『ムカデ人間』:2011、オランダ&イギリス

ドイツ郊外の路肩に車を停めた外科医のハイターは、3匹の犬を結合させた写真を眺めていた。トラックを停めた男が森に入って排便する様子を見たハイターは後を追い、ライフルを発砲した。ニューヨークから観光に着ていたリンジーとジェニーは、ホテルを出てレンタカーでパーティー会場へ向かう。しかし道に迷い、森に入ってしまう。タイヤがパンクして立ち往生した上、レンタカー会社に連絡しようと思っても圏外で繋がらない。車で通り掛かった中年男が声を掛けて来るが、「ファックしようぜ」と誘うだけだった。2人が無視していると、男は走り去った。
リンジーは嫌がるジェニーを説得し、歩いて助けを捜しに出掛けた。1時間が経過しても何も見つからないので、ジェニーは文句を言う。だが、ようやく一軒の家を発見し、雨が降り出す中で2人は住人を呼ぶ。するとハイターがドアを開け、2人だけだと確認して招き入れた。ドアの鍵を閉めたハイターは周囲を確認し、リンジーとジェニーをリビングへ通した。観光客だと聞いたハイターはキッチンへ移動し、電話で助けを呼ぶフリをする。彼は睡眠薬をグラスの水に混入し、何も気付いていない2人に飲ませた。
ハイターの様子に不気味さを感じたリンジーとジェニーは、タクシーを呼んで去ろうとする。しかしジェニーは眠ってしまい、ハイターはリンジーに薬を飲ませたこと明かす。彼はリンジーを捕まえ、注射を打って眠らせた。次の朝、リンジーとジェニーが意識を取り戻すと、地下室のベッドに拘束されていた。2人の隣のは、トラック運転手も拘束されていた。ハイターは地下室に現れ、トラック運転手に「君は適合しない。だから殺す」と告げる。彼は注射でトラック運転手を殺害し、庭に埋めた。
車で出掛けたハイターは、新たにカツローという日本人男性を捕まえて地下室へ連行した。ハイターは拘束した3人に、「私は外科医のヨーゼフ・ハイター博士。シャム双生児の分離手術で知られている。半年前、私は前人未到の手術に着手した。3匹のロットワイラー犬を結合させ、一つの生命体に変えた。君たちの組織は適合した」と語る。そしてオペの手順を詳しく説明し、3人をムカデ人間として結合させることを明かした。
ハイターはカツローとジェニーに麻酔薬を注射するが、リンジーは隙を見て拘束を解いた。彼女は逃亡を図るが、あえなくハイターに追い詰められた。ハイターは「真ん中は回復に伴う痛みが前後の2倍も辛い。お前を結合体の真ん中にしてやる」と告げ、麻酔銃でリンジーを眠らせた。ハイターは手術を行い、カツロー、リンジー、ジェニーの順番に結合させたムカデ人間を誕生させる。ハイターはムカデ人間への調教を開始し、反抗的なカツローに暴行を加えた。彼はカツローに餌を与え、排泄物をリンジーに食わせた。夜は檻に閉じ込め、静かにするよう命じた。ハイターは3人の健康状態をチェックし、ジェニーが死に掛けていると知って代わりを探そうと考えた。
そんな中、刑事のクランツとフェラーがハイターの邸宅を訪れた。彼らが続出している失踪者を捜索していることを話すと、ハイターは「家から出ないので何も知らない」と告げた。ハイターは彼らをジェニーの代役にしようと目論み、睡眠薬を混入したグラスの水を出した。しかしフェラーは水を飲んだものの、クランツは手を付けなかった。疑いを掛けられたハイターが激怒して「水を飲んで出て行け」と告げると。クランツはグラスを叩き落とした。クランツは地下室を見せるよう要求し、ハイターが拒否すると「捜査令状を用意して戻って来る」と告げる。クランツとフェラーが去った後、ハイターは急いで地下室へ戻る。するとメスを見つけて待ち受けていたカツローが、ハイターに襲い掛かった…。

脚本&監督はトム・シックス、製作はイローナ・シックス&トム・シックス、製作総指揮はイローナ・シックス、撮影はグーフ・デ・コーニング、美術はトーマス・ステファン、編集はナイジェル・デ・ホンド&トム・シックス、音楽はパトリック・サヴェッジ&オレグ・スピース。
出演はディーター・ラーザー、アシュリー・C・ウィリアムズ、アシュリン・イェニー、北村昭博、アンドレアス・ロイポルト、ピーター・ブランケンシュタイン、ベルント・コストラウ、ルネ・デ・ウィット。


世界中で話題となった、お下劣ホラー映画。最初から3部作を想定して製作されている。
日本ではDVDスルーの予定だったが、ネットを中心にして人気が高まったために劇場公開された。
監督のトム・シックスは、これが4本目の作品。それまでの3作は、全てコメディー映画だった。
ハイターを演じているのは、『ガラスの独房』や『魔王』に出演していたドイツ人俳優のディーター・ラーザー。 リンジーをアシュリー・C・ウィリアムズ、ジェニーをアシュリン・イェニー、カツローを北村昭博が演じている。

「複数の人間の口と肛門を結合させてムカデ人間を作る」というアイデアは、誰がどう考えたってバカバカしい。中学生が休み時間に仲間同士で話すバカ話のレベルである。
ムカデ人間の実現性はゼロだと断言できるし、わざわざ断言する必要も無いぐらいバカバカしい。
だが、中学生レベルのバカバカしさであっても、必ずしもダメだとは言い切れない。そういう着想を膨らませることによって、面白い映画が生まれる可能性もゼロではないだろう。
重要なのは、「いかに膨らませるか」「どう膨らませるか」ってことである。

これがコメディーであれば、様々なポイントを誇張することで笑いを生み出すという方向性が考えられる。しかし、これはコメディーではなくホラー映画だ。
そもそも「複数の人間の口と肛門を結合させる」というアイデアの時点で、笑いに転換するのは難しいだろう。幾ら「笑いと恐怖は紙一重」であっても、ホラー映画で最初から笑いを狙った演出を徹底させるのが正解だとは思えない。
そうなると、例えば具体的なディティールを積み上げるという方法が考えられる。そうすることで、デタラメなリアリティーが生じる。
それによって、ただ「バカバカしい」というだけに終わらせない形へと変化させることも出来るのだ。

しかし脚本&監督のトム・シックスは、そういう作業を全くやっていない。「複数の人間の口と肛門を結合させてムカデ人間を作る」というアイデアの段階で、完全に思考停止しているのだ。
なので当然のことながら、ムカデ人間は「ほぼ出オチ」という状態になっている。
いや、もっと酷い状態と言ってもいいだろう。
もはやタイトルであったり、観賞前に多くの人々が知ったであろう「複数の人間の口と肛門を結合させてムカデ人間を作る」という情報であったり、そういうトコが面白さのピークと言ってもいいぐらいなのだ。

捕まった3人は、ギャーギャーと喚き散らす。それは当たり前のことなので、普通なら引っ掛かるようなことではない。
ただ、その内の1人が関西弁の日本人ってことになると、話は別だ。
きっと日本語の分からない欧米の観客からすると、まるで気にならないはずだ。だが、困ったことに私は日本人なので、関西弁を喋っていることが分かってしまう。
そしてカツローが「誰や、お前、しばくぞ」とか「ホンマ、しばくぞ。何してんねん」「舐めんなよ、日本のヤクザ。火事場のクソ力じゃ」などと関西弁でギャーギャーと騒ぎまくるのは、「映画に入り込むことを妨害する余計な雑音」と感じてしまうのだ。
それが気になって、緊迫感や恐怖も削がれてしまう。せめて標準語ならともかく、なんで関西弁なのかと言いたくなってしまうのだ。

「上映時間は92分だし、とにかくムカデ人間が誕生させてからが本番」ってことなのかもしれないが、導入部の展開は良く言えばシンプル、悪く言えば適当。
「ハイターが適合する3人を拉致し、手術について説明する」という展開を淡々と進めている。
特に、ムカデ人間についての説明を「ハイターの講義」という形で済ませるのは、「ほとんど何も考えてねえだろ」と言いたくなるぐらい適当な処理だ。
少しずつ情報を出して観客の不安を煽ったり緊迫感を高めたりするための手順を用意する考えは、まるで無かったのね。

で、そのくせ、「手術を始めようとしたらリンジーが逃亡を図る」という、余計な手間は掛けているのよね。
「リンジーが拘束を解いて地下室を逃げ出す」→「寝室に入ってドアに鍵を掛ける」→「ハイターが窓を割って飛び込んで来たので慌てて部屋を出る」→「プールに落ちるとハイターが麻酔銃を構える」→「撃たれないよう潜るけど息が続かず顔を出す」という手間を掛けてしまう。
おまけに、ようやくプールでハイターが麻酔銃を撃って眠らせるのかと思いきや、さらに「プールから逃げたリンジーは地下室へ戻ってジェニーを連れ出そうとするけど、背後から麻酔銃で撃たれる」という寄り道が続くのだ。

「余計な手間」や「寄り道」と前述したのは、「どうせリンジーが捕まって結合体にされる」ってのが分かり切っているからだ。ハイターが彼女の前でムカデ人間について説明する様子を描いた以上、それが決定事項なのは誰の目にも明らかなのよ。
だから、それを済ませた後で「逃亡を図る」という手順に入られても、「今さらかよ」と言いたくなる。
もうさ、そこまでの手順を粛々と進めていたんだから、そこで急に手間を掛けて緊迫感を煽ろうとしても意味が無いのよ。さっさと全員を眠らせて、手術を終えてしまえばいいのよ。
それって結局、ただの時間稼ぎでしか無いんだよね。ちゃんと話を膨らませておらず、「ムカデ人間を作る」というアイデアだけで終わっているから、そういう寄り道で時間稼ぎせざるを得なくなっているのよ。

低予算映画だから仕方のない部分もあるんだろうが、この作品の肝である「ムカデ人間」の表現が恐ろしく雑だ。
ある意味、この映画で最も恐ろしいのは、そこだわ。
ハイターは手術前に「膝蓋靭帯という膝関節の安定性を保つ靭帯を切除する。これで膝の伸縮は不可能になる」「B体とC体から中切歯と側切歯と犬歯を抜き、B体とC体の口唇部、A体とB体の肛門部は皮膚と粘膜の境界で丸く切除する」「B体とC体の顎から頬に掛けてV字切開し、声門及び口の粘膜と皮膚の円形部で接合する」などと詳しく説明する。
だけど、実際の手術シーンはバッサリと省略されており、ムカデ人間が完成するまでの過程は全く描かれない。
いやいや、そこは大切でしょ。

そもそも3人を麻酔で眠らせているので、手術によって被験者たちが苦痛に悶えるような残酷描写も無い。ムカデ人間になった後の姿にも、グロい描写は皆無だ。
この映画でグロ描写を抑えるって、どういうつもりなのかと。
もはや「ムカデ人間」というアイデアで映画を撮ると決めた時点で、「残虐描写、グロテスク描写」とは切っても切り離せないことなんて明白だし、そこを強調する作りにするのは必然と言ってもいいはずだ。
それなのに、そこを「リアルなグロ」として描写するのを避けるってのは、ただ逃げているだけにしか思えんよ。
そりゃあ、そこのグログロを際立たせたら傑作になったのか、評価が格段に上がったのかと問われたら、答えはノーだよ。でも、グロを抑えたせいで、ものすごくヌルい仕上がりになっているでしょうに。

ムカデ人間の完成した姿は、「両膝に包帯を巻いて白いパンツを履かされた3人が繋がっている」というだけ。
どんだけグロテスクなのかと思ったら、まあ陳腐でバカバカしいのよ。学芸会レベルの造形だ。
何しろ結合部分を包帯で隠しているもんだから、「手術で結合した」ってのが嘘にし思えないのよ。
いや、もちろん嘘なんだけどさ、「手術が終わった」という段階で「いや嘘でしょ。繋がってないでしょ」と冷めた気持ちにさせちゃったら全てが台無しでしょ。

ハイターが用意した注射器をクランツの眼前で落としてしまうとか、カツローの前にメスを不用意に放置するとか、その辺りの粗さや都合の良さは、そんなに気にならない。
まあホントはダメなんだけど、そういう類の粗さよりも、「ムカデ人間の表現」に関する粗さの方が遥かにマイナスが大きいからね。
「ムカデ人間を誕生させてからが本番」と前述したけど、その本番も全く膨らまないし。調教シーンにしても、すんげえ薄っぺらいし。
お前はホントにムカデ人間への狂った情熱を持っているのか、異様な執着があるのかと言いたくなる。
ちなみに、この場合の「お前」ってのはハイター博士とトム・シックスの両方を意味している。

(観賞日:2016年10月21日)

 

*ポンコツ映画愛護協会