『ポップスター』:2018、アメリカ
セレステは1986年にアメリカで生まれ、幼い頃に目立った才能は無かった。しかし何か持っていると気付く先生や同級生はいた。
[1999年 前兆]
カレンという男子高校生がセレステたちの教室に現れ、教師のステファニー・ドワイヤを射殺した。彼は生徒たちに、後ろへ移動するよう要求した。カレンが外の車に仕掛けておいた爆弾が爆発すると、セレステは「もうやめて」と説得を試みる。「大勢殺したから、もう引き返せない」とカレンが言うと、彼女は「私が残るから、みんなを解放して」と頼む。「何をするんだ?」とカレンは質問し、セレステが「祈りましょう」と答えると銃弾を浴びせた。特殊部隊が突入すると、教室には大勢の遺体が転がっていた。 [第1幕 創世記 2000年−2001年]
セレステは脊髄損傷の大怪我を負うが死なずに済み、リハビリを開始した。事件の日に病気で学校を休んだ姉のエリーは、泣いて詫びた。彼女は「生きていてくれてありがとう。もう二度と離れない」と言い、病室でも付き添った。セレステは父に頼んでキーボードへ病室へ運んでもらい、姉に弾いてもらって作曲する。事件の追悼集会が開かれ、クリフ神父は「犯人を赦すことで、犠牲者は来世において悲しみと怒りから解放される」と説いた。故人の思い出を語ることになっていたセレステは、エリーにキーボードを弾いてもらってオリジナル曲『Wrapped up』を歌唱した。
セレステの歌は全米から注目を浴び、テレビで見た男がマネージャーになった。マネージャーの助言でセレステは少しだけ歌詞を変え、大手レコード会社が契約の話を持ち掛けた。セレステとエリーはマネージャーに伴われ、レコード会社へ赴いた。セレステはアルバムをレコーティングし、広報担当のジョジーはインストア・イベントから始めることを説明した。マネージャーは「売れなくても保証は無い」というジョジーの発言に不快感を抱くが、セレステは受け入れた。
セレステはジョジーが用意した振付師の元へ行き、ダンスのレッスンを受けた。エリーから「大ヒットしたら?」と訊かれたセレステは、「有り得ないし、大ヒットしても生活は変えない」と答える。マネージャーはラジオ局で2曲が100位以内に入ったことを伝え、「充分だ。しばらく休んでストックホルムへ行く。必ずヒットさせるプロデューサーと仕事をする」と語る。セレステたちはスウェーデンへ飛び、プロデューサーと共に新しいアルバムを製作した。セレステは楽しく仕事をするが、アルバムは後に酷評を浴びた。
アメリカへ戻ったセレステは、ミュージック・ビデオ撮影のためにロサンゼルスへ向かった。彼女はミュージシャンに口説かれ、肉体関係を持った。セレステはミュージシャンと話した後、エリーの部屋へ赴いた。部屋に入ると、エリーはマネージャーと寝ていた。セレステはエリーを起こし、「ママに電話しなきゃ。ニューヨークのビルに飛行機が突っ込んだ」と告げた。彼女は疎外感を覚え、この日をきっかけに姉妹の道は離れた。 [第2幕 復活]
セレステは音楽界の頂点に立ち、31歳を迎えていた。ツアーを回っていた彼女は公演の日、マネージャーからクロアチアでテロリスト集団による銃撃事件があったことを知らされた。14名が死亡した事件で、犯人はセレステのミュージックビデオ『ホログラム』のマスクを着用していた。マネージャーは4時から記者会見を開くと決め、声明文を作るためにジョジーを呼んだ。ジョジーはセレステに、情報が少ないから公演は中止しないと告げた。
14歳になる娘のアルビーがエリーと共に滞在先のホテルへ来たので、セレステはランチに連れ出した。彼女は外で待っていたパパラッチの質問に答えず、近くのレストランにアルビーと入った。「なぜエリーを避けるの?」と娘に問われた彼女は、「避けてない。貴方といたいだけ」と返す。アルビーが「なぜ私たちを置いてツアーに?」と質問すると、セレステは「大勢を雇ってるからよ」と答えた。「エリーはママが避けてるって。エリーの夢を手に入れて、何が不満なの?」とアルビーが言うと、セレステは「人生は公平じゃない。エリーは独自の観点が無いから私を妬むことにしたの」と語った。
セレステが「ダンに振られた」と嘆くと、アルビーは「記事で見たわ」と告げる。「失恋じゃない。お互いに離れたの」とセレステが言うと、彼女は「彼が金持ち女とデキてるって」と口にする。セレステが「私は聞いてない。軽い浮気よ」と喋っていると、店長が来て写真を頼む。セレステは「取り込み中なの」と断るが、店長が粘るので腹を立てて罵った。セレステは店長と口論になり、アルビーを連れて店を出た。アルビーが不機嫌になると、彼女は「良くあることよ。自分を守らなくちゃ」と述べた。「ママが心配なの」とアルビーが言うと、セレステは「大丈夫、しっかりしてるわ」と返した。
2011年に、セレステはツアー中に酔っ払って左目の視力を失った。家庭用アルコール洗剤や様々なメチルアルコールを接種した結果であり、説明が恥ずかしくて医者には行かなかった。ツアーから戻った彼女は交通事故を起こし、歩行者の左脚と骨盤を折った。人種差別的な言葉を相手に浴びせたこともあり、セレステは世間から非難を浴びて多額の和解金を支払った。セレステの6枚目のアルバム記念ツアーの直前、アルビーは処女を失った。彼女は早く母に伝え、ショックを与えようと考えたる男関係に厳しかったセレステが母性本能を取り戻し、相談相手になることを期待したからだ。
ホテルに戻ったセレステはエリーの元へ乗り込み、「アルビーに妊娠検査させてる」と声を荒らげた。厳しく批判されたエリーは、「彼がいることは知ったけど、そんな関係とは知らなかった」と弁明する。セレステは姉を口汚く罵倒し、「もしアルビーが妊娠したら、窓から突き落とす。貴方たちに散々尽くして来たのに」と言う。エリーが「尽くしてきた?私を傷付け、恥をかかせた。私は人生を貴方に捧げてきた。また私を脅したら、子育ても曲作りも私がしたと暴露する」と反撃すると、セレステは落ち着き払った態度で「それぐらいじゃ誰も騒がないわ」と言い放つ。セレステは記者会見に臨み、ジョジーに指示された通りに「世界中の暴力の犠牲者に追悼を捧げます」と語る。記者からは様々な質問が飛んだが、セレステは情報が少ないことを理由に上手くかわした。曖昧な発言を続けていたセレステだが、出し抜けに「私には30発の銃弾より多くのヒット曲があると叫んだ…。監督はブラディー・コーベット、原案はブラディー・コーベット&モナ・ファストヴォールド、脚本はブラディー・コーベット、製作はアンドリュー・ローレン&D・J・グッゲンハイム&ミシェル・リトヴァク&スヴェトラーナ・メトキナ&デヴィッド・リトヴァク&ブライアン・ヤング&ゲイリー・マイケル・ウォルターズ&ロバート・サレルノ&クリスティーン・ヴェにイコン&ダヴィド・イノホサ、製作総指揮はジョシュア・ソーン&マーク・ギレスピー&ロン・カーティス&ナタリー・ポートマン&ジュード・ロウ&SIA、共同製作はカサンドラ・クルクンディス&ジョン・オークス&リサ・ザンブリ&アーロン・ヒメル、撮影はロル・クロウリー、美術はサム・リセンコ、編集はマシュー・ハンナム、衣装はケリ・ランガーマン、音楽はスコット・ウォーカー、オリジナル・ソングはSIA。
出演はナタリー・ポートマン、ジュード・ロウ、ステイシー・マーティン、ジェニファー・イーリー、ラフィー・キャシディー、クリストファー・アボット、ローガン・ライリー・ブルナー、マリア・ディッツィア、メグ・ギブソン、ダニエル・ロンドン、サール・ガウジャー、マイケル・リチャードソン、マット・セルヴィット、レスリー・シルヴァ、アリソン・ウィン、マックス・ボーン、ニキ・ブロワー、フレッド・ヘッチンガー、サーシャ・エデン、デジャイ・ローステンヘベルグ、アントニオ・オーティス、エンジェル・ディルマス、ベン・レゼンデス、クリストファー・ホワイト他。
ナレーターはウィレム・デフォー。
2016年の『シークレット・オブ・モンスター』でヴェネツィア国際映画祭オリゾンティー部門の監督賞と初長編作品賞を受賞した俳優のブラディー・コーベットが、次に監督&脚本を手掛けた長編映画。
セレステをナタリー・ポートマン、マネージャーをジュード・ロウ、エリーをステイシー・マーティン、ジョジーをジェニファー・イーリー、若い頃のセレステ&アルビーをラフィー・キャシディーが演じている。
ナレーターをウィレム・デフォーが担当している。[1999年 前兆]の冒頭で、深夜の街を走る車が映し出される。運転していた人物が下車した後、カットが替わると歩く姿が映し出される。薄暗くて顔が分かりにくいが、これがカレンだ。[第1幕]に入ると、カレンがクリスマス3週間前に祖父母を殺し、遺体と暮らしていたことが明かされる。
たぶん[前兆]のシーンは、カレンが祖父母を殺した直後か、あるいは学校の事件を起こす前夜なんだろう。
でも、それを描いている意味は全く無い。むしろ変に意味ありげな分、余計な雑音になっている。
中途半端にカレンを掘り下げる必要は無い。こいつは何の個性も無い記号みたいな存在でいいのよ。冒頭のナレーションでセレステを紹介する時に、「両親はレーガニズムの負け組」「ラテン的な名前によって、進むべき道」などと語る。
セレステがスウェーデンに行くシーンでは、「スウェーデンを経済学者は産業クラスターと呼ぶ」「1940年代、アメリカの堕落した音楽から若者を守るため、教会の指導者と文化の保守派が結集した」などとナレーションが入る。
ステェーデンのプロデューサーについては、「自分を無神論者と思っていたが、姉妹の神や音楽や自分への献身を見て心を揺さぶられた」などと説明する。
でも、これも全く必要性を感じない。
実際、後の展開には全く繋がらない説明なのだ。セレステは「事件のことは思い出すのも嫌。だからポップ・ミュージックが好き。深く考えないで済む」と語る。
だけど、そもそも彼女は事件に関連して作った歌で注目を浴び、メジャーデビューしているわけで。事件を利用して有名になったことに対しては、何の罪悪感も抱いていないのかと。
どうやら、そういう感情は全く抱いていないらしい。
でも、それを全く気にしないのなら、「乱射事件の被害者で、その追悼集会がきっかけで有名になっていく」という設定の意味が死んでないか。ブラディー・コーベット監督や製作総指揮にも参加したナタリー・ポートマンたちは、「乱射事件で生き延びた女性がポップスターになるがアルコールや薬物に溺れ、復活を目指している中でテロ事件が起きて」というアイデアで企画を進めたらしい。
でも「だから何なのか」としか思えない。
セレステが乱射事件を体験した少女時代と、スターになってからの話が、まるで繋がっていないのだ。
そこが何より重要なはずなのに、雑に片付けられているのだ。乱射事件がきっかけで注目を浴びたセレステだが、その後の人生には何の影響も与えていない。
セレステがエリーとの関係が悪化したのも、若くしてシングルマザーになったのも、娘との関係が上手く行っていないのも、乱射事件とは何の関係も無いのだ。少女パートを全てカットしても、第2幕の話は成立してしまうのだ。
クロアチアで事件が起きても、セレステが少女時代の乱射事件と重ね合わせて苦しむことは無い。
犯人グループがMVのマスクを着用していたからマスコミに追及され、それで精神的に苦しむだけだ。この映画は、なぜか大事なことをナレーションだけで済ませようとする。
追悼集会でのセレステの歌が注目を浴びたのも、スウェーデンのプロデューサーが手掛けたアルバムが酷評を浴びたのも、セレステとエリーの関係が悪化したのも、ナレーションで処理される。セレステがアルコールのせいで左目を失明したのも、アルビーが処女喪失をセレステに打ち明けたのも、セレステが記者会見の途中で叫ぶのも、全てナレーションだけで片付けられる。
そういう演出が何度も用意されているんだから、もちろん意図的にやっているんだろう。
だけど、どういう意図なのかはサッパリ分からない。少なくとも、プラスの効果は何も得られていない。最後の10分ぐらいをコンサートのシーンに使っているのは、もちろんクライマックスとして盛り上げるための趣向だ。しかし、引き付ける力が弱い。
まず、「セレステが苦難を乗り越えた」とか「トラウマを断ち切った」という流れが皆無なので、ステージで歌い踊るセレステの姿で感動させるための要素が足りていない。
そしてシンプルにパフォーマンスだけを見ても、やはり魅力に欠ける。
それはステージそのものよりも、見せ方の問題が大きい。
そこは音楽映画におけるパフォーマンス部分として演出してもいいはずなんだけど、「あくまでも映画の1シーン」ってことで、客観的な映像になっているんだよね。(観賞日:2021年11月8日)