『Vフォー・ヴェンデッタ』:2005、アメリカ&イギリス&ドイツ

1605年、ガイ・フォークスはウェストミンスター宮殿内にある議事堂の爆破計画で実行役を担った。しかし計画は露呈し、フォークスは逮捕された。大勢の民衆に混じって恋人が見つめる中、彼は絞首刑に処された。時は過ぎ、近未来のイギリス。TV司会者のルイス・プロセロは没落したアメリカ合衆国を厳しく口撃し、神を冒涜したからだと言う。彼は視聴者に対し、移民も異教徒も同性愛者も全て排除されるべきであり、忠誠心によって団結するのだと訴えた。
独裁国家となったイギリスでは、治安維持を目的に夜間の外出禁止令が出されている。外へ出たイヴィーは秘密警察の男たちに見つかり、凌辱されそうになる。そこへガイ・フォークスの仮面を装着したVという謎の男が出現し、男たちを殺害した。Vは自己紹介をした後、イヴィーに名前を尋ねた。「イヴィー」という名前を気に入った様子の彼は、「音楽家で演奏会へ行く途中だ。一緒に行かないか。その後で家まで送ろう」と持ち掛けた。
Vは建物の屋上にイヴィーを連れて行き、中央刑事裁判所が見えることを確認させる。彼はイヴィーに、日付が変わってフォークスの火薬陰謀事件が起きた11月5日になったことを告げる。そして彼は講釈を語った後、裁判所を爆破して花火を打ち上げた。独裁者のアダム・サトラー議長は秘密警察のクリーディーやテレビ局のダスコム局長たちを招集し、報告を受けると共に対策を講じさせる。サトラーは彼らに、テレビを通じて裁判所は危険なので解体したと喋らせるよう命じた。
街に設置されている監視カメラには、Vとイヴィーの姿が録画されていた。サトラーは秘密警察の面々に、テロリストを捕まえて報いを思い知らせてやれと述べた。フィンチ警視とドミニク警部はイヴィーの身許を割り出し、部屋に乗り込んだ。イヴィーは外出していたが、フィンチたちはテレビ局のBTNに勤務していることを知った。イヴィーが「3番ステージ」と書かれた荷物を運ぶと、中身はフォークスの仮面だった。フィンチとドミニクは、イヴィーが12歳の時に活動家だった両親が捕まっていること、矯正施設に収容されていたことを知った。フィンチは「クリーディーに消される前に捕まえたい」とドミニクに言い、もっと人手が必要だと考えた。
Vはテレビ局に乗り込み、警備員のフレッドを脅して荷物をスタジオまで運ばせる。フィンチたちは警官隊を率いてテレビ局に到着し、イヴィーを見つけて捕まえようとする。イヴィーは慌てて逃げ出し、身を隠す。Vはテレビ局の人間を脅し、自分の映像を流させた。彼は視聴者に演説し、11月5日の記憶を思い出して立ち上がろうと訴えた。フィンチたちがスタジオに乗り込むと、Vは職員たちに仮面を装着させ、副調整室に爆弾を仕掛けて逃亡していた。
刑事の1人はテレビ局を去ろうとするVを発見し、銃を向けて制止を命じた。そこへイヴィーが現れ、刑事に催涙スプレーを浴びせた。刑事はイヴィーを殴り倒して昏倒させるが、Vに殴られて気絶した。テレビ局は放送を再開し、テロリストは警察に射殺されたと報じた。Vはイヴィーをテレビ局から連れ出し、自宅へ運び込んだ。意識を取り戻したイヴィーは、数多くの美術品が飾られている室内を見回した。Vは彼女に、放置すればクリーディーの取り調べを受けて殺されることは明らかだったので、ここへ連れ込んだと説明した。
イヴィーはVに、誰にも言わないので帰らせてほしいと頼む。しかしVは「危険は冒せない」と言い、仕事が終わる来年の11月5日までは留まってもらうと告げる。最初は激しく抗議したイヴィーだが、翌朝になると考え直して謝罪し、助けてもらった礼をVに述べた。議事堂を爆破すれば国が変わるのかとイヴィーが尋ねると、Vは「その可能性が生まれる。建物も爆破も象徴だ。しかし大勢が望めば象徴は力に変わり、建物の爆破が世界を変えることになる」と語った。
Vはシャワーを浴びているプロセロの前に現れ、彼を「司令官」と呼んだ。「私と出会った頃の、お前の肩書だ。いつも制服姿だった」という言葉で、プロセロはVの正体を悟った。フィンチはダスコムからの電話で呼び出され、プロセロの死を知った。Vはプロセロの浴室に入る際、エレベーターの認証にイヴィーのIDが使っていた。プロセロはテレビ司会者になる前、製薬会社の大株主だった。テレビではブロセロが心不全で死亡したというニュースが報じられるが、イヴィーは嘘だと気付いた。Vは「私が殺した。正義の裁きだ」と言い、さらに多くの人間を殺すと告げた。
フィンチとドミニクはプロセロの経歴を調べ、ラークヒル収容所の所長だったことを知った。彼は失敗して左遷されており、フィンチはVとイヴィーを繋ぐ糸口になるかもしれないと考える。しかし詳しい記録は見つからず、当時の責任者であるウィルソン少佐に情報提供を求めても「我々は考えられる最善の策を取っただけだ」と言うだけだった。フィンチは情報を得るため、税務署の記録を調べることにした。一方、ヴィーは身の上話をVに語り、手助け出来ることがあれば言ってほしいと持ち掛けた。するとVは「予期せぬことがあって計画が早まりそうだ」と言い、協力を依頼した。
フィンチたちは収容所に大勢の医者が勤務していたこと、一番の高級取りがリリマン司祭だったことを知った。そして主教に昇格したリリマンこそ、Vの次なる標的だった。リリマンは若い娘を餌食にすることを繰り返していたが、今回は行き違いがあって普段より年齢が高いと部下に告げられる。リリマンは部屋で待っていたイヴィーを見て、気に入った様子を示した。イヴィーはリリマンに、Vが命が狙っていると忠告した。しかしリリマンは遊びだと思い込み、イヴィーを凌辱しようとした。
Vが部屋に乗り込むと、イヴィーは「ごめんなさい、話したわ」と告げて逃走した。リリマンはVを射殺しようとするが失敗し、助命を懇願するが殺害された。フィンチとドミニクが殺害現場を検証していると、クリーディーがやって来た。彼はサトラーから直々に命令があったことを話し、今後は自分も動くことをフィンチに告げた。彼は「犯人は我々の内部を熟知している。議長は内通者がいると言っている」と語り、ラークヒルを掘り返す作業は中止するようフィンチを威嚇した。
ヴィーは信頼する上司のゴードンを訪ね、「他に行く場所が無くて」と助けを求めた。ゴードンはイヴィーを家に招き入れ、匿うことにした。イヴィーはゴードンにも危険が及ぶことを懸念するが、彼は「私の秘密は君どころじゃない」と言い、禁制品を隠し持っていることを明かした。さらに彼は同性愛者であることを告白し、「ある意味、私も隠れて生きている」と述べた。フィンチは元植物学者である検死官のデリア・サリッジに、殺害現場に置かれていた薔薇を見せる。デリアが絶命したはずのスカーレット・カーソンという品種であることを教えると、フィンチは調べてほしいと依頼した。
フィンチはドミニクから、収容所の幹部たちが1人を覗いて全滅していることを示唆られる。残る一人は収容所の閉鎖後に消息を絶っていたが、戸籍の照会によって今はデリア・サリッジを名乗っていると判明した。すぐにフィンチはデリアの家へ向かうが、電話回線は切断されていた。Vの訪問を受けたデリアは、「やったことを見て自殺も考えた。でも貴方を待ったの。最初は知らなかった。誓うわ。日記を見て」と語った。デリアは薔薇を見た時点で、Vの正体に気付いていた。
フィンチとドミニクがデリアの家に到着すると、既にVはデリアを殺害して逃走した後だった。Vは日記を現場に残しており、フィンチはサトラーに「犯人は日記を読ませようとしたようです」と報告した。サトラーはフィンチに、「日記の内容は国家治安への挑戦だ。党員幹部を中傷するものであり、国家忠誠規約にも違反する。日記の内容は、テロリストの捏造か元党員の妄想だ。内容を漏らせば、国家への反逆とみなす」と述べた。
デリアの日記に記されていたのは、収容所で実施されていたウイルスの人体実験に関する内容だった。被験者として次々に囚人が送られて来るが、その大半は早い段階で死亡した。しかし1人の男だけは、免疫システムに異常を示さなかった。血液には正体不明の異常細胞があり、それが身体能力や反射神経を強化していた。第5監房に収容されていた男が、後のVだった。しかし大爆発で医療部門が壊滅し、全身に大火傷を負ったVは収容所から逃亡したのだ。
フィンチはセント・メアリーのバイオ・テロや水道汚染について改めて新聞記事を調べ、ドミニクに「宗教組織の仕業でなかったら?」と問い掛ける。「奴らは逮捕されて自白したのに」とドミニクが言うと、「彼らは処刑されたが、もしも真実が違っていたら?セント・メアリーと水道汚染の原因が政府にあって、10万人を殺したとしても真実を知りたいか?」と尋ねた。一方、ゴードンは司会を務める番組にサトラーの偽者を登場させ、徹底的にコケにした。捕まるのではないかと心配するイヴィーに、ゴードンは「心配ないさ。謝罪して、少し寄付をすれば大丈夫だ」と告げた。
その夜、クリーディーが部下を連れて押し掛けたため、ゴードンはイヴィーに隠れるよう指示した。ゴードンは暴行を受け、秘密警察に連行された。イヴィーは窓から逃げ出そうとするが、見つかって連行された。「犯した罪は銃殺刑に値するが、チャンスをやろう。Vの身許と隠れ家を教えろ」と要求されたイヴィーだが、協力を拒んで丸刈りにされた。牢に収監された彼女は、壁の穴に差し込まれた手紙を見つけた。それは死を間近に控えたヴァレリーという同性愛者の女囚が、最期の自伝として綴った物だった。イヴィーは手紙に勇気を貰い、銃殺刑だと脅されても協力を拒んだ。するとイヴィーは解放され、全てはVの仕業だったことが明かされた…。

監督はジェームズ・マクティーグ、脚本はザ・ウォシャウスキー・ブラザーズ、原作はデヴィッド・ロイド、製作はジョエル・シルヴァー&グラント・ヒル&アンディ・ウォシャウスキー(リリー・ウォシャウスキー)&ラリー・ウォシャウスキー(ラナ・ウォシャウスキー)、製作協力はジェシカ・アラン、製作総指揮はベンジャミン・ウェイスブレン、共同製作はロベルト・マレーバ&ヘニング・モルフェンター&カール・L・ウォーケン、撮影はエイドリアン・ビドル、美術はオーウェン・パターソン、編集はマーティン・ウォルシュ、視覚効果監修はダン・グラス、衣装はサミー・シェルドン、音楽はダリオ・マリアネッリ。
主演はナタリー・ポートマン、共演はヒューゴ・ウィーヴィング、ジョン・ハート、スティーヴン・レイ、スティーヴン・フライ、ティム・ピゴット=スミス、ルパート・グレイヴス、ロジャー・アラム、ベン・マイルズ、シニード・キューザック、ナターシャ・ワイトマン、ジョン・スタンディング、エディー・マーサン、ガイ・ヘンリー、マルコム・シンクレア、イモージェン・プーツ、ビリー・クック、アンディー・ラッシュレー、タラ・ハッキング、マーティン・サヴェージ、クライヴ・アッシュボーン、コジマ・ショー、メーガン・ゲイ、ロデリック・カルヴァー他。


アラン・ムーアがストーリー、デヴィッド・ロイドが絵を担当した同名グラフィック・ノベルを基にした作品。
アラン・ムーアはあらゆる映画への協力を拒否しているため、この作品でも原作者として表記されていない。
脚本は『マトリックス』3部作のザ・ウォシャウスキー・ブラザーズ(まだ2人が性転換する前なので「兄弟」なのだ)。
『マトリックス』3部作で助監督を務めていたジェームズ・マクティーグが、この映画で監督デビューしている。
イヴィーをナタリー・ポートマン、Vをヒューゴ・ウィーヴィング、サトラーをジョン・ハート、フィンチをスティーヴン・レイ、ゴードンをスティーヴン・フライ、クリーディーをティム・ピゴット=スミス、ドミニクをルパート・グレイヴス、プロセロをロジャー・アラムが演じている。

まず最初に言いたくなるのは、「Vさん、アンタ、カッコ悪いよ」ってことだ。
ガイ・フォークスの仮面を装着した外見がカッコ悪いということではない。見た目なんて、中身がイケてりゃ幾らでもリカバリーが可能だ(裏を返せば、決してカッコ良くはないんだけどね)。
Vさんの問題は、内面がカッコ悪いってことだ。
しかも「最初に言いたくなる」と前述したけど、そのカッコ悪さを登場シーンから既に露呈しちゃってるのだ。

Vさんは助けたイヴィーに「誰なの」と問われると、まずは「誰と問うなら仮面の男と答えよう」と言う。
ここまでは、ちょっとカッコ付けて外している印象もあるが、そんなに気にならない。
ところがVさんは、「仮面の男に誰かと問うのは愚問だな」と言った後、さらに詳しくイヴィーが訊いたわけでもないのに、自ら「心地良い今宵に免じて教えよう。単なる通り名ではなく、劇中の主人公の人となりを」と告げ、芝居じみた大仰な口調で語り始めるのだ。

まるで舞台劇か何かのように、Vさんは「ご覧の姿は道化師のもの。時に弱き者を、また時には悪しき者を演じることも。仮面はただの虚飾にあらず。もはや素顔をさらして歩ける世界ではないゆえだ。しかし、この厄介者が再び姿を現したのは、世の悪を正すため、この腐った世界にうごめくウジ虫を掃除するため。そう、これは血の復讐だ。復讐の誓いは今も生きている。悪を断ち切り、自由をもたらすために」と饒舌に語り、壁にVの字を書く。
自分でも「少々長い自己紹介になったようだ」と言うけど、その通りだ。
Vさんは、自分から「俺はこういう奴なのだ」とアピールしたくてウズウズしていたってことなのだ。
彼は「要するに、簡単にVと呼んでいただけば結構だ」と言うけど、最初からそれだけでいいじゃねえか。

イヴィーは「頭がおかしいの?」と言っているが、実はその通りなのだ。
これが本作品の最も大きな欠陥で、その登場シーンで感じさせた印象が最後まで変わらず、「Vさんは頭のおかしなオッサン」としか思えないのだ。
この批評で「V」じゃなくて「Vさん」と表記しているのも意図的で、なんかマヌケっぽい感じがするので、あえて「さん」を付けているのだ。
決して敬意を表しているとか、「さんを付けろよ、デコスケ野郎」と言われるのを恐れているとか、そういうことではない。

Vさんは単なるアナーキストなので、正義のヒーローに見えないのは当然だし、それは作品の狙い通りだ。
しかし、頭のおかしなオッサンではマズいだろう。善悪二元論の善玉ではないにせよ、強烈なカリスマ性を持つリーダーとしてのポジションは確立しておかないと厳しいと思うんだよね。
でも実際は、そういうカリスマ性は全く見えない。ただの過激なキチガイでしかない。
イヴィーとの関係にしても、「ヤバいオッサンが若い娘に惚れて、すっかり入れ込んじゃった」という風にしか見えないし。

そもそも、「近未来のイギリスが独裁国家となり、庶民が苦しんでいる」ということのアピールが弱いので、国家を転覆させようとするVさんの行動に賛同する気持ちが湧かないんだよね。
冒頭でプロセロが政府のプロパガンダ的なことを喋っているのと、夜間外出禁止令と、秘密警察がイヴィーを凌辱しようとするのと、Vさんが裁判所を爆破する時点では、その3つしか独裁国家を示すための描写が無い。
その後から幾つか描写が出て来ると、「サトラー政権は卑劣で残忍」という印象は充分に伝わる。
ただし、それでも問題は残っている。
それは、「その構図が使い古されている」ってことだ。

原作における独裁国家は、当時のサッチャー政権をモデルにしていた。しかし、もちろん現在のイギリスは当時と異なる政権となっている。
全体主義が古くなったとは言わない。今でも世界を見渡せば、全体主義ってのは存在する。
同時多発テロ後のアメリカ合衆国だって、その雰囲気は少なからず感じさせた。ひょっとするとウォシャウスキーズがイメージしたのは、そこかもしれない。
ただ、やはり劇中では原作と同じく「イギリス」と設定されているわけで。
そうなると、そこに「時代が違う」「古い」という印象を抱いてしまう。

そもそも「独裁国家が国民を監視して統制している」という設定自体、映画の世界では既に使い古されたモノとなっているわけで。
原作が発表された頃は、「時代の空気をダイレクトに捉えて持ち込んだ最先端の世界観」ってことになったんだろうけど、2005年という時代においては、何度も噛みまくって味がしなくなっているようなモノであって。
じゃあ、その使い古された世界観を使って何か新しいモノを描いているのかというと、そうではないわけで。

あえて言うなら、主人公が正義のヒーローではなくアナーキズムの活動家ってのが、これまでの「独裁国家打倒を目指す映画」との大きな違いってことになるんだろう。
ただ、それは「違い」としての要素ではあるけど、「面白さ」としての要素になっているかというと疑問が残る。前述したように、Vさんがカリスマ性のあるリーダーじゃなくて、ヤバいオッサンでしかないので、牽引する力が弱いのだ。
しかも話の途中で、彼の目的が独裁国家の打倒でも何でもなく、個人的な復讐であることが判明する。
つまり、彼は大志や大義があるようなことを偉そうに演説で言っていたけど、個人的な復讐を果たすために国民を利用しようと目論んだだけなのだ。革命ってのは後付けの理由に過ぎないのだ。

もしかすると、「扇動者が不純な動機だったとしても、結果として多くの人々が反体制の熱い気持ちで立ち上がったのなら、それもOK」ということかもしれないけど、だとしても乗れないわ。
あと、アナーキズムが全面的に称賛の対象とされているのも、なんか引っ掛かるんだよなあ。それはアナーキズムが全面的に間違っているということじゃなくて、「感覚が古くないか?」と思ってしまうのよね。
もちろん原作が発表された時は古臭い感覚なんて無かったんだろうけど、何となく「いかにも1980年代」というノリを感じてしまう。
時代は繰り返すと言うけれど、「1980年代のアナーキズムが巡り巡って、21世紀に入って再び時流の波を掴んだ」という印象は無いし。

それと、映画を見る限り、「サトラーとクリーディーさえ殺せば問題解決じゃね?」と思ってしまう。
そりゃあマジなことを言い出すと、「独裁者が倒れても新たな独裁者が同じ椅子に座るだけ。国家を打倒せねば何も変わらない」ってことになるとは思うのよ。
ただ、登場する連中で、新たな独裁者として独裁国家を存続させられるような力を持つ人間がいるかというと、クリーディーぐらいしかいないので、彼とサトラーさえ始末すればOKじゃないかと思ってしまうんだよな。
国民が完全に恐怖政治で支配されているのかというと、どうやら反体制の種はあるみたいだし。

ゴードンがサトラーをコケにする番組を作リ、連行されて処刑されるのは、ただのバカにしか見えない。ゴードンは謝罪して寄付すれば大丈夫と言っていたけど、その時点で「んなわけねえだろ」と言いたくなったし。
サトラー政権のやり方を見ていれば、それがどんな結果を招くかは分かりそうなモノだろ。
「ゴードンは死を覚悟して番組を作った」ってことなら分かるけど、クリーディーたちが来ると慌てて隠れようとするし。
大体さ、イヴィーを匿っているくせに、そんな危険な行動を取ること自体、思慮深さが足りないと思うし。

ゴードンが捕まった時、イヴィーはベッドの下に隠れているんだけど、クリーディーたちが立ち去ると、なぜか窓から脱出を図る。
どう考えても、それは愚かで余計な行動だ。
クリーディーたちはイヴィーに気付かずに去ったのだから、しばらくは動かずに隠れているべきでしょうに。むしろ窓から脱出を図ったら、外に出たクリーディーたちに気付かれる可能性があるでしょ。
そんでイヴィーは捕まっているけど、「そのまま隠れておけば良かったのに」と言いたくなるぞ。

イヴィーが捕まって、過酷な拷問が待ち受けているのかと思いきや、丸刈りにされて、ちょっと水責めを受ける程度で済んでしまう。
女性ってことを考えると、性的な拷問だって充分に考えられるのに、すんげえヌルい。
で、クリーディーたちは口ばかりで実際はヌルい連中なのかと思っていたら、それは全てVさんの仕業だったことが判明する。
メチャクチャだわ。
まあ、その前から問題の多いオッサンだったけど、ただの卑劣で醜悪なオッサンじゃねえか。

Vさんは「イヴィーに恐怖を克服させるため」と監禁や拷問の理由を説明するけど、「だったら仕方が無いね」なんて思うかよ。賛同できる部分なんて微塵も無いぞ。
Vさんがイヴィーにやったことって、ようするにテロリストの狡猾なオルグじゃねえか。
だから、イヴィーがVさんに感謝して崇拝するようになっても、「ああ、ヤバい奴に洗脳されちゃったね」としか感じない。
タチの悪い自己啓発セミナーの指導者が、受講者を徹底的に罵倒して精神的に追い込んで自分を盲信させる手口を使うけど、それのもっと酷いバージョンだよ。

(観賞日:2015年9月26日)


第29回スティンカーズ最悪映画賞(2006年)

ノミネート:【最悪のヘアスタイル】部門[ナタリー・ポートマン]

 

*ポンコツ映画愛護協会