『ベリー・バッド・ウェディング』:1998、アメリカ

カイルは、結婚式に強い憧れを抱くローラと結婚することになった。式を数日後に控えたカイルは、仲間と共にラスベガスへ行ってバチェラー・パーティーを開くことにした。仲間とは、幹事を務めるボイド、マイケル、マイケルの兄アダム、そしてムーアの4人だ。
ラスベガスに到着したカイル達は、ホテルの部屋に娼婦のティナを呼んだ。5人はティナのストリップを観賞し、マイケルは浴室で彼女とセックスを始めた。ところが、興奮したマイケルがティナを壁に押し付けた際、彼女は突起物に頭をぶつけて死んでしまう。
突然の出来事に動揺するカイル達だが、ボイドが死体を砂漠に埋めてしまおうと言い出した。そこにホテルの警備員が現れて死体を発見しため、5人はボイドが先導する形で彼を殺してしまう。カイル達は、2人の死体をバラバラにして砂漠に埋めた。
アダムは情緒不安定になり、マイケルは車で激突して彼を死なせてしまう。ロイスが不審を抱いたため、ボイドは家に侵入して彼女を殺害した。さらにボイドはマイケルを呼び付けて殺害し、マイケルがロイスを殺した後に自殺したように見せ掛ける。
カイルはローラに式を延期しようと言い出し、真相を告白する。だが、ローラは殺人事件を知っても、結婚式を絶対に行うと宣言する。式の当日、カイルはトイレでボイドと争いになる。だが、そこにローラが現れ、ボイドを殴り殺して結婚式を続行する…。

監督&脚本はピーター・バーグ、製作はマイケル・シファー&ダイアン・ナバトフ&シンディ・コーワン、製作協力はジョアンナ・ジョンソン、製作総指揮はテッド・フィールド&スコット・クルーフ&マイケル・ヘルファント&クリスチャン・スレイター、撮影はデヴィッド・ヘニングス、プロダクション・スーパーバイザーはベス・デパティー、編集はダン・レベンタル、美術はディナ・リプトン、衣装はテリー・ドレスバック、音楽はスチュワート・コープランド、音楽監修はスターリング・メレディス。
出演はクリスチャン・スレイター、キャメロン・ディアス、ダニエル・スターン、ジーン・トリプルホーン、ジョン・ファヴロー、ジェレミー・ピヴェン、リーランド・オーサー、ローレンス・ブレスマン、ジョーイ・ジマーマン、タイラー・マリンジャー、カーラ・スコット、ラッセル・B・マッケンジー、マリリン・マッキンタイヤー、ボブ・バンクロフト、バーン・ピヴェン他。


俳優出身のピーター・バーグがメガホンを執り、クリスチャン・スレイターが製作総指揮に携わった作品。ピーター・バーグは自身が出演していたTVシリーズ『シカゴ・ホープ』で脚本と演出を既に経験していたが、映画の脚本と監督は今作品が初めて。
ボイドをクリスチャン・スレイター、ローラをキャメロン・ディアス、アダムをダニエル・スターン、ロイスをジーン・トリプルホーン、カイルをジョン・ファヴロー、マイケルをジェレミー・ピヴェン、ムーアをリーランド・オーサーが演じている。

話の滑り出しだけを見ると、ローラとカイルの恋愛(結婚)コメディー、もしくはバチェラー・パーティーを題材にしたドタバタ・コメディーが予想される。しかし、最初の見た目と食べた時の味は全く違う。これは、かなり悪趣味なブラック・コメディーを狙った作品だ。
「ブラック・コメディー」と書かずに「ブラック・コメディーを狙った作品」と書いたのは、結果的にはブラック・コメディーに成り切れていないからだ。殺人や死体隠蔽などをニヤニヤしながら笑えればいいのだが、残念ながら笑いは全く無いと言っていい。

まず、殺人という大きな出来事が起きるまでは、ブラックな匂いは全く無い。殺人が起きるシーンから陽気だった連中の本性が露になり、その醜悪な人間性を笑いにしようという狙いなのだろう。だが、まず殺人シーンからして、普通にシリアスなシーンとして提示されている。登場人物の態度や行動も、シリアスなサスペンスとしてのモノにしか見えない。
演出にも、笑いのために誇張しようとか、ギャグにしてしまおうとか、そういう意図は感じられない。マヌケな死に方、マヌケな死体の転がり方にもなっていない。死体が転がる浴室のシーンにしても、ただ残酷なだけ。シリアスな殺人や隠蔽工作なのに、なぜかノリノリで行動するとか、くだらないトークに花を咲かせるとか、そういうことも無い。

血で滑って死体とキスしてしまうとか、バラバラに切断した死体の腕が手からスッポ抜けて誰かの顔面に張り付くとか、そういう展開も無い。おバカなヘマをやらかしてドタバタ劇を始めるとか、そういうことも見られない。とにかく、普通にサスペンス的なノリなのだ。
つまり、自分の近くで醜悪な奴らが殺人や隠蔽工作をしている様子を見て、それをニヤニヤと笑いなさいと要求されているようなものなのだ。映画として殺人劇を笑いに転化しようと工夫するのではなく、最初から観客が悪趣味に笑う感覚を持って観賞することを要求されるのだ。
そんな都合のいい話はあるまいて。

例えばファレリー兄弟の作品であれば、面白いかどうかの判断は置いておくとして、少なくとも悪趣味なモノを笑いとして見せようとする意識は高い。しかし醜悪な奴らの醜悪なドラマをそのまんま見せられても、それは不愉快なだけだろう。
この作品、微妙に『ファーゴ』や『シンプル・プラン』に似た匂いも感じるが、それを狙っているとしても半端だろう。ずっとシリアスになってしまっているために、最後の身体障害者ネタも全く笑いにならず、ダメ押しの不快感を観客に与える可能性が高い。
なお、クレジットで2番目に来ているキャメロン・ディアスだが、ほとんどゲストのような形で出番は少ない。また、彼女の「意地でも結婚式を挙げようとする」という話は、メインの話と上手く絡んでいない。

 

*ポンコツ映画愛護協会