『バイオハザード』:2002、イギリス&ドイツ&フランス&アメリカ

21世紀。アリスが古風な洋館で目を覚ました時、彼女の記憶は完全に失われていた。そこへワンが率いる特殊部隊が突入し、警官を自称するマットという男を捕まえた。特殊部隊はアリスとマットを連れて、洋館の地下へと向かった。
特殊部隊やアリス達は地下を走る列車に乗り、“ハイヴ”という場所へ向かった。車内ではスペンスという男が発見されるが、彼もアリスと同じように記憶を失っていた。アリスは、どうやらスペンスと男女の関係にあったらしいことを、断片的に思い出した。
アリスはワンから、詳しい説明を聞いた。ハイヴとは、米国最大の企業アンブレラ・コーポレーションが地下に作った秘密研究所だった。洋館はハイブへの非常用進入口で、アリスとスペンスは施設の防衛要員だった。しかし緊急事態によって防御システムが作動し、神経ガスを吸い込んだアリスとスペンスは一時的に記憶を失ったらしい。
ハイブでは人工知能の“レッド・クイーン”が通路を遮断し、5時間前に施設内の全員を死亡させていた。ワン達の任務は、ハイブに進入してレッド・クイーンの機能を停止させることだった。ワンと数名の隊員が犠牲になるが、任務は遂行された。
アリスや特殊部隊のレイン、キャプラン、J.D達は、ハイヴから立ち去ろうとする。だが、不審な科学者が襲い掛かって来た。銃で撃っても再び立ち上がってくる。何発も銃弾を撃ち込んで、ようやく相手は倒れた。だが、目を離した隙に死体は消えていた。
マットは、研究所員リサの兄だった。リサは会社が開発した違法なウイルスを持ち出そうとして、何者かの裏切りに遭ったらしい。そして、そのウイルスによって、研究所員はゾンビ化してしまったのだ。アリス達は、大勢のゾンビに襲われることになる…。

監督&脚本はポール・W・S・アンダーソン、製作はベルント・アイヒンガー&サミュエル・ハディダ&ジェレミー・ボルト&ポール・W・S・アンダーソン、共同製作はクリス・サイムズ、製作総指揮はロバート・クルツァー&ヴィクター・ハディダ&ダニエル・クレツキー&岡本吉起、撮影はデヴィッド・ジョンソン、編集はアレクサンダー・バーナー、美術&衣装はリチャード・ブリグランド、視覚効果監修はリチャード・ユリチッチ、音楽はマルコ・ベルトラミ&マリリン・マンソン、音楽監修はリズ・ギャラハー。
主演はミラ・ジョヴォヴィッチ、共演はミシェル・ロドリゲス、エリック・メビウス、ジェームズ・ピュアフォイ、マーティン・クルーズ、コリン・サルモン、パスクエール・アリアルディー、ハイケ・マカトシュ、ミカエラ・ディッカー、リズ・メイ・ブライス、トルステン・ジェラベク、マーク・ローガン=ブラック、アンナ・ボルト、ジェームズ・バトラー、ライアン・マクラスキー、オスカー・ピアース他。


世界的にヒットしたカプコンのゲームソフトを基にした作品。
アリスをミラ・ジョヴォヴィッチ、レインをミシェル・ロドリゲス、マットをエリック・メビウス、スペンスをジェームズ・ピュアフォイ、キャプランをマーティン・クルーズ、ワンをコリン・サルモンが演じている。

当初は、ゾンビ映画で御馴染みのジョージ・A・ロメロ監督が手掛けるはずだった。しかしロメロ監督の執筆したシナリオが、あまりにもゲームの内容そのまんまだったことから降板させられ、代わりにポール・W・S・アンダーソンが監督を務めることになった。どっちの方がマシだったのかと問われると、どっちもどっちかなあという気がする。
ゲームの映画化で、しかも監督が“ダメな方のポール・アンダーソン”で御馴染み、ポール・ウィリアム・スチュアート・アンダーソン。これで期待しろという方が無理だ(まあ高く評価されている方のポール・アンダーソンが、そんなに素晴らしい監督かどうかは別にして)。
どうやら監督、色んなことをやろうとして、まとまりが付かず、とっ散らかってしまったらしい。

オープニング・シークエンスはパニック映画で、アリスが登場してサスペンスっぽい雰囲気になり、やがてSFアクションに移行していく。しかし、全ての要素を兼ね備えているというのではなく、どっち付かずで中途半端になっているという印象だ。
後半は完全にSFアクションになるが、そこだけ取っても煮え切らない。まず、ガンアクションが物足りない。しばらく撃っては長く休み、しばらく撃って、また長く休むという感じ。特にミラ・ジョヴォヴィッチなどは、銃撃より格闘アクションの方が目立つ。

また、ゾンビの数も全体的に少ない。終盤にはワラワラと登場するが、ゾンビが登場しない時間が、かなり長い。銃を撃っている時間、ゾンビが登場している時間が思ったほど充実していない上、「どこに潜んでいるのか分からない」という恐怖感も無い。
ゾンビの登場は、かなり遅い。この映画でゾンビをなかなか登場させず、勿体ぶることがプラスに働くとは思えない。しかも、ゾンビが登場しない前半部分で、「ゾンビが来るぞ、来るぞ」とか、「何か得体の知れない存在が潜んでいるぞ」という恐怖があるわけでもない(一応、死んでいるはずの女がピクリと動くシーンが、あるにはあるが)。

前半では、ゾンビではなくレッド・クイーンというコンピュータ・システムが敵として待ち構えている。レーザー装置で人間の体がスパッと切断されてしまうという仕掛けは、見た目にも派手だし、ハッキリ言ってゾンビよりも怖いんじゃないかとさえ思ってしまう。
ゾンビ登場までに勿体ぶるためのストーリー展開の中で、ゾンビ以外の存在(レッド・クイーン)が恐怖の対象となっている上、ゾンビよりも脅威になっているというのは、完全に本末転倒だろう。勿体付けるにしても、そこまで他の恐怖対象で引っ張るのは違うよ。

監督はゲームのファン向けにゾンビ犬(ケルベロス)を登場させたらしいが、ものすごく簡単に殺される。なんせ、蹴り一撃ですから。そんな軽い扱いでは、逆にゲームのファンは怒るんじゃないか。あと、最後に異形のゾンビ“リッカー”が登場しているが、この映画にボスキャラなんて要らないだろう。人間型のゾンビだけで充分だ。
グロテスク描写は、ものすごく抑えている。例えばレーザー装置で人間が首チョンパや腹チョンパになるシーンなど、格好の見せ場になるのだが、そこはハッキリと描写しない。たぶんアメリカ映画協会のレーティングを気にしたんだろうが、物足りない。

ゾンビによる恐怖は、ほとんど無い。理由の1つに、タイミングが1つズレるということか挙げられる。見えない場所、行く先々で、いきなりゾンビに襲われるということが少ないのだ。例えば、振り向くとゾンビがいて、それを確認した後、襲ってくる。
そんな感じで、1つテンポが遅れるシーンが多い。ジワジワと来る恐怖が皆無の上に、ショッカー的な恐怖も少ないということだ。ゾンビがホラー映画っぽく恐怖を生み出すのは、ロメロにオマージュを捧げているエレベーターの場面など、かなり少ない。

しかし冷静になって考えてみれば、監督はポール・W・S・アンダーソンなのだ。あの『モータル・コンバット』を撮った人だ。それを考えると、「ポール・W・S・アンダーソンにしては頑張ってる」と言えるのかもしれない。
それが誉め言葉になるかどうかは知らんけど。

 

*ポンコツ映画愛護協会