を続けることになりました」という、かなりギクシャクした展開に持ち込んでいる。
そこでのスムーズな展開を犠牲にしているぐらいだから、飛行機で出会わせることには大きな意味があるんだろう。
私には良く分からないが。

例えば、舞台を過去にしておけば、船旅でも何の不思議も無い。あるいは、仕事ではなくクルーズだということにしておけば、「1994年に船旅」というのも自然に成立する。
マイクはリンと来るはずだったが、彼女は急な仕事でドタキャンしてしまった。テリーは独身最後ということで、友人と一緒に来ている。そういうことにしておけばいい。
でも、そうしなかった理由が何かあるんだろう。
私には良く分からないが。

マイクとテリーは、かなり安易に惹かれ合っているようにも見える。だが、目に見えないところで、互いに惹かれ合っていく深みのあるドラマが展開されていたのだろう。それは映画では描写されていないが、たぶん私生活で展開されていたのだろう。
単なるプレイボーイのマイクと、男好きのテリーが、浮気性同士で簡単にくっ付いたわけではない。本気の恋というより浮付いたアパンチュールに見えてしまうが、2人は本当に深い愛で結ばれているのだ。
なぜって、そりゃあウォーレン・ベイティーとアネット・ベニングが本物の夫婦だからさ。

この映画でウォーレン・ベイティーがやりたかったことは明白だ。
1つは、プレイボーイ役を演じて、自分が年を取ってもモテ男だということをアピールすること。
もう1つは、アネット・ベニングとのアツアツぶりをアピールすること。
この2つが、この映画の目的だ。

 

*ポンコツ映画愛護協会