『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』:2011、アメリカ

11歳のオスカーは車の中から葬儀の様子を眺め、「空っぽの棺桶なのにね。まるで葬儀ごっこだ」と冷淡な口調で言う。祖母が「やることが大事なのよ」と言うと、オスカーは「訳が分からない」と告げて車を降りた。トーマスはマンハッタンの街を見つめ、死んだ父のことを思い出す。父のトーマスは生前、オスカーに調査探検ごっこをやらせていた。第6地区を見つける調査探検を指示された時、オスカーは最高にワクワクした。
トーマスはオスカーのために名刺を作り、調査のために大勢の人と話すよう仕向けた。人と話すのが苦手だと知っていたからだ。かつてセントラルパークが第6地区の真ん中にあったと知ったオスカーは、金属探知機を使って地面を調べた。ある夜、オスカーはトーマスに、「第6地区ってホント?」と質問した。トーマスは「信じたければ根拠は見つかる」と言い、「公園のブランコの裏側で一枚のメモが発見された。それが書かれたのは第6地区だった」と新聞を見ながら話す。それがオスカーとトーマスの最後の会話だった。
3月11日、トーマスはアメリカ同時多発テロ事件に巻き込まれて命を落とした。それから1年が経過し、オスカーは父が死んでから初めてクローゼットを開けた。母のリンダは全く手を付けておらず、トーマスが生きていた頃のままになっている。オスカーは父の服の匂いを嗅ぎ、ポケットを探る。上の棚にある古いカメラを取ろうとしたオスカーは、瓶を落として割ってしまった。すると瓶には封筒が入っており、その中には鍵があった。
オスカーは寝室にいる祖母とトランシーバーで連絡を取り、「パパから特別な鍵のことを聞いてる?」と尋ねた。間借り人のことが気になったオスカーに、祖母は「いつも帰りが遅いわ」と告げる。しかし間借り人は明かりを消してカーテンの隙間から覗いており、それにオスカーは気付いていた。祖母が部屋を貸したのは、トーマスの死から3週間後だ。祖母は間借り人の素性について、オスカーに「故郷の古い知り合いよ。長くは住まないわ」と教えていた。
「その人って危険?」とオスカーに訊かれた祖母は、「間借り人と出会っても、決して話し掛けてはいけないよ。怒ると怖いんだから」と真顔で告げた。そんなことを、オスカーは思い出した。翌日、オスカーは鍵屋へ鍵を持ち込み、「金庫の鍵らしいな。しかも据え置きの金庫じゃなくて、銀行の貸金庫とか、郵便私書箱とか。20年か30年前の古い物だ」と教えてもらった。「学校は?」と問われたオスカーは「キング牧師の日で休み」と言うが、すぐに嘘だとバレた。
オスカーが立ち去ろうとすると、店主は「ブラックってのは?」と言いながら置き忘れた封筒を差し出した。鍵の入っていた封筒には、「ブラック」と記されていた。「知り合いか?手掛かりじゃないか」と言われたオスカーは、知り合いであるドアマンのスタンに頼んで電話帳を貸してもらった。ブラックという名前の人物は472人もいたが、オスカーは新たな調査探検と捉えて取り組むことにした。
オスカーはニューヨークの地図を広げ、「ブラック」の名を持つ大勢の人物の居場所をマーキングした。サバイバル・グッズをリュックに詰めた彼は、リンダに「コミ・コンへ行く」と嘘をついて外出する。1人目のアビー・ブラックを訪ねるため、公共交通機関が苦手な彼は歩いて移動する。あの日以降、オスカーには苦手な物が増えた。特に橋の存在は、オスカーにとって恐怖だった。パニックに陥りそうな気持ちで必死で落ち着かせ、オスカーは大声で叫びながら橋を渡り切った。
ブルックリンのフォートグリーンにあるアビーの家に到着したオスカーは、呼び鈴を鳴らした。なかなか応答が無いのでドアの鍵穴に自分の持って来た鍵を差し込もうとしていると、奥からアビーが出て来た。オスカーは名刺を見せ、「入っていいですか」と告げる。「今は困るわ。用事があるから」とアビーがドアを閉めると、オスカーは新聞を入れる小窓を開けて「喉がカラカラなんだ」と叫ぶ。アビーは仕方なくドアを開け、彼を家に入れた。
象の写真を見つけたオスカーが饒舌に喋っていると、アビーは急に涙を浮かべた。夫のウィリアムは電話を掛け、忙しく動き回っていた。オスカーは「パパを知らない?9月11日、あのビルにいたんだ。この鍵の鍵穴を探してる。パパの封筒に入ってた」とアビーに語った。アビーは涙を拭きながら、「悪いけど、お父さんも鍵も知らないわ」と答えた。オスカーは、「思い出に写真を撮ってもいい?」と告げ、持参したカメラのシャッターを切った。
帰宅したオスカーは、あの日のことを回想する。死ぬ直前のトーマスが吹き込んだ留守電のメッセージを聴いた後、オスカーは父の死を悟った。彼がベッドの下に潜り込んでいると、それを見つけた祖母が話し掛けて来た。急いで帰宅したリンダが「留守電にメッセージはあった?」と尋ねると、オスカーは首を横に振った。夜中にこっそりと家を抜け出した彼は、電話機を購入した。彼は父のメッセージが録音されている電話機を隠し、それを代わりに置いた。誰も聴かなければ、全て無かったことになると考えたのだ。
オスカーは毎週土曜と休日になると必ず、調査探検に出掛けた。リンダは不安そうな表情を浮かべ、彼が出て行くのを見送った。グループ・ホームで暮らすハゼル・ブラック、耳の不自由なブラック老人、潔癖症のデニース・ブラックなど、オスカーは次々に「ブラック」という名前の人物を訪ねる。1人につき6分の予定だったが、いつも長引いてしまった。誰もがオスカーの予定よりも長く、父のことで彼を慰めようとしたり、自分のことを喋ったりしたからだ。しかも、鍵についての手掛かりは、全く得られなかった。
オスカーは慰めも友達も必要としておらず、ただ鍵穴を見つけたいだけだっった。彼は一刻も早く鍵穴を見つけるための計算をするが、現実は思い通りに進まなかった。苛立ちを募らせたオスカーは、夜中にリンダを起こして「僕が死んでも埋めずに霊廟に入れて」と言う。リンダが「最近の貴方の態度について話し合わなきゃ。なぜ私は話そうとしないの?」と訊くと、オスカーは「ママは眠ってるか、起きていてもボンヤリしてる。いないとの同じだ」と責めるように告げた。
オスカーは声を荒らげてリンダを罵り、遺体の無い棺を埋葬したことについて「空の箱を埋めた。ワケが分からない」と言う。リンダは「私たちのために、知っててそうしたの。ちゃんとお別れできるように。パパは死んでしまったの。もう戻って来ないの。なぜ夫が死んでしまったのか、分からないものは分からない」と涙声で言う。「あのビルにいたのがママなら良かった」とオスカーが告げると、リンダは静かに「本当ね」と漏らした。オスカーが「本心じゃないよ」と口にすると、リンダは「本心よ」と述べた。
オスカーはトランシーバーで祖母に連絡するが、応答が無い。間借り人の部屋の照明が点滅するのを見たオスカーは、道路を渡って祖母の家に向かう。オスカーが部屋のドアを開けると、間借り人は「済まない、私は話せない」と書いたメモを見せた。「緊急事態なんだ。お婆ちゃんは?」とオスカーが尋ねると、間借り人は「一緒に待てばいい」と書いた。「声が出ない原因は?死ぬほど怖い体験?」というオスカーの質問に、間借り人は掌に掛かれた「イエス」の文字を見せた。
オスカーは間借り人に「僕のパパは9月11日のテロで死んだ。1年間は辛すぎて、パパの部屋に入らなかった」と話し、1年後に封筒や鍵をクローゼットで見つけたこと、ブラックという人物を調査していることなどを詳しく語った。そして「今も家を出るのが怖い。始めた時と何も変わってない。余計にパパが恋しい。乗り越えたかったのに。苦しすぎて、とても悪いことをしそうだ」と吐露した。彼は自分の体を傷付けていることを明かした。
「良かったら一緒に探すか?」と間借り人が書くと、オスカーは「いいよ」と承諾した。次の土曜日、オスカーは間借り人と待ち合わせ場所で会い、一緒に調査する上で守ってほしいルールを説明した。間借り人が電車を使おうとするので、オスカーは「電車は安全じゃない。格好の標的になる」と告げる。しかし間借り人は「そんなに歩けない」と書き、勝手に地下鉄の構内へ向かう。オスカーは仕方なく、ガスマスクを装着して後を追った。間借り人は彼に、「恐怖に立ち向かうことも必要」と記したメモを見せた。
間借り人が細い木の橋を渡り始めたので、オスカーは「こんなの渡れないよ」と言う。すると間借り人はメモを書き、欄干に貼り付けた。オスカーがメモを取ると、そこには「橋を渡れば私の話をしよう」と書かれていた。オスカーは間借り人を追い掛けて、橋を渡り切った。しかし目を離した隙に間借り人は姿を消し、矢印のメモが残されていた。オスカーが矢印に従って移動すると、間借り人はバーにいた。間借り人はバーテンダーにメモを渡して、オスカーに読んで聞かせるよう求めた。
バーテンダーはオスカーに、「私はあちこちで暮らして来たが、生まれはドイツ。戦後、私は結婚した。子供が産まれたが、父親になるのが怖かった。少年時代、防空壕に爆弾が投下されて両親が死亡したからだ」と語った。「それで喋らなくなった?」とオスカーが訊くと、間借り人は「答えたくないこともある」と書いたメモを渡す。間借り人を見つめたオスカーは、父と同じ仕草をしていると感じた。
オスカーは間借り人と共に、1ヶ月を費やして37人のブラックと会った。その後も調査探検は続き、2人はニューヨークの各地を巡って何人ものブラックと会う。だが、どこへ行っても鍵に合う鍵穴は見つからず、オスカーは焦燥感に見舞われる。「正直に答えて。この鍵は何かを開ける」とオスカーに訊かれた間借り人は、「イエス」の手を見せる。しかし「鍵穴は見つかる?」と質問されると、「ノー」の手を見せた。オスカーは「僕も自信が無い」と弱気な態度を示した。
オスカーは間借り人が自分の祖父だと確信し、「見せたい物がある」と告げた。彼はリンダが留守の間に、自宅へ間借り人を連れて行く。そして彼は「ネットで見つけたんだ」と言い、数枚の写真を見せた。それは同時多発テロの際、WTCから飛び降りる1人の男性を捉えた写真だった。オスカーは「パパかもしれない。服装も似てるし」と言った後、隠しておいた電話機を取り出して「見せたい物はこれ」と告げる。オスカーはボタンを押し、あの日にトーマスが残したメッセージを再生した…。

監督はスティーヴン・ダルドリー、原作はジョナサン・サフラン・フォア、脚本はエリック・ロス、製作はスコット・ルーディン、共同製作はイーライ・ブッシュ&タリク・カラム、製作総指揮はセリア・コスタス&マーク・ロイバル&ノラ・スキナー、製作協力はジェイン=アン・テングレン、撮影はクリス・メンゲス、編集はクレア・シンプソン、美術はK・K・バレット、衣装はアン・ロス、音楽はアレクサンドル・デプラ。
出演はトム・ハンクス、サンドラ・ブロック、トーマス・ホーン、マックス・フォン・シドー、ヴァイオラ・デイヴィス、ジョン・グッドマン、ジェフリー・ライト、ゾーイ・コードウェル、ハゼル・グッドマン、スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン、ジョン・ジョセフ・ギャラガー、ウィリアム・ユーマンス、アドリアン・マルティネス、クロエ・ロー、ジム・ノートン、カーメン・M・ハーリヒー、ポール・クレメントウィッツ、ステファニー・カーツバ、キャサリン・カーティン、ライカ・ドッタヴィオ他。


ジョナサン・サフラン・フォアの同名小説を基にした作品。
監督は『めぐりあう時間たち』『愛を読むひと』のスティーヴン・ダルドリー。
脚本は『グッド・シェパード』『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』のエリック・ロス。
トーマスをトム・ハンクス、リンダをサンドラ・ブロック、オスカーをトーマス・ホーン、間借り人をマックス・フォン・シドー、アビーをヴァイオラ・デイヴィス、スタンをジョン・グッドマン、ウィリアムをジェフリー・ライト、オスカーの祖母をゾーイ・コードウェルが演じている。

まず、導入部に「掴み」としての力が乏しい。
トーマスがオスカーに調査探検をやらせていたこと、最後の調査対象が第6地区だったことが回想シーンで描写されるのだが、その調査探検に遊びとしての面白さが感じられない。
オスカーは「ワクワクした」と言っているけど、どうも捉えどころのハッキリしない遊びに思えてしまう。
特に「第6地区を調査する」ってのは、何がどうなったらゴールなのかが良く分からない。
第6地区ってのは存在しないわけで、何を見つけたら終わりなのかが良く分からない。

そこの失敗は(もう失敗って断定しちゃうけど)、「調査探検が完了した」というゴールの部分を見せていないことにある。
第6地区の調査が途中でストップするのであれば、それ以前の調査探検について少しでいいから言及し、そこで「こういう物を見つけたから探検は終了」というのを提示しておいた方がいい。そうすれば、こちらが受け入れるための助けになっただろう。
「調査探検とは何ぞや」という部分がボンヤリしたままなので、導入部に「掴み」としての力が乏しいのだ。
「20世紀の各年代に共通する物を見つけたよ」と石ころを見せるシーンがあるが、何のこっちゃサッパリだし。

それと、トーマスが死んで調査探検がストップした後、第6地区を見つけ出すミッションは再開されないんだよね。
そうなると、「じゃあ何のために第6地区を調べていたことを描写したのか」と思ってしまう。
もちろん、「鍵を見つけたオスカーが調査探検として解釈する」というところに繋がっているので、無意味というわけではない。ただし、仮に「生前のトーマスが調査探検を息子にやらせていた」という設定を排除したらどうだったのかと考えると、大して支障は無いんじゃないかと感じる。
「鍵を見つけたオスカーが、それが何の鍵か、持ち主は誰かを調べ始める」という展開にしたとしても、そんなに違和感は無いんじゃないかと。

鍵を見つけた後、オスカーは調査探検を開始する。
ただ、彼が大勢のブラックを訪ね歩く様子はダイジェスト的に処理されているので、アビーとウィリアムを除く面々は、ほぼ背景に近い存在になっている。
もちろん全ての人間との出会いや会話を丁寧に描いていたら幾ら時間があっても足りないわけだが、ちょっと勿体無いと思ってしまう。
出てくるブラックさんの数を減らして、もう少し1人当たりに割く時間を増やした方が良かったんじゃないかな。

オスカーにはアスペルガー症候群を抱えているというキャラ設定があり、劇中でも「検査を受けた」と話している。
ただし「診断は不確定だった」と言っているので、アスペルガー症候群と断定されているわけではない。
しかも序盤のオスカーは、ごく普通に初対面の人々と話しているし、それほど騒がしいわけでも無礼なわけでもない。ごく普通の少年に見える。
鍵を巡る調査探検を開始する辺りから、不愉快に感じられる行動が一気に増える。

この映画に対して「賛」ではなく「否」の評価を下す人の大半は、たぶんオスカーに対する不快感をその理由に挙げるのではないだろうか。
タイトルがそれを意味しているのかどうかは分からないが、オスカーはものすごくうるさい。
冒頭で「人と話すのが苦手」という本人のモノローグがあるが、むしろ鍵を巡る調査を開始してからは饒舌に喋りまくっている。
つまり、「人と話すのが苦手」ってのは、自分が人に話し掛けることが苦手というよりも、「ちゃんとコミュニケーションが取れない」という意味なんだろう。

とは言え、単に早口で饒舌に喋りまくるだけなら、まだマシだ。
それだけでなく、オスカーはイライラすると他人の家の呼び鈴を何度も連続で押したり、応答が無いと罵倒したり、工場を荒らしたりする。自分の行動を謝罪することもないし、親切にされて感謝することも無い。
本当ならば、そこは「アスペルガー症候群だから仕方が無い」と受け入れるべきなんだろう。
でも、そもそも「アスペルガー症候群はどんな病気で、どんな症状があるのか」ということが全く説明されていないんだよな。

世の中で、アスペルガー症候群について詳しい知識がある人なんて、決して多くはないだろう。
だから本作品の観客の中でも、「どう見てもオスカーはアスペルガー症候群だ。その患者はこういう言動を取るので、良く理解できる」と穏やかに受け入れてくれる人は、そう多くは無いと思うのだ。
これが例えば、アスペルガー症候群を抱えている少年の扱いに苦労する周囲の人物がメインであれば、もっと受け入れやすかっただろうと思う。
しかしアスペルガー症候群を抱えている本人の視点で、本人がモノローグを語りながら進行していく作りになっているため、ちょっと厳しいことになっている。

ただし実をいうと、個人的には「アスペルガー症候群のオスカーが不愉快」ってのが一番の問題ではないと思っている。
それよりも私が引っ掛かるのは、「そもそもオスカーがアスペルガー症候群という設定の必要性ってあるのか?」ということだ。
この映画、そこの設定を外して、「同時多発テロで父を亡くした少年がショックから立ち直れずにいたが、鍵を見つけて鍵穴を見つけるための冒険に出る」という内容だったとしても、筋書きとしては大して変わらない。
いや、全く変わらないんじゃないか。

この映画において、「オスカーがアスペルガー症候群を患っている」という設定は、何のプラスをもたらしているのかが良く分からない。
前述したように、むしろ「少なくない観客に不快感を与えてしまう」というマイナスの作用だけはハッキリと感じられる。
だが、果たしてメリットはどこにあるのか。
最後まで観賞しても、それが見えて来なかった。むしろ、その設定が無い方が良かったんじゃないかと。

(観賞日:2014年8月13日)


2012年度 HIHOはくさいアワード:7位

 

*ポンコツ映画愛護協会