『バイオハザード:ザ・ファイナル』:2016、アメリカ&日本&イギリス&フランス&ドイツ&南アフリカ&カナダ&オーストラリア

世界最大の企業であるアンブレラ社は、ジェームズ・マーカス教授によって創設された。彼の娘であるアリシアは、プロジェリアという重病を患っていた。老化が異常に進行し、25歳で肉体は90歳並みになるという病気だ。マーカス教授は治療法を模索しながら、娘の声や容姿を記録した。そんな中、マーカスは傷付いた細胞を修復する作用を持つTウイルスを発見した。T-ウイルスはアリシアを救っただけでなく、他の病気にも治療効果を示した。だが、T-ウイルスには人間をアンデッド化するという副作用があった。
副作用を知ったマーカスは計画を中止しようとするが、共同設立者のアイザックス博士が反対した。アイザックスは幹部のウェスカーにマーカスを抹殺させ、研究を奪い取ってアリシアの後見人となった。人工知能のレッド・クイーンが幼少期のアリシアと同じ姿なのは、そういう事情があるからだ。そして10年前、アメリカのラクーンシティーで事故が発生し、わずか1日でT-ウイルスの感染は拡大した。政府がラクーンシティーを爆破しても空気感染は防げず、わずかな生存者はワシントンに集まって最後の抵抗を試みた。
瓦礫の中で目を覚ましたアリスは、クリーチャーのポポカリムに襲われた。車に乗り込んだ彼女がポポカリムを爆殺した直後、サイレンが鳴り響いた。アリスが近くの建物に入ると、レッド・クイーンのホログラムが出現した。レッド・クイーンは48時間以内に人類が滅亡することをアリスに教え、自分を止めてほしいと依頼した。ハイブにはT-ウイルスを破壊して感染した生物を抹殺できる抗ウイルス薬が置いてあり、それを散布すれば人命の滅亡を阻止できるのだと彼女は説明した。
レッド・クイーンはアンブレラ社の人間を攻撃できないため、アリスに頼むのだと説明する。信用できないアリスに、レッド・クイーンはウェスカーが裏切ってハイブにいることを教えた。アリスはラクーンシティーへ向かうが、途中でアイザックスの装甲車に捕まってしまう。アリスが情報の提供を拒否すると、アイザックスは両手を縛った彼女をアンデッド軍団に追わせた。アリスは警備兵を倒してバイクを奪い、ラクーンシティーへと急ぐ。しかしアンデッド用の罠に捕まり、転倒して気絶する。
アリスが意識を取り戻すと、目の前にはクレアがいた。クレアは護送される途中で操縦士を殺害し、ラクーンシティーの廃墟に墜落した。彼女は高層ビルで暮らす生存者グループに助けられ、リーダーのドクと交際するようになっていた。高層ビルには他にもクリスチャンやアビゲイル、レイザーやコバルトといった面々がいた。アリスが事情を説明すると、クレアは協力を買って出る。アリスは裏切り者がいると確信しており、用心するよう彼女に告げた。
アイザックスは部下のチュウ司令官たちを引き連れて高層ビルに近付き、生存者のエリンを解放してゲートを開けさせた。アイザックスはエリンを射殺し、アンデッド軍団を突入させた。コバルトが殺された後、アリスは装甲車に火を放ってチュウを拘束した。彼女はチュウを装甲車に紐で繋で自動操縦に切り替え、アンデッド軍団に追い掛けさせた。装甲車に捕まっていた生存者のジェフとランディーも仲間に加え、アリスたちは全員でハイブへ向かうことにした。
途中でウェスカーの差し向けたケルベロスの群れに襲われ、クリスチャンとランディーが命を落とした。アリスたちがハイブの入り口に到着すると、レッド・クイーンが出現した。彼女は「アンブレラ社を裏切った理由を教える」と言い、T-ウイルスが流出する17ヶ月前に録画された幹部会議のファイルをアリスたちに見せた。アイザックスは会議の席で、自分たちだけが生き残って人類を滅亡させる計画を語っていた。レッド・クイーンはアリスにイヤホンを装着させ、アンブレラ社の潜入員が仲間の中にいることを教えた。
アリスたちは通気口からハイブへ潜入するが、それを知ったウェスカーが電源を入れてタービンを回転させる。アリスたちは急いで通過するが、アビゲイルが逆回転したタービンに巻き込まれて命を落とした。さらに先へ進む途中、ジェフはダストシュートに落ちて死亡した。残った面々も穴を滑落して散り散りになり、アリスとレイザーは一緒に行動する。しかしブラッドショットの襲撃を受け、レイザーが死んだ。アリスはブラッドショットを倒してドクと合流するが、クレアはウェスカーに捕まってしまう。アリスとドクがエレベーターで最下層へ行くと、幹部たちが冷凍睡眠で人類の滅亡を待っていた。アリスたちが奥へ進むと、アイザックスが待ち受けていた。これまで戦っていたアイザックスはクローンで、目の前にいるのが本物だった…。

脚本&監督はポール・W・S・アンダーソン、製作はジェレミー・ボルト&ポール・W・S・アンダーソン&ロバート・クルツァー&サミュエル・ハディダ、製作総指揮はマルティン・モスコヴィッツ&ヴィクター・ハディダ、製作協力は小林裕幸&ベルンハルト・サー、撮影はグレン・マクファーソン、美術はエドワード・トーマス、編集はドゥービー・ホワイト、衣装はリーザ・レヴィー、視覚効果監修はデニス・ベラルディー、音楽はポール・ハスリンジャー。
主演はミラ・ジョヴォヴィッチ、共演はアリ・ラーター、ショーン・ロバーツ、イアン・グレン、ウィリアム・レヴィー、イ・ジュンギ、ルビー・ローズ、オーエン・マッケン、フレイザー・ジェームズ、ローラ、エヴァー・アンダーソン、マーク・シンプソン、ミルトン・ショア、シオバン・ホジソン、オードリー・シェルトン、キャロライン・ミッジレー、ディラン・シキューズ、ケヴィン・オットー、リー・ラヴィフ、デニエル・デニスチェン他。


カプコンのゲームをモチーフにしたシリーズ第6作で、一応は完結編とされている。
脚本&監督は前作に引き続き、ポール・W・S・アンダーソンが務めている。
1作目から全て出演しているのは、アリス役のミラ・ジョヴォヴィッチのみ。
クレア役のアリ・ラーターは、3&4作目に続いての出演。ウェスカー役のショーン・ロバーツは、4&5作目に続いての出演。アイザックス役のイアン・グレンは、2&3作目に続いての出演。
他に、クリスチャンをウィリアム・レヴィー、チュウをイ・ジュンギ、アビゲイルをルビー・ローズ、ドックをオーエン・マッケン、レイザーをフレイザー・ジェームズ、コバルトをローラが演じている。

モデルやタレントとして活動しているローラが出演したということで、日本では公開前から話題になっていた作品である。1シーンだけのチョイ役ではなく、ヒロインと共に戦う重要な役柄として宣伝されており、マスコミにも大きく取り上げられていた。
しかし、いざ蓋を開けてみると、見事なぐらいのチョイ役だ。
確かに「ヒロインと共に戦う仲間」ではあるが、わずかな出番で簡単に殺されて退場する。一応は役名が用意されているが、その必要性を全く感じない程度の雑魚キャラだ。極端に言ってしまえば、別にエキストラでもいいんじゃないかと思うぐらいだ。
主要キャストの1人に入れてもらっているが、日本市場向けの客寄せパンダなのは明白だ。前作ではアリスを襲撃するアンデッド少女役で中島美嘉が出演していたが、それよりも扱いは下だと言っていいだろう。

この映画を見て、私は小津安二郎監督を連想した。
「どこを見て連想したのか」と不思議に感じる人も、たぶん少なくないだろう。何しろ小津監督と言えば、完璧主義で有名な人だ。俳優が動くタイミングを「2秒で」と細かく指定するなど、綿密に計算して正確な演技を要求する監督だ。セットの構図やバランスに対するこだわりも強く、調度品のわずかな位置が違っていても気付いて修正した。本人のイメージする「美しさ」や「正確さ」を、徹底的に追求する映画人だった。
しかし、そのように完璧さを求める小津監督だが、実はカットの繋がりに関しては平気で無視するという一面もあった。
だから彼の作品を良く見てみると、あるシーンからカットが切り替わった時に、先程のカットから調度品の位置がズレているというケースも珍しくない。
前出したことと矛盾するのではないかと思うかもしれないが、そうではない。小津監督にとって重要なのは、「そのシーンにおける構図の美しさ」なのだ。そのためなら、カットによって調度品の位置を変更してしまうことも意に介さなかった。

本作品の批評から随分と逸れてしまったが、実はそこに大きな意味がある。ポール・W・S・アンダーソンと小津安二郎では全くタイプが異なるが、ある意味では共通した部分があるってことだ。
ポール・W・S・アンダーソンの場合、「そのシーンにおける盛り上がり」を最優先し、そのためなら繋がりを平気で無視する。矛盾が生じても、整合性が取れなくなっても、「そんなことより大切なのはその場で観客に受けること」という意識で映画を作っているのだ。
彼の映画は1作の中でも「自分で用意した設定を忘れたのか」と言いたくなるぐらい辻褄が合わなくなることもあるし、それがシリーズの中で生じることもある。
つまり、前作で持ち込んだ設定が、続編では整合性が取れなくなってしまうということだ。
「その場の盛り上がり」のための設定やシーンを用意した時点では後のことなんて何も考えちゃいないので、いざ続編を作ろうとなった時に、「このままじゃ厄介なことになる」という問題が起きるのだ。

この映画でも、前作までに用意した設定や展開のせいで、整合性を持たせることや、ちゃんと処理することが難しくなっている。
そういう問題に対してポール・W・S・アンダーソンは、2つの対策を用意している。
1つは「チャラにする」という方法、もう1つは「完全に無視する」という方法だ。
どちらの方法を取るにしても、ものすごく強引だったり、ものすごく適当だったりという批判的な受け取られ方をする可能性は高い。
しかしポール・W・S・アンダーソンにしてみれば、そんなのは屁でもないのだ。

前作でウェスカーはアンブレラ社を裏切り、アリスを助け出した。人類を絶滅の危機から救うため、手を組んで戦った。
だが、今回は「実はアリスを利用するため策略だった」という設定を後付けで用意し、「ウェスカーがアリスと共闘する」という流れを断ち切っている。
前述した「チャラにする」という方法を取ったわけである。
そんなウェスカーは、前作では圧倒的な強さやタフネスぶりを見せていたが、今回はすっかり弱体化している。その理由に関しては、何の説明も無い。
今回はアイザックスが登場するので、ウェスカーをラスボスとして扱う必要が無くなり、それに伴って弱体化させたのだろう。

前作でアリスはウェスカーにT-ウイルスを注射され、超人的な身体能力やテレキネシスが復活していた。
だが、それを使うと無敵になってしまうので邪魔だということなのか、この作品で彼女がそれらの能力を披露することは無い。
能力を持っているのなら、使わないのは不自然だ。なので「能力を失っている」という設定だと捉えた方が分かりやすいだろうが、何しろ何の説明も無いのである。
そこは完全に前作の設定を無視しているということなんだろう。

前作のラストで、アリスは仲間のジルやエイダたちと共に、ゾンビ軍団に周囲を包囲されていた。まさに絶体絶命という状態で映画は終了しており、当然のことながら今回は「そんな危機的状況の中でアリスたちはどうするのか」を描くシーンから始まるのだと思うはずだ。
しかしポール・W・S・アンダーソンは、そんな観客の期待を完全に無視した。映画が始まると、アリスは一人で目覚めるのだ。
前作のラストから、そこまでに何があったのかは全く説明されない。ジルたちがどうなったのかも、まるで触れない。
繋がりなんて、完全に無視しているのだ。
ちなみに、クレアは「ヘリのパイロットを殺して逃亡していた」という簡単な言い訳を用意して再登場させているが、その兄であるクリスについては「途中で離れ離れになった」という設定にして軽く片付けている。
そういうトコも、わざわざ説明することに手間を掛けようとはしない。

レッド・クイーンは1作目で人類を守るために秘密研究所“ハイヴ”の所員を全滅させたが、前作では地球の生命体を抹殺することを決定していた。2作目でT-ウイルスの解毒剤は作られているので生命体を全滅させるという決定は奇妙だし、クローンを作り続けているのも整合性が取れない設定だった。
そんなレッド・クイーンが、今回は「アンブレラ社が人類を滅ぼそうとしているのを止めようとする」というキャラになっている。
作品ごとにコロコロと設定を変更しているので、もはやレッド・クイーンは「ただのデタラメな奴」になっている。
ただし、このシリーズそのものが、ほぼデタラメで出来ているので、ある意味では作品に合致したキャラと言える。

粗筋の冒頭で触れているアンブレラ社の経緯に関する説明は、全て映画冒頭にナレーションで語られる内容だ。
これを読んで「過去の作品で触れていた説明と食い違うような気が」と感じた人が、もしかすると存在するかもしれない。
その指摘は、ある意味では正しい。実際、過去に作品で触れていた内容とは大きく異なるのだ。
第2作では「T-ウイルスを開発したのはチャールズ・アシュフォード博士で、その娘であるアンジェラがレッド・クイーンのモデル」とされていたのに、そのことは完全に忘れ去られている。
しかし前述したように、ポール・W・S・アンダーソン監督ってのは、その場のことしか考えておらず、辻褄を合わせることなんて無視する人だ。なので、過去の作品で触れた説明は全て「無かったこと」にしているわけだ。

ポール・W・S・アンダーソンの徹底した刹那主義のおかげで(それを果たして刹那主義と呼んでいいものかどうかは置いておくとして)、シリーズの前作までを全く見ていなかったとしても、それほど苦労することは無い。
この映画から見た人でも、それなりに楽しむことは出来るだろう。
もちろん、専門的な用語は幾つも出て来るし、今までに描かれた設定や相関関係を使った話も展開される。
そこに関してはサッパリ分からないだろうが、あまり気にしなくていい。

アリスは序盤でアイザックスに捕まり、そこから逃げ出した直後、今度はクレアたちに捕まる。捕まる相手は異なるが、アリスがボンクラにしか見えないのでデメットの多い構成だ。
しかし、ストーリー展開に質の高さなんて求めたら、このシリーズは見ちゃいられない。
アイザックスがアリスを走行車両の外へ出し、走らせてアンデッド軍団に追わせるってのは、逃げるチャンスを与えるマヌケな策にしか思えない。だが、そこは「見せたいアクション」を優先した結果であり、そのためなら登場人物がボンクラになっても構わないのだ。
実のところ、見せたいアクションから逆算しても、やはりアイザックスの取った方法を避けることは可能だ。しかし、そういうトコを真剣に考えても時間の無駄なので、やめておいた方が賢明だ。

新たな仲間たちが登場するが、キャラクター紹介なんて全く用意されていないし、ストーリーが進む中で個性や特徴が見えて来るような作業も無い。単なる「アリスの同行者」というだけであり、それ以上の味付けなど用意されていない。
1人だけ「裏切り者」という設定が用意されているキャラがいるが、そのために描写を厚くしているようなことも無い。っていうか、そいつだけ厚くしたら裏切り者なのがバレバレだ。
どうせミステリーとしての面白さなんて、誰も期待しちゃいないだろう。
そしてポール・W・S・アンダーソンも、そこで面白さを出そうなんて思っちゃいない。とりあえず要素として使っているだけだ。

この映画で重要なのは、「ヒロインがゾンビ軍団と戦う」という1点のみである。そもそもポール・W・S・アンダーソン監督にしても、「とにかくウチの奥さんが体を張って頑張っているのを見せたい」という意識が圧倒的に強い(としか思えない)。
だから細かいことは考えず、ミラの格闘アクションだけを見ていればいいのである。
「残り48時間」というタイムリミットの設定をサスペンスの道具として全く利用していないことからも、「アクションがあれば他は何も要らない」という考えが透けて見える。
あるいは、自分で持ち込んだ設定を忘れているとか、利用するセンスが無いだけってことも考えられるが、まっ、どうでもいいわな。
ポール・W・S・アンダーソン監督の作品だから、細かいことを考えたら負けだよ。

(観賞日:2018年3月17日)

 

*ポンコツ映画愛護協会