『ポゼッション』:2012、アメリカ&カナダ
女性は緊張した面持ちで、棚の上に置いてある木箱に手を伸ばした。その木箱には、ヘブライ語で言葉が記されている。不意に大きな物音がしたので、彼女は手を引っ込めた。カセットテープで音楽を流した彼女は顔を拭き、何気なく頭に手をやった。すると、何本もの頭髪がゴッソリと抜け落ちた。彼女は金槌で箱を壊そうとするが、見えない力に防がれる。その力によって彼女は吹き飛ばされ、床を激しく転げ回った。訪ねて来た息子は、倒れている女性を発見した。
大学でバスケットボール部のコーチをしているクライドは、3ヶ月前に妻のステファニーと離婚したばかりだ。元々の家にはステファニーと長女のハンナと次女のエミリーが暮らし、クライドは別に住居を構えた。娘たちは週末ごとに遊びに来ることになっており、クライドは迎えに出向く。宝石デザイナーに復帰することを決めたステファニーが作業スペースを設けたため、家はすっかり模様替えされていた。土足厳禁なのも、クライドが住んでいた頃とは違っている。
ステファニーの元には恋人である歯科医のブレットが来て、コンサートに行く予定を語る。ステファニーはクライドに、まだエミリーが野菜しか食べないのでアレルギーに注意してほしいと頼む。クライドは娘たちを車に乗せ、郊外にある新居へ初めて連れて行った。彼はステファニーの忠告を無視し、宅配ピザを注文した。ハンナはクライドに、エミリーが今も両親はヨリを戻すと信じていることを語った。クライドが「それぞれの道を選ぶことにしたんだ」と説明すると、途端にエミリーは暗い表情へと変わった。「妹が傷付くようなことを言っちゃダメだ」とクライドに注意されたハンナは、「私のせいなの?パパは最低」と批判した。
翌朝、クライドは娘たちを連れて、ガレージセールへ赴いた。エミリーは木箱を見つけ、すっかり魅了された。彼女に「これが欲しい」と言われたクライドは、深く考えずに買ってやった。通り過ぎる看護婦が気になったエミリーは、彼女の入った家の窓に目をやった。すると包帯姿の女性がベッドからエミリーに気付き、体を起こして「いけない」と叫んだ。看護婦が慌てて彼女を制し、エミリーは怖くなって立ち去った。
帰宅したクライドはエミリーに頼まれ、箱を開けようとする。だが、どこにも継ぎ目が無く、開けることが出来なかった。「作った人が開けてもらいたくなかったんだろう」と彼はエミリーに説明するが、箱を振ると何かが入っている音がした。クライドは友人のトレヴァーから電話を受け、外に出る。ノースカロライナ大学のコーチに就任してほしいという依頼に、クライドは喜んだ。深夜、エミリーは箱が気になり、自力で開けようとする。すると簡単に蓋が開き、中に入っていた古い指輪や木彫りの犬、抜けた歯などを発見した。
翌朝、ハンナの悲鳴を耳にしたクライドが部屋へ行くと、彼女は「蛾がいた。何とかして」と叫ぶ。クライドがベッドで蛾を叩き潰すと、ハンナは「追い払ってって言ったのに。最悪」と腹を立てた。ダンスの練習を始めたハンナは、エミリーの様子が気になって声を掛ける。するとエミリーは、「変な感じなの。私じゃないみたい」と口にした。クライドは娘たちをステファニーの元へ連れて行くが、ピザを食べさせたことがバレて非難される。ブレットが料理を作っているのを見たクライドが「ここに引っ越してくるつもりか。我が物顔で」と不快感を示すと、ステファニーは「いてほしい時に彼はいてくれる」と責めた。
クライドの家に戻ったエミリーとハンナは、ダイニングに不審者がいる気配を感じた。警戒しながら調べたクライドは、猫用のドアが開閉するのを見て「アライグマが入り込んだんだろう」と笑った。クライドは工具を使い、猫用のドアを封鎖した。深夜、エミリーは木箱の蓋が開くのを目撃し、「エミリー」という声を耳にした。翌朝、朝食を用意したクライドが呼びに行ってもエミリーは返事をせず、蓋の開いた木箱を見つめていた。
朝食の時、エミリーがフォークで食事を突き刺して機械的に口へ運ぶ様子を見たクライドは、「やめなさい」と注意した。するとエミリーはクライドの手をフォークで突き刺し、悲鳴で我に返って謝罪した。その夜、木箱から大量の蛾が発生し、部屋の中を飛び回る。彼女は全く気にせずに座っていたが、クライドが気付いて外へ連れ出した。クライドは害虫駆除業者を呼ぶが、エミリーは何があったのか全く知らない様子だった。
エミリーはクライドに、「箱には近付かないで。あの箱に触っていいのは私だけなの」と告げた。気になったクライドは箱を開けて中を調べるが、特に異常は見当たらなかった。エミリーは学校へも木箱を持って行くが、同級生の男子が好奇心から開けようとする。エミリーはヒステリックな態度で「返して」と喚き、殴り掛かって担任教師のシャンディーに制止された。校長はクライドとステファニーを学校へ呼び、数週間前からエミリーの様子が変だったことを語った。校長は2人に、しばらく箱を預かることを告げた。
ステファニーはクライドにノースカロライナ大からコーチ就任の話が来ていることを知り、「どうせ出世が一番なんでしょ」と非難した。その夜、木箱を調べようとしていたシャンディーは怪奇現象に襲われ、窓から転落して死亡した。翌朝、学校は休みになったが、エミリーはクライドの前でシャンディーの死を全く悲しんでいない様子を見せる。彼女はクライドに、「箱を取って来てくれる?」と言う。なぜ箱が大事なのかとクライドが尋ねると、彼女は「分かんない。ただ大事」と答えた。
クライドが「時々、箱と話してるな」と訊くと、エミリーは「箱じゃない。箱の中に住んでる友達と話してる。女の人」と述べた。「彼女は何を話してる?」というクライドの質問に、エミリーは「私は特別だって」と言う。「友達に会わせてくれないか」とクライドが言うと、「それは無理。誰も会えない。私でも会えない」と彼女は述べた。クライドは箱を家から離れた場所に捨て、「箱のことは忘れなさい」とエミリーに告げた。
エミリーはクライドを罵倒し、ハンナが見ている前で彼に平手打ちをされたように偽装した。彼女は家を飛び出し、箱を見つけ出した。彼女は見えない何かと会話を交わし、気絶して倒れた。クライドはエミリーを発見し、ステファニーの元へ運んだ。クライドはエミリーに暴力を振るったと誤解され、裁判所から一時的な接近禁止命令を出された。クライドはマクマニス教授に箱を見せ、それが何なのか尋ねる。マクマニスは刻まれたヘブライ語を読み、悪魔を封じた箱だと告げた。ただし彼は、あくまでも持ち主であるユダヤ人が「悪魔を封じることの出来る箱」と信じていたと解釈しているだけであり、本当に悪魔が封じられているとは思っていなかった。
クライドは悪魔について調べ、ステファニーが外出したのを見計らってエミリーの元へ行く。クライドはベッドにいるエミリーの枕元に座り、聖書を読み始める。すると見えない力によって、聖書が吹き飛ばされた。悪魔憑きを確信した彼は、エミリーに向かって「お前は誰だ?俺の娘をどうするつもりだ」と問い掛ける。そこへハンナの連絡を受けたステファニーが戻り、彼を追い払った。クライドはユダヤ教のラビたちと会い、エミリーの悪魔祓いを依頼する。ラビたちは危険を恐れて断るが、ザデックという男が引き受けてくれた…。監督はオーレ・ボールネダル、原案はレスリー・ゴールドスタイン、脚本はジュリエット・スノードン&スタイルズ・ホワイト、製作はサム・ライミ&ロバート・タパート&J・R・ヤング、共同製作はケリー・コノップ&スティーヴン・サスコ、製作総指揮はスタン・ワートリーブ&ピーター・シュレッセル&ジョン・サッキ&ネイサン・カヘイン&ジョー・ドレイク&マイケル・パセオネック&ニコール・ブラウン、撮影はダン・ローストセン、美術はレイチェル・オトゥール、編集はエリック・L・ビーソン&アンダース・ヴィラドセン、衣装はカーラ・ヘットランド、音楽はアントン・サンコー、音楽監修はリンダ・コーエン。
出演はジェフリー・ディーン・モーガン、キーラ・セジウィック、マディソン・ダヴェンポート、ナターシャ・カリス、グラント・ショウ、マティスヤフ、ロブ・ラベル、ナナ・グベウォニョ、アンナ・ヘイゲン、ブレンダ・M・クリックロウ、ジェイ・ブラゾー、アイリス・クイン、グレーム・ダフィー、デヴィッド・ホーヴァン、クリス・シールズ、アダム・ヤング、ジム・ソーバーン、クイン・ロード、ニメット・カンジ、ジェームズ・オサリヴァン、マリリン・ノリー、アーミン・チャイム・コーンフェルド他。
サム・ライミのゴースト・ハウス・ピクチャーズが製作した映画。
監督は『モルグ』のオーレ・ボールネダル。
脚本は『ブギーマン』『ノウイング』のジュリエット・スノードン&スタイルズ・ホワイト。
クライドをジェフリー・ディーン・モーガン、ステファニーをキーラ・セジウィック、ハンナをマディソン・ダヴェンポート、エミリーをナターシャ・カリス、ブレットをグラント・ショウ、ザデックをマティスヤフが演じている。劇中に登場する「The Dibbuk Box(ディビュークの箱)」は、この映画のために考え出されたアイテムではない。
そもそも本作品は、サム・ライミが2004年のロサンゼルス・タイムズに掲載された記事を見たことから着想されている。
ガレッジセールで箱を手に入れた収集家が怪奇現象に見舞われ、オークションサイトのEbayに出品した。箱を落札した大学生も怪奇現象に見舞われ、またオークションに出した。それを落札した博物館の館長も、やはり怪奇現象に見舞われた。
そんなことが、記事には書かれていたらしい。「少女が悪魔に憑依され、エクソシストが悪魔祓いをする」というプロットから、『エクソシスト』を連想する人は少なくないだろう。
その『エクソシスト』以降、悪魔憑きを題材とする映画は何本も作られていない。
だから本作品は、もはや二番煎じや二匹目のドジョウというレベルではない。
ただし、使い古されたモチーフであっても、切り口を変えたり新しい要素を取り込んだりすれば、古めかしさが解消される可能性は充分に考えられる。モチーフそのものは、必ずしも今までに無いモノに固執する必要は無い。だから、この映画が抱えている問題は(もう問題を抱えていることは早々と断言しちゃうけど)、もはや何度も擦られているネタを使っていることではなく、脚本や演出に何の新しさも無いってことだ。
土台の部分が使い古されたネタであっても、どこかに意外性や新鮮味があれば、そこが突破口になることは考えられる。しかし最初から最後まで、「どこかで見たことがある」という既視感から全く逃れることが出来ていない。
こちらの予想を覆すような展開は何も無いし、悪魔憑きに対する新しいアプローチを試みているわけでもない。使い古されたネタを、使い古された手法で描いているだけだ。
良くも悪くもクソ真面目に悪魔祓いを描いているんだけど、そうなると「出来の悪い『エクソシスト』の亜流」でしかないわけで。
しかも、細部に行き渡るまで丁寧な演出を施したり、人物描写を厚くしたり、人間ドラマに深みを与えたりして、高品質な仕上がりにしているわけでもない。むしろ使い古されたネタを劣化させている。サム・ライミはJホラーに強い関心を抱いて『THE JUON/呪怨』を清水崇監督に任せた人だから、いわゆるハリウッド的なホラーではなく、「ジワジワと心理的に追い詰める恐怖」ってのを狙っていたのかもしれない。
しかし残念ながら、そういうモノも感じられない。
だから、単に恐怖が薄いだけのホラー映画になっている。
ホラー映画で怖さが薄いって、そりゃ致命的でしょ。ホラー・コメディーならともかく、そうじゃないんだから。では残虐描写に力が入っているのかというと、そこも凡庸。悪魔憑きの表現も、かなり地味でケレン味が乏しい。
実は『エクソシスト』って、かなりケレン味のある内容だったのよ。それと比べると、著しく劣っている。
ナターシャ・カリスはそれなりに頑張っているけど、『エクソシスト』のリンダ・ブレアが放ったインパクトを考えると、そこには全く太刀打ち出来ていない。
そもそも後発作品というだけでハンデがあるわけで、それなのに元祖より遥かに地味な仕上がりにするって、どういうつもりなのかと。話の内容を考えれば、家族はクライドとステファニー、エミリーの3人で事足りる。そこにハンナとブレットの2人を登場させるのなら、それなりに有効な使い方をすべきだろう。
しかし実際には、あまり有効活用されているとは言い難い。ブレットは終盤になって「悪魔憑きのエミリーに歯を全て抜かれる」というシーンがあるけど、それぐらいしか使われていない。
しかも、彼は憎まれ役だったわけで、そんな奴が悪魔の攻撃を受けると、その攻撃に恐怖を感じるべきなのに微妙に爽快感が生じたりするわけで。そこで中途半端に、そんな要素を入れるのは得策とは言えない。悪魔の攻撃を受ける人間は、何の非も無い哀れな被害者であるべきだ。
ハンナに関しても、あまり存在意義があるとは言い難い。悪魔の攻撃対象になるとか、妹を救うために自己犠牲を払うとかも無いし。
っていうか、そもそも離婚して夫婦関係が不仲とか、娘との関係もギクシャクとか、そういうのも大して意味が無いんだよな。使い古されたネタだからこそ、とにかく丁寧で繊細に演出することが大切なのに、むしろ雑になっている。
例えばエミリーに「変な感じなの。私じゃないみたい」と言わせちゃうのは、すんげえ不格好だ。そもそもハンナが「どうしたの?」と声を掛けている時点で要らんと思うが、せめて「ううん、何でもない」程度に留めておけばいいものを。もう箱を開けた翌朝の段階で、もう「エミリーが自分じゃない感覚に見舞われている」ってのをハッキリとした台詞で明かしちゃうのかと。
そりゃあ映画の内容を知らなきゃ、そこが「悪魔憑き」と直接的にリンクするなんてことは考えないと思うよ。だけど映画を見る人間の大半は、最初からそういう内容ってのを分かっているはずで。
「どうせ分かっているんだから、モロバレの台詞を言わせても別にいいでしょ」とか、そういう問題でもないぜ。クライドが娘たちを家へ連れて行く2度目のシーンにも、雑な描写がある。彼とハンナが外で話している様子の後、カットが切り替わると屋内にいるエミリーが不安そうにダイニングを覗き込んでいる姿が写し出される。そこへハンナが来て、姉妹は瓶が床を転がるのを目する。
だが、そこで観客の不安を煽りたいのであれば、「エミリーが中に入る」→「ダイニングー向かおうとするが、異変を感じる」→「物音がするなど、観客にもハッキリと分かる形で異変が示される」という手順を踏むべきなのだ。
シーンが切り替わったら既に異変が起きていて、既にエミリーが不安を抱いているってのは、演出として不格好なのだ。
っていうか、ダイニングに不審者がいるのかと警戒しながらクライドが調べると猫用のドアが開き、安堵した彼が「たぶんアライグマが入り込んだんだろう」と言い出すわけで、つまり肩透かしなんだよね、そのシーン。
でも、そういうのって、ホントに心底から要らないわ。実際はアライグマじゃなくて悪魔の仕業であるならば、観客には「それは怪奇現象なんですよ」ってことを教えてシーンを終わらせるべきだし。悪魔の行為が「周囲を攻撃」と「エミリーの変貌」の2種類に分かれているのだが、これはマイナスではないだろうか。
もちろん両方を描くことで話に厚みが出たり恐怖が倍増したりすれば何の問題も無いのだが、むしろ散漫な印象に繋がっていると感じるのだ。
ただし、これが「悪魔に憑依されたエミリーが周囲を攻撃する」ということなら、それはOKなのよ。
そうじゃなくて、悪魔がエミリーを変貌させる一方で、大量の蛾を発声させたり、校長を殺害したりという行動を取るから、話が散らばってしまうのだ。そもそも、木箱の悪魔が人間の体を使わなくても様々な怪奇現象を起こしたり人を殺したり出来るのなら、エミリーに憑依する必要は全く無いってことになるでしょ。
それなら「エミリーが憑依される」という部分をバッサリと削って、「木箱に関与した人間が次々に恐ろしい体験をしたり、命を落としたりする」という話に集中すればいいわけで。
そういう意味では、最初に怪奇現象を見せて観客を怖がらせたいってのは分かるけど、女性が木箱のパワーによって襲われる冒頭シーンも要らないってことよ。
しかも、それで死んだのかと思いきや、なぜか女性は生きているし。「悪魔の攻撃」と「エミリーの悪魔憑き」の両方をやろうとしているけど、どっちも描写がおとなしいんだよな。
「悪魔の攻撃」の方は、「大量の蛾が発生する」とか「シャンティーが転落死する」という程度。
「エミリーの悪魔憑き」の方は、「フォークでクライドの手を突き刺す」「箱に異常な執着を示す」「クライドにビンタされたフリをする」という程度。
始まって50分ぐらい経過して、ようやく「片方だけ白目を剥く」とか「口の中で何かが動く」といった容貌の変化が起きるが、進行が遅いわ。別にさ、エミリーの変化がノロノロ運転であっても、雰囲気でジワジワと恐怖を感じさせるような作業が充分であれば、それでもいいと思うのよ。
でも、心理的な恐怖が物足りないから、だったら視覚的な恐怖を増やさないとマズいでしょ、ってことになるのよ。
本来ならクライドがザデックに悪魔祓いを要請する前に、もっとエミリーの状態は悪化しているべきでしょ。そしてステファニーやハンナたちも、これはヤバいと感じているべきなのよ。
悪魔祓いを依頼した後で気付くってのは、タイミングとして遅い。エクソシストのザデックはカトリックじゃなくてユダヤ教のラビだけど、そこに面白味があるわけでもないし。(観賞日:2015年8月18日)