『燃える昆虫軍団』:1975、アメリカ

生物学教授のジェームズ・パーミターは、妻のキャリーを教会まで車で送り届けた。キャリーが教会に入ると、カーン牧師が信者たちに美徳の危機を訴えていた。キャリーは友人であるヘンリー・タッカーに、夫が仕事なので帰りは送ってほしいと頼んだ。ヘンリーは彼女に、次男のケニーが迎えに来るので一緒に帰ろうと告げた。カーンが信仰の大切さを説いている最中に激しい揺れが起き、物が落ちて壁には大きな亀裂が入った。揺れが収まった後、キャリーはジェームズに電話を掛けようとするが、繋がらなかった。
車で父を迎えに来たケニーは、畑に地割れが入ったことを知らせた。ヘンリーはケニーと共に、車で教会を後にした。タッカー家の長男であるトムと長女のノーマは、畑の深い地割れを見つめていた。トムは足元にいる数匹の虫に気付き、地割れに蹴り落とした。ヘンリーたちは家の近くまで戻るが、車が停まってしまった。プラグが濡れたのだと考えたヘンリーがエンジンを掛けようとすると、いきなり車が爆発した。爆音で車に気付いたトムとノーマの眼前で、ヘンリーとケニーは死亡した。炎上する車の近くにも、やはり数匹の虫がいた。
ノーマと交際しているジェラルド・メトボームは、家に彼女がいないので心配になって農場へ向かう。その途中、彼はノーマを乗せたトムの車が停まっているのを発見した。トムは「送って行く途中で故障した」と説明し、ノーマは泣きながらジェラルドに父とケニーの死を明かした。ノーマが「農場へ連れてって」懇願するので、ジェラルドは彼女とトムを自分の車に乗せた。3人が去った後、放置された車のマフラーから虫が這い出した。その直後、トムの車は爆発して炎上した。
トムは停電している家にランプを灯し、ジェラルドは傷心のノーマを寝かし付けた。ジェラルドは懐中電灯を手に取り、地割れを見に行く。虫を見つけたジェラルドは手に取るが、高熱を帯びたので慌てて離した。虫の群れは猫を襲って焼き殺し、ジェラルドの周囲にある木々を炎上させた。翌日、ジェラルドは大学へ行き、講義を終えたジェームズに発火する昆虫を見たことを話す。ジェームズは信じなかったが、ジェラルドは証拠として持参した猫の死骸を見せた。
ジェームズはジェラルドと共にタッカー農場へ赴き、耐熱手袋を使って発火する昆虫を採集した。昆虫を観察した彼は、すぐに発火する仕組みを理解した。あちこちで火事が発生する中、ジェームズは市長に原因が昆虫であることを伝えようとする。しかし彼が役所に電話を掛けても、全く取り合ってもらえなかった。ジェームズは友人のマーク・ロスと共に、発火昆虫を分析する。昆虫は炭素を食料としており、それを代謝する特殊な細菌を保有していた。外骨格は鋼鉄のように硬く、駆虫剤や抗生物質は効かない。ただし内臓は空っぽで、繁殖能力は無かった。脚があるのに走らずに這うだけで、飛行能力も無いため、ジェームズは昆虫の移動方法について疑問を抱いた。
大学から戻ったジェームズは、キャリーとマークの妻であるシルヴィアがタッカー家の葬儀へ向かうのを見送った。しばらくして窓の修理業者であるチャーリーが訪れ、車で妙な音がしていることをジェームズに教えた。車庫へ赴いたジェームズは、数匹の昆虫がエンジンルームで発火しているのを発見した。チャーリーを家の外へ出したジェームズは、新聞紙を丸めて火を付けた。それを近付けると、昆虫は新聞紙に移動した。マフラーから出てくる虫を見たジェームスは、「これが移動法か」と呟いた。彼は昆虫を瓶に集めるが、一匹だけ残っていることに気付かなかった。
葬儀を終えた夜、トムはジェラルドに手伝ってもらい、引っ越しの荷作りをする。電話が掛かって来たのでノーマは受話器を取るが、そこに張り付いていた昆虫が右耳に移動した。昆虫はノーマの耳で発火し、悲鳴を聞いたジェラルドとトムが駆け付けた。トムは病院に電話を掛け、ジェラルドは新聞紙を使って昆虫を移動させた。病院に担ぎ込まれたノーマは手術を受けるが、トムはジェラルドに「聴力の回復は難しそうだ」と告げた。
ジェームズは寝る間も惜しみ、発火昆虫の研究に没頭した。彼は深夜にロスの元へ行き、「動きが鈍く、繁殖もしない理由が分かった。奴らは潜水病なんだ高い山にでも連れて行けば、気圧の高さですぐに爆発する。外骨格は丈夫だが、編み針の先で突いたら破裂した」と説明した。彼は興奮した様子で、「断言してもいい。これは地上最古の昆虫だ」と語る。「繁殖方法さえ見つかれば」と彼が口にしたので、マークは「奴らは繁殖しないはずだろ。全滅するんだ。もう終わりだよ」と告げた。
ジェームズは発火昆虫の繁殖を諦めず、物理学専攻のジェラルドに小型の圧力タンクを作るよう要請した。一方、帰宅したキャリーは電話を受けてシルヴィアと話し、車庫に置いてあったケーキの箱を見つけた。底に昆虫が張り付いているのに気付かず、彼女は箱を持って書斎から台所へ移動した。昆虫はキャリーの背中から髪へ移り、そこで発火して彼女を焼死させた。タッカー農場に引っ越したジェームズは圧力タンクを使って発火昆虫の生殖機能を回復させ、ゴキブリと交尾させて新種を誕生させた。その新種は今までの昆虫よりも強い発火能力と組織で行動する知能を有し、肉食へと変貌していた…。

監督はヤノット・シュワルツ、原作はトーマス・ペイジ、脚本はウィリアム・キャッスル&トーマス・ペイジ、製作はウィリアム・キャッスル、撮影はマイケル・ヒューゴ、昆虫シーン撮影はケン・ミドルハム、編集はアラン・ジェイコブス、美術はジャック・マーティン・スミス、特殊効果はフィル・コーリー、音楽はチャールズ・フォックス。
出演はブラッドフォード・ディルマン、ジョアンナ・マイルズ、パトリシア・マコーマック、リチャード・ギリランド、ジェイミー・スミス・ジャクソン、アラン・ファッジ、ジェシー・ヴィント、ブレンダン・ディロン、フレッド・ダウンズ、ジェームズ・グリーン、ジム・ポイナー、サム・ジャーヴィス、バード・スティーヴンス他。


『地獄へつゞく部屋』や『ティングラー/背すじに潜む恐怖』、『13ゴースト』などを監督して「ギミック映画の帝王」と称されるウィリアム・キャッスルが、最後に製作した作品。既に監督業からは遠のいていたので、これが遺作ということになる。
監督を務めたのはTV作品『刑事コロンボ/毒のある花』のヤノット・シュワルツで、劇場映画のメガホンは本作品が初めて。
トーマス・ペイジの小説『The Hephaestus Plague』が原作で、原作者とウィリアム・キャッスルが共同で脚本を執筆している。
ジェームズをブラッドフォード・ディルマン、キャリーをジョアンナ・マイルズ、シルヴィアをパトリシア・マコーマック、ジェラルドをリチャード・ギリランド、ノーマをジェイミー・スミス・ジャクソン、マークをアラン・ファッジ、トムをジェシー・ヴィントが演じている。
ブラッドフォード・ディルマンは1959年の『強迫/ロープ殺人事件』でオーソン・ウェルズ&ディーン・ストックウェルと共に男優賞を受賞し、その後は『レマゲン鉄橋』のバーンズ少佐や『新・猿の惑星』のディクソン博士を演じた人。パトリシア・マコーマックは子役時代に出演した1956年の『悪い種子(たね)』でアカデミー賞助演女優賞候補になった人だ。

前述したようにウィリアム・キャッスルはギミック映画の帝王の異名を持つ人だが、この映画では何のギミックも使っていない。
ただし、当初は映画館の座席にブラシを仕掛けて観客の足を擦り、昆虫が動いているように思わせるというギミックを考えていたらしい。
しかし映画館主に承諾してもらえず、アイデアは没になってしまった。
実現していれば、ギミック王のウィリアム・キャッスルが最後の映画でもギミックを使っていたことになるので、ちょっと残念ではあるね。

当時の特撮技術だと、CGで昆虫を描くことは出来ない。ストップモーション・アニメーションを使うとカクカクした動きになるし、そもそも群れを描くことは現実的に不可能だ。
作り物を用意するにしても、生きているように動かすことは難しい。操演で対応するには小さすぎるし、やはり数の問題もある。
で、この映画では、本物の昆虫を使っている。
っていうか、たぶんウィリアム・キャッスルは最初から、ストップモーション・アニメや作り物を使うといった選択肢を全く頭に思い描いていなかっただろう。

ともかく実際の昆虫を使って撮影しているわけだが、選んだ種類が、よりによってゴキブリときたもんだ。
その結果として、本来なら観客が抱くべき感情が飛んでしまい、まるで別の感情が発生するという現象が起きた。
回りくどい表現をしてしまったが、ようするに本来なら「昆虫の群れが人々を襲う」という部分に恐怖を感じなきゃいけないんだけど、そんなことより「気持ち悪い」という感情が圧倒的に強くなってしまうのだ。
だってゴキブリの群れがアップで写るんだぜ。そりゃ気持ち悪いでしょ。

ヘンリーはキャリーに「息子が迎えに来るから一緒に帰ろう。同じ方向だ」と言っていたのに、彼女を置き去りにして教会を去ってしまう。
たぶん「地震が起きて冷静さを失ってしまい、すっかり約束を忘れてしまった」と解釈すべきなんだろう。
でも、まるで説明も無いもんだから、「キャリーは置いてっちゃうのかよ」とツッコミを入れてほしいのかと思ってしまう。
その直後にヘンリーが死んでしまうので、後から「あの時はパニックになって約束を忘れてしまった」と釈明するフォローを入れることも出来なくなっちゃうし。

慌てた様子で帰宅したジェラルドはノーマの名を呼び、屋内を捜し回る。それから電話が繋がらないことに気付くと、すぐに車で農場へと向かう。
ってことは、ジェラルドはノーマと同棲していると解釈せざるを得ない。単純に交際しているだけなら、ジェラルドが自分の家へ帰宅して彼女を捜すってのは筋が通らないからね。
だけど、その前のシーンでノーマはタッカー家の畑にいるんだよな。
あと、その当時の田舎町で、まだ結婚していない娘が恋人と同棲するかね。そして、それを父親が許すかね。

そういうことを考えると、むしろ同棲中と解釈する方が不可解だ。
とどのつまり、「ジェラルドがノーマを心配して農場へ向かう」という手順を踏む際に、「慌てて帰宅したジェラルドがノーマの名を呼んで捜し回る」というシーンを用意したのが間違いなのだ。彼が車で農場へ向かう様子を描き、ノーマを見つけて「地震が起きて心配だったから様子を見に来た」ってなことでも言わせれば、それで2人の関係も状況も説明が付くんだよな。
ところが、そこで変な手順を踏んだだけに留まらず、さらに「ジェラルドが車で農場へ向かう途中、車の故障で立ち往生しているトムとノーマに遭遇する。ノーマから頼まれたジェラルドが、彼女とトムを農場まで送り届ける」という意味不明な展開まで用意してしまう。
えっと、農場へ戻るんだったら、もう「ジェラルドが農場に到着し、トムとノーマから事情説明を受ける」という手順でいいはずだよね。わざわざトムとノーマをジェラルドの元へ向かわせて、途中で遭遇するという手順を踏む必要って皆無だよね。

そもそもノーマは泣きながら「パパとケニーが死んだのに私は何もしてあげられなかった。あそこへ連れてって。助けてあげなくちゃ」と言っているわけで。
つまり農場を離れたくなかったはずなんだよね。
だったら、なんでトムの車でジェラルドの家へ向かっていたのかワケが分からない。
まあ、それを言い出したら、「今さら農場へ戻ったところで、既にヘンリーとケニーは死んでいるから助けられないぞ」というのも気になるけどさ。

その後に「マフラーから虫が這い出し、放置されたトムの車が炎上する」というシーンがあるので、それを描きたかったんだろうとは思うけど、逆算が下手すぎるわ。
っていうか、その描写って別に無くても一向に構わないし。
だってさ、その前に「ヘンリーの車が爆発し、その近くに虫がいる」という描写があるわけで、ほとんど似たようなシーンになっちゃってるでしょ。
そりゃあ、ヘンリーたちのケースと比べると、マフラーから虫が這い出しているから、さらに「爆発は虫の仕業」ってのを確信させるような描写ではあるけれど、そんなに効果があるとは思えないよ。

猫が虫に焼き殺されるシーンやジェラルドが死骸を見せるシーンでは、本物の猫を殺害している。
いやあ、今だったら絶対にアウトでしょ。なんせクロージング・クレジットで「本物の動物は使用していません」とか、「動物の虐待は行っていません」と注釈を付けるぐらい、その手の団体からの抗議を心配しなきゃいけない時代になってるからね。
っていうか、たぶん当時としても、モラルのある映画人だったら避けるような演出だと思うよ。
幾ら特撮技術が稚拙だったとか、低予算だという事情があるにせよ、本物の猫を殺しちゃイカンわ。

ジェラルドが虫の発火現象に驚いた後、シーンが切り替わると翌日になり、ジェームズが大学で講義している。
でも、その前日に町では激しい地震が発生し、キャリーは彼と連絡を取ろうとしても電話が繋がらなかったんだよね。それなのに、なんでジェームズはまるで何事も無かったかのように、普通に大学で講義をしているのか。
まさか前夜に帰宅しなかったわけでもあるまいに。
「帰宅したジェームズが妻と話して云々」みたいな手順をスッ飛ばすのは、完全に手落ちだわ。

しかも、ジェラルドとの会話シーンによると、ジェームズは農場が震源地だったことも知っている。
ってことは、ヘンリーとケニーの死も知っているはず。ヘンリーとは友人のはずなのに、彼が死んだことに対する反応も全く無いんだよな。
それと、そりゃあ事故として処理されるのは分かり切っているんだけど、車の爆発でヘンリーとケニーが死亡した後、保安官や警官が絡んでくることが全く無いのも手落ちに感じてしまうぞ。
トムとノーマは、どこにも連絡しなかったのか。

ジェームズは最初に素手で昆虫を捕まえるが、熱を帯びたので慌てて手袋を装着する。で、手袋で捕まえた昆虫は、なぜか発火しようとしない。
耐熱手袋であろうが燃やすことは可能なはずなのに、なんで燃やそうとしないのか分からない。
っていうか、そもそも車を燃やすシーンばかりがフィーチャーされているのが良く分からん。
その後に「あちこちで火災が起きる」という描写が入る時は建物が燃やされているわけで、なんで車ばかりなのかと。

発火昆虫をジェームズが認識し、マークと共に分析を開始した時点で、もう繁殖能力が無いことは明らかになっている。
つまり、最初に「発火昆虫のせいで幾つもの火災が発生しているから大変だ」と危機を訴えている時点で、「でも繁殖能力が無いので放っておけば死に絶える」ってことが分かっているのだ。
だから、躍起になって撃滅に乗り出さなくても、しばらく時間が経てば解決する問題ってことも分かっているわけで。
なんで一方で危機感を煽っておいて、一方で安心を与えるような設定を用意しちゃうかね。

タッカー家の葬儀に赴くキャリー&シルヴィアと2人を見送るジェームズは、みんな笑顔で明るい様子だ。友人と息子が死去したのに、これっぽっちも沈痛な様子が無い。
なんで悼む気持ちが皆無なのか分からない。葬儀のシーンではキャリーが泣いているけど、「さっきは笑ってたじゃねえかむと言いたくなる。
その夜、ノーマが受話器を取ると昆虫が張り付くが、まるで「昆虫が電話を鳴らしてノーマを襲撃した」みたいな感じになっているのは引っ掛かる。実際にそうだとしたら、それはそれで違和感がある。そのタイミングが電話が鳴ったとしたら、それはそれで都合が良すぎる。
あと、ジェラルドは燃やした新聞紙で昆虫を回収するけど、それってジェームズが直前のシーンで編み出した方法なのに、なんでアンタも同じ方法を取ることが出来るのか。

キャリーが死んだ後、なぜかジェームズは農場に引っ越している。
「研究するには地割れの近くに多くの昆虫が生息する農場の方が適しているから」と解釈できないことも無いが、何の説明も無いので事情は不明だ。
まあ裏事情としては、終盤に「新種たちが地割れに卵鞘を落とし飛行能力のあるゴキブリを大量発生させ、そいつらに襲われたジェームズが火だるまで地割れに落下する」という展開があるので、それに備えた引っ越しってことだ。
その展開を成立させるためには、地割れの近くにジェームズがいなきゃダメなのでね。

途中でキャリーが妻が発火昆虫の犠牲になるので、そこからの展開としては、「ジムが強い復讐心を抱き、発火昆虫を全滅させる方法の研究に狂人の如く没頭する」という形にするるのが分かりやすいし、共感も出来るはずだ。
ところが困ったことに、発火昆虫は「繁殖能力が無いので放置しておけば全滅する」という設定なのだ。
ってことは、復讐心を燃やそうにも、燃やすことが出来ない連中なのだ。
ただし、だからと言って「ジムが発火昆虫の繁殖に全力を注ぐ」ってのは、どう考えたってキテレツな展開だ。

でも、そもそもジムは妻が死ぬ前から、そういう研究に没頭しているのだ。最初は「人間を襲う恐ろしい新種の昆虫がいる」ってことに気付き、人々に警告しようという考えだったはずなのに、いつの間にか「こいつを繁殖させたい」という気持ちに変化しているのだ。
何がどうなったら、そんな風に気持ちが変化するのかはサッパリ分からないけど、ともかくジムはヤバい奴になっている。
で、そんな研究に没頭する中で妻が死亡して、「妻を殺した連中だから、やっぱり繁殖させずに全滅させよう」という考えに変化することはなく、むしろジェームズの中で繁殖への情念が強くなってしまう。
妻が死んで自暴自棄になった彼は、「彼女が死んだのは僕のせいだ。絶対に奴らのことを忘れないぞ。生きている限り」と怒りの感情を示しているのに、なぜか繁殖させちゃうんだよな。
どういうことかサッパリ分からん。「生かすことで怒りを忘れないようにしたい」ってことなのか。

ジェームズの動かし方に相当の無理は感じるものの、ともかく本作品は途中でヘンテコなルート変更を行う。昆虫パニック・ホラー物として始まったはずなのに、途中でマッド・サイエンティスト物へと舵を切ってしまうのだ。
そうなると畏怖の対象も、昆虫からイカれた科学者へと移ってしまう。
間違った舵の切り方をしたことで、この船は座礁してしまった。
なんで「昆虫の恐怖」に徹底しなかったのか、なんで繁殖能力が無い設定にしちゃったのか、理解に苦しむわ。

その後、ジェームズの生み出した新種のゴキブリが、形式上は恐怖の対象としての地位を奪還する。
だけど、あくまでも形式上であり、実質的には恐怖の対象が失われる。恐怖の対象は、ようやく「ワシが間違っとった」と気付いたボンクラなジェームズから新種ゴキブリに移らず、消滅してしまうのだ。
その理由は簡単で、新種を「人文字ならぬゴキ文字を書く」という能力まで持つように変貌させちゃったことにある。
そんな知能をゴキブリが持っても、怖くないどころか、むしろマヌケっぽくなっちゃうのよ。
知能を持たせることが悪いってことじゃなくて、なんで文字なんて書かせちっゃたのかってことよ。

(観賞日:2015年6月17日)

 

*ポンコツ映画愛護協会