『緑の館』:1959、アメリカ

ベネズエラのカラカス。23歳のアベルは兵士に追われ、客船に身を隠してオリノコ河を移動した。船着き場の雑貨店で、アベルは店主から 地図や食料などを購入した。店主は、金塊を探しに出掛けた男がクイニ川の岸で首を刈られて死んでいたという話をした。小舟で密林の 奥地へと進んだアベルだが、途中でガイド役の現地人が去った。1人になったアベルは、眠り込んだ間に激流に飲まれて船から落ちた。 川岸に辿り着いたアベルは、豹に襲われそうになる。だが、近くにいた蛮人たちが槍で倒した。
蛮人たちはアベルを槍で脅し、村へ連行した。アベルは首から金の飾りを下げている酋長ルーニらに「友達だ、贈り物を持って来た」と 言って助命を求めるが、もちろん言葉は通じない。それでもアベルは「僕が一生掛けても金の出所を見つけなきゃいけない」と主張し、 ひたすら喋り続けた。アベルは、陸軍大臣だった父が革命で殺されたこと、裏切り者に復讐するために金が必要だということを夜まで 語り続けた。
言葉が通じるルーニの息子クアコーが現われたため、アベルは火打ち石で火を付けてみせた。そしてクアコーに火打ち石を渡し、「この村 で共に狩りをしたい」とルーニに通訳してもらった。ルーニはアベルを認め、村への滞在を許可した。ある日、アベルは近くの森に足を 踏み入れた。泉の水を飲んだアベルは、水面に移る女性の姿に気付いた。しかし、女性の姿はすぐに消えた。アベルは周囲を探し回るが、 女性は見つからなかった。
村に戻ったアベルは、クアコーの兄が森で殺されていることを聞かされた。蛮人たちは禁じられた森と呼び、そこに入ることを恐れていた。 ルーニはクアコーを通じ、息子が森に住む魔女に殺されたことを説明した。ルーニは、アベルが無事に戻ったのは魔力があるからだと 信じた。そして彼はアベルに対し、森へ行って魔女を殺してくるよう求めた。
翌日、森に赴いたアベルは、昨日の女性と出会った。アベルは話し掛けようとするが、毒蛇に噛まれて気を失ってしまう。意識を取り戻す と、そこは森の奥にある小屋だった。そこには、あの女性リーマと祖父ヌーフロが暮らしていた。アベルはリーマの介護によって一命を 取り留めたのだった。アベルは蛮人が命を狙っていることを告げるが、そのことをヌーフロは知っていた。だが、彼は森にいれば彼らは 襲ってこないため、安全だと主張した。
アベルは、リーマがヌーフロから貰った糸巻きが金で出来ていることに気付いた。そこで彼は、出掛けるヌーフロを尾行した。しばらく 森で暮らす間に、アベルとリーマは惹かれ合うようになった。アベルと話す中で、リーマは自分が生まれた村、死んだ母の村がリオラマ だと思い出した。リーマは村へ案内するようヌーフロに求めるが、彼は「行くのは危険だ」と反対した。アベルはリオラマに金があると 睨むが、ヌーフロに「リーマの心を弄ぶな」と言われ、森を去ることにした。
村に戻ったアベルは、リーマを殺せなかったことを告げた。彼はクアコーが兄を殺したことに気付くが、それをルーニに伝えようとしても 言葉が通じない。クアコーはアベルを拘束し、自分が魔女を殺しに行くと告げた。夜、村ではマラケ祭が催され、クアコーはスズメバチの 儀式で勇気を証明した。祭りを終えた蛮人たちが眠り込んでいる隙に、アベルは拘束を解いて逃げ出した。
アベルは森へと戻ってヌーフロに危機を伝え、リオラマへ向かうよう迫った。アベル、リーマ、ヌーフロの3人はリオラマへ向かうが、 クアコーたちも追跡を開始していた。途中の洞穴で、ヌーフロはアベルに自分の過去を打ち明けた。若い頃、ヌーフロはならず者だった。 彼の仲間がリオラマで虐殺を行い、そこから逃げ出して洞穴で死んだのがリーマの母親だった…。

監督はメル・ファーラー、原作はウィリアム・ヘンリー・ハドソン、脚本はドロシー・キングスレイ、製作はエドマンド・グレンジャー、 撮影はジョセフ・ルッテンバーグ、編集はフェリス・ウェブスター、美術はウィリアム・A・ホーニング&プレストン・エイムズ、衣装は ドロシー・ジーキンス、特別音楽創作はエイトル・ヴィラ=ロボス、音楽&"Songs of Green Mansions" 作曲は ブロニスラウ・ケイパー、作詞はポール・フランシス・ウェブスター。
出演はオードリー・ヘプバーン、アンソニー・パーキンス、リー・J・コッブ、早川雪洲、ヘンリー・シルヴァ、ネヘミア・ペルソフ、 マイケル・ペイト、エステル・ヘムズレイ他。


鳥類学者としても高名なイギリスの作家ウィリアム・ヘンリー・ハドソンによる小説『緑の館 熱帯林のロマンス』を基にした作品。
リーマをオードリー・ヘプバーン、アベルをアンソニー・パーキンス、ヌーフロをリー・J・コッブ、ルーニを早川雪洲、クアコーを ヘンリー・シルヴァが演じている。
当時、オードリーの夫だった俳優のメル・ファーラーが監督を務めている。

メル・ファーラーとしては、「ウチのカミさんを美しく見せたい、美しい撮りたい」という意識で手掛けた作品なのだろうと推測される。
ちなみにオードリーは、この映画に出演するため『アンネの日記』のオファーを断っている(そちらではミリー・パーキンスが主役に抜擢 され、映画デビューしている)。
で、そういう考えで監督が映画を作ったとしても、それはそれで構わない。ただ、オードリー・ヘプバーンを美しく見せるための映画が、 なぜエコロジカル小説を基にした本作品なのかと、そのセンスに疑問符を付けたくなる。
明らかにオードリーはミスキャストだろう。
彼女は都会的な女優であって、密林なんて全く似合わない。
蜜柑は同系色の赤いネットで覆っているからこそ美味しく見えるのであって、緑色のネットで覆ってはいけないのである。

当時のオードリーは30歳であり、アベルが「君は森の妖精だ」と称するには年齢的に厳しいところもあるが、それ以上に密林が似合うか否 かが大きい。
ちなみに、企画段階ではピア・アンジェリがリーマ役の候補に挙がっていたらしいが、そっちの方がアリだっただろうな(ただし監督は別 の人にすべきだが)。
撮影途中で何か問題があって降板することになったとしても、すぐにマリサ・パヴァンを代役に立てれば済むし(双子だからね)。

オードリーだけでなく、他の面々もミスキャストの嵐。
アンソニー・パーキンスにしても、ベネズエラの青年ってのは無理があるし、密林を冒険するのも似合わない。
早川雪洲のルーニ役もヒドい。アジア系の先住民なら、まだギリギリで受け入れようかという気にもなるが、南アフリカの酋長だぜ。
ヘンリー・シルヴァは普通に蛮族っぽかったけど。

キャスティングだけでなく、中身もサッパリだ。
アベルは蛮族の前で「陸軍大臣の父が革命で殺されて裏切り者がいて云々」と延々と喋り続けるのだが、彼が密林に来た理由は最初に描写 しておくべきであり、そんなトコロでセリフのみで処理すべきじゃない。大体、通じない言葉による長い講釈を、黙って蛮族が眺めている というのも阿呆にしか見えないし。
アベルがセット丸出しの森に入ると、ピコピコという電子音が響く。それが、リーマがいるという合図のようだ。実際に何の音を表現して いるのかは分からない。
アベルにしろリーマにしろ、髪は全く乱れず、顔も服も全く汚れない。
アベルは前述したように金目当てで密林に来たはずだが、それを探そうとする意識は乏しい。裏切り者を倒す狙いも語っていたが、復讐心 は全く見せない。ただ密林で普通に暮らし、リーマと出会って恋愛しているだけである。

原作がそうなっているから仕方が無いのかもしれないが、蛮族の動かし方には疑問を抱いた。
彼らは「森に魔力を持つ女がいるから殺すべき」と主張して行動しているが、その「征服」を第一にする考え方って、西洋的だという印象を 受けるんだけよな。
密林の蛮族なら、むしろ森に特殊な能力を持つ存在がいるなら、恐れたり崇め奉ったりするような気がしてしまうんだよな。

終盤の展開には唖然とさせられた。
「森でリーマがクアコー達に見つかって逃亡する」→「木に登ったら火を放たれる」→「助けを求めてアベルの名を呼ぶ」という展開なら 、普通は助かるだろ。でも、アベルが森に来ると、もうリーマは死んだ後なんだよ。
そんでバッドエンドかと思うと、アベルがリーマの「私は貴方の心の中にいるわ」という声を聞いて、彼女の幻を見て笑顔で終わり。
いやいや、ちっともハッピーエンドじゃないから。

しかし何よりもダメなのは、監督にとっての最大にして唯一の目的である「オードリーを美しく撮る」という狙いが全く達成できていない ことだ。
無造作に下ろしただけでセットされていない髪、簡素で地味なワンピースだけの衣装、そういった姿では、オードリーは魅力的に 見えない。
彼女には野生的な魅力やエキゾチックな美しさは無いんだから、もっとオシャレさせないとダメなのよ。
後半はサバイバル・アドベンチャーになるが、そのジャンルでオードリーを美しく見せられるとも思わないし。

 

*ポンコツ映画愛護協会