『もしも昨日が選べたら』:2006、アメリカ

建築士のマイケル・ニューマンは、妻のドナ、息子のベン、娘のサマンサという4人家族である。マイケルの家には多くのリモコンがあり、朝からテレビを付けようとした彼は間違ってシーリング・ファンを回したり車庫を開けたりしてしまう。ベンは彼に、隣に住むケヴィン・・オドイルは1つで全ての機械を操作できる万能リモコンを使っていることを教えた。ニューマン家の庭には、作り掛けのツリーハウスがある。サマンサから完成時期を問われたマイケルは、「やりたいけど仕事が忙しいんだ。待っててくれ」と釈明した。
マイケルはドナから「今日は水泳大会よ」と言われ、「見に行くよ」と告げて建設会社のエイマー社に向かう。渋滞に巻き込まれた彼は、会議に遅刻した。社長のエイマーは、顧客であるアラブのハビブー王子と話していた。マイケルが会議室に飛び込むと、エイマーは設計コンセプトを説明するよう指示した。レストランの模型を見せて説明を始めると、ハビブーはバーを大きくするよう要求した。彼の要望を聞き入れると全く別物になってしまうが、エイマーは機嫌を取るために「私が検討します」と告げた。
エイマーはマイケルに、日本のワツヒダ社が56丁目の駐車場をホテルにしたいと考えていることを明かした。設計を任されたマイケルは、喜んで承諾した。しかし「連休が終わったら始めます」と言うと、エイマーは急ぎの仕事であることを告げる。夕方にはハビブーの接待があることを聞かされたマイケルは、水泳大会の観戦をキャンセルせざるを得なかった。マイケルがプールに到着すると、ベンはゴールしたところだった。マイケルは泳ぎを称賛するが、ベンは来たばかりだと知っていた。
夜、マイケルは父のテッド、母のトルーディーも含めた6人で過ごしている時も、エイミーから仕事の電話を受けていた。マイケルは帰宅してドナと2人になると、仕事が入ってキャンプの予定をキャンセルせざるを得なくなったことをが明かした。「いつも家庭は後回しね」と責められたマイケルは、「憧れの生活のために働いているんだ」と反論した。テレビを付けようとしたマイケルは間違ってラジコンヘリを動かしてしまい、激しい苛立ちを示した。
万能リモコンを購入しようと決めたマイケルは、夜中に車で家を飛び出した。閉まっている店が多かったが、寝具と風呂用品の店が開いていた。店の奥に「その他」という区画を発見したマイケルは、ドアを開けて中に入った。すると工房のような場所にモーティーという男がいたので、マイケルは「万能リモコンは無いかな。ややこしい生活が少しは楽になる」と告げる。するとモーティーは「どうやら善人のようだ。入荷したばかりの最先端リモコンを紹介しよう。まだ市場にも出ていない」と述べた。
モーティーは巨大倉庫にマイケルを案内し、リモコンを見せた。説明書の有無についてマイケルが尋ねると、彼は「必要ない。目標物に当てれば、それでいい」と告げる。マイケルが値段を訊くと、「無料であげるよ」とモーティーは言う。「話が上手すぎる」と不信感を抱くマイケルに、彼は「善人には、いいことがあるべきだ」と述べた。モーティーは「返品は不可だ」と言い、リモコンを渡した。
帰宅したマイケルが万能リモコンをテレビに向けてスイッチを押すと、電源が付いた。そこへドナが来て、「子供たちに話した。キャンプは我慢するそうよ。代わりに、お泊り会がしたいって」と言う。「仕事を頑張って出世しても、もっと忙しくなるだけじゃないの?」と彼女に問い掛けられたマイケルは、「待てよ」とリモコンでテレビを一時停止し、「重役クラスになったら、仕事を部下に任せて家族と楽しく暮らすよ」と告げる。その間、ドナの体も一時停止していたが、マイケルは気付かなかった。
夜中に設計の仕事を始めたマイケルは、飼い犬の鳴き声が騒がしいので腹を立てる。リモコンを向けて「音量を下げろ」と怒鳴ると、本当に犬の鳴き声がミュートした。リモコンの音量調整を上げると、鳴き声が大きくなった。犬を庭に出したマイケルは「巻きでやれ」と言い、試しに早送りボタンを押してみた。すると飼い犬の動きが早送りされたので、マイケルは驚いた。慌てたマイケルがボタンを押すと、犬の動きは元に戻った。
翌朝、目を覚ましたマイケルがダイニングへ行くと、ドナの友人ジャニーンが来ていた。「昨夜はゴメン、愛してる」とマイケルがドナにキスをすると、ジャニーンは羨ましがった。マイケルはバツ3の彼女が夫の兄弟を浮気を繰り返していたことを指摘し、嫌味っぽい態度を取った。ジャニーンが喚き散らすので、マイケルはリモコンで声を消した。マイケルはドッキリ番組だと確信し、モーティーの元へ赴いた。モーティーが「万能リモコンだから全てを操作できる」と説明しても、マイケルは相手にしなかった。
モーティーに促されたマイケルがメニューのボタンを押すと、周囲の景色が消えてコンピューターの中に入り込んだような状態になった。「人生メニューだ」と告げたモーティーは、マイケルにボタンを押させた。すると先週火曜日のマイケルの行動が写し出され、ナレーターが解説を入れた。メイキングのチャンネルを選ぶと、両親がマイケルを作るために励んでいる様子が写し出された。早送りボタンを押すと、マイケル誕生のシーンになった。
「時間と場所をイメージすれば過去を追体験できる」と理解したマイケルは、両親とキャンプに出掛けた少年時代を表示させた。彼は他の子供たちをテントに誘ったが、全員がRVへテレビを見に行ってしまった。元の倉庫に戻ると、モーティーは取り扱いに注意するよう忠告した。出社したマイケルは、エイマーから「私は保養地に行く。ホテルの件は頼むぞ」と告げられる。同行するはずだったデニースが断酒リハビリで旅行に行けなくなったと知ったマイケルは、エイマーにジャニーンを連れて行くよう勧めた。
帰宅したマイケルは、トルーディーが夕食に来ることをドナから聞かされた。「模型の仕上げがある」とマイケルは困惑する。その日はお泊まり会だったため、サマンサの友人たちが遊びに来ていた。サマンサたちに水鉄砲で攻撃され、マイケルはウンザリした表情になる。リモコンでチャプターを飛ばせると気付いた彼は、夜中まで時間を進めた。「10分だけ子供たちを見てくれない?」とドナに頼まれた彼は、「仕事がある」と拒否する。ドナに責められたマイケルは、またリモコンを使って時間を進めた。
マイケルがベッドのドナに言い争いを詫びると、セックスを求められる。時間を掛けてムードを作るよう求められたマイケルは、リモコンでセックスを早送りした。マイケルはドナに「夕食の時、明日は一緒に買い物しようと言ってた」と告げられるが、チャプターを飛ばしたので記憶に無い。彼は「そうだった。もちろん行くよ」と話を合わせ、寝室を出る。モーティーに電話を掛けると、直後に彼は家へ来る。マイケルが外に出て事情を説明すると、モーティーは「君は自動操縦になっていたんだ」と告げた。モーティーは夕食のシーンへ巻き戻し、食事を取る別のマイケルを指し示して「体はあるが心は無い。君の代わりに面倒を引き受けてくれる」と解説した。
風邪をひいていたマイケルは、治るまで早送りした。週末の仕事が全て完了しているのを知り、マイケルは喜んだ。彼は面倒なシャワーや着替えを早送りし、渋滞を早送りし、会社に赴いた。エイマーのセクハラ講座が退屈なので、マイケルは彼の体付きをリモコンで操作して楽しんだ。その夜、マイケルはエイマーと共に、ワツヒダ社の面々と会食する。席を外した彼らが密談している会話の音量を上げて英語に変換したマイケルは、彼らが設計プランも接待も快く思われていないことを知った。
マイケルは席に戻って来た彼らに対し、今のプランを撤回すると宣言した。そして彼らの希望に合うような別のプランを説明し、契約を勝ち取った。大喜びで帰宅したマイケルは、買って来た自転車を子供たちにプレゼントした。彼はドナにも、欲しがっていたバッグをプレゼントした。マイケルが昇進したことを明かすと、ドナは興奮して抱き付いた。しかし翌朝、マイケルはエイマーから「建設プランが完成して資金が入ったらパートナーだ」と言われてしまう。
昇進が決まったと思い込んでいたマイケルは、愕然とした。「建設プランの完成に数ヶ月は掛かる」と抗議すると、エイマーは「だったら着手しろ」と軽く言う。マイケルはエイマーの動きを一時停止し、平手打ちを浴びせた。マイケルはモーティーの元へ行き、建設プラン完成の2月後まで人生を先送りする考えを明かした。「君の人生をどうしようと勝手だが、その行動がもたらす影響を考えたか?」と忠告され、マイケルだが不満を抱きつつも「分かった、やめるよ」と告げる。
帰宅したマイケルは、建設プランの作成作業に取り掛かる。子供たちがデザインした家の絵を持って来ると、マイケルは邪険に扱った。ドナに責められてもマイケルは反省せず、それどころかベンに苛立ちをぶつけた。昇進がダメになったと知ったドナが慰めても、マイケルの苛立ちは全く消えなかった。ドナは子供たちに、自転車を返さなければいけなくなったと説明した。その会話を耳にしたマイケルは耐えられなくなり、リモコンを使って昇進後まで人生を早送りした。
昇進パーティーで祝福されたマイケルは、それが1年後であることを知った。マイケルの助手だったアリスは激務に疲れて経理に異動し、性転換していた。自動操縦のマイケルが家族に無関心だったことから、ドナはバーグマンというカウンセラーに診てもらっていた。困惑の続くマイケルだが、リモコンが勝手に動いて人生がどんどん早送りされてしまう。学習機能のあるリモコンは、今までマイケルが早送りした出来事を勝手に省略するようになっていたのだ…。

監督はフランク・コラチ、脚本はスティーヴ・コーレン&マーク・オキーフ、製作はアダム・サンドラー&ジャック・ジャラプト&ニール・H・モリッツ&スティーヴ・コーレン&マーク・オキーフ、製作総指揮はバリー・ベルナルディー&ティム・ハーリヒー、共同製作はタニア・ランドー&ケヴィン・グラディー、製作協力はエイミー・キーン、撮影はディーン・セムラー、編集はジェフ・ガーソン、美術はペリー・アンデリン・ブレイク、衣装はエレン・ラッター、特殊メイクアップ効果はリック・ベイカー、音楽はルパート・グレッグソン=ウィリアムズ、音楽監修はマイケル・ディルベック&ブルックス・アーサー。
出演はアダム・サンドラー、ケイト・ベッキンセイル、クリストファー・ウォーケン、ヘンリー・ウィンクラー、デヴィッド・ハッセルホフ、ジュリー・カヴナー、ジェニファー・クーリッジ、ショーン・アスティン、ジェイク・ホフマン、ソフィー・モンク、レイチェル・ドラッチ、ジョセフ・キャスタノン、ケイティー・キャシディー、テイタム・マッキャン、ジョナ・ヒル、ロレイン・ニコルソン、キャメロン・モナハン、ミシェル・ロンバルド、ジャナ・クレイマー、ニック・スウォードソン、シド・ギャニス、マイケル・ヤマ、ミオ、エイジ・イノウエ、トシ・トダ他。


『ウェディング・シンガー』『ウォーターボーイ』のフランク・コラチが監督を務めた作品。
脚本は『ブルース・オールマイティ』のスティーヴ・コーレン&マーク・オキーフ。
マイケルをアダム・サンドラー、ドナをケイト・ベッキンセイル、モーティーをクリストファー・ウォーケン、テッドをヘンリー・ウィンクラー、エイマーをデヴィッド・ハッセルホフ、トルーディーをジュリー・カヴナー、ジャニーンをジェニファー・クーリッジ、水泳コーチのビルをショーン・アスティン、17歳のベンをジョナ・ヒルが演じている。
アンクレジットだが、渋滞中に歌うドライバー役でテリー・クルーズ、ハビブー役でロブ・シュナイダーが出演しており、リモコンのナレーターをジェームズ・アール・ジョーンズが担当している。

キャンプのキャンセルを明かしたところでドナに責められたり、「仕事を頑張って出世しても、もっと忙しくなるだけじゃないの?」と いう問い掛けから口論に発展したりと、その辺りで夫婦の争いが描かれるが、そのタイミングが少し遅いように思える。
もう最初に登場した段階で、「マイケルが仕事優先で家族を後回しにしているので、ドナとの口論が絶えず、夫婦仲は悪化している」ってのを描写してしまった方がいいんじゃないか。
でも、それどころか、口論の翌朝には簡単に仲直りするんだよな。
結局、家族との関係描写が甘いので、リモコンの必要性が弱くなってしまうのだ。

モーティーと出会うシーンは、ちょっと中途半端。
寝具と風呂用品の店に「その他」という部屋があるとか、「超その他」という倉庫があるとか、モーティーの佇まいなどで、「普通じゃない、何か不可思議なことが起きている」ってのは伝わってくる。
ただ、それならば、もっと強く「そこはファンジーの世界に突入しています」ってのをアピールした方がいいんじゃないかと思う。
あるいは、まるで逆方向に、そこも現実と地続きのように見せながら実はファンタジーに突入している、という味付けをするか。
基本的には前者でいいと思うけど、もっと大げさにやっちゃっていいと思う。

リモコンを貰った翌朝、マイケルはジャニーンを扱き下ろして嫌味っぽい態度を取る。以前からそういう態度だったのかと思ったが、ドナの「どうしたの?あんな態度を取って」という言葉からすると、どうやら普段のマイケルとは違っていたらしい。
その後、ケヴィンの自慢するアイボを車で壊しても平気な顔をしているので、「リモコンを貰ったことで性格に変化が生じた」という設定なのかと思ったら、そうじゃないんだよな。
だったら、ジャニーンに対する態度にドナが「どうしたの?」と尋ねるのは、邪魔で間違ったミスリードだ。
それと、確かにジャニーンは好感度の高い女じゃないが、それにしてもマイケルの態度は失礼が過ぎる。ケヴィンへの態度も、確かに彼は不愉快なガキだが、アイボを壊すのは行き過ぎだよ。
そういうのは笑えない。単純に、マイケルの好感度を下げているだけだ。

「人生の早送りや巻き戻しが可能になるリモコン」というアイデア自体は面白そうなのだが、ディティールの部分で引っ掛かりを覚える。
他人にリモコンを合わせた時は対象物の動きだけが変化するのに、人生メニューを使った場合は「もう1人の自分」が登場し、感情の無いコピーロボットのように身代わりを担当するという設定に、強い違和感を覚えるのだ。
あんまり細かいことを気にしちゃいけない類の映画なのかもしれんけど、それは整合性が取れていないんじゃないかと。

ジャニーンの声を消した時、隣にいるドナには、どうやら彼女の声は聞こえている様子だ。違うボタンを押すと大リーグ中継の別画面が表示されるが、それもドナは気付いていない様子だ。
つまり、リモコン操作の結果は、マイケルだけが見えたり体感するモノということになる。
しかし、消音に関してはともかく、早送りや巻き戻しに関しては、どうなるんだろうか。劇中で時間の早送りや巻き戻しが行われる時は、現場にいた人間が時間を操作される相手だけだったので、そこが良く分からない。
もしも誰か1人を早送りした場合、隣にいる人間は気付くんだろうか。気付かないとしたら、どういう理屈なのかサッパリ分からなくなってしまう。

エイマーの体格や言語の変化が見えているのはマイケルだけってのも、これまた整合性がおかしくなっちゃってる気がするんだよね。
セクハラ講座の時は、大勢の社員が参加しているのだ。
それなのに、肉体や言語の変化がマイケルにしか見えていないってことは、それは「実際には起きていない現象」ってことになっちゃうんじゃないかと。
ただ単に、マイケルの脳内だけで起きている現象ってことになるんじゃないかと。

「他人の動きも自分の人生も操作できる」「人生の早送りも、過去への追体験も可能」「対象物の体格や言語を変更させることも可能」など、色んな機能がリモコンには備わっているのだが、ちょっと欲張り過ぎという印象を受ける。万能リモコンの様々な機能を見せなきゃいけないので、話が散らばっている上に、なかなか先へ進まないのだ。
本来なら、リモコンの機能説明はチャッチャと済ませて、それを使ってマイケルが仕事を成功させて人生を謳歌する喜劇と、その中で家族の大切さを知るドラマを厚くすべきじゃないかと。
ところが、リモコンの機能説明に時間を使うだけでは飽き足らず、やたらと小ネタを入れることで、さらに時間を使ってしまう。
別に小ネタがダメというわけじゃなくて、そういうトコロで笑いを取りに行くのは構わないけど、そのせいで肝心の本筋が全く先へ進まないどころか、「そもそも本作品のメインストーリーは何なのか」と思ってしまうぐらい中核部分が痩せ細っているのは本末転倒じゃないかと。
エイマーのセクハラ講座でマイケルが彼の体を太くしたりチビにしたりするとか、喋る言語を変えるとか、そんなの要らんよ。

なかなか話が先に進まないなあと思っていたら、マイケルがワツヒダ社との契約を勝ち取るエピソードになる。
「マイケルがリモコンを使って仕事を成功させる」というエピソードは、その1つだけだ。そこまでのリモコン利用シーンは全て、ストーリー進行に大きな影響を与えない小ネタと言ってしまってもいい。
で、その契約があって、すぐに「マイケルが昇進後まで人生を早送りする」という展開になり、すぐに「リモコンが暴走する」という内容に入って行く。
リモコンの暴走が開始されると、今度は「どんどんマイケルと周囲が変化していく」というところの慌ただしい喜劇に気を取られ、どうにも薄っぺらい印象が否めない。

結局、そういうところも含めて、やはり欲張り過ぎたせいだと思うのだ。
「学習機能を持つリモコンが勝手に人生を早送りしてしまう」というのを描くなら、そこに重点を置いてしまった方がいい。
前半の内からリモコンの暴走を開始させて、どんどん人生が勝手に早送りされる中で、1つ1つのエピソードに費やす時間を少し多めに取って、その中で家族ドラマを充実させれば良かったんじゃないかと。
この映画だと、最終的にマイケルが「家族は大切」という答えにソフト・ランディングするために、終盤になってから急いで遅れを取り戻そうとしている感じがするんだよな。

ハリウッド映画では「仕事を優先して家庭を疎かにしていた主人公が、家族の大切さに気付く」というプロットは何度となく使われており、手垢の付いた話ではあるのだが、だからと言って「新鮮味が無いから使うべきじゃない」とは思わない。
ベタベタな物語になることは避けられないが、普遍的なテーマを含有しているわけだから、それ自体は悪くない。
骨格部分は共通していても枝葉の部分で差別化を図ることは出来るだろうし、細かい部分まで丁寧に描写すれば、オーソドックスであっても質の高い仕上がりにすることは可能だ。
しかし本作品の場合、使い古された素材を、ものすごく雑に扱い、雑に調理している。

まず根本的な問題として、「マイケルが仕事優先で家庭を疎かにしている」という描写が全く足りていない。
冒頭シーンは、それをアピールするために使うべきだろうに、ちっともアピールできていない。むしろ、仕事で疲れているだろうに、子供たちが来たら相手をしている。子供たちも父に笑顔を見せており、まるで不満を抱いている様子は無い。
会社では急ぎの仕事を任されて連休をキャンセルしたり、接待が入って水泳大会の観戦を諦めたりしているが、いずれの場合もマイケルは、最初は家族との約束を守ろうとしている。社長からの圧力があって、仕方なく仕事を優先しているだけだ。
本人が「仕事のためなら家庭なんて後回し」という考えの持ち主だったり、仕事に没頭したら家族との約束なんて忘れてしまう性格だったりするわけではない。

つまり、序盤における「マイケルはワーカリック」という描写は、不足しているというレベルではなくて、そもそも描写の方向を間違えていると感じるのだ。マイケルは仕事優先の男ではなく、会社のせいで仕事優先を余儀なくされているだけなのだ。
ひょっとすると、彼に言い訳を与えるために、あえて「仕事優先なのは本人の意思ではない」という設定にしたのかもしれない。
しかし、この映画は「仕事優先だったマイケルが家庭の大切さに気付く」という話なんだから、そんな配慮は邪魔なだけなのだ。
本人の中に家族への思いがあり、出来ることなら家族との時間を大切にしたいという気持ちがあるのなら、リモコンなんて無くても、近い内に過ちに気付いて生活を変えるんじゃないかと思ってしまう。

ザックリと言うならば、これは『クリスマス・キャロル』+『ドラえもん』である。
そう書くだけで、何となくオチが分かる人もいるだろう。
で、『クリスマス・キャロル』なので、もちろん前述したように「家族の大切さに気付く」という着地にするのは当然だし、そこには何の文句も無い。
しかしマイケルの場合、前述したように、決してワーカホリックには見えない。だから、未来の彼が仕事人間で家族を全く顧みない男になっているのも、ちと違和感がある。
そして、もっと違和感があるのは、この映画の内容で「仕事ばかりじゃダメ、家族を大切にね」という着地に持って行くことだ。
少なくとも現在のマイケルは、そこまで酷い仕事中毒ってわけではないのだ。
この映画の答えに着地したければ、マイケルを「社長の命令で仕事を優先せざるを得なくなる」というキャラではなく、「自らの意思で仕事を優先する」というキャラにしておくべきだろう。

(観賞日:2014年12月23日)

 

*ポンコツ映画愛護協会